エピローグ
「ところでクリス。前からずっと気になってたことがあるんだけど聞いてもいいかしら?」
湯気立ち込める大浴場の中。クリスのすぐ手の届きそうなほど近くでレベッカの声がしている。彼はできるだけ彼女と浴場で会わないように気を付けていたが、毎日の事なので時にはどうしてもこうやってかち合ってしまうこともあった。
レベッカはセミロングの髪を軽く結い上げてうなじを出し、もちろん一糸まとわぬ姿でクリスの隣でお湯につかっている。彼がほんの少しでも目を横にずらせば、両手に収まりきらないほど大きな、重量感のある胸。だが垂れているわけでもなく、釣鐘型の形の良い胸の先にある上を向いた二つの蕾。下に目線を下げれば黒々とした茂みまで、あらゆるところが見えてしまう状況だ。
レベッカだけではなく、他にもたくさんの娘たちが浴場の中にいるので、クリスは少しだけ反応することさえ絶対に許されない。彼はレベッカという存在をできるだけ知覚しないように眼を閉じ、ひたすら関係ないことを考え続けていた。
だが、すぐ近くで自分を呼ぶレベッカの声がするだけで、クリスは目を開けていた時以上にその存在を感じ取ってしまうのだった。
「……なんだ」
レベッカはまだ何もしていないのに、既にクリスの内心は神経質なほど緊張していて、それだけの言葉しか発することができない。
「今日であの子たち千一人と話したことになるんだけど、これで全員で他にはいないの? あと、みんな女の子だけだけど男の子はいないの?」
「……人数は千一人で全員だな。全員一応女の子か。まあ、これから創ればまた変わるけど」
「ふ~ん、そうなんだ」
さらっと流しているが、レベッカはあの子たちが自動人形だという事は既に知っているらしい。というかアリシアもレベッカも、この子たちが人間ではないと知った時のリアクションが薄すぎるような気がする。
……エレミアもあの子たちと仲良くなったそうだが、どこまで知っているのだろうか。千人もいるなんて聞いてないとか、人間じゃないなんて聞いてないとか言われて結婚を破棄されたりしないだろうか。マリッジブルーとかいう言葉もあるくらいだし……。
そんなことをひたすら考えて、クリスはこの場をやり過ごそうとしていた。
「う~ん、やっぱりやめておいたほうがいいわね。……男の子がいたら、私を廻ってドロドロの三角関係が勃発してしまうわ」
胸を張り、レベッカは自信満々にそう断言しているが、クリスは今だけは何も言い返せすことができない。レベッカは冗談のつもりで、自信過剰だと突っ込んでほしかったのだが、クリスは今そんなことをしているような状況ではなかった。彼女はかすかに彼に目線を流していたが、もちろん彼は彼女の顔など見ていない。
「……?」
クリスはもはや風呂でゆっくりすることを諦め、とにかく早くこの浴場を出ようと思った。だが二人の会話を聞いたからか、二人の周りに少女たちが集まってくる。彼は少女たちに三百六十度全方位を囲まれ、進路も退路も塞がれてしまった。
「どろどろのさんかくかんけー?」
フォドラが不思議そうな表情を浮かべてレベッカに聞き返す。どうしてクリスは何も言わないのかと不思議そうな目で見ていたレベッカは、フォドラに向きなおりこほんと咳払いをした。いかにもお姉さんが教えてあげますといった雰囲気を出している彼女の様子は、前に見たお姉さんぶっているイヴにそっくりだ。
「三角関係っていうのはね、ある一人を別の二人で取り合う事よ」
「それってパパとレベッカとエレミアの事?」
アイアがフォドラと同じような表情を浮かべながら、そう聞いた。場の空気、というかクリスとレベッカが一瞬固まる。直後に動き出したが、二人とも苦笑いを顔に張り付けていた。
「……まあ、そうかもしれないわね。別に戦うつもりはないから、違うと言われればそれもそうかもしれないけど」
レベッカの発言もどこか歯切れが悪い。
「ふ~ん。大人って大変なんだね」
ノートが興味を無くしたような口調でそう言った。周りの少女たちも同意するように頷いてはいるが、そこで会話が止まっている。
もしかして今が出るチャンスなのか。そう思ったクリスだったが、動きかけたところで再び会話が始まってしまった。
「でもてっきり私は、パパがレベッカと結婚するんだとばっかり思ってたけど」
バステトがクリスの方を一瞥してから、レベッカの方に目線を向ける。
「そうだね~。聞いたとき私もびっくりしたよ」
ナンナもバステトと同じく、レベッカの方に気づかわしげな目線を送っていた。
「……なんかすいません」
全員に責められているような気がしたクリスはとりあえず謝った。だが、よく考えれば少女たちが少し怒っている様な雰囲気を出しているのは当然である。結婚と言う家族にとって重要なことを何の相談もなしにクリスが勝手に決めてしまったのだから。
クリスは娘たちが自分の結婚についてどう思っているのかを聞かずに決めてしまっていた。妻になる人が娘たちを受け入れてくれるかどうかばかりを気にして、肝心の娘たちの気持ちそのものを全く考えていなかった。一応イヴには聞いたのだが、あまりにも急に決めてしまった。その事をクリスは今更後悔していた。
「……まあ、別にエレミアに問題があるわけじゃないんですよ。今日一緒に遊んで楽しかったし、どんな人かという事もわかりました。お父様を任せられる人だって思ったし……」
ダーナがいまいちはっきりとしない口調でそう言うと、その後を継ぐようにサティスがゆっくりと口を開いた。
「でも何というか、ちょっとだけレベッカがかわいそうというか……」
レベッカは少し驚いたような顔で周りの少女たちを見渡す。
「ふふっ、みんなありがとう。でも、そんなにクリスをいじめないであげて。大人にはいろいろと都合があるのよ。……それに、昔ならともかく、今は結婚なんてしなくてもクリスやあなたたちと十分つながっているっていう実感があるわ。もう私はひとりぼっちじゃないもの」
「結婚する相手も自由に決められないなんて……。やっぱり大人の世界は大変なんですね」
タシュミットが目をつぶり、腕を組んでしみじみ頷きながらそう言った。
「みんなもちゃんとエレミアとも仲良くしてあげるのよ。……それからクリスも自分で結婚するって決めたのならちゃんとあの子を守ってあげなさい」
そう言うレベッカの様子は、さっきのわざとらしくお姉さんぶったものとは違い、今度は子供を諭す母親のようだった。
「……クリス?」
レベッカが、さきほどから全く反応していないクリスの様子をいぶかしむ。彼はうつむいたままふらふらと頭を揺らしている。レベッカも少女たちもどうしたのかとその様子を見ていたが、クリスはいきなり前に倒れ込むように浴槽の中に沈む。あわててクリスの頭を持ち上げてみると、顔を真っ赤にしてのぼせてしまっていた。




