プロローグ
会議室のような部屋の中で、話し合いが行われている。城の中の一室であるこの部屋は、丸くドーナツのように穴が開いた大きな円卓の机が置かれていて、部屋の中のほとんどの人々がその周りをぐるっと囲うように座っている。外は既に暗くなっていたが、その部屋の中では光晶石が煌々と光を放っていた。
入り口から見て正面の奥側には女王アリシアとその背後に親衛隊が立ち、右側には屈強な武官たち、左側には冷静な文官たちが座っている。アリシアに近い席ほど序列が高く、アリシアから見て右隣は宰相のファビオ・ダランベール、そして左隣には新しく元帥になったヴィクトル・ウォルムスという男が座っていた。いや、正確には元帥になったのでヴィクトル・バタイユとなったのだが。
「それで、……首尾はどうでしたか?」
ファビオが全員を代表してアリシアにそう尋ねる。アリシアが返事をするまでの間はかすかな時間だったが、その部屋の中の空気は張りつめていた。全員がかたずをのみ、特に武官は祈るような表情でアリシアを見つめている。
「ああ、受け入れてくれたよ」
アリシアがそう告げると、部屋の中の張りつめていた空気が緊張から解放されたように弛緩した。中には緊張の糸が切れてしまったように、椅子の背もたれに倒れ込みしばらく立ち上がれないものもいる。
部屋の中のこの異様な雰囲気は、もちろんクリスへの恐怖に端を発している。突然現れ、わずか百人前後の兵を率い、千人を超える武官を圧倒するその強さ。魔の森の中に住み、その生活が謎に包まれているというその不気味さ。そして、誰もその心の内を知らないという極度の秘密主義のせいでクリスは、彼自身が思っている以上に国の上層部から恐れられていた。
王国でそれなりの役職についてくれれば、あるいはせめて話し合いだけでもしてくれればその謎の部分が多少なりともわかるかもしれないのだが、実際には実体のない名誉職に就いているだけで何をしているかさっぱりわからない。本当ならば王国側としては一個人にそこまで遠慮をする必要はないのだが、あの時の圧倒的な力に対する恐怖の印象しか彼らはもっていなかったのである。
もちろんアリシアはクリスについて詳しいことを知っているのだが、彼女は知りすぎているが故にどこまで話していいのかがわかっていない。娘たちのことについては完全に秘密にするにしても、彼自身のことをどこまで明らかにしていいのかわからず、また臣下の気持ちもわかる故に苦悩していた。
「それは重畳。これでクリス殿に対する反発の声を抑え込むことができるでしょう。では早速祝賀の準備をせねばなりませんな。王妹殿下の御結婚ですから王国を挙げたパレードを……」
ファビオも固かった表情を幾分ゆるめてそう言いかけたが、アリシアの表情がいまだ硬いままなのに気が付いた。
「どうかしましたか、アリシア様。せっかくの吉事にあまり嬉しくなさそうですが……」
「……こういうやり方はあまり好きじゃないな。もちろんこれが最善の選択肢だとはわかっているのだが……」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう言うアリシア。ファビオは幼い時から知っている少女が未だに純粋で潔癖な考えを持っていることを少々微笑ましく思った。だが、国王になったからには多少の汚濁も飲み干してもらわねばならない。もちろん一番汚い部分は自分が引き受けるつもりだが。そう考え、ファビオは今までも口酸っぱく言い聞かせたことを再び口に出した。
「今まで何度も言っているように、政治とはきれいごとだけで回っていくわけではありません。……幸いエレミア様も慕っている殿方と結婚でき、クリス殿も得難い美少女を妻とできる。そして王国にとってはクリス殿とのつながりを強化できる。この婚姻は誰にも損がない珍しいほどの吉事です。……まあ、エレミア様を狙っていたものに対しては悲報となるやもしれませんが」
「……ああ、そうだな。まあ考えていても仕方がない。祝賀の準備は全てファビオに任せる」
「承りました。国家の威信にかけても、エレミア様の祝賀パレードは盛大なものにいたしましょう。……それでクリス殿については、どうすればいいでしょうか」
「私がまた話しにいって、一回こちらに打ち合わせに来てもらうよ。……それで一応この話は終わりかな」
アリシアがそう言うと、文官たちは大きく頷いた。
「……話は終わったかい。じゃあ次は俺たちの番だな」
