夢と出発
灰色の机、灰色の空間。そこは通い慣れたオフィスだった。
私は、足下の黒いパンプスを眺めていた。仕事用の使い古したものだ。ふと、横にあるロッカーのガラス戸を見ると、ボサッとした髪をひっつめ、グレーの服を着た、大してかわいくない女が映っている。
「おい、聞いているか。寺田」
バンッと机を叩く音と共に、苛立った声がかかる。私はハッと上司の方へ向き直った。上司は酷く不機嫌な顔をしている。
「お前のデザイン、またクライアントに全ボツくらったじゃねえか。お前本当に使えねえ奴だな、会社の恥だ、恥」
そう言って上司は、私のデザイン案の束を足下のごみ箱へ投げ入れた。私の三日分の仕事だ。私はようやく震える唇を開く。
「も、申し訳ございませ」
バンッとまた机が鳴った。
「それ、本気で謝ってるつもりか?それに、どもる癖聞いててイライラすんだよ」
私は必死に涙を堪え、唇を噛む。
「才能もない、仕事も出来ない、迷惑なんだよ。やめれば?」
私は頭を項垂れたまま、ごみ箱を一心に見つめた。かなり頑張ったと思ったのに。これ以上何を頑張ればいいんだろう。私は本当に駄目な奴だ。上司の嵐のような説教が通りすぎるのをじっと待った。
仕事から帰った私は、鞄を投げ出してバタリとベッドに倒れこんだ。もう何もしたくない。食べることも、息することも。
のそりと寝返りを打つと、動いた拍子にタブレットの画面が点灯する。始めかけていたオンラインゲームの画面が見えた。まだキャラメイクの途中で止まっている。
せめて、現実逃避したいな。
のろのろとゲーム画面の前に向かった。
目を覚ましたら、石造りの天井が見えた。
なんだ、良かった夢か。ずいぶんと嫌な夢だ。
異世界に来てしまったはずなのに酷くホッとする。
昨日の夜から、空いている兵士の宿舎に泊まらせてもらっている。あてがわれた部屋には、なぜか私用の着替えなどが入った荷物がまとめられていた。朝食を支給しに来たメイドに荷物について尋ねると、困惑した表情で「貴女様が持ってきた荷物ですよね」と逆に首をかしげられてしまった。女神が荷造りまでしてくれたらしい。怖いくらい、至れり尽くせりだ。
外に出ると、広い空は晴れ渡っており、心なしか空気も美味しい。時間がよく分からないので、とりあえず早目に集合場所として指定された噴水へ向かう。
行く先々では、昨日の任命式に参加していたと思われる屈強な勇者達が、次々と出発の準備をしていた。馬に荷物を積んでいる者もいた。げっ、馬なんて乗れない。この世界では乗れるのが普通だったらどうしよう。
キョロキョロしていると、おはようございます、と爽やかな声がかかった。聖女フィアナだ。朝日でキラキラ輝く銀髪といい、白い肌といい、今日もかわいい。朝から眩しい美少女の登場に、私も自然とにやけてしまう。ふと気づくと周囲の勇者たちも鼻の下を伸ばしてこちらを見ていた。
「悪い、待たせたな」
クリスはヒーローのようにマントをはためかせて登場した。歩いているだけでカッコいいとは、やはり何かを持ってる男だ。
「兵舎から地図を取ってきた。行き先について説明する」
そう言って、挨拶もそこそこに噴水の縁に羊皮紙のような素材の地図を広げた。フィアナと私は地図を覗き込む。
「このアストロフィナ王国と、魔王の住む黒の大陸間には、現在西、南、東の3つの砦がある。今、王国が勢力を拡大し、勝てそうなのは西の砦だ。しかし、我々は四天王ガルフィードが守る、東の砦に行こうと思う」
なるほど、地名からしてさっぱりわからん。私が呆けていると、フィアナが小さく息を飲む音が聞こえた。えっそうとうヤバイ行き先なの?フィアナは、困ったように口を開く。
「アヤカ様が行かれるのでしたら着いて行きますが……あの、難攻不落の砦に参るのですか?」
「ああ、一番魔王城に近いからな。アヤカはどう思う?」
二人が私に注目する。ええと、答えなきゃ。
「ま、魔王への最短ルートだったら、その東の砦がいいんじゃないかなあ。ちなみに……どのくらいで着くの?」
「早くて三週間だ」
クリスはさも当然の事のように言った。えええっ遠いいい。私はここでようやく自分の余命を思い出した。あと、99日間の内、21日も移動で使っちゃうわけ?意外と魔王倒すまで余裕ないんじゃない?
私が小刻みに震えているのを見て、クリスが慌てて慰めるように言う。
「ちょうど今日の昼、王国軍が東の砦へ出発するようだ。王国軍に着いていけば勇者への支給品も軍から得られるし、宿泊テントもある。一番安全に黒の大陸に迎えると思うんだが……」
「ハイ、ソウデスネッ。それで行こうっ」
現実をようやく受け止めた私は、素早く返事をした。モタモタなんてしていられない。急がなきゃ、私死んじゃう。
私達が、王国軍に着いていく準備について、ぎこちなく話し合っていると、急に声がかかった。
「おい、勇者クリス。女連れで随分といい気なもんだな」
声の方向を見上げると、白い馬に乗った、白い鎧の青年が私達を見下ろしていた。