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性善説

作者: 初空

「いやーこの時間、この山奥となりますと、道路も空いてますねぇ」


 運転席で優男を絵にかいたような男が軽快にハンドルを捌いている。

 常に笑みの形に細められた目に、高い鼻、釣り上がった口元。

 男が運転する車は暗闇と木々に包まれた舗装路を早くも遅くも無いスピードで進んでいく。助手席に乗る男、酒木は静かに唇を噛んだ。

 運転席の男が一方的に話すだけの、男二人だけの夜のドライブが始まってしばらくが経つ。

 何故、このような状況になってしまったのか、助手席の男は今までに至る全ての自分の行動選択を後悔していた。






 きっかけは些細なことだった。たまたま見つけた地方紙に載っている小さな記事。

『人の善意につけこむ卑劣な詐欺』

 そんな記事だった。地元で流行っている詐欺の手口が事細かく書かれ、注意を喚起している。

 手口としてはこうだ。

 被害者とされる人が店から出ると、突然見知らぬ男から声を掛けられる。その男は他県から来たが、財布を落とし車のガソリンも残り少ないという。帰りのガソリン代を貸してくれないかと言って近づくのだ。

 そんな詐欺、引っ掛かる人間がいるのかと思えば、意外にも被害の件数は多い。お人好しが多いのはこの地方の県民性かもしれない。中にはわざわざATMからお金を降ろし、5万円を男に渡した者もいたという。

 ふと、魔が差したとしか思えない。

 こんなに簡単に人が騙せるのなら、と天啓の如く閃いたのである。今思えば、それは天啓ではなく悪魔の囁きだったのかもしれない。

 酒木は夜になるのを待ち、その日の内に車で二時間ほど飛ばして県境を越えた町のビデオレンタル屋に車を停めた。流石に地元で犯行に及ぶわけにはいかなかった。某チェーン店は時間帯も遅い事から人がまばらだ。それでもDVDを借りに来る客層は身なりを見れば大体の気質は読めるし、気弱そうな人間など直ぐに見分けがついた。

 購入したゲームの袋と、週末に備えてかDVDを複数セットで借りて厚みのできたレンタル袋を両手に下げた優男。インドアで他人の頼みごとを断れなさそうな男だ。

 酒木は躊躇いも罪悪感も全てを呑み込み、男に声を掛けた。


「あの、隣りの県から来たんですけど、財布を無くしてしまって、ガソリンも無くて……」


 たどたどしいが、不安げな感じは出ていたようにも思う。突然話しかけられた男は驚いたように眉を上げる。警戒心による言葉が吐きだされる前にと、酒木は早口に言葉を伝えた。


「初対面の人にこんなお願いするのも大変失礼な話しではありますが! ガソリン代を貸していただけないでしょうか! 必ず返します。携帯の番号も教えます。車検証をコピーしてもらっても構いません。貸していただけないでしょうか!?」


 優男はおっとりと頬に手を当て考える。いける。警戒とは違う、同情の念が顔や仕草に滲みでている。これはもしかしたらいけるのではないか。ちょろい仕事だ。性善説ばんざい。

 そう、勝利を確信したのも束の間の事。


「すみません、僕もあまり持ち合わせが無いもので。あの、お知り合いはこの辺りにいないのでしょうか?」


 男が親身な表情で相談に乗ってきたことに、酒木は一気に嫌な汗が背中を伝うのがわかった。金以外の事も訊かれることは容易に想像ができた筈だ。それでも答えを用意してこなかったのは、完全にテンションに任せた行き当たりばったりな結果だ。


「いえ、いません」


 そう短く答える他になかった。長ったらしい説明は墓穴を掘ることになると思ったからだ。しかし、思いもよらない優男の質問が続く。


「車種は?」


「え?」


 酒木は思わず間抜けな返事を返していた。何故、そこで車種の話しが出るのだろうか。


「僕は元メカニックです。車種と、ガソリンのランプが点滅してから、大体どのくらいの距離を走りましたか?」


 誤算に続く誤算、ここは強引にでも話しを切って立ち去るべきだったのだ。しかし、人間、思わぬ事が重なると正直な言葉が出る物で、


「車種は○○○で、20kmぐらいです」


 口が勝手に喋っていた。

 男は頭の中で計算すると、閃いたかのように手を打った。


「その車のカタログスペックですと1ℓあたり約18kmは走ります。実燃費ですと14kmぐらいでしょうか。ガソリンの警告灯が点いてもタンクには10ℓのガソリンが入っている筈です。つまり、点灯してからの消費分を差し引いて、ざっと120kmは走行が可能ですよ」


 ペラペラと流れるような口調に、思わず聴き入ってしまいそうだ。早口なのに聴きとり易い声音は日頃の訓練からなせる技だろう。男が自動車ディーラーの営業だったならなんでも買わされてしまったかもしれない。


