四話
「絶・対・に・反・対・ですッ!」
城の人にアリシアがいる場所を聞き、部屋の前まで来ると、その部屋の中から大きな声が聞こえてきた。この声は……、籠もっているから多少分かりづらいが、多分親衛隊長のクロエ……だろうか?
部屋の扉を開けるとやはり予想していた通り、鎧姿の女騎士が赤髪のポニーテールを振り乱しながら、アリシアに何かを訴えているようだった。その他にも幾人か見覚えのある人たちが部屋の中で難しい顔をして腕を組んだり、顔をしかめたりしている。何とも形容しがたい空気というか、雰囲気がその部屋の中を満たしていた。
どうやら何かを真剣に話し合っているようなので、邪魔しても悪いと思いとりあえず扉の前で静かにしていることにした。
「あなたはこのレトナーク王国の王なんですよ! もしその御身に何かあったらどうするつもりですか! 大体、何のために最前線へ行こうというんですか!」
「だから、さっきから何度も言ってるだろう。……レンブランク帝国の皇帝クラウスをこの目で直に見てみたいからだ」
クロエは王に対する言葉とは思えないほど強い口調で何事かに反対しているようだが、一方のアリシアはどこ吹く風。クロエの怒号ともとれるほどの大きな声を全く意に介さず、全く相手にしていないようにも見える。そんな二人を囲むようにいる周囲の人たちは一様に難しい顔で、頭を抱えたり顎を撫でたりしている。どうやら皆考え事をしているようだった。
「はぁ~~~~……。クラウディア様もアリシア様に何とか言ってください!」
いくら言っても糠に釘、暖簾に腕押し状態のアリシアを説得することを諦めたのか、クロエは大きなため息をついてから今度はクラウディアに、アリシアを説得してくれるように頼んでいた。
「……それはあなたが個人的に知りたいからなの? それともレトナーク国王として王国に最も利益をもたらすとあなたが思うからそうしたいの?」
「もちろん、王としてそう思うからだ。彼の者を知ることは王国にとって重要なことだと考えるからこそ、私自身が危険を冒してでも最前線に行く価値はあると考える」
周囲の人たちと同じように何か思い悩んでいたようなクラウディアが、ポツリと発した問い。その問いにアリシアは一切迷う事もなく揺るぎない態度で即答する。アリシアのその返事を聞くと、クラウディアは少し目を細め軽く微笑んだ。
「それなら私は何も言わないわ。……でも自分の行動には責任を持ちなさい。一人の人間としても、王としても」
「……はい」
そう言うと彼女の肩をポンと叩き、彼女に背を向け部屋の入り口があるこっちに向かって歩き出した。そこでクラウディアさんは初めて俺に気が付いたようで、一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに微笑みを湛え話しかけてきた。
「こんにちは。お元気そうで何よりです」
「あ、はい。こんにちは……」
クラウディアさんもと言いかけて、思いとどまる。エレミアと結婚したんだし、一応家族でもあるのにその他人行儀な台詞はまずいかもしれない。……だが、さすがにお義母さんというのは少々恥ずかしくて言えないな。
クラウディアさんの声で俺の存在に気が付いたのか、部屋の中の人全員の目線がこちらを向いていた。そんな目線を感じながら、クラウディアさんは何事もないように振る舞うことができるのは、やはり王族として注目されるのには慣れているからだろうか。……それとも俺がただ単に注目されることに慣れていないのだろうか。
「本当ならエレミアのこととかいろいろお話したいこともあるのですが、……今日は都合が悪いでしょうから、また時間のある時にお茶会でも開きましょうね」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、手を振りながら部屋の外へと出ていくクラウディアさん。成熟した大人の女性がするにはなんとも子供っぽいミスマッチな行動のようだが、クラウディアさんがするとなぜか様になっていた。
「来てくれたのかクリス、ありがとう。……だが今少々立て込んでいて、少し待っていてもらえるか?」
「クリス殿!貴殿も反対してくださらないか!」
「な、何をですか」
静かにしていようと思った矢先、いきなりクロエに大音声で話しかけられた俺は内心の動揺を声に出してしまった。それを見たアリシアが諌めるような口ぶりでクロエを静止する。
「クロエ!お前も少し落ち着け。いきなりそんなことを言っても、クリスが困るだけだろう」
「うっ、……それもそうですね。失礼しました」
自分でも熱くなっているという自覚があったのか、割とあっさり大人しくなるクロエ。それを見たアリシアは満足したのか、俺の方へと向き直り話し始めた。
「……だが、そうだな。クリスにも説明しておいたほうがいいだろう。今日来てもらったことにも関係してるしな。……まあ、簡単に言ってしまえば、戦争が起きそうなのだ。……北のレンブランク帝国が我がレトナーク王国との国境付近に軍を集結させつつあるらしい」
「……一大事じゃないか」
アリシアの口からいきなり飛び出た戦争という言葉。その言葉を、平和ボケした俺の頭は現実味をもって受け入れることができなかった。もちろんアリシアが嘘など言うはずもないだろうし、言う意味もないので本当に現実に起こるのだろうとは認識できるのだが、どこか他人事のようにしか思えないのだ。
いくらこの世界ではそう言う事もあると――元の世界でも遠くの国では実際に起きていたことではあったが――頭で理解はしていても、人と人の殺し合いが目の前で起ころうとしている事実を実感として受け入れるにはあまりに突拍子もないことのように感じられる。
……たとえドラゴンとの殺し合いを既に体験していたとしても。
