七話
「すまねえな、戦う前に水を差しちまって」
ディアリスの南門から都市の外に出て、南東方向にあるパントの丘に向かって歩いていると、唐突にドミニクがそんなことを言ってきた。後ろから投げかけられた言葉に、振り向かずぶっきらぼうに答える。
「何がだ」
「ピエールのことだ。あいつは頭がいいし、組織のために従順なところはいいやつなんだが、少々強引すぎるところがあってな。レベッカの父親に父親にも無理やり金を貸していたみたいだしな」
「そう……なのか」
俺はレベッカの父親を知らないのでどう反応していいのか分からない。
「組織のためならどんなに汚いこともするのは長所でもあり短所でもある。組織のナンバーツーとしてはいいんだろうが、あいつはもっと重要なこと、任侠とか義理とかそういう大切なもんをなにもわかっちゃいねえ」
「……あんたも大変なんだな」
まあ、裏社会にも裏社会なりの掟があるのだろう。人が多くなると、ある程度の規律を作らなければ秩序を維持できなくて無法地帯になる。無法地帯にわざわざ住み続ける必要もないので住民は出ていくし、もちろん新しい住民など近寄って来ないのでほとんど誰もいなくなるだろう。
裏社会とはいっても社会なのだ。全員が好き勝手にやっていれば、そもそも裏社会なんてものも誕生しない。社会からはじかれた者たちが寄り集まっているのが裏社会であり、いくらスラム街とはいってもある程度の守らなければならない、人間としての義理があるのだろう。
アリシアほどではないのだろうが、やはりトップというのは大変なのだろう。他人事ながら、少しだけドミニクに同情した。
「さて、着いたな。そういや何も準備していないが大丈夫なのか?」
パントの丘のふもとで立ち止まると、特に何も装備していない俺を見て、ドミニクが少し心配そうな顔をして尋ねる。
「ああ、俺はいつでも戦えるように何も持たないんだよ」
まあ、嘘だが。外に出る時はいつもほとんど同じ装備だ。既に準備はできている。
「……なるほど。不意打ちされることも想定して、あえて武器も防具も使わずに戦うのか」
ドミニクは納得したようにうなずき、その場に留まって腕を組む。どうやらドミニクはここから俺の戦いを見届けるようだ。もし、俺が負けたらここでも危ないのに留まってくれるのは、俺を信じてくれているのだろうか。再びパントの丘の頂上に向かって歩き出した。
パントの丘は周囲より多少高くなっているだけのなだらかな丘である。丘の上にはぽつんと一本の木だけが生えているが、はっきりいってその他には何の見どころもないような丘だった。標高が高いわけでもないただのなだらかな丘で、むしろこの丘がなぜ名前を付けられているのか分からないほど何もないような丘だ。
王都の周りにはほかにもこんな丘は数多くあるが、ではなぜこのパントの丘だけに名前が付けられているのだろうか。その理由はやはりタロスのせいであろう。
タロス。その名前は『エイジオブドラゴン』の初心者にとってはトラウマとなるほどの名前だった。
『エイジオブドラゴン』のモンスターにはとある二つの区分があった。いわゆる雑魚モンスターとボスモンスターである。例を挙げてみると、イグニートドラゴンやエンペラーウルフは雑魚モンスターであり、タロスはボスモンスターである。
ボスモンスターと言ってもたいていは、そのフィールドやダンジョンの対象レベルではかなり手ごわいくらいのレベルのモンスターであった。もちろん周りのモンスターよりレベルが高い分、もらえる経験値は高く、ドロップアイテムも良いが、レベルの低いフィールドやダンジョンのボスモンスターよりはレベルの高いフィールドやダンジョンの雑魚モンスターの方が強いので、ボスを倒し続けるよりはもっとレベルの高いフィールドやダンジョンに行ったほうがいい。
