祭りの後・下
「あの、幸成先輩?」
「何だ、覆面後輩? あと、俺のことは覆面先輩と呼べ。何のためにこんな格好をしていると思ってるんだ」
「ふくめ……いや、もうそこは良いや」
とある閑静な住宅街の近く。
夕暮れ時の電柱の陰から片側一車線の誰もいない道路をうかがう、黒ずくめの二人組がいた。
――つまり、俺たちである。
「葛原家の車列を襲撃して妹さんを誘拐って。先輩、本当にやるんですか?」
「大丈夫。葛原の物ならどれだけ壊しても良いし、人も軽傷までなら問題にならないようにする。むしろ、葛原の総資産額と黒服の年俸聞いたら、無茶してでも念入りに暴れてやろうって思うだろうさ」
「でも……」
父さまには、何も言わなかった。
葛原家に本気で警戒されたら、一日もない準備時間では太刀打ちが出来ない。その状況で、早々に結論を出せなかったのだ。
一年も放っておけば、現在のしこりがどうなるか分からない。明らかに麗華に非がある以上、これで謝罪を受け入れてもらえないことになると、麗華の心の傷になりかねない。
そうして悩みながらも、実力行使でも交渉でも行けるようにと情報を探っていたところ、麗華の護送計画を見つけた。
その時間、ルート、護衛規模を見てやれると確信し、色々な伝手を総動員して何とか形にした。
そんな中、目の前の後輩は、いつもの屋上でなく、わざわざ呼び出してまで会いたいと言ったことに怪しさは感じていたらしい。
そこを報酬で説き伏せたはずだが、予定時間が近づくにつれ、決意が揺らいでいる。
彼の実家仕込みの魔術戦闘技法は、最初の鍵だ。
俺一人では確実に麗華を誘拐できないし、追撃に対する足止めをしてもらわなければ、後の計画に支障が出る。
そうこうしている間に、やってくる車列。
仕方ない。こうなれば最終手段だ。
「覆面後輩よ。見返りは三日間焼きそばパン食べ放題と言ったな。――三週間だ」
「突貫しまーす!」
次の瞬間、縦一列三台の車列の先頭車両が轟音と共に動きを止める。
ボンネットにただ一撃の拳を叩き込んだだけで破壊しつくす。デバイスを使った素振りもなくこれだけの威力を出す、あの後輩の家の技法には、相変わらず驚かされてばかりだ。
「さて、俺も仕事をしないとな」
全周囲に対して警戒を怠るべきではないと分かっていても、襲撃直後にまでその意識が行き届いているかと言えば、そんなことはない。
意識が一点に集中するわずかな時間。それを逃さず、中央の車に素早く突っ込む。
放つ拳は、隙だらけの首筋への手刀。
一撃でもって意識を刈り取る。
「ハッ!」
「ぐふおぁっ!?」
こっちに注意が向く刹那、今度は後輩が俺の背を守るように立ち塞がり、戦闘が開始される。
「こんなところ……!?」
「悪いが、少し大人しくしていてもらうぞ」
手早く車内に侵入しガムテープで麗華の口を塞ぐと、縄で縛って肩に抱えて運び出す。
「目標確保! 撤収!」
「了解!」
目の前にいた黒服の腹に体重を乗せた蹴りを叩き込み、一目散に駆け出す。
後ろから聞こえる戦闘音が段々と遠ざかるのを聞くに、あの後輩はきっちりと仕事を果たしているようだ。
そうしてたどり着いたのは、とある裏道。
予定通りの合流地点にたどり着いて周囲を見るが、まだ向こうは来ていないようだ。
そうして状況を確認した後、事情を伝えるために麗華を下ろして拘束を解いた。
「落ち着いて聞いてほしいんだが――」
「お兄様! これは何ごとですか!?」
「……え? 気付かれてた!?」
あれ? 覆面はまだしてるんだけど? なんで気付かれるの?
