十話
「おい! 大丈夫か」
地面に転がっているエルメルの顔を覗き込むと、血の気が引いた真っ白な顔が目に入った。牙に噛まれた腕を押さえながら、苦しそうに荒く息を吐く。先ほどまではゴロゴロとのたうち回り悶え苦しんでいたのに、もはや呼吸する以外は動かず、声すらあげていない。こうしている間にもエルメルが死に近づいているのは、誰の眼にも明らかだった。
「……えぇと、どれを使えば……」
この状態のエルメルにどんなアイテムを使用すればいいのか。アイテムポーチを見ながら考える。毒を回復するものだけでいいのか、あるいは状態異常をすべて回復するものの方がいいのか、あるいは怪我を直す効果のあるものも加えたほうがいいのか。ゲームとは違い、彼の状態がステータスとして分からないので、何を使えばいいのかが咄嗟にわからなかった。その上無駄なアイテムを使いたくはないという、俺の貧乏性な性格も災いして焦りだけが募っていく。
一番価値のあるエリクシールならば何も問題はなく回復するだろうが、ただでさえ貴重なアイテムを、自分で使うならともかく、今日あったばかりのエルメルに対して、できれば使いたくはない。……かといってエルメルを見捨てられるほど冷淡になれるわけでもないのだが。
まあ、とにかく毒だけでも治すのが先決か。
「エルメル様!」
いつの間にか周りには多くのエルフたちが集まっていた。戦闘が終わったと判断し、みんなが地上に降りてきたようだ。その中には樹上の村においてきたエレミアの姿もあった。
その中の数名は倒れ込んでいるエルメルに近づき、先ほどエルメルが子供を治療したときと同じように手をかざした。何か言葉を呟くと、やはり同じように手が光に包まれる。
……もしかして、俺が助けなくても大丈夫か。そういえば先ほどもエルメル自身が子供を治していたことだし。
そう思いかけた時、エルメルが咳き込み、口から血を噴き出した。
「クッ!」
魔法をかけているエルフたちは一様に険しい顔をしている。どうやらうまくいっていないようだ。よく見ると、彼らの手から放たれる光は、先ほどのエルメルが放った光よりも弱々しい様な気もする。
……もしかしたら、エルメルがこの村一番の回復魔法の使い手なのかもしれない。そうでなければ、わざわざエルメルを呼んで回復魔法をかけてもらう必要はないしな。
……やはり、俺が何とかしなくてはだめか。まあ、多少の消費は仕方ない、生きてさえいれば後で何らかの形で恩を返してもらうことも可能だろう。
そう思い、エルメルに近付こうとすると、なぜかエレミアもふらふらとエルメルに近付いて行った。
「……エレミア?」
エルメルの周囲の者たちは不審な目でエレミアを見ているが、エレミア自身は周りの目線を気にすることもなく、エルメルのそばに座り込む。周りのエルフたちを同じようにエルメルに向かって手をかざし、何か言葉をつぶやくと彼女の手がひときわ輝き始めた。エルフたちの魔法よりも遥かに強い光が、しかしやはり眩しくて目を開けていられないものではなく、優しく包み込むような光が辺りを照らしていった。
……魔法職ではない俺には詳しいことはわからないが、回復魔法を使っているのだろう。よく似ているが明らかにエルフたちとは異なる、おそらく彼らの使った魔法より強力な魔法。みるみるうちにエルメルの真っ白な顔に血色が戻り、荒かった呼吸も落ち着いていく。光がおさまる頃には、何もなかったかのようなエルメルの姿がそこにあった。
「……エレミアって回復魔法が使えたのか」
誰に言うとでもなく、ポツリとつぶやいたその言葉。だが、すぐそばからその言葉に対しての思いもよらぬ反応があった。
「私も初めて知ったな」
「……大丈夫だったのか? ずいぶん振り回されていたようだが」
「……まあな」
いつの間にか糸から自由になったアリシアが俺の隣に立ち、俺と同じくエレミアを見つめていた。そのエレミアは周囲のエルフたちに涙を浮かべながら感謝され、どうしていいのか分からないように戸惑っている。褒められることには慣れていないのか、エレミアはどういう反応をとればいいのか分からずうろたえており、動揺を隠しきれていない。だが、その紅潮した顔は決して賞賛が嫌ではないことを明瞭に示していた。
エルメルが助かったことを知ったエルフたちはエルメルそっちのけでエレミアに向かって祈りをささげ、歓喜の声を放っていた。どこにそんなテンションを秘めていたのかと言うほど彼らは熱狂し、その姿はまさに燃え上がる眩しいほどの生命のエネルギーがあふれている。エルメルは地に伏したまま薄く眼を開け、そんな彼らをまぶしそうに見上げていた。
「……だが、なぜ……。いや、どうやって、か?」
最近よくわからないことが多いな。特に俺の周りにいる人たちのことが。……エルフがどうだかは知らないが、回復魔法が使えるのはやはり特定のジョブについたものだけだ。少なくともゲームの中においては。
