六話
「パパ、これ~?」
珊瑚色のショートカットで、いつもマイペースな少女、バステトが手に持った植物を見せてくる。根元から引きちぎられたようなその植物は、真っ直ぐな茎から細長い楕円状の葉が横に生えている。もちろん見ただけで何の植物か分かるはずもなく、〈賢者の眼鏡〉を使って【アナライズ/鑑定】をかけてみると、どうやらその植物は生姜らしい。
だが肝心の生姜はどこにあるのだろうか。この日のために図書館から持ち出した植物辞典を開いて生姜のことを調べてみると、俺が見たことのある生姜は地下の根の部分らしい。……そういえば、葉生姜とかいう葉っぱのついたまるまる一本の生姜を見たこともあったな。
「それどこに生えてたの?」
「えっ? ……どこだっけ、この辺だと思うんだけど」
そう言ってバステトは地面に這いつくばって探しているが、根っこ以外を引っこ抜いてしまったから、見つけるのは無理じゃないだろうか。昼なのになかなか光の差し込まない薄暗い森の中は多種多様な植物であふれており、同じような植物を見つけるのも簡単ではない。高温多湿の蒸し暑い森は、明らかにマイホームの周りの森とは植生が違っている。じとっとした気候で汗で服が体に張り付いてしまっていた。
今俺の周りでは十人ほどが一緒に採取活動をしてくれている。みんな海賊の財宝探しをしたいのかと思い、一応全員に自由行動だといったのだが、ここに残った十人ほどはさして興味がないらしく、一緒に採取活動をしてくれることことになった。……その他はみんなどこかへ行ってしまったが。
「う~、わかんなくなっちゃった。ごめんなさい……」
「まあ、また別の探せばいいよ」
見失ってしまったものは仕方がない。だが、探索活動は思っていたより大変だ。植物辞典と〈賢者の眼鏡〉、『香辛料からつくる本格派カレー』なんて本があればどうにかなるだろうと思っていた自分を説教したい。そもそも俺は香辛料がとれる植物の見た目も、どの部位が香辛料になるのかも知らないし、なによりどんな植物をどれだけ集めればいいのかもよくわかっていない。
『香辛料からつくる本格派カレー』を見ると、カレーの基本的な香辛料は四種類らしい。香りをつける「クミン」・「コリアンダー」、色をつける「ターメリック」、辛みをつける「レッドペッパー」。その四種類をベースにいろいろな香辛料を入れていくらしいので、最低限その四つがあれば何とかなるだろう。……多分。
レッドペッパー、つまり唐辛子はディアリスで売っていたので、残るは三種である。
「これ……じゃないですよね」
前髪のサイドを長く伸ばした女郎花色のショートカットの少女、サティスがそう言って見せてきたのは一本の植物だった。ちゃんと根っこまでちぎれずに引き抜かれたその植物は、その根の部分が非常に生姜にそっくりだったが、よく見ると葉っぱがさっきのより丸めの楕円形だったり、そもそも地上に出ている部分の大きさがかなり違っている。
【アナライズ/鑑定】をかけると、なんとその植物はターメリックらしい。急いで植物辞典で調べると、この生姜のような根っこの部分を天日干しで乾燥させてから細かく砕いて粉末状にすると、香辛料のターメリックになるらしい。……今更気が付いたが今日中にカレーなんて食べられないじゃないか。
その後、一時間ほどその付近を探し回ったのだが、生姜、ターメリック、そしてカルダモンという植物はいくらでも見つかった。カルダモンは生姜やターメリックによく似た姿だったが、香辛料には根っこを使うのではなく種子を乾燥させて使うらしい。見ると白い花が咲いているから、これから果実ができるのだろう。……何か月後になるのかはわからないが。
生姜、ターメリック、そしてカルダモン。それぞれ数十本ずつその根っこまで優しく丸ごと引き抜き、そのままアイテムポーチの中に入れる。半分ほどは庭に植え、もう半分ほどはアリシアにあげるつもりだ。もしかしたら、王国で量産に成功して安価で買えるようになるかもしれないからな。……いつかカレールーも商品にしてくれると嬉しいんだが。
それ以外にも、卵形の果実をつけるナツメグの木、花が特徴的な形をしているクローブの木、樹皮から特有の甘い香りのするシナモンの木も発見した。ナツメグは果実の中の種子を、クローブは釘のような形の花のつぼみを、そしてシナモンはその木の皮自体を乾燥させたものがそれぞれ香辛料になる……らしい。とりあえずそれらを大量に採取した。