「そうだな、一大事だ。主戦場は北の国境近く、パントレアンという都市の近くあたりになりそうなんだが……」
「アリシア様ご自身がそのパントレアンに行き、自ら戦争の指揮をとるというのです!」
「……なるほど」
さっきからクロエはその事に反対しているという事か。
「なるほど、ではありません!」
「……す、すみません」
クロエの激しい剣幕に思わず謝罪の言葉が口からこぼれ出た。そんな俺を見て彼女も少し冷静になったのか、頭を下げて謝罪してきた。
「……いえ、こちらこそ言い過ぎました。申し訳ありません、クリス殿。……でもアリシア様、私が意見を変える気はありませんからね!」
「……我が王国の民が戦うことになるのだ。私だけがこの王都で安穏としているわけにもいかないだろう」
「むむ……」
二人はまたにらみ合う。どちらも譲らず平行線を辿る議論はいつまでたっても終わりそうにない。もっとも、そんなことは当の二人が一番分かっているのだろう。クロエはどうにか周りの人を仲間にして勝とうとしたのか、とある一人の男に訴えかけた。
「ヴィクトル殿も何とか言ってください!」
クロエにそう呼ばれたのは、見覚えのない男だった。ボサボサの茶色く短い髪の毛に、口元には同じ色の無精ひげ。目つきが悪く、不機嫌そうな顔をしている壮年の男。……元帥殿と呼ばれていたことから、おそらく武官の長であったジルベールの後継なのだろう。
「……我ら武官は王国の剣であり盾。戦いで死ぬ覚悟などとうの昔にできております。我らの軍は帝国の軍ようにか弱き民衆ではなく、一人一人が誇り高き戦士。見守ってもらわねばならぬほど脆弱な存在ではありません。……とはいえ、アリシア様が共に戦ってくれるのならば士気が上がるのも事実。我らから言えるのはそれだけですな」
「……ファビオ殿!」
自分の思うような意見が得られなかったからか、クロエは別の男に訴えかける。その男は、確かに見覚えのある男だった。白い頭髪は薄く、やせぎすの不健康そうな老年の男は、確か文官の長である宰相だったはずだ。
「……士気が上がるのは結構だが、あまり勝ちすぎても困るな。我々の大勝利は帝国側に大きな被害を生み、大きな被害は恨みを生む。我らに帝国を滅ぼす気がない以上、できるだけ両方の被害を少なくしつつ痛み分けのような形にするべきだろう。……ならばアリシア様が最前線に行く理由はなく、行くことによる危険のみが残る。この王都ディアリスにいてもらったほうがいいだろう、余計な恨みを買わないようにするためにもな」
どっちつかず……というかあえて自らの意見を明確にせず、王の判断にゆだねようとする武官の頂点・元帥のヴィクトル。それに対して文官の頂点であるファビオは、クロエと同じくアリシアの前線行きには反対のようだ。
「……いかにも戦場を知らぬ頭でっかちが言いそうな机上の空論だな」
ヴィクトルが彼方を眺めながらぽつりとこぼしたその言葉に、ファビオはすぐさま反応した。残り少ない白髪を振り乱し、顔を真っ赤にしながらファビオはヴィクトルに詰め寄る。ヴィクトルは面倒そうな顔をしながらもファビオに向きなおった。
「なんだと? ……戦場で戦う事しか能のない奴がこの儂に説教か! 何も生み出さない兵士が、国を作り出す我ら文官を愚弄するのか!」
「守り切る力がなければ国を作り出しても蹂躙されるだけだろ」
どんどんヒートアップしていく二人。そんな二人を、さっきまで同じように口論していた二人――アリシアとクロエが仲良く肩を並べ、呆れた様な表情で眺めていた。
「そもそも戦争とはなんであるか! 戦争など所詮、政治の延長でしかないのだ。戦争とは一種の実力行使であり、その旨とするところは相手に自国の意志を強要するにある。重要なのは自国の意志を強要するということであり、戦争そのものではない。逆に言えば、自国の意志を強要さえできればそもそも戦争そのものが必要ないのだ!」
「だからそれが机上の空論だと言ってんだろうが!……初代レトナーク国王ヨシュアが帝国から独立して以来、帝国は肥沃な農耕地の大半を失い、それによって国力も大幅に低下した。寒さが厳しく作物の育ちづらい北の大地しかない帝国にとって、レトナーク王国の豊かで温暖な領土は喉から手が出るほど欲しいものだろう。先代皇帝の汚名を雪ぐのは歴代皇帝たちの悲願でもあるだろうし、そう簡単にあきらめられるもんじゃねえ。あっちが戦争を仕掛け領土をよこせと強要して来てんのに、戦争以外で具体的にどうやって我が領土を守るっていうんだよ。どうやって我らの領土を侵すなと我らの意思を強要するっていうんだ?」
「だからこそ儂は武官になどに金を出さず、もっと国の政治や開発に金をかけるべきだと言っているのだ。このレトナーク王国が富み、繁栄すればするほど多くの民がこの国で生きることになるだろう。レトナーク王国だけが他の国に比べて遥かにいい暮らしをしていたならば、良い生活を求めて他国から祖国を捨ててやってくる難民も来るだろう。それは共和国からかもしれないし、教国からかもしれないし、もちろん帝国からも来るだろう。民の多寡とはすなわち国の強さだ。いくら王が有能であっても、それを支える民がいなければただのお山の大将に過ぎない。だからこそ儂らがすべきことは一刻も早く国を富ませることなのだ!」
「……結局、今訪れている危機に対する解決法はやはり戦争しかねえじゃねえか!」
「儂の言う通りにしていれば、この戦争自体がそもそも起きなかったと言ってるんだ!」
「落ち着け、二人とも。……お前たちの仲が悪いのはもう十分わかってるから、こんな時にまで喧嘩しないでもらえるか」
両者とも全く引く気がなくいつまでも続きそうな言い争いだったが、少々うんざりとした顔でアリシアが仲裁に入ると、渋々ながらも両者は矛を収めた様だった。