では、ボスモンスターと雑魚モンスターは一体何が違うのか。一番大きな相違点は出現方法である。これはフィールドに生息するボスモンスターとダンジョンに生息するボスモンスターでも違う。
まず、ダンジョンのボスモンスターはたいていの場合、そのダンジョンの最深部に生息する。戦いたい場合はダンジョンの最深部に潜らなければならないが、逆に言えばそれだけで必ず戦うことが出来る。
一方、フィールドのボスモンスターは、とある条件を満たすことで出現する。その条件とはモンスターごとにさまざまだが、例えばあるモンスターを一定数以上倒す、特定の場所で特定のアイテムを使う、とある場所で一定時間立ち止まるなどである。
条件を満たしても必ず出現すると言うわけではなく自分の運も必要だが、逆に意図せずに条件を満たしてしまい、戦いたくもないのに襲われるという事もよくあることだった。
では、なぜタロスが悪名高きボスモンスターとなったのか。それはその出現条件と強さ、並びに感知能力とフィールドの特性。これらが絶妙にかみ合った結果だった。
パントの丘を含む、王都周辺の平原地帯の対象レベルはおよそ十以下である。この辺りは、ゲームを開始して一番初めに訪れる地域なので、対象レベルは敵が弱いことで有名なミゼリティ大陸の中でも最低クラスであった。
ゲームをスタートし、いわゆる“無職”の状態からレベル十にまであげ、ジョブについてレベル一に戻ってからまたレベル十まであげるまで、プレイヤーはこの周囲でゲームの基本を全て学ぶことになる。
しかし、かの悪名高きタロスのレベルは六十九。たいていのボスモンスターがそのフィールドの対象レベルよりかなり手強いくらいの強さなのに対して、このタロスの強さはは明らかに異常だ。この辺りを狩場にしている初心者が何百人束になってかかっても倒すことなどできない。もし出会ってしまったら、どうあがいても全滅する以外に方法のないほどの強敵だった。
その出現条件もまた簡単なものだった。パントの丘にある木の下に行くというもので、出現条件を満たした際の出現確率は百パーセント。つまり、パントの丘にある木の下に行くだけでタロスが必ず出現してしまい、襲い掛かってくるのである。
強さ以外にも恐れられるのは感知能力の高さだ。特に特殊な感知方法は使わず、タロスは視界のみでプレイヤーを発見して襲い掛かってくる。ここで問題になるのは、タロスの出現場所は丘の上であり見晴らしがよく、またこの辺りが平原で隠れる場所がないという点である。つまりタロスはかなり遠くのプレイヤーまで発見できるという事だ。
フィールドとしてはパントの丘は王都周辺の平原の一部にすぎず、独立したフィールドではない。つまり、簡単に言えばタロスはパントの丘から逃げても、王都周辺の平原ならどこまでも追ってくるのである。
もちろんタロスの情報を教えてくれるNPCもいたのだが、碌に話も聞かず情報収集もしないプレイヤーがそうとは知らずタロスを呼び出し全滅した挙句、近くにいたほかのプレイヤーもタロスに感知され全滅、そしてさらにほかのプレーヤーも感知されて……。
といったように王都周辺の初心者プレイヤーをタロスが一掃することもしばしば起こった。まさに初心者殺しのモンスターである。
開発陣はこのモンスターを作り出した理由として、情報収集の重要さを教えたかったと述べているが、初心者たちの心にトラウマという形でその思いは十分に伝わっているだろう。
「俺がこんなことを言うのもなんだけどよ、……死ぬなよ、レベッカのためにもな」
ドミニクが丘の上に向かって歩いている俺の背中にそんな言葉を投げかけてくる。やはりこの男は心根は悪くないのだろう。裏社会の頂点に立っているせいで、いろいろとしがらみはあるのだろうが……。
「……ああ」
後ろには振り返らず、肩越しに手を振って応えた。……もし、裏社会のボスじゃなかったら友達になれたかもしれないな。そんな下らないことを考えながら、死闘の舞台へとあがった。




