シャルロッテのケーキ
「おやつ。まだ?」
立派な椅子に腰掛けたシャルロッテが、ぽつりと呟く。
「……なぁシャルロッテ。お前の目の前にあるそれは何だと思う?」
「フォーク?」
「アップルパイだよ!どこからどう見てもアップルパイだろーがッ!!」
人形のような愛らしい顔と、リボンで束ねた漆黒の髪。起伏の少ない体によく似合うゴシック調のドレスを身に纏い、細くしなやかな指先でフォークを弄ぶシャルロッテは血のように真っ赤な瞳で俺を見つめ、退屈そうにため息を零した。
純白のクロスが敷かれたテーブルには皿に盛り付けられた熱々のアップルパイが未だ湯気を立ち上らせている。1ピースに切り分けられたそれはほんの十分ほど前に焼き上げたばかりの焼きたてだ。
「別のも食べたい」
「一口しか食べてないじゃねーか」
「これ、甘すぎ」
「砂糖多めにしろって言ったのお前だろーがッ!!」
テーブルの上で輝くアップルパイは素材のりんごからこだわり抜いてじっくりさっくり焼き上げた俺の得意料理の一つだ。シナモンの香りを嫌うわがままお嬢様のためにシナモンは抜いたが仮にも得意料理。今日の焼き加減はいつになく完璧だ。味見も済ませた。不味いわけがない。誰が食ったってほっぺたが落ちると言って感嘆の息を漏らすだろう。
それなのにこいつは、文句ばっかり。
どんな美味いスイーツを出してもにこりともしない奴なのだ。
「いらないならよこせ。もう二度と焼いてやらねーからな」
文句を言われるくらいなら自分で食った方がマシだ。
俺はテーブルに置かれたアップルパイの皿を回収しようと手を伸ばすが、シャルロッテはひょいと皿をずらしてそれを回避。紅い瞳を伏せてフォークをパイ生地に突き立て、黙々と口の中に運んでゆく。
「よ、こ、せ、よ!! 飽きたんだろ!?」
「いらないなんて言ってない」
もぎゅもぎゅとパイを噛み締めながら、シャルロッテはぷいと顔を逸らした。
なんて可愛げのない奴だ。俺はため息をつき、がっくりと肩を落とす。
「別のケーキなら冷蔵庫に残ってるから、適当に切り分けてこいよ」
「やだ。焼きたてがいい」
「…………わぁったよ。新しく何か焼いてやるよ。何が食いたいんだ」
「何でもいい」
出たよ。料理する側が一番困る返答だ。
何でもいいって言う側は楽だろうけどな。作る側は色々と考えるのが面倒なんだぞ。俺はじっとシャルロッテを睨みつけるが、立派な椅子に腰掛けるわがままなお嬢様は指先を絡めてため息をこぼすばかりだ。
「ったく……」
俺はため息と共にキッチンへと向かう。
この無駄に広々としたダイニングの隣にあるキッチンは俺の聖域だ。
俺が遠路はるばる食材を買出しに行き、調理道具を揃え、保管し、シャルロッテのためだけに腕を振るう俺の仕事場でもある。ちなみに冷蔵庫には切り分けたケーキの残りが保存してあり、腹を空かせたシャルロッテが荒らさぬようきつく言いつけてはいるが、それでもたまに荒らされることもある。残ったケーキを処理するのも結構な手間なのでそれはそれで構わないのだが。
「さて、と」
何を作ってやろうか。
基本的に甘いものしか食べないシャルロッテのために、砂糖やミルク、バターや小麦粉などの材料は山ほど買い込んであるが、傷みやすいフルーツなどはどうしても貯蔵しておける期間が短い。先日買い込んだフルーツの残りは、ついさっき焼いたアップルパイに使った林檎が最後だったはずだ。
何でもいいというからには、本当に何でもいいのだろう。
しかしシャルロッテはわがままだ。簡単なバタークッキーやシフォンケーキでは恐らく満足しない。
それどころか、味気がないとか言ってさらに面倒なことになりそうだ。
そういや、質のいいクリームチーズがまだ残っていたな。チーズケーキでも作ってやるか。
ひとまず俺はボウルにチーズや砂糖、溶き卵や生クリームを放り込んでひたすら混ぜる。攪拌機なんて贅沢なモノはないので完全な手作業だ。これが結構な重労働ではあるが、しっかり混ぜないと美味しいケーキにならない。腕が痛くなってきても構わずに混ぜ続ける。
「……」
キッチンのドアからひょっこりと顔を出したシャルロッテがじっとこっちを見つめてくる。
空っぽになった皿を片手にフォークを咥えて俺を見つめるその様子はどこか物欲しげだ。
催促しているつもりなのか。食ってるだけのくせにいい身分だな。
「もうしばらく待ってろ。ケーキは焼くのに時間がかかるの知ってるだろ」
するとシャルロッテはするりとキッチンに入り込んで食器棚を漁り始め、ケーキ用の小皿とフォークを二人分用意して調理台の上に並べ始めた。皿を用意するのは焼いてからでいいだろうに。というより……
「なんで皿を二枚も出すんだ。お前が食べるんだから一枚でいいだろ」
「二人分、焼いて」
「はぁ? 朝からケーキばっか食ってるくせに二人前も食うつもりか。太るぞお前」
「いいから」
俺は軽くため息を付きながらも材料を混ぜ続け、ひたすら混ぜ続けた末に滑らかになったのを確認したらケーキの型に油を塗って中に材料を流し込み、オーブンに入れて焼く。チーズケーキを焼く程度なら、それほど難しくもない。基本的には材料を混ぜて焼くだけだ。
「ほら、焼きあがったら持って行ってやるから。キッチンから出てけ」
シャルロッテはたまにふらりとキッチンに入り込んでは冷蔵庫を漁り、食料庫に忍び込み、ホイップや砂糖をくすねて舐めたりする。つまみ食いをしなくとも、手伝いもせず周りをただうろつかれると非常に邪魔だ。勝手に出された皿を片付けた俺はシャルロッテの小さな体を軽く抱き上げて追い出そうとするが、シャルロッテは軽く暴れて嫌がるばかりである。
「……ここがいい」
少しむくれた表情のまま俺を見つめてくるその瞳は、いつもより輝いて見えた。
「作業の邪魔なんだけどな」
シャルロッテはぷいと顔を逸らして俺のレシピ本を勝手にめくり始める。
こいつのわがままは今に始まったことではないが、実際に相手にするとかなりしんどい。
わがままな妹を持つ諸兄ならきっとわかってくれるだろう。
「にしても、なんで今日に限って二人前用意しろとか言い出したんだ。いつもは一人前どころか1ピースの一口程度で飽きたとかいうくせに」
「だって……」
「だってじゃねーよ。どうせ食わないんだろ」
「…………たまには一緒に、食べたいの」
ぽつりと紡がれたその言葉。
俺はシャルロッテを小突いてから片付けた皿を再び並べ、オーブンを覗き込む。
その後、数年ぶりに一緒に食べたチーズケーキは、いつもより甘い味がした。