理解できないのではなく、理由がわからないというのが地味に癇に障る。もちろん世界のすべてを知っているなどという、傲慢どころか頭のネジが飛んでいるような考えは初めから持っていないが、中途半端に知識がある分知識と現実との差にいちいちつまづいてしまう感じだ。……もっとも、この世界に来たこと自体が一番よくわからないことだが。
やはりここはゲームとは関係のない世界だと考えたほうがいいのだろうか。そっちの方がいろいろと楽な気がする。そもそもゲームと現実――この世界が現実と言うのならばの話だが――を混同するのが間違っているのかもしれない。だが、中途半端につながっているところがあるからややこしいことになっているのだろう。どこまでがゲームと同じなのか、どこからがゲームと違うのかがあいまいで分かりづらいのが一番の問題だ。
「……そういえば、君も変わった攻撃をしていたみたいだけど」
「ああ、あれか。……何だかわからないが頭の中にイメージが湧いて来たんだ。それと同じように行動したらああなったんだが……」
「……ふ~ん」
……またよくわからないこと……か。いくら考えても答えが出ないことなのかもしれないし、はっきりいって考えるのをやめた方が簡単だという事は分かる。だが、本当にそれでいいのだろうか。この世界の法則。それを知るというのはこれからの生活にとって何の役に立たないかもしれないが、間違いなく知っておいて損はないことだ。一つの謎が解ければ、他の謎も次々と解けていくかもしれないし、もしかしたら、この世界に来た理由も……。
「……いや、やっぱり無理があるよな」
隣のアリシアにさえ聞こえないほどの小さな声で呟いた。
そう考える一方、そんなことを知ってどうするのかという思いもあるのは間違いない。この世界に来た理由がわかったら、もしかして元の世界に帰れるのかもしれない。だとしても、もはや俺は帰るという選択肢をとることができるのだろうか。……いや、できないだろう。娘たちのために。
「……はぁ」
「どうしたんだ?」
自分でも気づかないうちに大きなため息をついていたようだ。そのため息にこもった感情は哀愁か感傷か、あるいは諦観か。自分でもよくわからなかった。
「いや、なんでもない。……そういえば彼らはどうするつもりなんだろうな。もはやこの大樹には住めないだろうし……」
大樹の根元にある洞窟の入り口は魔物たちの死体で塞がれているが、もちろん永久的に塞げるものではないし、なにより中からの毒の流出は防ぎきれない。彼らには気の毒だが、もはやこの一帯はそう遠くないうちに住めるような土地ではなくなるだろう。ならばどこかに移住するしかないが……。
だが、レトナーク王国に移民として受け入れるというのもそう簡単にはいかないだろう。確かアリシアは戦争が近いかもしれないと言っていたし、そんな大切な時期にわざわざルズベリー教国との争いの火種を持ち込むのはいろいろとまずいというのは俺にでもわかる。
「……舐めるなよ。そんなことをお前たちに心配されなくても、我らは我らのみの力で生きてゆける」
なぜかエルメルが俺たちのそばに来てそう言った。さっきまで彼のいた方を向くと、まだエレミアがみんなの輪の中心となっていて、何か知らないがさらにヒートアップしている。エルメルがいなくなったことに気づいている者はいないようだった。
「もう起き上がっても大丈夫なのか?」
「ふん、これしきの傷なんともない。……それより、我らに変な情けなどかけようとは思うなよ。我らは我らのみで……」
「……それでは今までと何ら変わりはないのでは? 大樹の上で籠もっていた時と。貴殿は仲間たちのことを思い、変わろうとしていたのではなかったのかな」
アリシアが冷静に、だがどこか笑いをこらえているような雰囲気をはなち、かすかな微笑みを浮かべているように見える表情でそう言った。一方のエルメルはどこかきまりの悪そうな、何とも言えないしかめ面で、ところどころ口ごもりながら答える。
「む。だが、あくまで変わろうとしたのは生きるという事に対してであって……」
「……あれを」
アリシアが指さす先。そこにいたのは、人々の輪の中心にいるエレミアといつの間にか鎧を脱いだ娘たちだった。何を話しているのかはわからないが、先ほどまでの熱狂的な雰囲気は消え去っており、和やかなムードが流れているように見える。皆の顔には笑顔があふれ、笑い声までも響き渡っていた。
「……笑顔か。……あんなに多くの者たちが笑っているのを、この前に見たのはいつだっただろうな……」
「王として人々から仰ぎ見られる以上、王は人々がただ生きているだけで満足してはダメなんだ。少なくともみんなが幸せに生きられるように日々努力し、彼らをよりよい生活に導こうとしなければ」
「……幸せ、か。そんな言葉ずっと忘れていたよ」
そう言ったエルメルの視線は、エレミアたちを眺めているように見えるが、実際は全く違うどこか遠いところを見ているようだった。




