八話
パントの丘の上、木の下で立ち止まると変化はすぐ訪れた。大地が揺れ始め、地面から何かが飛び出してくる。
それは金属でできた五本の指を持つ人間そっくりの手。土を握りしめるその手は、血が通っていないという点では娘たちと同じかもしれない。だが、この赤銅色の手には温かみがかけらもなかった。いや、手だけではない。徐々に体のほかの部分も地面から出てくるが、そのすべてが赤銅色の冷たい金属で作られている。
次第にその全体像があらわになっていく。……およそ身長二メートル、青銅で出来た、人間にそっくりのゴーレム。それはどこまでも人間に近い容姿をしているが、金属の質感をどうにかしない限り、これ以上どこまでいってもブロンズゴーレムから進化することはできないだろう。
特に何も防具などはつけておらず、股間を隠す小さな腰布以外と手に持っている大剣以外は何も身に着けてはいない。身体はギリシャ彫刻のように筋骨隆々で引き締まった、男の理想像といった姿であり、その青銅で出来た身体そのものが一番の防具である。ちなみに顔はひげもなくなかなかイケメンだが、髪の毛は天然パーマだ。
攻撃・防御・速度、あらゆる能力値が優秀でオールマイティな青銅の巨人は、特別な攻撃をしてくるわけではない。巨体から繰り出される純粋な暴力は、肉体のポテンシャルを最大限に生かし、あらゆるものをなぎ倒す。残念ながら踵にも弱点はなく、この戦いは厳しいものとなるだろう。まあ、ドラゴンよりはましと考えなければいけないのかもしれない。
そんなことを考えている間に、タロスは戦う準備が出来たようで、俺の身長ほどもある大剣を片手で振りかざし、歩くたびに地響きを立てながら襲い掛かってきた。
二メートルという巨体に似合わず俊敏な動きをするタロス。一気に俺との距離を詰め、右手に持った剣を横に薙ぐ。斜め上から斜め下に薙ぐような剣の軌道をしゃがんで躱すと、剣はちょうど俺の首を刈るような高さを通過していった。あんな攻撃を受けたらどうなるのか、想像もしたくない。
タロスが剣を戻す前に懐に飛び込もうとするが、その瞬間背筋に悪寒が走った。慌てて後ろに跳び退ると、タロスの剣が同じような軌道を描いて俺の目の前を通過する。……どうやらタロスは横に八の字を描くように剣を振り回したようだ。
「……フゥ」
嫌な汗が背中を流れ落ちる。一人での命をかけた戦いがこんなにも心細いものだったとは。今までどんな時も近くにいてくれた娘たちにただ感謝の念があふれる。
タロスは大剣を小枝のように振り回しており、なかなか近づくことが出来ない。だが懐に入れなければリーチが違いすぎるので攻撃が出来ない。まずはあの大剣を何とかしなければ。
タロスは再び一気に距離を詰め、今度は俺の右斜め下から剣が向かってくる。逆袈裟斬りをの軌道を描いて迫りくる大剣。それに対して、今回は躱すことなく迎え撃った。俺の身体の右下から左上に両断しようとする大剣を化勁で受け流す。右斜め下から向かってくる剣に触れ、その“勁”、つまり運動エネルギーのベクトルを“変化”させる。斜めに俺の体を両断する軌道を描いていた力の向きを、腕を回転させ円を描くような運動で変化させた。全ての運動エネルギーを真上に向かうように受け流す。タロスはその運動エネルギーを抑えきれず、剣は明後日の方向へ空を飛んでいった。
「……っし!」
剣を無くし、一瞬動きが止まった隙を見逃さない。タロスに近づき、まずは動きを鈍らせるため足を狙う。タロスの右足に向かって、サッカーのインサイド・キックのように足の内側を当てるように蹴り、すねに当たったらそのまま足をへし折るように踏み込む。人間相手ならば確実に脛骨が粉々になっているような攻撃、斧刃脚という技だったが、タロスは少し体勢を崩し、たたらを踏んだだけだった。
たたらを踏み、片足となったところに追い打ちをかけるべく足払いをする。瞬時に地面にしゃがみ込み、右足を横に伸ばした状態から左足を軸に後ろ廻し蹴りの軌道を描いて回転し、相手の足を刈った。沈みながら体重移動の力を蹴り足に乗せ、地面に綺麗な円を描き蹴り払う後掃腿という技だ。
全体重がかかっていた片足を払われ、タロスは大きな地響きを起こしてしりもちをつく。転倒したタロスに対し、さらなる追撃。足を曲げた前傾姿勢から、タロスの右足――斧刃脚を受けて多少へこんでいる方の足に右拳を打ち下ろす。撃地捶というその技は、前傾姿勢となった体で、その体重の全てをその拳に乗せて繰り出すものだ。
ミシミシと嫌な音を立てるタロスの足は、しかしまだ壊れることはなく健在である。……ならば壊れるまで攻撃し続けるのみ。
