七話
「ところで、帝国とやらは本当にパントレアンに攻めてくるのか?まだ実際に攻めてきたわけじゃなく、兵を集めているだけなんだろ?本当はレトナーク王国じゃなくてブレジアス共和国を攻めるかもしれないだろ?」
確か帝国はこの大陸の北東部にあった国だったはずだ。帝国は南側でレトナーク王国と、同じように東側でブレジアス共和国とも国境を接していたはず。どうしてブレジアス共和国じゃなくてレトナーク王国に攻めてくると断言できるのか。どうもさっきの話では納得できないことを尋ねてみることにした。
「……今入っている情報では少なくとも三万を超える兵が既に集結しているらしい。最終的には五万ほどの軍勢になりそうだという話だ。五万の兵をもって共和国に攻め入るなどありえないから、王国に攻め入って来ることはほぼ間違いないだろう」
「……どうしてだ?」
「共和国の西側、つまり帝国との国境側には大森林という未開の密林が広がっている。共和国のほぼ西半分を占めるほどの巨大な密林は、様々な木々・植物たちが密集して育ち多種多様な生命の宝庫でもある。知識を持ったものにとっては、そこらじゅうに高く売れる植物や動物があふれている宝の山だが、何の知識もない人が生きて帰って来れるような生易しい場所ではない。その大森林自体が共和国にとって宝であり、帝国の軍を退ける天然の要塞でもあるというわけだ」
……つまり、森林の内部は木々の枝葉によって日光が遮られ一日中薄暗く、樹木の幹が邪魔で見通しが利かない。地面は木々の根っこなどで起伏に富む上、もちろんしっかりと舗装された道などはなく、その大森林を通り抜けるためには、無数に生える木々の合間をすり抜けるように進んで行くしかない……ということか
話を聞く限り森林には大軍が一気に進軍できるほどの道はないだろうし、戦列は縦に長く伸びがちになるだろう。縦に長く伸びた戦列は横からの奇襲に弱くなり、分断されやすく退路も断たれやすい。もし兵士たちが指揮官から分断されてしまったら、出来ることはただばらばらにその場から逃げ出すことか、あるいは前に進むことだけであろう。
「それに加え、毒を持った小さな生き物から猛獣のような大きな魔物まで、危険な生物も森の中に姿を隠しながら数限りなく生息している。どこに何が潜んでいるかわからないそんな密林を万を優に超える大軍で通り抜けようとするなんてありえないし、並の指揮官では満足に統率することさえできないだろう。……事実、共和国の主戦法は専守防衛だ。大森林を熟知した傭兵や狩人を金で雇い、森林の中で待ち伏せや奇襲を行い少人数で大軍を撃退するという戦法をとっている」
さらに兵士は、いつ、どこから襲われるかわからないという恐怖に常に耐え続けねばならない上、大軍になればなるほど兵站を保つことさえ難しいゆえに、まともな物資さえ配給されない可能性もある。……密林という地の利を最大限に生かした、いわゆるゲリラ戦術というやつか。
「大森林を抜ければ比較的すぐに共和国の首都ベナ・レフェルにたどり着くことはできるが、仮に頑張って抜けることができても既に軍はまともに機能しないだろう。王国のように戦うことが仕事の軍人ならともかく、帝国の兵はほぼすべてが徴兵されたただの民衆だからな」
……もし、大軍で森林を切り開きながら進むとしたらどうだろう。それでも途方もない時間がかかる上、大軍を進軍させれば帝国自体の防衛戦力ががら空きになる。王国にその隙を突かれかねない危険性があるし、そもそも現実的ではないな。
そうなればやはり、アリシアたちの言う通り帝国はこの国に攻めてくることになるんだろう。……だが、話の中で二つだけ気になったことがある。
「五万もの大軍が攻めてくるのか?さっきの話じゃこっちは一万じゃなかったか?かなりの兵力差があるが……」
「五万対一万とはいえ、帝国の軍は何の訓練もしていない民衆で、こっちの軍は有事のために日々鍛え上げている精鋭だ。例え相手の兵力が五倍でも負けることなどない……多分」
俺の常識では兵力の数は基本的に絶対なものだが、この世界では違うのかもしれないな。レベル百のキャラにレベル一のキャラが百人集まっても勝てないようなものだろうか。
「……でも、なんでそんなにその皇帝とやらにこだわるんだ?クロエが言うように自らが最前線に行ってまで知ろうとするなんて」
さっきから気になっていたのだが、そうまでして最前線に行かなければならない理由は一体何なのだろうか。クロエの言うように、噂だけというのはあまりに理由として弱すぎる気がする。
「そうだな。……ジルベールを覚えているか?」
