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一話

「やあ、おはよう」


 朝からイヴに連れられ、何も聞かされずに応接室に入った俺が見たのは、昨日と同じような光景だった。アリシアとエレミアがいるのは昨日と同じだが、クラウディア殿までいるのは予想外。だが、昨日と一番違っていたのは彼女たちの服装だった。三人とも普段の様子――例えばお茶会の時やあるいは昨日――とはまったく違う服装で、彼女たちの姿を一目見た瞬間に自分の普段通りの服装を後悔するほどだ。


 アリシアはスカートの丈が足元まである紺色のロングドレスを着ていた。そのドレスはスカート部分がフレアスカートのようにゆったりとしたひだ状になっていて、肩の部分はひもでつるされて両腕と鎖骨まで見えている。その他には特出すべき装飾などはないが、ファッションに疎い俺でもなんとなくそのドレスは高価なんだろうなと思わせるような一着だった。


 アリシア自身も普段とは異なり、髪もいつもの無造作なポニーテールではなくきちんと結い上げ、唇が赤くなっているのはおそらくだが口紅を使って化粧をしたのだろう。どこからどう見てもお姫様にしか見えなかった。化粧をしているのは他の二人もなのだが、エレミアもクラウディア殿もイメージに合った印象を受ける。アリシアだけは普段から全くそんなことをするような印象がなかったので、かなり驚いた。


 クラウディア殿はアリシアとよく似た黒のドレスを着ていた。アリシアのドレスと決定的に違うのは、肩から両腕まで全てを長い袖で覆っているところだった。身体のほとんどがドレスに包まれ、襟だけは多少あいているが、せいぜい鎖骨が見えるかどうかといったくらいだ。こちらも決して華美な装飾などはついていないが、クラウディア殿が着ているせいか非常に上品な印象を受ける。


 そして、三人の中で一番目立った服装をしているのはエレミアだ。彼女が着ている真っ白なドレスは、二人のどちらかといえば地味なドレスとは異なり、フリルやレースで細かく装飾されている。肩と背中を大胆に露出しているそのドレスは、上半身がビスチェのようになっており、下半身は腰から足元までふんわりと広がっている。……誰がどこからどう見てもウエディングドレスにしか見えなかった。


「……あの」


 何の御用ですか、と思ったままの言葉を口に出しそうになって、慌てて口を閉じる。朝起きたらいきなりフォーマルなドレス姿をした美女三人が自分を訪ねてきたらどうすればいいのか。誰だってどうしていいのか分からないのではないか。……一緒に応接間に来たレベッカも俺と同じく固まっているのが唯一の幸いだ。おかしいのは俺だけではないと実感できた。


「……こんな朝早くから訪ねてしまってごめんなさい。でもクリス殿がエレミアと結婚してくださると聞いて、一刻も早くご挨拶に伺わねばと思ったら居ても立っても居られなくなって。この子は奥手だから一生伴侶なんかできないんじゃないかって不安に思っていたところだったんですよ」


 クラウディア殿は幸せそうに微笑みながらエレミアの頭に手を置く。その表情は柔らかく、全てを受け入れる慈母のような母親の顔をしていた。緊張のせいか顔がこわばっているエレミアとは対照的だ。


 ……これはもしかして結婚のあいさつってやつだろうか。ならばこちらから行かねばならないのではとも思うが、そんなにいきなり心の準備が整うわけがない。というか誰にあいさつすればいいのか。エレミアの親族は全員ここにいるが、王家だとやはりその他にもたくさんの人にあいさつしなければならないのだろうか。緊張だか何か知らないが、胃がキリキリと痛くなってきた。


「……いえ、こちらこそ挨拶に行かねばならなかったのにすみません。それからこんな格好ですみません。レトナーク王家の慣習も全く分からないので、いろいろとご迷惑をかけることになるでしょうがこれからよろしくお願いします」


 とりあえず今はクラウディア殿にだけでも挨拶しておいたほうがいいだろう。そう思って深々と頭を下げる。……だが、これからどれだけの人と挨拶しなければならないのだろうか。それを考えると憂鬱になりそうだ。……これがマリッジブルーってやつか。


「……でもどうしていきなりエレミアと結婚すると決意なさったのですか? この間お会いした時はそこまで結婚相手としては意識などしていなかったように見受けられたのですが……。私の知らない間に二人でよく会っていたのですか?」


 クラウディア殿は不思議そうにこちらに問いかけている。いまいち質問の意図がわからないが、とりあえず正直に答えるべきだろう。


「私はお互いの事もよく分かってないし、あまり会ってもいません。まだまだ早いかなと思わなくもないのですが、アリシア殿から折角のお話があったことですし、私の年齢に関してもちょうどいい機会かと思いまして……」


