危ないものは振り回さないで
「あんまり、無理はさせないでくださいね」
紗絵と私の方を見て、令代はそう言った。私は目を逸らし、令代の持っているもの――オムライス……じゃ、ない! なんだ、それは! お好み焼き⁉ 令代はそれをテーブルに置いて、食べ始めた。
「なにそれ、なにそれ!」
とお好み焼きを指さし言う紗絵に、
「ただの、お好み焼きです。食べたかったんですよ」
と言って、令代はまた一口。
「いいなー、私も食べたい!」
「あなたはまだ食べるんですか……」
既に、紗絵と私と灰宮さんの皿は空になっていて、食べ終わると灰宮さんは自分の部屋に帰って行った。
それから、紗絵は少しテンションが高くなっている……ような、気がする。
「あーんして、あーん!」
「嫌ですよ……あーん」
反抗の意を示しつつも、わざわざ置きっぱなしになっていた紗絵の使っていたスプーンを使って、お好み焼きの一切れを紗絵の口に運ぶ。どうせ、紗絵は自身のしてほしいようにさせようと、駄々をこねるのだ。だったら、そんな面倒な過程はすっ飛ばして、言うとおりにしてしまった方がいい。つまり、キングクリムゾン! ……通のとる行動だ。令代、あんたも苦労してんだね。同士を見つけたような気分になって思わず涙がほろり。
「じゃ、次は私がしてあげるよ。あーん」
「うっ」
紗絵は自分のスプーンで令代にお好み焼きを食べさせようとする。
令代は少し躊躇って、しかし、仕方がないと腹をくくったのか、目を瞑ってそれを――
「無理はさせるなって、どういう意味?」
食べようとした瞬間に、私が話しかけた。瞬間、令代は目を見開き(怖い)、「ああ、それはですね……」と話し始める。紗絵にムッとした顔をされるけど、仕方がない! なんとなく、気になっちゃったんだから、しょーがない! 別に、令代が流石にかわいそうになったから助け船を出してみた、とかじゃ全然ないんだからね!
令代は、顎を手でさすり、
「師匠、今頃吐いてると思うんですよねー、頑張りすぎて」
「え、もしかして、病弱だってこと?」
「違いますよ。すげー元気です。だっていつも部屋から……ごほん! 魔法ですよ、魔法。身体への負荷が大変なんです」
「だっていつも、なに⁉」
「そこはいいでしょ、どうでも」
興味津々天真爛漫に訊いてみたが、答えてはくれなかった。クールぶった返事をするも、令代は慌てたようにしてそこそこ余っていたお好み焼きをぺろりと完食してしまった。動揺が隠せていない。何かあるんだろうな、と思ったが、何かやばそうなので聞かないことにした。踏み込んじゃいけないとこって、あるよね。
「かっこつけて頑張ってましたけどね、……頑張りすぎも、よくないでしょ。常識的に」
そう言って、天井を見つめて、ふー、と息を吐く。
「なるべく煽って魔法を使わせたりはしないように、してくださいね。辛いのを見せないようにしてるのを見るのって、痛々しいっていうか……」
そう少しだけ責めるように言うと、令代はテーブルの上の皿を集めて、台所で洗い始めた。
「……うん」
「わかった」
知らなかったことなのだから、本当に、仕方がない。しかし、反省だけはしておこう。
「ところで、どうして灰宮さんしか魔法を使うことができないのかな?」
そう、紗絵は令代に訊いた。私も気になっていたところではある。なので答えを求めて、令代を見つめる。顔は見ない。怖いから。
「……ああ」
てきぱきとした動作で洗い、拭き終った皿を棚に並べると、
「魔力を持つのが、師匠の一族だけ、らしくって……今生き残ってるのが、師匠だけ、って聞きましたけど」
「へえ。魔力。その魔力を持たない人が魔法を使ったら、どうなっちゃうわけ?」
「さあ? 死んじゃうんじゃないですかね」
何気なく訊いたら何気ない返事がすごい怖かった。やめてよね、そういうの。……あれ、鳥肌が立ってきた。しかしなんとか、言葉を絞り出す。
「……へえ、じゃあ」
令代くんは、魔法を使いたくって、師匠って呼んでるんじゃないの? と、私はこれまた何気ない質問を投げかけようとした。
その時、甲高い不協和音が鳴り響いた。
「な、なに⁉」
「何なの⁉」
私たちは両手で耳をふさぎながら口々に悲鳴を上げた。
令代も不安そうに、忌々しげな表情をして、周囲を見回している。
きいいいいいいいいいいい、と、尚もこの音は鳴り続ける。ずっと、ずっと。早く止んで欲しい。そんな思いとは裏腹にいつまでも聞こえるこの音は、私の不安を増大させていた。
何かが起きているのだ、何かが起こるのだ。そう、自覚し始めた頃合を見計らったかのように、音は止んだ。
……何も起きていない。
『何か、起きているのだ。何かが起こるのだ』とか思ってた人は、相当恥ずかしいんだろうな。いるのかな? そんな人。…………私だった。
「悪戯……?」
令代はそう呟いて、窓を開けて外を見るが、
「なにも、変わった様子はないね……近所の人も、見当たらないし」
らしい。確かに、誰か一人くらい様子を見に来てもよさそうなものを。
「ねえ、ちょっと外に出てみようよ」
「はあ。……そうしますか」
紗絵の提案に、令代は賛成した。因みに、私は反対派。絶対に、家の中にいた方が安全だろうから……しかし、私も紗絵の提案に表向きは反対しなかった。
しかし。
「灰宮さんはそのままでいいの?」
「よくないよ」
気付かなかった……。
いつの間に、私の背後に腕を組んだ灰宮さんが立っていた。明らかに先程よりも顔色が悪い。成程、令代の言った通りだった。寝込んでいたのだろう。熱さまシートを額に貼っている。
「なんか、気になるしね」
「はあ。そうですか……別に、いいですけど」
さっきの様子からいって、てっきり、止めるのかと思ったが、そこは本人の意思にゆだねるらしかった。令代の主体性のなさもあるんだろうけどさ。
なにもないってわかってるのに今更外に出るのって、なんだかおかしいよなーとか思いつつも何故か私が先行して玄関に向かう。よーし、どこの誰によった騒音かは知らんが、わかったら文句を言ってやる。そう決意してドアを開くと、ピンポン、とチャイムの音が聞こえた。目の前には、中学生くらいの少女が今まさにインターホンを押している光景。
ブレザーを着てツインテールの、少しロリっぽい女の子だ。正直、かわいい。大きくぱっちりとした目に小さなお口というロリっぽい顔立ちにロリっぽい肢体、ロリっぽいと言うか、ただのロリだった。本当、家に持って帰ってうちの妹と取り換えたいくらいってまでは流石にないけどかなりかわいいんだよね、……片手に物騒なものを引き摺っていることを除けば。なんか、血に塗れた刀的なものを持ってるんですが……。
「……えーと」
「あ、おねえちゃん、この家の人?」
「うん!」
しまった! つい、かわいすぎて、嘘をついてしまった!
