六話
そのまま二時間ほど森を開拓しながら歩くと、森を抜けた。抜けた先に広がっていたのは緑一面に広がる平原、そしてそのさらに先には海が広がっている。亜人たちの都市ルグミーヌも存在せず、もちろん都市につながる街道もない。しかしその光景に既視感を覚えていた。
あのあたりがルグミーヌがあったところで、あのあたりは港になっていた入江だな。だとしたらこの辺りは丘が終わって平地になるあたり。丘はないんじゃなくてその上に森が広がっているだけなのか。大まかな地形が変わっているわけではなく、あるはずのものがなくて、ないはずのものがあるといった感じだな。そんなことを考えていると、イヴが持って来た小包を広げながら話しかけてきた。
「じゃあお父様、ここでお昼にしましょうか」
「ここで食べるのか?」
周りは何も遮るもののない平原だ。後ろには森が広がっているし、前にはずっと先に砂浜と海が見える。
「本当は丘の上で食べたかったのですが、木々が邪魔なので仕方ありません。ここならモンスターが来ても近づかれる前に発見できますし」
そのイヴの言葉に納得したので、地面に座り込む。
「そうだな、帰ったら家の周りだけでも伐採しようか。周りが見えづらいのは危ないしな」
やらなければならないことが多すぎて、何からやっていいのか分からなくなりそうだが、一番問題なのは、これからの目標が存在しないことである。ずっと森の中で娘たちと過ごすのか、どこか人の集まる都市を見つけてそこで暮らすのか。
この子たちの父親として生きるとはいっても、実際にはどうしたらいいんだろうか。働かずに森の中に引きこもるというのは、父親としてあまりいい見本じゃないような気がするけど、かといって働くと娘たちといる時間が少なくなってしまうし。ただでさえ一人一人といる時間が少ないのにこれ以上減らすというのは……。
「話はかわるのですが、一体これからどうするのですか? いきなりよくわからないところに飛ばされて」
イヴは真面目な顔で尋ねてくる。その顔をよく見ると、整った顔が不安と憂いで翳っている。この子、いやこの子たちもいきなり全く違う環境に放り出されて、不安なのだろう。こういう時こそ、父親が元気づけなきゃだめだよなと思い、できるだけ明るく努めようとする。
「まあ、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫だって。みんな一緒ならなんとかなるよ。危なくなったら俺が助けるから」
精一杯強がって見せるが、イヴはより一層不安そうな顔をして答えた。
「一番心配なのはお父様なのですが……。私たちは万が一壊れたとしても、お父様さえ生きていればまた直してもらうことができます。でもお父様は生身の体なのですよ。大きなけがをしても私たちではどうすることもできません。さっきのドラゴンといい、ここでは何が起こるかわからないのですから、もう少し自愛してくださいね」
イヴが心配していたことが自分のことだと知り、嬉しいような、情けないような何とも微妙な気分になった。とりあえず、娘に心配させるほど頼りない父親であることを謝罪する。
「はい……すいません」
「わ、分かってくれたならいいんですが……」
イヴも少し言い過ぎたと思ったのか、やや歯切れが悪そうに言った。
昼ご飯のメニューはサンドイッチだった。一人分としては少し多いが、自動人形は食べることができないのできっと俺一人の分なのだろう。そして朝と同じように食べるところをじっと見つめられる。朝とは違って人数が多いのでさらに食べづらい。食事の間、娘たちはすることがないので、暇なのだろうと考えながら、ハムとレタスの入ったサンドイッチを手に取る。
「やっぱり、食べ物を食べてみたい?」
そう娘たちに尋ねると、イヴは少し驚いたような表情をした。なにか言いたそうにするが、結局何も言わずに黙ってしまう。さっき言ったことをまだ気にしているのだろうか。その代わりに、花葉色のロングヘアがゆるくうねっている、真面目そうな雰囲気の少女テミスが答えた。