「……アリシアから? 何かお話があったのですか? エレミアとのことについてですか?」


「……えっ?エレミアとの結婚についてですよね?」


 ……何かクラウディア殿といまいち会話が噛み合わない。


 そう思い、アリシアとエレミアの方を向くと、二人とも明らかに落ち着きを無くしたような表情をしている。……何だこの反応は。彼女たちの様子がおかしいことに戸惑っていると、同じく二人の様子に怪訝な表情を浮かべているクラウディア殿が口を開く。


「……アリシア、エレミア。二人に少し聞きたいことがあるのだけれど。……この婚約はクリス殿が是非にといって実現したものなのよね? まさかアリシア、あなたの方から無理やりクリス殿にエレミアを押し付けたなんてことは……」


 さっきまでの優しい顔とは一変して、厳しい表情をしたクラウディア殿が二人に詰問する。その怒気に二人は体を竦ませ、ひるんでいた。さっきまで比較的和やかな場だったのだが、一転して修羅場になってしまった。


 ……俺が何か失敗してしまったのだろうか。さっきまであんなにニコニコと笑っていたクラウディア殿が、本気で怒っているようだ。……でも本当に俺が悪いのか。自分で考えても何が悪かったのか分からない。俺にできるのはただ見ている事だけだった。


「……ご、ごめんなさい」


 母親に詰問されていることに耐えられなくなったのか、それともこの場の空気に耐えられなくなったのか、エレミアが震える声でそう言った。だが、アリシアはいまだ苦虫を噛み潰したような顔で沈黙を守っている。


「ごめんなさい、だけではどうして謝っているのかがわからないわ。一体どうなっているのかを教えてほしいのだけれど」


「……あぅ」


 クラウディア殿がエレミアに対して厳しい目で睨み付けるように見つめ、そう言い放つと、蛇ににらまれたカエルのように彼女は小さくなってしまった。完全に心が折れて、立ち直れないような様子をしている。エレミアが出来たことはただ必死に目に浮かんだ涙をこぼさないようにすることだけだった。


「……この結婚に関して、エレミアは関わっていない。すべて私が計画したものだ」


 観念したようにアリシアがそう言った。その言葉に、クラウディア殿が端麗な眉根を寄せ、さらに厳しい顔になった。クラウディア殿はエレミアに興味を無くし、標的をアリシア一人に定めたようだ。


「クリス殿とエレミアの結婚に関してエレミアが関わっていないってどういうことなの。……まさかあなた、クリス殿に王という地位を利用してエレミアとの婚約を迫ったのではないでしょうね」


「……エレミアと結婚しろなどと命令はしていない。あくまで出来ればエレミアと結婚してくれれば嬉しいと私の願望を言っただけだ」


 アリシアは自分でも苦しい言い訳だと思っているのか、いまいち歯切れが悪い。そんなアリシアに畳みかけるようにクラウディア殿が言い放った。


「……それを強要しているというのよ。……クリス殿、今回の話はとりあえずなかったことに……」


 クラウディア殿は俺に向かって深々と頭を下げ、二人を連れて帰ろうとする。このままでは、昨日婚約したばかりなのに、翌日いきなり婚約破棄されるかもしれない。とりあえず慌てて間に入り、クラウディア殿を止めようとした。


「ちょ、ちょっと待ってください。……確かにいきなりだったので少し困惑したことは確かですが、最終的には自分自身で決めたことです。こんな私にはもったいないほどの相手と結婚する機会を得られたのはまさに思いがけない天佑でした」


「ですが、この子はクリス殿の好意に付け込んで……」


「……確かに私とエレミアが結婚するとアリシアにとって都合がいいのは確かでしょうが、私はアリシアのために結婚するわけではありません。それはエレミアも同じでしょう。私たちは私たちのために結婚するのです。……それでも認めて頂けないでしょうか」


 俺がそう言うと、クラウディア殿は視線を俺とエレミアの間で彷徨わせて迷っていたようだった。遠慮がちにこちらを見つめてきたクラウディア殿と目が合う。目をそらさずにじっと見つめると、彼女は軽く息をついてから口を開いた。


「……そこまでクリス殿がおっしゃるなら」


 その返事を聞いてから、うつむいたまま耳まで真っ赤にしているエレミアの正面まで行く。痛いほど握りしめられた手を取ると、彼女はびくりと体を震わせる。白く細い指を開かせ、昨日の夜用意しておいたダイヤモンドがあしらわれた指輪を彼女の左手の薬指にはめた。


 ……この異世界でも婚約指輪を左手の薬指にはめる習慣があるのかどうかはわからないが、今の俺ができる精一杯のプロポーズだった。


「これから末永くよろしくお願いいたします」


「……こちらこそよろしくお願いします」


 エレミアは相変わらずうつむいたままで顔はうかがい知ることはできないが、その返事ははっきりとわかるほどに声が震えていた。

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