「私、お兄様と何年一緒にいると思ってるんですか? 身のこなしや筋肉の付き方で判別できます」
「へ、へぇ……」
もちろん、俺がそれで麗華を一瞬で見分けられるかと言われれば、答えは否である。
むしろ、人力のみでそんなことが可能なことすら、今はじめて知ったくらいである。
「まあ、良い。落ち着いてくれているなら、本題に入れるからな」
「一つ確認したいのですが。そのお話、あの坂成紗希とかいうクソ虫に関係していませんか?」
「く、クソ虫……。いや、まあ、紗希ちゃんも関係――」
「だったら、お兄様とはいえ、お話することはありません。戦闘能力で劣るのは仕方ないとして、自らの意志を貫くために立ち向かう覚悟すら持ち合わせない軟弱な女、クソ虫で十分。語る価値もありません」
「何だ、幸成。苦労してるみたいだな」
「な……あ、あなた、何者です!?」
麗華が瞬時に戦闘態勢に入るのも無理はない。
俺だって、事情を知らなければ同じことをしていただろう。
「かっこいい雰囲気の麗華か。なんか、変な感じだな」
「だろうな。俺らも、お互いに見合って爆笑したもんだ」
「お、お兄様! 何ごとなのですか!?」
「ほら、最近、ウチが資金援助してる魔術工学部の先輩知ってるだろ? あの人の研究の副産物。姿かたちに声まで映し出す、幻覚魔法の一種さ。目の前の麗華も、その後ろの俺も、手伝ってくれてる俺の友達だよ」
本当は、バレたときにどれだけ大きな問題になるか判断の付かない問題に、友達を巻き込む気はなかった。
しかも、俺達兄妹に変装して囮になってもらうという、とても危険な仕事。不審者ではなく『俺』が一緒にいることで乱暴なことにはならないと見ているが、それも絶対ではない。
しかし、麗華のために学校で内乱騒動まで起こすようなバカどもは厳重な監視下にいる今、頭数は自分の友人を頼るしかなかった。
そうして話を振った結果、むしろこちらが不安になるくらいに乗り気になっていた。
目の前で麗華に化けている陽気で人気者な学園のアイドル君とその一党はともかく、知的なイメージだった先輩までが乗り気だったのは意外だった。
「俺ら含めて、囮三組。全員配置についた。だから、お前らはさっさといけ。俺らが来た先に、先輩が車を用意してくれてる」
「ありがとう。気を付けろよ」
「大丈夫だって。葛原に捕まったら、みんなでさっさと幸成を売って見逃してもらう気満々だからな! それに――こんな機能もあるんだよ」
変装の方の麗華が、一瞬でうだつの上がらないスーツ姿の中年オヤジに姿を変える。
思ったより高機能なことに驚きつつ、生え際が危ないことになっているのにやけに様になってる中年オヤジと自分自身に見送られ、麗華の手を引いて走る。
もしかしたら抵抗されるかもしれないとも思ったが、黙ってついてくる。
「時間通りに来ましたか。ここまでは、計画通りに進んでいるようですね」
「ありがとうございます、先輩。車まで出してもらって」
裏道を抜けると、二人乗りの最新モデルの小型車と、脇に立つ先輩がいる。
いやな顔一つしていないが、ここまでの協力者と同じく急に呼び出したのだ。迷惑になっているのは間違いないだろう。
「大企業の支援まで貰って研究が形になったのは、幸成君のお蔭だからね。独力じゃ、どうしようもなかった。だからこそ、君のために出来る限りのことはさせてもらうよ。それに、この車だって、葛原の人から、自分の『アシ』が必要だろうって提供されたものだからね。本当に気にしないでいいよ。――おっと、盗聴だとか、考え付く限りの変な仕掛けがないことは、葛原の担当者立会いの下で自分で確認してあるからね。安心してくれ」
自動運転の目的地入力は済ませてあるというので、麗華を押し込み、改めてお礼を残して強引に出発する。
そう長くはない道中、麗華から口を開くことはなかった。
難しい顔で窓の外を見るだけで、特に抵抗しようといった様子もない。
俺も、ここまできて声を掛けるのも逆効果かとも思い、最後まで会話はなかった。
「ほら、目的地だ。降りろ、麗華」
「夕暮れの、河原?」
そう、熱血好きが心ふるわせる素敵スポットの一つ。
