六話
まず初めに感じたのは、濃厚な植物の香り、そして次は緑色と茶色に染められた世界だった。空が枝と葉っぱで覆われているせいで、昼なのに少々暗いが、決して真っ暗なわけではなく木漏れ日も差し込んでいる。
大樹の幹から横に向かって生えている、それ自体が大木に見まごうばかりの枝。その大樹の枝の上に乗っかるように張られた、木の板で作られた地面。その上には、同じく木で出来た小さな家が五、六軒建てられている。
ところどころにある緑色の地面は、木の板が張られていない場所だ。木の地面の下にある枝から葉っぱが隙間なく生えており、ふわふわとしているが体重をかけてもしっかりと支えてくれている。ここからは、この木の板の地面は一本の枝の上に乗っていることがわかるだろう。
周りを見渡すと、別の枝の上にはここと同じように地面として木の板が張られ、同じく小さな家が数件建てられている。そして、枝と枝同士がつり橋でつながっていて、自由に行き来できるようになっている。……地上から遥か高いところにある、いかにも揺れそうなつり橋を渡る勇気があればの話だが。
その光景はまさに樹上にある村だった。人々――と言ってもエルフたちだが――がこの大樹と共に生きている。まさにこの大樹こそが彼らの肉体的な面でも精神的な面でも拠り所となっている特別な存在である。ということが強烈に印象に残った、まさに大樹の偉大さがはっきりと感じられる光景だった。
よく周りを見渡すと、その家々の中から顔だけが出て、こちらに視線を向けている。俺の見渡せるほとんどの家から、そのエルフ特有の美しい顔がこちらの様子を伺っていた。老若男女あらゆるエルフたちがこちらを覗いていたが、その様々な顔はやはり総じて美しい。……もっとも、“老”がいたのかどうかは見た限り分からなかったが。
彼らは隠れて見ているつもりなのかもしれないが、はっきり言って見世物になったようであまりいい気分ではない。……だがそのエルフたちの顔には、先ほどの若いエルフと同様に我々に対する不快感は見られず、やはり何かすがるような、あるいは何かを期待しているような表情だった。
「……こっちだ」
エルメルに連れられるように、後についてその村の中を歩いていく。そのエルメルの前には、先ほどの若い男が先導している。俺はこちらを見ている視線から逃げ出すように、少し早足で歩き出した。もっとも、歩いて行った先でも見られるからあまり意味はないのだが。
途中でつり橋を渡った時は、エレミアが足がすくんで動けなくなったので、俺が抱きかかえて渡ることとなった。彼女を抱えているせいで両手が使えず、しかもアリシアにも服を掴まれていて、正直に言ってかなり怖かった。
そして、二人はとある一軒の家の前で立ち止まった。外見からは、他の家との違いが全く見て取れない。他の家と同く、木のみで作られた一階建ての小さな家である。はっきり言って特出すべき特徴はない家だ。
「ここだ」
エルメルはノックもせず、扉を開いて中に入る。カギはそもそもついていないようだった。中に入るとそこはワンルームの家で、家具もほとんどなく、質素だが開放的だ。一つだけ難癖をつけるとしたら、家の周りと同じく大樹の色――大樹に由来する茶色や緑色――しか色がない、地味な家であるといったところか。
家の奥にはやはり木で出来たベッドがあった。そのベッドの上には横たわっている子供が一人、ベッドの近くで心配そうにその子供を見つめている女性が一人いた。家の中にいたのは二人だけだ。
その女性は俺たちを見ると、一瞬驚いたような表情を浮かべた。だが、すぐにエルメルのほうにすがるような目線を向ける。彼女の憔悴したような表情は、見る者すべてに憐れみを覚えさせるように儚く、その美しい美貌に一抹の影を落としていた。
……おそらくこの女性は、ベッドに寝ている子供の母親なのだろう。エルフは皆若く、見分けがつきにくいが、彼女の子供に対する様子からなんとなくそう思った。
「……見せてみろ」
エルメルはベッドに近づき、横たわっている子供の顔を見る。俺も近づき顔を覗き込むと、子供は青白い顔をして、苦しそうに浅い呼吸をしている。意識はないようで、その可愛らしい顔は苦しみで歪んでいた。
……この幼い少年を俺に見せて、エルメルは一体何をしたいのだろうか。この少年を直してもらいたいのだろうか。もちろん、俺がこの子を治そうと思えば、アイテムを使って治すことはできるだろう。だが、何も言わないエルメルの様子からは、そんな願望は少しも感じられない。そんなことを考えていると、エルメルが唐突に動き出した。
エルメルはその子供に手をかざし、何かを呟いた。子供の顔の上にかざされた彼の手が光り、その光がゆっくりと子供を包み込んでいく。確かに強い光ではあるのだが、目をつぶらなければならないような光ではなく、優しく全てを包み込むような光だった。十秒ほどたった後その光が収まって行く。苦しそうだった子供は、安らかな顔で呼吸をし、眠っていた。