本当はこれらも木ごと持って帰りたいのだが、さすがに木を引っこ抜いて持ち帰るわけにはいかない。……そう思ったのだが、周りを探すとまだ小さな――といっても一メートルほどはあるが――それらの若木があったので、それをさきほどと同じく根っこから引っこ抜いてそのままアイテムポーチにしまった。……一体これは何年後に香辛料が取れるようになるのだろうか。もはや年単位の時間が必要な気がする。
とりあえず家に帰ったらこれらを庭に植え替え、環境がいきなり変わっても枯れないように念のために一緒に土晶石も埋めなけらばならないだろう。あっという間に土晶石が無くなりそうだが。……アリシアにあげる分は、あっちで何とかしてもらおう。どう育てるのかと聞かれてもさっぱりわからないし。
「う~ん、ありませんね~」
サティスが下を向いてあちこちを探し回っているが、残りのクミンとコリアンダーがいつまでたっても見つからない。クミンとコリアンダーは木ではなく草らしいので、地面をよく探しているのだが、森の中に背の低い草などほとんどなく精々五十センチ以上の植物が生えているだけだ。
バステトはもう飽きてしまったようで、地面に座りながら木に巻き付いている蔓を引っ張っている。蔓を縄替わりにして、手の力だけで昇ろうとしているらしい。案外しっかりとした蔓のようでバステトが全体重をかけても切れず、ムキになった彼女は綱引きのように蔓を引っ張っていた。
「う~ん、この島にはないのかもな。……隣の島に行ってみようか」
もしかしたらこの森にはまだ他にも香辛料になるものは存在するのかもしれないが、少なくともクミンとコリアンダーは存在しないような気がする。植物辞典を見ても、こんな密林の中ではなく、平原や原っぱに存在するような姿かたちだ。さっき上空から見たが、隣の島――飛び立つ鳥の体部分にあたる島――には平原みたいな場所があったように見えた。そこを探してみたい。
「うわっ!」
蔓を引っ張りまくっていたバステトだったが、蔓がちぎれたようで地面に倒れた。上に乗っかるように落ちてきた蔓を横に放り棄て、満足そうな笑みを浮かべている。その蔓は、大きな丸い葉を持ち、ブドウのように連なった房状の果実のようなものをつけていた。
「ん? あれは……」
「どうしたんですか?」
サティスが、蔓の方に駆け寄った俺を追いかける。バステトが引きちぎった蔓を調べると、それは紛れもなく胡椒の蔓だった。ブドウのように房になっている実を乾燥させれば、胡椒となる。
完全に熟す前の実をそのまま乾燥させれば独特の強い風味を持つブラックペッパーに、完全に熟した実の皮を剝き乾燥させれば風味が弱く香りも穏やかなホワイトペッパーになる。他にもグリーンペッパーとかピンクペッパーとかもあるらしいが、何に使うのかはよく知らない。
再び目的の香辛料になる植物をを引きちぎってしまったバステトを、サティスは無言で責めるような視線を送っている。だが、バステトはさっぱり意に介していないのか、あるいは気が付いていないのか、俺に向かって不思議そうな表情を浮かべていた。
「他には近くにはないみたいだな。……まあいいか」
他にもないだろうかと周りを見回すが、同じような蔓は見当たらない。仕方がないので二つにちぎれた蔓の両方を回収してアイテムポーチに入れる。バステトがよくわかってないけど褒めてというような表情をしているので、頭をなでてやると能天気そうな笑顔を見せた。
「……うん、とりあえずこの島ではこれで十分か。隣の島に行こうと思うから、みんなを集めてくれないかな」
「わかりました。少し待っててくださいね」
サティスに財宝探索組へ連絡をつけてもらい、森を抜けだしてフェニックスが降りた海岸まで向かう。むわっとした湿気の漂う森から抜けると、そこは潮風が吹く海岸だ。風が少々べたべたとする水分を含んでいるのがいまいちだが、天然のサウナのような密林にいた俺にはその風がとても気持ちよく感じられた。
歩いてフェニックスのもとまで戻った俺たちを待っていたのは、土だらけのゴミにしか見えないものを大事に抱える娘たちの姿だった。




