十話
テーブルの上にあるランプと月明かりだけがその真っ暗な部屋の中を照らしている。ランプの暖色系の暖かい光と、月光の寒色系の冷たい光がそれぞれ部屋の一部だけをほのかに照らす。
夕食を食べ終え風呂にも入り終わり、俺は寝室で独り静かに本を読んでいた。最近図書室にあるまだ読んでない『エイジオブドラゴン』の世界に関係した本を寝る前に読むのが習慣となっている。少しでもこの時代の情報を得るためだ。
だが、直接この七百年後の過去のことを記している本は時代が古すぎる故にほとんどない。アリシアの事績もアリシア・レトナークという存在が半ば神話化されてしまっているが故に、記述自体はそこそこあるのだが到底事実だとは思えない記述も多かった。
ひどいものでは、『アリシア・レトナークは人間ではなく地上に降りた女神だった』とか、あるいは『アリシア・レトナークは実在しなかった』などと真面目に記述している書物もあるほどで、一体どの記述が本当なのかさえ分からない。
「……ふわぁ」
最近は規則正しい生活をしているのでどうしてもこの時間には眠くなってしまう。今までイスに座って本を読んでいたが、顔をあげて目の前にあったベッドの方を眺める。テーブルの上に置かれている光晶石をはめ込んだランプ以外には、部屋の中を照らす明かりはなく、窓のそばに置かれたベッドが窓から差す月明かりに照らされていた。
そういえばこのベッド、寝心地よさそうだけどいつも大部屋で娘たちと寝るからほとんど使っていない。少々もったいない様な気もするが、特に使う方法も思いつかない。そんなくだらないことを考えていると猛烈に眠くなってきた。
本もちょうどキリのいいところまで読み終わったしこれから特にすることもないので、さっさと大部屋に行って娘たちと寝ようか。
そう考え立ち上がろうとしたとき、突如部屋の中にノックの音が響いた。
「レベッカだけど入ってもいいかしら?」
扉の向こうからレベッカの声が聞こえる。何の用だろうか。そういえば夕食の時には、昨日からおかしかった様子も治っていたので気にしていなかったが、今日のことについて何か話したいことがあるのかもしれないな。
「ああ、いいよ」
そう言って俺は、入り口の扉に背を向けるように置かれているイスから立ち上がり、目の前にあるベッドに座る。この部屋にはソファもあるが、イスもソファも一つしかない。向かい合って話すなら高さの違うイスとソファよりも高さの近いイスとベッドのほうがいいだろう。
そんなことを考えていると入り口の扉が開き、レベッカが部屋に入ってきた。その格好は、肌が見えそうなほどスケスケの白いネグリジェで、非常に目のやり場に困る。なんというか、レベッカのイメージにはあっているがどう反応していいのかが分からない。
「それで、何か用か?」
俺は目を逸らし、真横を向きながらそう呟いた。というか今、下着が見えなかったような気がしたのだが気のせいだろうか。確かめようにももう一度見るわけにもいかないが。
「ふふふ、少し話をしたいと思って。……でもとてもいい部屋ね。少々豪華すぎる気がしないでもないけれど」
レベッカはそう言いながら、部屋の中をキョロキョロと見回してこちらに向かって歩いてくる。そして、なぜかイスでもソファでもなく、俺が目線を逸らしている真横の方に来て左隣に座った。二人が座った大きなベッドは力が一点にかかっているが、それでもきしんだ音を立てることもなく堂々とした姿を誇っている。
「……話は長くなるのか? そろそろ大部屋に行って寝ようと思っていたんだが」
とりあえず目線を反対側に逸らし、そう言った。不穏な空気を感じ取り、逃げる体勢を整えようとするが、俺の左手をレベッカの右手が掴む。レベッカはそのまま体ごともたれかかってくるので、立ち上がるにはレベッカを跳ね除けなければならない。……それ以外にも立ち上がれなくなった理由があるのだが。
「それなら問題ないわ。あの子たちには今日はお父さんは一緒に寝ないって言ってあるもの」
あっけらかんとレベッカはそんなことを言った。いつも思うがレベッカはどうやって娘たちを手なずけているのだろうか。何かコツとかあるのか、聞いてみたいような気もするが今はそんな状況ではない。レベッカの柔らかさと匂いで頭の回転が鈍くなりそうだ。
「それで話って何なんだ」
できるだけ内心の動揺を悟られぬように、低く押し殺したような声で尋ねる。するといきなりレベッカは背中からベッドに倒れ込んだ。腕を掴まれていた俺にも体重をかけてきたので、耐えられずに一緒になって背中からベッドに倒れ込んでしまう。再び起き上がる前に、レベッカは俺の上に馬乗りになった。