「いかがでしょう? 間に合いそうですか?」


 男が優しげな笑みを浮かべて訊いてくる。

 ここは適当に切り上げた方が良さそうだ。ボロが出る前に。それで間に合うと言えばそれで終了だ。


「――」


 酒木が口を開こうとしたところで、男が良い事を思いついたというように再び手を打った。


「そうだ、僕の車で送りましょう! 丁度明日は休みなので!」


 いよいよ頭の中が真っ白になってきた。


「い、いえ! そんな迷惑は掛けられません!」


「迷惑? 困った時はお互い様ですよ♪ 遠出はよくしますし。そのリアクションだと、やっぱり間に合わない感じですね?」


「間に合います! 余裕で間に合います!」


「遠慮は無しですよ♪ さ、今車持ってきますんで!」


 そう言って男は自分の車を取りに行った。酒木は放心したようにその場に立ち尽くす。もうなにをやっても自体が悪化の方向にしか行かない気がしてきた。






「酒木さん酒木さん、さっきの所から二時間だなんて、やっぱり燃料的にはギリギリですよね。お家まで送りますから、あとで家族や知り合いとで車を取りに来てくださいね」


 あれから一時間ほど車を走らせている間も、男は一人で喋り続けていた。こちらの生返事などまるで意に介していない。会話を途切れさせることなく言葉を吐きながら車を走らせる。元整備士というだけあって車の構造を熟知しているかのような滑らかなコーナリングだ。高い運転技術とトーク術と知識。さぞ売れっ子な整備士だったでだろう。

 それでいて人が良い。万人受けする柔和な表情などなにもかもが恵まれている。

 自分とは大違いだと酒木は心の中で毒づく。自分に対してだ。

 自分など仕事が上手くいかず万年金欠。すこし魔が差して楽して儲けようとした結果がこの間抜けな結果だ。全てが嫌になりそうだ。

 生まれながらの善人というのはこんなにも眩しいのか。

 酒木は隣りで鼻歌交じりでハンドルを握る男を盗み見る。

 運転する事のなにが楽しいのか、まるでこちらの掛けている迷惑など気にしていないかのようだ。酒木の中で罪悪感が徐々に広がっていくのがわかる。

 なにか、こちらから言葉を掛けるべきなのだろうか。しかし、その疑問を掻き消すのもやはり運転席の男だった。


「大きくありませんか?」


「?」


 男の問いに首を傾げる。車がスピードを落とし路肩に停車すると、男は唇に指を当て聞き耳を立てる。


「マフラーの音、大きくないですか?」


 言われて自分も耳を澄ませてみるが、酒木には音の違いなど分からなかった。


「いや、分からないな。山道だからじゃないですか?」


 そう言うが、男は納得のいかない顔で動こうとしない。


「あの、酒木さんすみません。僕がここでエンジンを吹かしますから、マフラーの口をこのタオルで塞いでくれませんか? 穴が空いていれば白い煙が車体下から漏れる筈です」


 そう言って男が軍手とタオルを差し出してきたため、酒木はそれを受け取った。罪悪感が薄れるなら、それくらいお安いご用だ。

 酒木は車から降りると指示通り車から降りて車の後方に周り、排気口をタオルで塞いだ。ズボンの膝部分が地面に触れるのも構わず車体の下を覗きこめば、


「……排ガス、漏れてはいないみたいだけどな」


 それはすなわち、穴など空いていないということだ。報告すべく顔を上げた瞬間。バックランプが点灯している事に気付いた。


「あ」


 口から漏れた言葉は衝撃により掻き消された。

 額に樹脂の硬い感触を得て、重みが加わる。鈍い音と共に跳ね飛ばされるように上体が後方へ流れ、気付けば自分の視界は満天の星を映し出していた。

 いったいなにが起こったのか、理解が追い付かないでいると、車のドアが開く音がした。


「酒木さん酒木さん、アナタは僕の地元になにをしに来たのでしょう? 知り合いもいないのに一人で、あの時間に」


「な、にを……?」


 優男の顔に張り付いた笑みに、うすら寒いものを感じた。


「ビデオレンタルのお店なんて、わざわざ他県に来てまで寄るところではないですしね」


 男は酒木の上着を剥がすと上着のポケットから薄い財布を取り出す。まるで始めからそこにある事がわかっていたかのような動きだ。



「まさか詐欺師が詐欺に遭遇するなんて、まったくの想定外でしたよ。それも自分の模倣犯だなんてギャグですねぇ」



 男の言葉に衝撃を受けるも、グラグラと視界が回転し始めてきた今の状態ではどうすることもできない。そんな酒木の様子を興味深そうに観察し、男は薄っぺらい笑みで語りかけてくる。


「少しアドバイスをしましょう。簡単に自分の情報を出さないこと。退くべき所ではしっかり退く事。計画は綿密に立てること。そして、相手を選ぶこと。ね、〝酒木〟さん」


 そう言って、男は取り上げた財布からお札や硬貨を抜きとると、「授業料です♪」と言って財布をガードレールの向こう側の崖へと投げ捨てた。抗議の声を上げたいところであったが、酒木は意識が急速に遠ざかっていくのがわかった。

 通報しなきゃ、そう思ったが、自分は男の情報を一切持っていないことに気付いたところで意識は途切れた。

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