三話
マイホーム上空まで飛んで来ると、庭に娘たちが集まっているのが見えた。フェニックスの真下に走って来ては、こちらを見上げて歓声を上げている。フェニックスは非常に降りる場所に苦心していたようだったが、近くに家庭菜園もなく、娘たちもいない場所に勢いよく降り立つ。急降下の時は多少体が浮き上がるような無重力状態を体感したが、なかなかのスピードで勢い良く着地したにしては、衝撃はあまり感じなかった。
「うっわ~! すっごく大きいね!」
勿忘草色のショートヘアで二つのお団子が特徴的な少女、フォドラが両手を広げてフェニックスを見上げる。その顔には満面の笑みが浮かんでおり、目がキラキラと輝いていた。……そんなに喜んでくれるならペットにすると決めてよかった。
俺たちが背中から降りると、娘たちは待ってましたとばかりにフェニックスに群がり、体毛や羽を触ったり、背中に乗ったりしている。俺のところには誰も来ず、フェニックスのところに全員集まるのがすこし悲しい。そんなことを思っていると今様色のロングヘアでおでこを出している少女、ダーナが俺の近くに来て話しかけてくれた。
「ねえ、お父さん。この子、何て名前なの?」
聞かれたことはフェニックスの事だったが気にしない。だが、名前か。まったく考えてなかったが、一応ペットなんだから名前くらい決めておいたほうがいいのかもしれない。そう考え、レベッカに尋ねる。
「なあ、何て名前なんだ?」
「えっ、私が考えるの?」
レベッカは驚いたようにこちらを振り向く。まるで想定外のことを言われたような反応にこっちの方がびっくりした。
「当たり前だろ、君が飼いたいって言ったんじゃないか」
「でも……」
レベッカは遠慮がちにフェニックスと遊んでいる娘たちを見た。
……ああ、あの子たちに名前を決めさせるつもりだったのか。だが彼女たちに決めさせると、喧々諤々の議論の末、結局決まらず、あとで俺に丸投げして来そうな気がした。……あくまで気がしただけだが。
「……あの子たちに決めさせても、なかなか決まりそうにないから君が決めてくれ」
「……そう、わかったわ」
そう言うと、レベッカはしばらく考え込む。一分ほどフェニックスと遊んでいる子供たちを眺めながら物思いにふけっていたが、何かを決意したような表情で口を開く。
「……よし、決めた。あの子はピーちゃんよ」
「ぴ、ピーちゃん?」
フェニックスのどこらへんがピーちゃんなんだろうか。さっき聞いた甲高い鳴き声はピーピーといった可愛らしいものではなく、キエェェェかクエェェェという感じの声だったと思うが。……もしかしたらPHOENIXのPちゃんなのか。
「ピーちゃん、ピーちゃん。お願い、空飛んでよ~」
フォドラがフェニックスの上に乗り、背中をバシバシ叩いていた。フォドラ以外にも十人ほどがフェニックスの背中にしがみつき、毛並みをなでている子もいれば、頬擦りしている子もいるし、フォドラと同じように身体を叩いている子もいる。フェニックスの周りにも尾や羽に触ったり、引っ張ったりしている娘たちがいるが、フェニックスはいくら叩かれても引っ張られても平然としている。
……ピーちゃんに決定でいいのか。まあ俺はなんでもいいんだが。というかすこし注意したほうがいいかな? あんまりいじめないようにって。でもフェニックスが平然としているってことは、見た目よりは痛くないのかもしれないが……。
フェニックスはフォドラたちのお願いを聞き入れたように、翼を大きく広げ大きく甲高い声をあげる。背中に乗っていた子たちは背中にしがみつくように姿勢を低くし、それ以外の近くにいた子たちはフェニックスの離陸に邪魔にならないように少し距離を取った。周りにいた全員が離れるまで羽ばたき始めなかったフェニックスはやはり頭もいいのだろう。
……やはりクエェェェかな? もしかしたらケエェェェかも。