タロスの足から拳をほんの少しだけ離す。わずか数センチしか離れていない距離から放たれた攻撃。その一撃は斧刃脚と撃地捶によってダメージがあったとはいえ、簡単にタロスの足をへし折ってしまった。そう、これがかの有名な寸勁である。
では、寸勁とは一体何なのか。それは短い距離で勁、つまり運動量を出せるようになる技法だ。最小の動作で最大の威力を出すことを目的とした寸勁は、特殊な重心移動や身体内部――特に関節の操作を行って、ほとんど触れている様な距離から最大限の攻撃を放つことができる。その最大限の威力にタロスの足は耐えられなかった。
「……まずは一本」
足をへし折られたタロスであったが、特に苦痛で方向をあげることもなく平然としている。そもそも苦痛を感じているのか分からない上に、感じていたところで顔が変化するのかもわからない。何一つ変わらない顔であおむけに倒れたまま、残った左足を使い未だ足の近くにいる俺の足を刈るように蹴ってきた。
その蹴りを躱すように大きく飛び退ると、タロスはゆっくりと立ち上がる。くの字にへし折れている右足に構うことなく立っているが、重心は不安定だ。俺はとりあえず周囲を確認し、遠くの地面に突き刺さっている大剣を見つけた。タロスが取りに行けないようにタロスと剣の二つをつなぐ線上で待ち構える。
タロスは千鳥足のように不格好で遅いながらも、はっきりとこちらに向かって走ってきた。俺を狙っているのか、剣を取りに行こうとしているのかはわからない。
スピードを落とさずに突っ込んでくるタロス。それに対して俺は、右足を前に強く踏みしめ、右肩と背中を相手に向けて体当たりを食らわせる。鉄山靠という技でタロスの動きは完全に止まり、つばぜり合いのような状態になった。
そこで、後ろの左足をタロスの足の間に滑り込ませ、体を回転させながら左ひじでタロスのみぞおち辺りを打ち抜く。回転運動の遠心力と、全体重ののった肘を相手めがけて斜め下に打ち下ろすような力が合わさった攻撃。裡門頂肘を喰らったタロスは、体重がはるかに劣る俺に力負けし、再びしりもちをついた。
右手と右足を前に出し、後ろの左足にやや体重を乗せ、手のひらは開いた構え――三体式の構えから、タロスの左足にむかって劈拳を繰り出す。劈とはすなわち切り裂くという意味だ。手の甲を地面に向けて上方から刃物で叩き斬るように裏拳を打ち下ろす。身動きの取れないタロスはその足ですべての衝撃を受け止めなければならなかった。
間髪を入れずに右足を更に半歩踏み込み、劈拳で出来たへこみに向かって崩拳を放つ。簡単に言ってしまえば中段突きだ。親指側が上の縦拳で殴るより突き通すような技は、極めればあまねく天下を打つとも言われる。その拳が当たった瞬間、確かな手ごたえを感じた。
左足もへし折れたタロスに馬乗りになりさらに追撃を加えようとすると、また悪寒が襲う。一旦大きく距離をとると、タロスは体を真っ赤にして高熱を発していた。
HPが三十パーセント以下になると使用してくるスキルで、こちらが近寄るだけで炎属性のダメージを喰らう。……つまりタロスの体力はもう三割を切っているという事だ。
「ハァ、ハァ……」
タロスの方を見るとその下半身はすでにボロボロでしっかりと立っていられないようだった。一方の俺も、一度もタロスの攻撃を喰らっていないのにも関わらず、こちらも疲労困憊だ。
もちろん攻撃を繰り出すことによって疲れているのは確かなのだが、まだ戦闘が始まってからそれほど時間がたっているわけではない。それだけではこんなに息が上がったりはしないだろう。……それならば理由は一つ。この殺し合いの中で、俺が精神的に追い詰められているということだ。
「フゥ~ッ」
思えば、たった一人でこんなに強い、死の危険が漂う強敵と戦うのは初めてかもしれない。この世界に来てからはいつも娘たちに守られてきた。……今も呼び出そうと思えば、一人はすぐにでも召喚できる。
だが、これは俺一人の戦いだ。いくらレベッカが娘たちの友人だからとはいえ、レベッカを助けると決めたのは俺自身だし、そんな大見得を切ってしまった以上は、俺一人で倒さなければならない。……俺にだってちっぽけだがプライドくらいある。
それに万が一娘たちを呼び出して勝っても、こちらの戦いをじっと見ているドミニクが納得しないだろう。どちらにせよ、このタロスは俺が一人で倒さねばならないのだ。そしてこの、命のやり取りに勝つことで、俺はもっと精神的に強くなれる。全く根拠はないがそう感じていた。
真っ赤に輝くタロスへのこれからの攻撃は、熱による火傷も覚悟しなければならないだろう。命をかけた死闘もクライマックスへ突入していた。