――夕陽に赤く照らし出される河原である。
「麗華には、ここである人物と戦ってもらう」
「ふむ。デバイスなしだと、格闘戦でしょうか?」
「いや、違う。あの娘と正々堂々、正面から『心』でぶつかり合うんだ!」
指さす先に立つのは、紗希ちゃん。
その気合の入った様子を見て、麗華の表情が苦くなる。
「不服か?」
「ええ。一度戦うことから逃げたものが、今更まともに立ち向かえるとも思いません」
この反応を見て、一つ確信する。
ああ、この問題。俺のせいだ。
「一つ、謝らなければならないことがある」
「お兄様……?」
「考えてみれば、お前に示してやった人とのかかわり方は狭すぎたんだ。お前に読ませた熱血漫画は、戦闘だろうとスポーツだろうと、勝者と敗者を決めるやり方しか描いていなかった。後は、謝り方と戦い方くらいしか教えていない。だからこそ、『言葉』の力を教えていなかった、俺の責任だ」
「そんな!? お兄様の教えは素晴らしいものでした! 何を謝ることがあるのですか!?」
慌てる麗華だが、これは今のうちに教えなければならない。
本当に、もっと早く気付くべきだった。
「よく聞くんだ。言葉は、万能からは程遠い。なぜなら、思ったことのすべてを伝えることはまず不可能で、相手が伝えたいことのすべてを理解することも不可能だからだ。――だけど言葉は、無力でもない。時には、ほんの少しだけ互いが理解できることで防げる争いもある。理解できないものは恐ろしいが、理解できる相容れないものは恐ろしくはないからな」
反応は、特にない。
ただ無表情で、俺の目を見つめる。
「……行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
そんなやり取りがされたのは、数分が経った頃。
じっと待っていた紗希ちゃんも、改めて表情を引き締める。
「まず、ごめんなさい、葛原さん。あなたの気持ち、わたしでは受け止めきれませんでした」
「謝ることはないわ。一般的に、私のしたことこそが間違っていることは自覚しています。まあ、謝らないけど」
互いに、真剣な顔で睨み合う。
少しでも多くを伝えようと、必死に戦う。
「で、要件は何? お兄様に免じて、それくらいは聞いてあげる」
「それは、葛原さんと……葛原麗華と、分かり合いに来ました! 幸成くんラブ仲間として!」
……おう?
なんか、話の流れがおかしくないですかね?
「お兄様ラブ仲間? はっ、どうせお兄様の表面だけ知っただけですべてを知ったつもりになってる有象無象程度の覚悟でしょう?」
「そ、そんなことない! もちろん、同級生だけじゃなくて、先輩や後輩のために駆けずり回る優等生の姿も知ってるよ! でも、それが出来るだけの実力をつけるために、とんでもない努力をしてることだって知ってるもん! みんなが言うような生まれ持っての天才なんかじゃないことだって、知ってるもん!」
まあ、それはそうだ。
麗華の破滅フラグを打ち倒すために、他でもない紗希ちゃんの上を行こうと血反吐まで吐いたんだからな。
「そ、それが何かしら。あなた、お兄様が幼いころから、自分に非があれば目下の人間にも頭を下げられるような立派な人物だったことは知ってる?」
「う……」
「じゃあ、そんなお兄様が、目上のお父様のゴルフクラブを小学二年生の時にへし折ったときには、全力で隠ぺい工作をしようとした話は? 庭に埋めるための穴を掘ってる途中でメイドに見つかって、口止めのために土下座で頼み込んでいるところをお父様に見つかって鉄拳制裁された話は?」
「うぅ……」
「小学三年生の夏の日、おねしょしたことで気が動転して、隠ぺいに失敗した挙句お母様の衣装室を爆破。今に至るまでこの世で唯一、お母様をマジギレさせた話は?」
「はぅ……」
「ふふん! お兄様のパソコンのハードディスクのエッチな画像の比率が、今までは妹ものが圧倒的だったのが、メガネっ娘ものが増えてきた話は?」
「えっ!? そ、その話を詳しく!」
途中から、特定の第三者の心をえぐる方向に話が逸れてきている気がする。
ま、まあ、麗華が乗り気になってくれたし、介入しない方が、良い……か?
