私は今日あの方を試す
私の主人は美しい。艶やかな黒髪、ほんの少しつり上がった金色の瞳。肌は白く、滑らかで、唇はふっくらと、触れてしまいたくなる。まるで禁断の果実のように。
彼女の名を、メディア=コールディンという。私は彼女の従者、しもべだ。私は、彼女に秘匿すべき想いを抱えている。この思いは絶対に話せない。例えば、彼女がこんな風に言ったとしても、だ。
「ライ。今日もあの方は、あの生意気な男爵令嬢と一緒におりましたのよ?私というものがありながら、破廉恥ですわ」
「お嬢様、おかわいそうに。殿下の目は曇ってらっしゃる。それを晴らして差し上げないと」
私の口は思ってもいないことをつらつらと語る。いつも通りに。彼女の婚約者、第一王子である彼は最近メアリーとかいう男爵令嬢にご執心だ。私は、あの見る目のない男がお嬢様に近寄らなくなって、心底ほっとしている。
しかし、彼女がしゅんとして元気がないのはいただけない。
「私めをお使いください。あなたの手となり、足となり、お好きなように制裁いたします」
「ライ……。いいえ。それは許しません」
彼女は決まってこういう。
「あなたは私のものです。その身体が、心が傷つけられることを私は許可いたしません」
私はそのたびに、仄暗い喜びと、湧き上がる殺意に翻弄される。ああ。なんて残酷なことを、この方はおっしゃるのだろう。この方は、手の内に入れたものに甘い。私はただ、指をくわえて見ているしかないのだ。
「しかし……」
言い募る私に彼女は言った。
「制裁など、取り巻きに任せておけばよいのです」
彼女は、学園で、決して心を許さない。多くの令嬢たちの頂点に君臨している、クイーンであるのに。いや、だからこそか。彼女は孤独だ。実家は、後ろ暗い組織とつながりがあり、私も少々そんな仕事を頼まれたこともある。しかし、その仕事も彼女に見つかった時から取り上げられてしまった。
「彼は私の従者よ。お父様、彼に危ない橋を渡らせて、私の評判を落とすおつもり?」
この一言で、旦那様は陥落した。それ以降、私はもっぱら彼女の身の回りの世話と学園などへ外出する際の護衛を行っている。
そして、運命の日。
学園の創立記念パーティーで、あろうことか、あの王子がお嬢様を糾弾したのだ。男爵令嬢へのいじめに始まり、実家の悪事まで暴かれては、もう言い逃れは出来なかった。
実を言うと私は、この件をなんとなく想像できていた。というのも、引き抜きの手紙をこっそり何通か渡されたからだった。主人に忠実である使用人は皆欲しがるものらしい。この家にいた汚れ仕事すらする使用人は、同じように何人か声をかけられていた。
お嬢様は、婚約破棄をされた上、令嬢としての身分を剥奪され、庶民に落とされるらしい。
「お嬢様」
声をかけた私に彼女は言った。
「ごめんなさい。あなたたちを守ってあげられなくて」
白い頬に涙がすっとつたう。ひどく儚げで、美しかった。その華奢な肩に、いけないとは思いつつも、そっと手を置いた。
「お嬢様、私などよりも、ご自分の心配をなさいませ。さぞ、悔しかったでしょう?悲しかったでしょう?いまこそ、私をお使いください。復讐でもなんでもいたしましょう」
「なんでも?なんでも聞いてくれるの?」
彼女は、泣き濡れた瞳で言った。
「もちろんです」
私は彼女の役に立ちたかった。自分の浅ましい思いを否定してでも、彼女が幸せになれるなら、どんなことでもしてみせる。そう思った。
それじゃあ、と彼女は言った。
「見捨てないで。傍にいて。ライに傍にいて欲しいの」
私は耳を疑った。
「お嬢、様?」
「だめかしら」
じーっと見つめられて、もう私には耐えられなかった。
「あなたはすがるべき対象を間違えました」
彼女の身体を強く抱きしめ、頬に流れる涙に口付ける。
「全てはあなたの責任ですよ?」
「ライ……?」
彼女は、私の豹変にちょっと驚いた顔をしている。
「見捨てるはずもありません。あなたが、私の全てですから」
「息苦しいほどに、傍にいて差し上げます。もう、逃がしません」
そう、彼女は間違えた。私はある意味彼女を試した。この私を駒にすれば、従順に従ったというのに。その手をいらないと振り払えば、このまま引き下がったと言うのに。それ以外の選択肢を選ぶなんて。
思わず、くつくつと笑いが漏れる。
私は彼女を飼い殺す。鳥籠に入れて、大事に大事に、私以外の誰にもすがれないようにするだろう。狂ってしまえばいい。泣いて懇願して、それでも彼女はひとりでは生きていけないのだ。
私は彼女を抱き寄せ、宙空を叩くような仕草をした。これは、私の唯一できる魔法だ。中距離空間転移。誰よりも早く、いつでも傍に行けるように、必死で学んだ。それを発動させる。
「あなたを一人にはさせませんよ」
微笑みを浮かべる。願わくは、騙されてくれるといい。
「一緒に行きましょう」
彼女はこくりと頷いた。
__ああ、私の勝ちだ。
そうして、私たちは姿を消した。
そこにはもう、誰もいない。