「え? ……まあ、お父様と共感するという意味では、食べることができた方がいろいろと望ましいですが。でもそんなことができるのですか?」
「うーん、食べた食物を魔力に変換する器官みたいなものを開発できればあるいは……。魔工スキルでつくりだせないかな? まあすぐには無理だろうけど。食物を魔力に変換することができれば、危険を冒して魔石をとりに行く必要もないかもしれないし」
魔石とはモンスターが体内に必ず持っている、魔力の塊のようなものである。一般的にレベルが高いモンスターは、より高い魔力を秘めた魔石を体内に持っている。自動人形はこれを動力源にすることで、食事や睡眠など生物に必要な行動をとらなくても生きていくことができる。その反面、動力の魔石の中の魔力が底をつくと、新しい魔石と交換するか、魔石に魔力を充填するまでは動けなくなってしまう、という設定になっていたはずだ。まあ、『エイジオブドラゴン』ではその魔石を実際に交換するなんてことはなく、人形を作る際に魔石が必要だっただけなのだが。
ちなみに魔石は魔法効果を持つ装備品――例えば寝室で使った〈賢者の眼鏡〉のようなもの――の魔力を回復したり、道具に魔法がかかっている魔道具――例えば朝に使ったなんでも中に入り、かつ中のものの時間を止めておくアイテムボックス――の動力源になったりもする。
そんなことを考えていると、鬱金色のロングヘアをストレートに伸ばしている、包み込むような優しい雰囲気を持つ少女ガイアが話しかけてきた。
「でも、千人分の食事の材料はどこから手に入れるんですか?」
生産スキルの一つである農耕スキルが高ければ、小さな土地で多くの植物を収穫することが出来るので、家の周りに畑を作れば少なくとも作物や野菜に関しては問題なくなるが、あいにく農耕スキルは初期レベルのままであった。
「そうだよなあ。さっきドラゴンを倒したからその肉なら少しあるけど。せめて近くに町があれば売り買いもできるんだが。……そういえばみんなには最高級の魔石を使ったはずだけどあとどれぐらい活動できるんだ?」
俺が尋ねると、テミスが答えた
「えーと、これなら一年くらいは大丈夫だと思います」
一年で最高ランクの魔石――レベル八十以上のモンスターが落す魔石――が千一個必要と考えると、多いのか少ないのか。ゲームだったらいくらでも敵が出てくるからいいが、ここではちゃんと出現するのだろうか。そう考えるとやはり万が一に備え、食事の方法を考えておいた方がいいだろう。
「そっか、それならしばらくは心配しなくても大丈夫だな。……魔石も残り少ないんだよな。まあ、十分に持ってるものなんてほとんどないけど。装備は家を建てるときに結構売り払っちゃったし、イオレースも魔石もみんなを作ったからほとんどなくなっちゃったし、お金もあまりない。まあ、今持ってるお金が使えるかもわからないけど……」
話しているうちにだんだん自分が何も持っていないことに気が付き、暗くなっていったが、ガイアが慰めようとしてくれる。
「自分たちの動力源くらいなら自分で取ってきますから大丈夫ですよ」
そんな娘たちのやさしさにますます自分がダメな親なのではないかと思ってしまった。
「なんか、……ごめんなこんな頼りない父親で」
すると、今まで黙っていたイヴが口を開いた。
「そんなことはないです。お父様は一人で何でもしようと考えすぎです。お父様一人が抱え込む必要はないんです。一人でどうにかしようとするのではなくて私たちを頼ってください。家族って助け合って暮らすものだと聞きました。私たちも家族……ですよね?」
イヴは少し不安そうな顔をのぞかせた。もしかしたら自分が人形だということに対して何か思うところがあるのかもしれない。だったらその不安を晴らすのも父親の、家族としての義務だろう。一人じゃないということ、娘から教わったことを娘に帰してあげることが最大の感謝となるだろう。
「ありがとう。俺には家族っていう一番大切な財産があったな」
なんてちょっとくさいかなと思ったけど、純粋にそう思えたことは素晴らしいことだと思った。