フェニックスが羽ばたき始めると、強風が吹きつけてくる。フェニックスから十五メートルほど離れているのに、結構強い風が吹き付け、目が開けられないほどだ。ひときわ強い風が吹き付けた後、目の前にはもうフェニックスはいなかった。地面から一瞬で上空まで上昇したフェニックスは家の周りを旋回し始める。
「すごい……、私も早く乗ってみたいな……」
その声にふと目線を下げると、目を輝かせたダーナがうらやましそうな表情でフェニックスを見上げている。周りを見渡すと、みんな同じような表情を浮かべていた。遠くでも、フェニックスの背中から黄色い悲鳴が上がっている。悲鳴と言ってもどこか楽しさを抑えきれないようなその声は、ジェットコースターに乗っている人が出す悲鳴にそっくりだった。
……どうやら、フェニックスもといピーちゃんはみんなに受け入れられたようだ。もとよりそんなに心配はしていなかったが、少しだけ安心した。
数分後、フェニックスが曲芸飛行のように急降下し、着陸する。着陸の際は、強風と地震が近くにいた俺たちを襲った。……この強風だけは何とかならないものか。そんなことを考えている間に、二組目の娘たちがフェニックスの上に乗っていたようで、再び離陸時の強風が襲ってきた。一度目と同じようにひときわ強い風が吹き付けた後、フェニックスは一瞬で上空まで上昇していた。
「……少しここから離れましょうか」
「……賛成です」
髪の毛がボサボサになっているレベッカがそう提案すると、さらにボサボサになっているイヴが賛成する。俺は髪の毛が短いからあまり風の影響はなかったが、そこそこ髪の長いレベッカやもっと長いイヴの髪はぐちゃぐちゃになっていて、複雑に絡まっていた。娘たちの集まっている場所から少し離れたところに移動する。そこでレベッカとイヴは乱れた髪を手櫛で何とかしようとしているが、あまりはかどってはいないようだ。
二組目の娘たちを乗せて先ほどと同じく家の周囲の上空を旋回していたフェニックス。だが、突然向きを変え森の中に突っ込むように急降下した。数秒後、何事もなかったように飛び上がると、先ほどまで離着陸していた場所ではなく、一直線にこちらに向かって飛んでくる。その足は何かの物体を掴んでいた。
「……なんだ?」
なぜ娘たちの集まっている場所ではなく、こちらに向かってくるのだろうか。そんなことを考えてる間に上空まで来たフェニックスは、さっきと同じように勢いよく急降下し、強風を巻き起こす。
レベッカとイヴは髪の毛を直すことに集中していて、上空まで来ていたフェニックスに全く気が付いていなかったので、強風によって再びボサボサになった髪の毛の奥から不機嫌そうに睨んでいた。
一方、そんな空気など感じ取れないフェニックスは、足に掴んでいたものを俺たちの前の地面に置く。フェニックスにとってみれば足で掴めるほど小さいが、俺の全身よりもはるかに大きいその物体は、カイゼルタイガーというモンスターの死体だった。
目を見開き吠えかかるように口を開いているその死体は、自らが絶命していることを知らないかのような雰囲気を放っている。首の後ろには鋭い何かで抉られたような傷があること以外に外傷はなく、金と黒の縞模様が美しい毛並みも、ふさふさとした毛並みの下からもその存在がはっきり目視できるほど強靭な筋肉も、もちろん凶悪で堅牢な牙や爪、そしてカイゼルタイガーの象徴たる一本角も健在だ。まるで剥製のようにしか見えないほど死体としてはきれいなままだった。
一体これをどうすればいいのか。苦笑いしながら顔を上げると、フェニックスは褒めてとばかりにこっち――いや、正確にはレベッカを見つめている。……良いことをしたら、褒めてあげることが大事だ、ペットのしつけでも子供の教育でも。
「……レベッカ、褒めてあげれば?」
「わ、私なの?」
レベッカもこんなものをもらって、どうすればいいのかという表情だったが、意を決してフェニックスに近づいた。レベッカが近づくとフェニックスは頭を下げたので、レベッカはその頭をおそるおそる撫でる。フェニックスは嬉しそうに甲高い鳴き声を発して、未だ空を飛ぶ順番待ちをしている少女たちのほうに、二本足で器用に歩いて行った。