「ジルベール?……君を殺してこの国の実権を握ろうとしていたあの男か?」
「ああ。……君はジルベールを良く知らないから勘違いしても仕方ないかもしれないが、彼は少なくとも権力に取りつかれた極悪人、権力の亡者ではなかった。権力に執着がないといったら嘘になると思うが、少なくとも彼が第一に考えていたのはこの国のことだ。十数年間彼を見続けてきた私の目から見ても、あれだけ武官たちに慕われ、支持を集めることができたことからも間違いないだろう」
確かに将軍が皆、後を追って死ぬというのは尋常ではないよな。ただ権力だけを求めるような人間ではなく、少なくとも配下には慕われていて、近い人たちにとっては後を追って死ぬほどの魅力があった人だったのだろう。
「では、彼が反乱を起こしたのは何故なのか、私はずっと考えていた。……私が王にふさわしくないと思ったからだろうか。それならばわざわざあんな強引な手段をとらなくても、時間はかかるかもしれないが話し合えば血を流さずに解決できただろうし、そうしたほうが民衆の理解も得られただろう。あのような方法では、仮に私を殺すことができたとしても、治めるべき民衆の理解が得られるとは考えにくい」
……確かに。いくら王国の軍事力を全て握っていたとはいえ、あまりに強引なやり方ではないか。まあ往々にしてクーデターというものは強引な手段が普通だとは思うが、力だけに頼った方法だけでは国を長期間統治できるとは思えない。
「だが、彼はそんなことを承知の上で、強引にでも速く自分が権力を握らなければならない何かの理由があったのではないか。兵は拙速を尊ぶというが、何か緊急事態が起きそうだからこそ、彼は何か焦ったようにあんな強引な手段に出たのではないか、そう考えていた」
「……そこに今回の件が関わってくるってことか」
「……ああ。ジルベールは、というか元帥になるような優秀な武官は皆、パントレアンに配属され指揮の経験を積む。なぜならもし有事の際にはパントレアン方面、つまり帝国方面こそ一番の主戦場になることは間違いないからだ」
つまりパントレアンでの前線指揮官というのは武官にとってエリートコースってことか。多分ジルベールに殉死したやつらも、そこで一緒に釜の飯を喰い、共に戦った戦友たちだったんだろうな。
「彼も長い間、パントレアンの最高責任者として国境を見張り続けてきたし、小競り合いの際にも最前線で戦い続けていた。……帝国に一番近いという事は、帝国の情報が一番頻繁かつ正確に伝わってくるという事でもあり、帝国のことをこの王国の中で一番詳しく知っていたのは間違いなく彼だろう」
「そのジルベールが反乱を起こした……」
「彼に私欲がない……とは言わないが、王になりたいからという理由だけで反乱を起こすような人間ではない。その程度には私は彼を信用していた。……ではなぜ反乱を起こしたのか。私が王のままではこのレトナーク王国はレンブランク帝国に蹂躙されてしまうと思ったのだろうな。……つまり、私よりも伝え聞く皇帝の方が王として勝っていると考えたからではないだろうか」
そうして目を伏せるアリシア。憂いを帯びた儚げな彼女の様子は、つい最近どこかで見た様な……。そう、今朝のエレミアにそっくりだった。……こうしてみると確かに姉妹だな。
「……ならば、彼が反乱を起こしたのも私のせいではないだろうか。私が王として頼りなかったから、彼は自らが泥をかぶってでも権力を手に入れようと……、この国を守ろうとしたのでは……。そんな彼を殺してまで、私は本当に王になってよかったのだろうか」
「……まあ、王の差が国の差というわけでもないだろう。ジルベールのことはよく知らないから彼の心中など知る由もないが、大切なのは過去ではなく現在、そして未来だろう。たとえ今現在、皇帝が君より優秀な為政者であり司令官であり武人だったとしても、いつか超えられるようにこれから成長すればいい。それに……、もし彼に対して君がしてあげられることがあるとしたら、彼に代わって君がこの国を守り続ける事なんじゃないのか」
王冠をかぶらない俺にその重みはわからない。冷たいかもしれないが、俺が共に背負う気はないし、そもそも背負えるものでもない。孤独な冷たい玉座につくと決めたのは、誰でもない彼女自身だ。……俺にできる事といったら、こうやって蚊帳の外から励ますことくらいだろう。
「……そうだな、私は立ち止まってはいけないんだ。一歩一歩、少しづつでも前に歩き続けなければならない。そう、決めたんだった」
彼女の声は段々と小さくなり、自らに言い聞かせるようにつぶやかれたその言葉は虚空へと消えていった。




