大零幕 前陣
絡繰大戦神
大零陣 上幕
星が夜の闇の中に瞬いている。
しかし、深い森はその光さえ遮り、妙な静けさを携えている。
怨――。
森が啼く。
夜の闇の中に森が啼いている。
怨、怨、怨、
哀しげな響きの中に、命萌える夏の森は啼き叫んでいた。
「強いな……、そろそろか……」
森の中で何かがしゃべりだした。
気配さえしない、しかし、人の、男の声だった。
闇と同化した草木の中に、その影は同じようにたたずんでいる。
雲の隙間から月光が顔を出した。
森の葉達の切れ間から木漏れ日のようにその光が差し込み、その影を照らし出す。
影の顔が月光に照らされる。
まさしくそれは男だった。
蓬髪の頭に、適当に結んだ髷。着物はボロボロで、下のほうには袴がなんとか見て取れる。
男は侍だった。
それも浪人の風体である。
尖った顎には無精髭が生え、片方の腕でそれをさすっている。もう片方の手には酒瓶がつるされていて、たまにそれを口元に運んでは、おいしそうに喰らっている。
妙な男であった。
気配さえ感じず、森と同化しているようでありながら、その姿が露になると、妙に温かい。そのような感じの男であった。
まるで、夜に置き忘れた日溜まりのような男だった。
その脇には、侍らしく刀が置いてある。
それにしても長いモノであった。
刀、と言うより太刀といった方が良いか、長刀で、また直刀であった。
朱色の供え鞘に、白い柄。
とてもこの男に似つかわしい刀とは言えなかった。
――ホゥ――
梟が一鳴きした。
「そろそろお出ましかね……」
男はそう言うと、酒瓶を地に置き、太刀を手にした。
「どうせなら、これだけで終わらせてくれや、面倒なのは苦手でね」
そういって口元をニヤつかせる。
杜撰な風体をしているが、この男、髭を剃り身なりを整えれば、今評判の役者も下を巻くほど、色男かも知れぬ。
そう思ってしまうほど、その厭な笑みには艶やかさがあった。
―怨―
再び森が啼いた。
しかし、それは先程とは明らかに何かが違った。
吹いていなかった風が吹き、それも妙に生暖かい。
緊迫した空気が周りを張り詰め、マグマのような生気が森を満たしていく。
まるで、森が眠ったまま目覚めたかのようだ。
―轟―
刹那、何かが蠢いたかと思うと、烈風が深い森から竜巻のように押し寄せる。
その先は男の視線の先に見事に合致した。
男の視線が鋭くなる。
太刀を小脇に抱え、柄に手をかける。腰を深く落とし、変則ながら抜刀の構えを取った。
竜巻は闇を巻き込みながら風玉になる、大きな大きな風玉である。
―怨―
森が叫び声を上げた。
風玉が弾ける。
散り散りなった風のかけらは、火の粉を撒き散らしながら森の赫々へと落ちていく。そこに、
そこに、何かが蠢く。
人では無い、獣でも無い。
人ならざるもの、命ならざるもの……。
「魑魅芥がうようよと、今夜は少し数が多いなぁ……」
火の粉の塵と共に、その場に異形のものが現れる。
人に似て人でなく、獣に似て獣でもない。
人はそれを『鬼』と呼ぶ。
またそれを『妖』とも、『妖怪』とも呼ぶ。
魑魅魍魎――。
古より、そこにいる。ただ、数多に存在する。
意味を成さず、意味を成す。
非存在の存在。
だから、それに意味を与えれば……。
「厄介なもんを呼んでくれたなぁ、おい……」
男は、足元にそう呼びかけた。そこには、肉塊が横たわっている。
すでに温もりは無く、魂がこの世を離れた事をあらわしている。
人であったモノ。
もう人でないもの。
「仕方ない、やるか」
すかさず、男は身を小さくすると、飛んだ。
低く、でも一直線に、一番近くの異形へと真っ直ぐと飛んだ。
そこにいたのは、熊のように大きく、しかし腰を曲げた人の形に似た異形だった。人と確実に違うのは、眼あるべき場所に眼無く、口元から青白い焔を吐き、頭から角が四つも生えていたからである。
男は異形の間合いに入るなり、太刀を引き抜いた。
それと同時に異形がけたたましい叫びを上げた。
―唖ぁぁぁぁぁぁぁ―
震……。
森が震える。
異形は横に真っ二つ分けられ、炎の塵となって消えた。
叫び声に、他の異形達が気づき、男の方に視線を向ける。
その中には犬の顔をしたものがいた。乳房が六つもあるもの、大きな蛙のようなもの、人の影を模したようなもの、鎧を着た蛇……。
そのどれもが圧倒的な敵意を男へと向ける。圧力のある視線が森を侵食する。
それでも男は涼しい顔をして笑っていた。
「面倒だ、いっぺんに来い」
それに呼応するかのように異形達は男へと襲い掛かる。
男は、それを人技と思えぬほどの速さで、捌きかわし、斬った。
斬、斬、斬。
数多の異形達は、男に襲い掛かると共に焔となり、消えていく。
暫くして、異形は襲い掛かるのを止めた。男の間合いから離れ、様子を伺っている。
「これで終わりか?なら、今度は俺から行くよ」
そう言って男は再び飛んだ。今度は高く上に。
木々の中に男が消えていく。
男の影を追って、異形が上へと向かう。
その中で一角の異形が見上げた時、視線が合った。
上空から男が降ってくる。
男の眼光が光り、振りかぶった太刀が一閃した。
太刀筋が閃めく。
異形は成すすべもなく、焔と化し消えた。
―禍ぁぁぁぁぁぁ―
―那ぁぁぁぁぁぁ―
―唖ぁぁぁぁぁぁ―
異形達が夜に叫んだ。
静まりかえる森にこだまし、森がざわめく。
「ちっ、まだこれだけ残ってるか……、厄介だな」
異形達は 上空へ向かって叫び続ける。
男は間髪要れずに手近な異形を斬っては、焔へと還していった。
けれど、その数は一向に減らない。
いや、それより叫び声は多くなっているような気さえする。
そして、震――と、静けさが森に響く。
「しくじったか……」
異形達の叫びが止むのと同時に男は舌打ちする。
瞬間、周りにいた異形達が焔と化して上空へと舞った。
幾重に、幾重にも。
焔は上空へ煌き、まるで箒星のように宙を舞う。
森中から箒星が打ちあがっている。
その箒星は空中で一箇所に集まり、固まり始める。
それは、大きな、大きな山一つあるかという、大きな人の形へと変貌していく。
まさに鬼の異形であった。
「でぃだらになっちまったか」
男はその大きな異形を見上げながらポツリと呟くと森の中を駆けた。
「フツの力を借りなきゃならねぇか」
男はこめかみに小さな汗を垂らしていた。