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九話

 応接室の中に入ってきたのはレベッカ一人だった。その傍らにエレミアの姿はない。レベッカはこちらを一瞥すると呟いた。


「……ずいぶんと入りづらい雰囲気ね」


「エレミアはどうしたんだ?」


 アリシアはさっきまでの会話を匂わせることなく、普段通りの立ち居振る舞いだ。


 正直俺は今、エレミアの姿がなかったことに少しほっとしていた。彼女の顔を見て、平静でいられる自信がない。正直に言えば、レベッカともあまり顔を会わせたくはないのだが。


「あの子なら、みんなと仲良く話してるわ」


「……そうか、仲良くなれたのか」


 アリシアは感慨深そうにそう言った。緩んだ頬からは、彼女が本当にエレミアのことを思っている様子がひしひしと感じられる。先ほどの提案も熟考に熟考を重ねた挙句に出した結論なんだろう。


 レベッカはなぜか俺の隣に座った。別にアリシアの隣も空いているのに俺のすぐ隣、彼女の匂いも温かささえ伝わってきそうなほど近くに。そっちを向くと絶対何か言われると思ったので、意地でも見ないようにする。


 アリシアはその光景を見て、まずは俺の方に視線を向ける。その目線につい目を逸らすと、アリシアはレベッカに向きなおる。


「ところでレベッカ、君に一つ聞きたいことがあるんだが……。君はクリスと結婚するつもりなのか?」


「……ずいぶんと直球な質問ね。……今のところは特に結婚するつもりなんてないわ。もちろんクリスからどうしてもって言われたら考えなくもないけれど……。……なんでそんなことを聞きたいの?」


 純粋に不思議そうな顔をして、レベッカはアリシアに尋ねた。アリシアは口に出すことを少し躊躇していたが、結局覚悟を決めた様な表情で言い放つ。


「私としてはぜひともエレミアとクリスをくっつけたいからな。……エレミアの一番のライバルは君だろう」


「ああ、そういうこと。……いいんじゃないかしら。エレミアもクリスも押しが弱いし、このままではいつまでたっても結婚できなさそうだしね……」


 アリシアはレベッカにやや気づかわしげな表情を見せるが、当の彼女はあっけらかんとしていた。アリシアもそんなレベッカの態度に驚いたようだった。……いや、俺は別にレベッカに何か反応して欲しかったわけではないが。だが、アリシアはこれはチャンスだと思ったのだろう、次第にこちらを見る目が獲物を狙う動物のようになってきている。このままでは本当に結婚させられそうだ。


「いつまでって……。俺はまだ二十だし、エレミアはまだ十五じゃないか」


「あなたって二十だったの? てっきり私より年下だと思ってたわ。外見からじゃ年齢がよくわからなかったのよね。……でもなおさら結婚してもいい年じゃない」


 俺の中ではニ十才はまだ結婚には早いと思っていたのだが、どうやらこの世界ではニ十才は結婚適齢期のようだ。……そう言われると今結婚するのもありかななどと考えてしまう。


これから先もし、結婚したくなったときに年を取りすぎているからと断られるのは悲しい。別に俺も決して結婚したくないわけではない。相手がエレミアのような美少女ならなおさらだ。


「……君はそれでいいのか?」


 アリシアはレベッカの顔色をうかがうように見つめていた。最後の確認のような厳粛さを以てアリシアの口から放たれた言葉に、レベッカは微笑しながら至極軽い態度で答える。


「私はこの家から追い出されなければいいわ。……それに私はクリスの奴隷だもの。ご主人様と結婚したいなんて言う身分不相応な願いは持たないわ。たまにご主人様のお情けをもらえればそれでいい……」


 するりと俺にしなだれかかってくるレベッカ。その身体を避け、彼女に対してできるだけ距離を取ろうとする。アリシアはそんな俺たち二人を見て、俺にだけ冷ややかな視線を浴びせてきた。


「……奴隷?」


「いや、知らないって。奴隷ってなんだよ」


 そんな事実はないのに他人に変な誤解を与えるような言動はやめてほしい。……だからと言ってそんな事実があっても他人に向かって言っては欲しくない言葉だが。


「私の一億ルコンの借金を助けてくれたじゃない。私が返せるものはこの身体しかないけど……、私の全てはあなたのものよ」


 何の躊躇もせず、そう言い切ったレベッカの表情は今までにないほどすっきりとした表情のように見えた。もしかしたら、俺が見た中で一番いい彼女の表情かもしれない。……発言の内容はともかく。