「ハッハッハッ! どう、坂成紗希? あなたは所詮、その程度なの!」
「うぅ……。でも、幸成くん、言ってくれたもん。『大丈夫。お前のことは、俺が守るから』って」
「はぁっ!? ちょっと、坂成紗希! その話、詳しくなさい!」
で、結局キャットファイトに突入した。
……まあ、技術も何もないかわいらしい戦い方で落ち着いてるし、落ち着くところに落ち着くだろう。
「で、色んな意味で見ていられない戦いだったわけですが、兄君から一言どうぞ」
「もう、好きにしてくれ……」
「ほうほう。では、麗華様のおっしゃっていたエピソードの真偽のほどは?」
「あー、それについては……って、お前、誰だ!?」
いつの間にか隣でカメラを構えていた少女に対し、戦闘態勢で向き合う。
しかし、この娘、どこかで見たような?
「どうも、親衛隊を代表してきました塚口桜です。昨日の騒ぎで一時、兄君の護衛をしておりました」
言われてみれば、確かにそうだ。
その時の制服でなく私服なので気付かなかった。
「ってか、親衛隊は全員、入院か監視下だろ?」
「ですから、正規親衛隊159名、準親衛隊員3476名を代表して来ました。急なことで、準親衛隊員にも動ける者がいなかったんです。ちなみに、会員サイトで生中継中です」
「来ましたって、どうやったんだよ」
「兄君、根性論ってバカにならないんですよ」
イイ笑顔で親指を立てる少女。
どうやったのか、聞くのが怖くなってくる。
そして、自転車にマイクを固定し、ノートパソコンを見ながらカメラを構える少女との会話に夢中になる間に、話は進んでいる。
「紗希! 私の留学中、お兄様をお願いね!」
「はい! 麗華!」
ぶつかり合いは、無事に望ましいところに落ち着いたらしい。
抱き合って感極まっている二人を見て、肩の荷が下りた。
「無事に収まったようで。良かったですね、かわいい彼女が出来て」
「えっ?」
「えっ?」
いや、なぜにそんな話になるのか。
「あれだけ普段から一緒にいて、しかも自分からガンガン近づいて、気がないとか言いませんよね?」
「……いや、その――」
「うわ。いくら兄君でも、ドン引きですね――ああ、動画のコメントもブーイングの嵐ですよ。女の敵認定されてますよ。見ます?」
そうして見せられた画面。
『ないわ』『女の敵!』『人間のクズだわ……』『葛原だけに、ってか?(笑)』『←おう、麗華様までディスんのやめろや』
だいたいこんな感じである。
ごめんなさい、麗華の死亡フラグ回避のためだけに近付いたんです。
ほんと、クズです。
「友達から――」
「今まで、友達ですらなかった……?」
「……考えておきます」
「……はぁ」
『誰か麗華様に報告しろよ(笑)』『兄君、とてつもなくダメな人だったのかよ(笑)』
そんなこんなで親衛隊の葛原幸成株がスットプ安を叩き出していると、なんかすごく仲良くなった二人が、手なんて繋ぎながら笑顔で駆け寄ってくる。
存外、答えが出るまでは長くないのかもしれないなぁ、なんて考えながら、二人を迎えた。
本編はここまで。
次回から、番外編を一つか二つ掲載します。