六話
「残念だが、裏の世界に関わるわけにはいかないな」
俺がそう言うと、ドミニクは目を細めて一瞬だけ敵意のようなものをこちらに向けたが、すぐに頭を振ってその気配を無くし、こちらに笑いかけてくる。
「くくく、俺の仲間にはならないってことか。まあ、残念だが仕方ねえな。……しかし、この俺が頼みを断られたのは久しぶりだ。理由を聞いてもいいか」
「俺には自分の命より大切な、守るべきものがある。俺一人ならともかく、その守るべきものたちを危険に晒すような仕事はできない」
それに、あの子たちに胸を張って言えないような仕事はしたくないからな。……まあ、今仕事なんかしてないけど。
「……なるほど。つまりお前には既に、俺の言う仲間みたいな大切な存在がいるということか。……もしかして、それが一週間前に一緒にいたっていう幼い少女たちか? さっき話題にしたとき殺気を込めた目でこっちを睨んできたからな」
あいかわらずニヤニヤとした笑みでドミニクはこっちを見てくる。再び娘たちのことを持ち出されて不機嫌になると、ドミニクは両手をあげて敵意のないことをアピールする。
「おっと、怒るなよ。俺は何もする気はねえ。お前の怒りなんぞ買いたくねえからな。だが、それなら仕方ねえな、残念ではあるが。……だが、それじゃあレベッカの借金はチャラにはならねえぜ」
そう言って、ドミニクはレベッカの方を見る。俺もつられてレベッカの方を見ると、右腕の肘のあたりを左手でつかみ、顔を下に向けてうつむいている。表情はうつむいており、なおかつ部屋が暗いのでわからない。だが、レベッカは今までにないほど小さく見えた。
「……もういいでしょ、早くその人を帰してあげて。その人の帰りを待っている子たちもいるんだから」
レベッカはうつむいたままで、呟くようにそう言った。声は小さく、心なしか震えていたような気もする。
「しかし、けなげなもんじゃねえか。あのレベッカ・マルセルが男をかばうなんてな。……まあ、そのけなげな様子なら新しい金づるもすぐ見つかるだろう。なあそうは思わないか?」
ドミニクは相変わらずのにやけ顔でこちらを見てきた。
「何が言いたい。……もしかして俺を脅しているのか?」
「いや、そうじゃねえよ。……だが、本当にこいつを手放していいのか? この首都ディアリスでもトップクラスの女を手に入れたのに、そう簡単に捨ててもいいのか?」
「手放す……? もとより手に入れたつもりはないな」
俺がそう言うと、ドミニクは一瞬何を言われたのかわからないような顔をしたが、すぐに大きな声をだして笑い出した。
「くくく、……なんだ俺はてっきりもうレベッカが誑し込んだんだとばかり思っていたが、まだそんな関係にはなってなかったのか」
ドミニクは何がおかしいのか腹を抱えて笑いが止まらないようだ。ひとしきり笑い終わると、レベッカに向かって笑いかける。レベッカは相変わらずうつむいていた。
「本当にどうしたんだレベッカ。まさかクリスと普通の少女らしく恋愛ごっこでもする気だったのか? ……だったら失敗だったな。さっさと誑し込むべきだったんだよ。そうすれば男は情が移って見捨てずらくなるっていうのに……。……いや、そんなことはお前の方がよく知っているか」
ドミニクが最後は呟くように言い終わると、部屋にはシーンとした静寂が訪れる。その静寂の中で呟くように言い放った俺の言葉は、思ったよりも大きく響き渡った。
「……だが、見捨てるつもりもない」
そう、もとより見捨てるつもりなどない。見捨てるにはあまりにも知りすぎてしまったし、なにより娘の友達を助けなかったらあの子たちに嫌われてしまうだろう。何があってもそれだけは避けなければならない。俺はレベッカを助けるために全力を尽くす義務があるのだ。
俺の言葉を聞いた途端、レベッカはびくりと震え、ドミニクは笑うのをやめて鋭く目を細める。さっきまでのニヤニヤとした笑みを消し、厳つい顔で凄んできた。
「へえ、どうするつもりだ。……まさか力ずくで奪うつもりか?」
その言葉を聞くと、今まで彫刻のように部屋の中に佇んでいた周りの手下たちが武器に手をかける。一斉に殺気を浴びせられ、少々居心地が悪い。
さすがにいくら広いとはいえ障害物もある室内で、しかも十人以上の武器を持った相手に、無傷で勝つと言うのは難しい。まあ、実際に戦えば多少ダメージを喰らうとはいえ、勝てるだろうが、レベッカを助けるとなるとそれは不可能に近い確率だった。
しかも、この部屋の中の敵だけを倒せばいいと言うわけではなく、最悪の場合ディアリスの裏社会そのものと戦わなくてはいけないかもしれない。
……どんなに栄えた国でも裏の社会は存在する。いや、光が強ければ強いほど影は濃くなるように、切っては切り離せないものなのだ。だったらできるだけ恨まれるようなことはないように、だが自らが取り込まれることもなくできるだけ関係を無くさなければならない。
「そうは言っていない。……要するにその一億ルコンを俺が用意すればいいんだろう?」
ドミニクはその言葉を聞くと凄むのをやめ、再びニヤニヤし始める。