「夜に寝室で男と女が一緒にいるならすることは一つでしょ」
そう囁くように言いながら、するすると着ているネグリジェを脱いでいく。下着はつけておらず、あっという間に全裸のレベッカが俺の上にまたがっていた。いつの間にかテーブルの上のランプが消されており、レベッカのたぐいまれな肢体が月明かりに照らされている。その美しさは美と愛の女神のようだった。
「……別に見返りが欲しくて君を助けたわけじゃない」
レベッカに押し倒されながら、未だに顔を横に背けてそう言った。
そう、何かのお礼に身体を受け取ることなどしたくはない。そういうことは純粋に愛しあっているからするべきだと思う。
「別にお礼としてするわけじゃないわ。……私はあなたが好きだから、したいと思っているの。あなたはどうなのかしら?」
レベッカは俺の顔に手をあて、自分の方を向かせながらそんなことを言う。その目は不安で揺れているように見えた。
だが、俺の気持ちか……。そんなこと考えたことがなかった。確かにレベッカに対して好意はある。だが、この好意が恋愛感情なのか、そうではないのか。それがわからない。
「……どうして俺のことが好きになったんだ?」
ふと頭の中で思っていたことを口に出していた。もしかしたらレベッカが俺を好きになった理由を考えれば、俺のこの思いが恋愛感情なのかどうかわかるかもしれない。どうして好きになるのかがわかれば、この思いも理解することが出来るのかもしれない。
「好きになった理由か。……そうね、まあ私を助けてくれたからとか、私のために命をかけてくれたからとか、理由になりそうなことはいろいろあるけど、結局それは心の問題なのよ。頭で好きになるんじゃないわ、だから理由なんてない。ただはっきりしていることは、レベッカ・マルセルはクリス・ピグマリオンを愛している。その気持ちは間違いないわ」
そう言ってレベッカは俺の頬をいとおしげに撫でる。だんだん頭がぐるぐるとして思考が回らなくなってきた。もしかしたらレベッカの色香に酔っているのかもしれない。そんな思考速度の低下した脳では、近づいてきているレベッカの唇を躱すという決定は行われなかった。
「ねえ、私の話を聞いてくれないかしら」
気だるげな雰囲気の漂う寝室のベッドの上で、レベッカはそんなことを聞いてきた。横を向くと、先ほどまでのぞっとするほどの妖艶な姿とは異なり、くすくすといたずらっ子のような笑みを浮かべている。
全裸で触れ合いながら横になっているのに、どこか安心するのはなぜだろうか。安心して眠くなってしまうが、せっかく話しかけてくれたのに眠ってしまうのは少々冷たいだろう。
眠たい目をこすりながら話を促すと、レベッカは自分の過去話を始めた。幼いころは父が好きだったという事。父は温厚な性格だったが、母を亡くしてからおかしくなっていったこと。父に売られてずっと憎しみを抱いていたが、俺と娘たちを見て、自分が幼いころの気持ちを思い出したこと。だから今日ずっと会いに行ってなかった父親の家に行って、どうしているかということだけ知りたくなったこと。既に死んでいると言われ、少し悲しかったがもう吹っ切れたということ。……そして今、信じられないほど幸せな気分だが、こんなに幸せだと失うのが怖いということ。
レベッカが話し終わると部屋がまたまどろみの中に包まれる。レベッカは話している途中に感極まったのか、その目には涙を浮かべていた。再び眠気に襲われてうとうとしていたが、レベッカが俺の眠りを妨げるように話しかけてきた。
「……どうして私を助けてくれたの?」
「別にそんなことなんでもいいじゃないか」
正確には俺もよく分かっていないだけなのだが。
「だめ。好きな人の事は何でも知りたいし、私の事も何でも知ってほしいもの」
「……わからないよ。一緒に生活をして情が湧いたとか、娘たちの友達を無くすわけにはいかないとか、理由になりそうなことはいろいろあるけど、結局それは心の問題なんだよ。助けたいと思ったから助けたんだ」
さきほどのレベッカと同じような回答をする。もうそろそろ眠気の限界だ。
「……そっか」
幸運にも、レベッカはそれ以上話をする気はないようで俺の体をぎゅっと抱きしめて目をつぶる。全裸のレベッカの柔らかい肢体について何か思わないといけないのかもしれないが、もはや眠くてそれどころではない。ようやく訪れたまどろみの中へ、俺は真っ直ぐ落ちていった。