「じゃ、死ねー!」
「きゃっ!」
あっぶね! 思わず女子っぽい悲鳴を上げてしまった! あ、私、女子だった!
少女は、手に持っていた刀を私に向かって振り回した。予備動作があまりにも大きすぎて避けられたから良かったようなものの、当たっていたら死んでいただろう。
少女は、ひ~、ひ~、と疲れたようにしてその場に刀を落とした。まあ、そうだろう。当然だ。恐らく、外見からして中学一、二年生くらいの年齢だ。そもそもそんな少女が刀などという鉄の塊を振り回すだけの筋力を持っているはずがないのだ。せいぜい一振り二振り程度が限界だったということなのだろう。
「何ですかー、何が起きてるんですかー、死ねーとか聞こえましたけどーうううううう……」
振り向くと、腕を紗絵と灰宮さんにしがみつかれた令代だった。両サイドがっちり。まさに、両手に花状態だった。しかし本人は本気で頭痛を起こしているかのように辛そうな顔なので、あまり悪態をついてもやれないのだった。恥ずかしすぎて死んでしまいそう、って感じ。顔なんてまっかっかだし。せっかく美女(男の趣味は疑うけど)二人に囲まれてるんだから、素直にそのありがたみを享受してればいいのに。
「いや、なんかこのかわいい女の子がね……」
「はあ」
「きゃー! 殺人鬼ー!」
「え」
可愛い少女ちゃん(以下、刀子)に指さされてそう悲鳴を上げられた令代は、明らかに傷ついたような表情を浮かべて、「僕、殺人鬼ですかね……」と私に持ちかける。うん、どう見てもそうだね。それと、こっちみないでね。怖いから。
刀子ちゃんは、さらに叫ぶ。
「誘拐魔! 通り魔! 強盗犯! テロリスト! サイコパス! レイプ魔!」
「え、えええ⁉ そこまで言われる覚えはないんですけど! ねえ、笹井さん!」
まあ、仕方ないよね。
令代をなだめる紗絵と今にも少女を殺しかねない剣幕で杖を構えた灰宮さん、そしてそれを抑える令代を後ろ目に、私は、はて刀子ちゃんを一体どうしたものかと考える。
先程の刀。血に塗れていたので、今までにも何か生き物――おそらくは人を斬ってきたのだろう。彼女に近づくのは、危険だ。殺されかねない。
しかし。近づかなくっても私が彼女に殺されるのは決定事項のようなので――いや、待てよ。私が? 違う、この家の人が、だ。つまり、灰宮さんと令代のことだ。私じゃない。なんとかして逃れることは、出来なかろうか。
「……えーと、死ね! とか言ってたけど、この家の人に、何の用なのかな? 因みに私は、この家の人じゃないんだけど。因みに私は、この家の人じゃないんだけど」
どうだ。熱心に刀子ちゃんにこの家の人じゃないアピールをしてやったよ。
「ふーん。……なぁんか嘘っぽいけど、いいや。お姉さん、この家の人じゃなかったんだね……突然斬りかかっちゃったりして、ごめんね?」
「う、うん、お姉さん、自分の非を認めて謝れる子って、えらいと思う――よ?」
「ありがとー! でも、この家の人か、そうじゃないかなんて、あんましかんけーないんだー! 死ねー!」
「うわっち!」
おおよそ女子らしくない悲鳴を上げながら、刀子ちゃんの振るう刀を躱す私。死にたくないもんで。代わりに令代宅の玄関前に置いてある傘立てとかはすぱすぱ切れて壊れちゃってるけど、まあ仕方ないよね。人命とどっちが大事なの、っていう話だもんね。刀って代物はこんなに切れ味がいいものなんだ、と、実物を目の当たりにすると、結構感動する。今は、とてもそんな暇ないけど。死ぬ、死ぬ!
「もー、疲れたー」
いい加減刀を振り回すのにも飽きたのか、彼女はまた、刀を地面に放り捨てた。
……また?
そういえば、先程は拾っている動作なんて、見せなかったな。彼女の足元には、二本の刀が転がっていた。……わざわざ刀を二本も準備してきた、という解釈でいいのかな? そう思っていた私だったが、次の瞬間、確かに見た。
刀子ちゃんがわずかに開いた掌の中に抜き身の短刀のようなものが生み出されてゆくのを。
まるで、魔法のように。