「ハハハ、おもしれえ。だがどうやって返すつもりだ? 一億ルコンなんて大金、上質な魔石でも数百個は必要だ。全て返し終わる頃には一体何年後になってるだろうな。守るべきものがあるのにそんなに長い時間この女に構ってていいのか?」
もちろんアイテムポーチの中にはいろいろ高額で売れるアイテムがある。中の珍しいものを売るだけで十分一億ルコンくらいは稼げるだろう。だが、それだけではいけない。できるだけ円満に、なおかつこれ以後手を出されないようにこいつらと手を切らないといけないのである。
それには何が必要なのだろうか。それはやはり力である。手を出したらこっちも危ないと思わせるほどの力。だが、それをどうやって示すのか。
アイテムポーチの中のドラゴンの角でも渡せばいいのだろうか。だが、きちんと俺が倒したことを証明することができなければ何の意味もない。
「……あるいはドラゴンでも倒すか? それなら死体全部をくれれば一匹で済ませてやるよ、まあ倒せればの話だが。……もしくはあのタロスでもいいぜ」
ドミニクが俺の心を知ってか知らずか、そんな提案をしてきた。俺にとってはまさにおあつらえ向きの舞台だ。力を示すのに今以上に最適な時はないだろう。
ドミニクを見ると、口ではそう言ってはいるが、本当に俺がドラゴンやタロスを倒せるとは思っていないようだ。……だったら本当に倒してやろうじゃないか。
「……ああ、じゃあ今からタロスを倒そう。モンスターの死体を譲ればレベッカを解放するんだな?」
俺のその言葉に、ドミニクだけではなく部屋中が驚愕に包まれる。
「くくく、本気で言ってんのか。……おもしれえじゃねえか、いいだろう。タロスを倒したならレベッカの借金はチャラにしてやる。……ただし俺も見に行くぞ」
「クリス! 考え直して、あなたには大切な人たちが……」
レベッカが悲壮な表情で叫び、こちらに走って来ようとする。だが、ドミニクが立ち上がりそれを止め、俺から引きはがすように遠ざける。
「おっと、男の覚悟に水を差しちゃあいけねえな。……クリスに惚れたんだったら黙って無事に帰って来ることを祈ってな」
そう、これはきっと試練なのだ。裏社会から恨まれず、かつつながりをなくすための、または女王たちと同じく裏社会からも一目置かれ、不干渉を勝ち取るための、……あるいは男としての。ゆえに、娘たちに援軍を頼むわけにはいかず、また逃げ出すと言う選択肢もない。
「さて、そろそろ心の準備はできたか? ……クリス、俺はお前が気にいった、例え俺の仲間にならないとしてもな。もしお前が死んだとしてもレベッカは解放してやるよ。この俺が約束してやる、安心しな」
そう言ってドミニクはニヤリと笑いかけ、肩をたたいてくる。今まで裏社会のボスという事で、多少色眼鏡で見ていたのだが、本当は少しはいいやつなのかもしれない。
「ドミニク様! そんなことを本気で言っているのですか! その男が勝っても負けても我々に利益など……」
今まで沈黙を貫いていたピエール――俺たちをドミニクのもとまで案内した金髪の男――が初めて会った時のこちらを見下すような態度とは一転して、こちらを睨みながらドミニクに叫ぶ。
「うるせえぞピエール、これは俺が決めたことだ。レベッカの父親に金を借りさせるためにお前がいろいろやってたのは知ってるが、そこまでして回収したい金でもねえ。俺は漢としてクリスの生き様を気に入ったんだ。今は金のことなどどうでもいい」
「ですが……」
「しつこいぞピエール。……それとも俺に何か文句があるのか」
ドミニクは配下のピエール相手に今まで見たことのない様な顔で凄む。ピエールもそれを睨み返し二人の間に無言の火花が散っていたが、しばらくするとピエールは目を逸らし、渋々と言った様子で従った。だが、明らかに不満があると言った様子で、ふてくされた態度を隠そうともしない。
「じゃあ行くとするか。お前たちは俺が帰ってくるまで大人しくしてろよ」
準備のできたらしいドミニクは部屋にいる男たちににらみを利かせる。周りの男たちは傍目でもわかるほど震えあがっており、中には目を血走らせている者もいる。おそらく、誰かが何か騒ぎを起こそうものならその場で殺そうとしているのだろう。
……それだけ恐れられてるとは、ドミニクの影響力は裏社会において絶大のようだ。……少なくとも、未だドミニクやこちらを見ようともしないピエール以外には。
視線をドミニクからレベッカに移すと、レベッカは再びうつむいていた。レベッカを置いていくのは少々心配だが、今ドミニクがにらみを利かせていたし大丈夫だろう。それに連れて行くのは不可能だ。ただでさえ危険な敵相手に少しでも邪魔になる可能性をもったレベッカを連れて行くわけにはいかない。
ドミニクは一緒に来るらしいが、おそらく逃げ出さないように、ちゃんと倒したかどうか見張るつもりだろう。俺に手を貸すつもりはないだろうが、自分のことは自分でやるだろう。……まあ、ドミニクが万が一殺されてもまあ仕方がない。まずは自分の命が一番だ。
タロスの出現するのは王都のすぐ近く、パントの丘である。俺とドミニクは部屋を出てそのパントの丘まで歩き出した。