今までずっと黙り込んでいたヴィクトルが目をこすり、あくびをしてから口を開いた。よだれのたれている口元には無精ひげ。掻き毟っている頭はボサボサの茶色く短い髪の毛が覆っている。目つきは悪く三白眼で、常に不機嫌そうな顔をしているが、別に今何かに怒っているわけではない。この場にあっている格式ある服さえ着ていなければ、まるで南地区にいる浮浪者のような容姿だ。……その格式ある服さえ着崩しているのだが。
「……ウォルムス殿、アリシア様の前でその態度は何とかならないのか」
ヴィクトルと言う男は、前元帥ジルベールとほぼ年齢がかわらないくらいの年齢で、武官の中ではどちらかと言えば古株の男であった。だが二人は友人同士というわけではなく、むしろ仲が悪いと言ってもいいほどの関係性だった。
ヴィクトルは口が悪く、歯に衣着せぬ物言いと自分の意見をなかなか曲げないことで有名な男だ。彼は誰にも媚を売ることなく、権力にも執着を見せないタイプで、若いころから自分が正しいと思ったら上官に刃向う事もしばしばだった。
今までこの場でエレミアの結婚について一切口を挟まなかったことからわかるように、政治は文官に任せておいて、武官は戦いの時だけ働けばいいという考え方をしている。
あらゆる点でジルベールとそりの合わない彼は、ジルベールが元帥だった時代には王都ではなく地方都市に左遷されていた。アリシアと宰相のファビオは、ジルベールの死後元帥を新しく決めなくてはならなかったが、元帥になれるような将軍たちは皆ジルベールに殉死してしまっていた。そこで白羽の矢が立ったのが、このヴィクトル・ウォルムスと言う男だった。
その人柄は、口調から一見ぶっきらぼうに見える。だがその容姿や口調に反して仲間思いなのは確かで、それなりの人望もあったのだが、それを疎んだジルベールには嫌われていた。アリシアとファビオがヴィクトルを元帥にしたのは、もちろん人望があることも理由の一つなのだが、なにより反乱を起こさないような人選が優先されたからである。
「そりゃどうにもなりませんな、生まれつきなもんですから。……それより、レンブランク帝国の動向ですが、やはり戦争の準備を始めているのは間違いなさそうですな。現時点でブレジアス共和国とレトナーク王国、どちらに侵攻して来るか確実なことはわかりませんが、十中八九うちでしょうな」
緊張感のない、人を小ばかにしているようにも聞こえる声でヴィクトルがそう言っているが、アリシアは眉間のしわを更に深くしていた。
レンブランク帝国からブレジアス共和国に攻め入るためには、共和国の西側に広がる大森林を越えて行かなければならない。はっきり言って大森林そのものが一種の要塞とも言え、非常に攻めづらく守りやすい。
密林では、植物によって視界が確保できず、また大人数でまとまって動くことができない。よって、森林戦では大規模な会戦は行うことができず、遭遇戦を繰り返しながらの戦闘になる。また伏撃や罠を仕掛けるのに適しているため、人数に劣る軍勢がゲリラ戦を行うことも容易い。
ならば、平原が多く攻め入りやすいレトナーク王国から攻めるのは常識的に考えれば至極当然のことだろう。
「やはり戦いは避けられないか。……およそいつぐらいに攻めてくるか分かるか?」
「攻めてくる時期は、収穫の終わる九月の終わりから十月にかけての時期でしょう。あの国は常備軍がありませんから、農民が兵士になります。税収に直結するので農民が穀物を収穫するまでは攻めてこないでしょう」
ヴィクトルのその意見には、他の人からも賛同の意見が寄せられた。それらを聞きながら、ファビオは目をつぶり考えをまとめる。
「あと二か月ないくらいですか。……まあ、エレミア様の結婚式をするのには十分猶予があります。最悪クリス殿のお力を借りることもできるでしょう」
「……あくまで彼の力は保険だ。できるだけ使用しないでおきたい」
アリシアが、円卓に座る者たちに釘をさすように言う。彼らはさっきまでクリスという名に恐れおののいていたのだが、今は期待するような表情を浮かべていた。その言葉を聞いて、全員がかすかな落胆の表情を浮かべている中、相変わらずのヴィクトルが口を開く。
「わかっていますよ。そんなことをしたら俺らの存在価値が無くなっちまいますからね。……まあ、本当にやばくなったらアリシア様とエレミア様、クラウディア様だけでもそのクリスどのとかいう御仁の家に匿ってもらうといいでしょう。帝国も魔の森までは攻めないと思いますよ」
「……女王である私がこの国から逃げ出すわけにはいかない。エレミアさえ生き残ってくれればレトナーク王家は問題ない」
アリシアのその言葉に、戦争と聞いて浮足立っていた文官たちも戦う覚悟を決めた顔をしていた。
「……ではこの辺で今回の会議は終了いたしましょうか」
ファビオのその言葉と共に各々が立ち上がり、その部屋から出て行った。