母親と思しき女性は、エルメルの手を握り、涙を浮かべながら礼を言っている。その顔は少しやつれてはいたが、感謝と安堵に満ち溢れていて、先ほどまでの顔よりはるかに若返っているような気もする。ひたすら子供のことだけを思っていたんだということを無意識のうちに我々に感じさせる顔。まさに母親の顔だった。
……この親子の邪魔をしてはいけない。そう思ったので、全員を連れて外に出た。
「……見ただろう。謎の奇病だ。体力のない子供が主に感染している。魔法をかければ一時的には回復するが、しばらくするとまたああなる。幸い感染力が低く、まだ死んだ者はいないが、あのまま放っておけばじわじわと死に向かうだろう」
間もなく外に出てきたエルメルは、俺たちの顔を見るなりそう言った。その顔には何とも言えない哀愁が漂っている。もはやすべてを諦めているような、そんな顔だ。
「……原因はわからないのか? あるいは、特徴的な症状とかがあれば、何の病気か分かるかもしれない」
アリシアが尋ねた。だが、エルメルは首を左右に振って答える。
「原因はまったくわからない。……ただ、症状が蜘蛛の毒を盛られた時に似ているような気もするが、それにしてはあまりにも毒性が弱い。抵抗力の弱い子供でさえ、ゆっくりじわじわと衰弱させることしかできないほどだ。……もし直接、毒を体内に取り込んだなら、もっと劇的な効果が出るはずだ」
「……蜘蛛の毒?」
アリシアが怪訝な表情をした。だが、エルメルはさらに首を振って答えた。
「……この木の上には毒をもつ魔物や植物など生息していないし、もちろん毒蜘蛛もいない。感染した子供たちもこの村から外に出たことはないはずだ。感染した子供たちに話を聞いても感染源に関して思う節はないようだし、どうして感染するのかがさっぱりわからない」
「……この辺に毒を手に入れられるところはないのか?」
俺の呟きにエルメルは目を細め、冷たい口調で言い放つ。
「それは、我々の中に毒を盛ったものがいると言いたいのか?」
「……いや、そうは言ってないが……」
「……もちろん我々も仲間の中に毒を盛ったものがいるのではないかと考えた。子供たちをしばらく一か所に集めて、複数の大人に見張らせたりもした。だが、その子供たちの中にさえ発症した子供がいた。あの警戒の中で毒を盛るなど、どうやっても不可能だ」
「……そうなのか」
原因がわからないとしたら、一体どうするべきか。一番効果がありそうなのは、やはりここから離れる事ではないか。……頭では簡単に思いつくが、果たしてそんなことができるのだろうか。ここから離れたとしてどこに住むのか。思う事はあれど提案はできない。彼らの命を背負えるほど、俺はできた人間ではない。……ただでさえ千人の娘たちが俺の双肩に重くのしかかかっているのだから。
「……最近では大人でも感染したり、重篤化するまでの時間も短くなってきている。……このままでは遠くないうちにこの奇病によって我々は死に絶えるだろう」
「……ここから離れてみるというのはどうだろうか」
アリシアの提案に、エルメルは首を左右に振る。彼は上を――木の頂上を見上げ、自嘲するようにつぶやき始める。
「……逃げて逃げ続けてここまで来たのに、我々はまた逃げなければならないのか。そもそもどこへ逃げろというのだ。この大樹は逃げ続けた我らに与えられた最後の楽園。……ここを捨てて逃げだすなら、死んだ方がましだ」
吐き捨てるように言うエルメル。その目ははるか遠くを映している。流麗な眉を寄せて眉間に深い皺を作り、厳しい表情を浮かべているのは、遥か昔の苦難を思い出している故だろうか。……先ほどアリシアに恨みはないとは言っていたが、やはりそう簡単に吹っ切ることのできる体験ではないのだろう。
彼が味わってきた苦難を知らない俺たちに、彼の心情を察することはできない。どうにかしたいとは思うが、彼ら自身がそれを望まないのだったら俺たちは何もできない。
俺もアリシアも何も言えず、ただ黙り込むしかなかった。……たとえその結果、彼らが一人残らず死に絶えることになったとしても。
「……でも、そんなのおかしいです」
その場の雰囲気を破壊したのは、これまでずっと黙っていたエレミアだった。呟くようにそう言った後、はっきりとエルメルの目を見つめる。その目には確かな意思がこもっていた。
「……なに」
エルメルが不機嫌そうに睨む。だが、エレミアは目を逸らすことなく見つめ返した。
「……さっきのお母さんは喜んでました、子供さんが元気になって。それなのに死んだ方がましなんて、どう考えてもおかしいです。……あなたが生きる事から逃げるのはあなた自身の勝手ですがそれに他の人を巻き込むのはやめてください!」
「知った様な口をッ!」
今まで見たことのない様な強い口調で言葉を発するエレミア。そんなエレミアを唖然とした表情で見るアリシア。そして激昂するエルメル。
とりあえず俺が慌てて止めに入ろうとした瞬間、大地が揺れた。