「……君はそれでいいのか? クリスを君一人のものにしたいとか考えないのか?」


「この人があの子たちを捨てて私一人の物になんてなるわけないでしょう。……私は私自身がクリス一人の物になればいいわ」


 レベッカが微笑みながらそう言うと、アリシアも合点がいったようにうなずいている。


「……なるほど」


「いや、勝手に納得しないでほしいんだが……」


 そうは言うものの、娘たちを捨てて誰かと結婚するという選択肢が俺の中にないことだけはレベッカの言う通りだった。



「……それで何の話だったかしら?」


「エレミアとクリスの結婚のことだが……」


「ああ、そうだったわね。……うん、いいと思うわ。私にも妹ができるのね」


 レベッカは能天気に喜んでいるし、アリシアはそもそも話を進めたいと思っている。このままでは本当に結婚しなければならない状況になるまで外堀を埋められてしまうかもしれない。


「いや、俺はまだ結婚する気は……」


「どうして? 誰か結婚したい人でもいるの? それともあんなに可愛いエレミアに文句があるのかしら?」


 レベッカが俺を非難するような目線を向けてきたと思ったら、さらに厳しい目線がアリシアからも放たれる。いつの間にかこの場は二対一の不利な状況になっていた。


「……それは聞き過ごせないな」


「いや、そう言うわけでは……。第一、俺の結婚は俺だけの問題じゃない。あの子たちにも意見を聞いてみなくては……」


 そう言いかけた時、謀ったように応接室の扉が開き、エレミアとイヴが中に入ってきた。仲が良さそうに話している二人は少し年の離れた友人同士にしか見えない。


「ちょうどいいところに来たな、二人とも。少し聞きたいことがあるんだがいいか?」


「何でしょうか?」


 部屋の中に流れている変な雰囲気に戸惑いながら、二人はアリシアの方を向く。二人を見るアリシアの隠し切れない微笑みが少々癇に障った。俺はどうにか断ってくれないかとイヴに向かって目線を送るが、彼女は不思議そうに首を傾げ、全く伝わっていないようだった。


「イヴ、君はクリスとエレミアが結婚するとしたらどう思う?」


「ふぇっ!」


 どこまでも真剣な表情で、アリシアが尋ねる。エレミアは一瞬でゆでだこのように真っ赤になり、イヴは何とも言えないような顔をする。イヴは少し考え込んだ後、先ほどと変わりない様子で話し始めた。


「……お父様とエレミアさんの結婚……ですか。……お父様の本当に望むものであるならば私は、いや私たちは反対などしません。幸いというか、ちょうどエレミアさんともいろいろ話をして、どんな人かもわかってきましたし、お父様を任せてもいいと思える人だったのは間違いありません」


「……だそうだぞ、クリス。それで君はどうなんだ?」


 もはや逃げ道はない。もちろん俺が嫌だといえば、誰も強制はしないだろう。だが、その結婚を断るだけの理由がない。エレミアはまごうことなき美少女であり、控えめな性格も妻として夫をたてるようないい奥さんになるだろう。俺に絶対結婚しないという断固たる決意があるわけでもないし、エレミアと結婚したいか、したくないかで答えるならもちろんしてみたい。


「……わかった。あの子たちが問題ないというんだったら、俺からは言う事はない。だが、まだエレミアの意見を聞いていない。……結婚は二人の事なのだから、彼女の意見も聞いてみないと」


 一縷の望みをかけてそう言った。もはや結婚したいのかしたくないのかわからなくなっていたが、相手の感情を無視するわけにもいかない。アリシアはなぜか、既に結果は決まっているかのような、勝ち誇った顔で俺を一瞥してからエレミアに優しく尋ねた。


「どうなんだ、エレミア。クリスと結婚してもいいと思っているのか?」


「え、え? いや、え~と、その……」


 エレミアは戸惑うようにアリシアとレベッカの顔を交互に見ていたが、覚悟を決めたような表情で俺の方に向き直る。その目を見ただけで、彼女がどういう返事をするのか分かってしまうくらいには、彼女のことを理解し始めていた。


「ふ、ふつつかものですがどうぞよろしくお願いいたしましゅ」


 最後で噛んだエレミアは、痛みのせいかそんなところで噛んでしまった恥ずかしさのせいかわからないが、目に涙を浮かべていた。


 ……これが年貢の納め時というやつか。こうなってしまった以上、俺も覚悟を決めねばならんだろう。


「……はい、よろしくお願いします」


 こうしてエレミアとの結婚が決まってしまった。

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