三話
翌日、昼食を屋敷で食べてから玄関にある〈虚空の抜道〉でディアリス城まで移動した。いつも散策に行くときは午前中から出発して、昼食も大体外で食べるので、家で食べるのは初めてかもしれない。食事中もやはりレベッカは上の空で、ほとんど食事に手を付けていないようだった。
ディアリス城では、偶然廊下を歩いていたエレミアと出会った。
「こ、こんにちは。今日はどうしたんですか?」
エレミアに声をかけられたが、レベッカはそれに気が付いていないようで、下を向いたまますたすたと先に歩いて行ってしまう。
「今日は……、レベッカに一緒に街へ行こうって言われてね。なにか知らないけど最近レベッカの様子がおかしいし、一緒に行くことにしたんだ」
「二人っきりでですか? ……娘さんたちは?」
エレミアがいぶかしげに尋ねてくる。俺が娘たちを連れていないのは、それだけでおかしいのだろうか。少し疑問に思ったが、まあ今はそんなことはどうでもいいだろう。
「レベッカが二人でがいいって言ったからね。まあ、いつもはあの子たちといろいろ外出するんだけど、今回はレベッカがあの子たちといろいろ決めてたみたい」
「そう……、なんですか。やっぱり……」
エレミアは難しい顔をして考え込む。そんなことをしている間に、レベッカの影は小さくなっていた。
「それじゃ、またね」
そう言って返事も聞かず、レベッカの後を追って走り出した。
「まずは東地区で少し買い物がしたいわ」
そのレベッカの言葉に従って、東地区へ行ったものの、はっきり言って時間の無駄だった。レベッカは上の空のまま特に何を買うでもなく街中をぶらぶらしていた。二人の間に大した会話もなく、デートと言うよりふらふらと街を回遊するレベッカを俺が追いかけるような状況だった。
しばらく街を徘徊したあと、レベッカは東地区にある公園のような場所まで歩き、置いてあったベンチに座る。とりあえず俺もすることがないので隣に座る。公園には緑が多く、木々や花壇、芝生などが人々の憩いの場を作り出している。周りには家族連れやカップルと思わしき人たちもちらちらと見受けられる。
ここまでは全くデートと呼べるものではないのだが、これからはどうするのだろうか。少し喉が渇いたので出店で売っている飲み物を買ってきたいのだが、今のレベッカを一人にするとふらふらとどこかへ行ってしまいそうなので目を離すことが出来ない。すると、目の前の虚空を眺めていたレベッカが何か意を決意したような真剣な表情でこちらを見てきた。
「……よし、決めた。今から一緒に南地区に行って欲しいのだけど、……いいかしら」
「……南地区? そういえば昨日もそんなことを言っていたが、南地区になにかあるのか?」
「……帰ったら話すから、今は何も言わないでついて来てくれないかしら」
レベッカは目を伏せ、不安に怯えた様な表情でこちらを見ている。こんなに自信のないレベッカは初めて見たほどだった。
「……分かったよ。はやく案内してくれ」
「……ありがとう」
レベッカはそう言うと、さっきまでのふらふらとした足取りとは異なり、ゆっくりとした、しかし一歩ずつ確実に地面を踏みしめて歩き出した。
レベッカに連れられてやってきたのは、南地区のとある一画だった。そのあたりは、人の影があまりない南地区の中でも特に人の気配がなく、ボロボロの家々だけがごちゃごちゃと存在しているのが、逆に廃墟のようで気味が悪い。よく見ればかすかに一部の家からは人の息遣いが聞こえてくるが、真昼なのに静まり返っているこの辺りは、まるで街そのものが死んでいるようだ。
「……お願いがあるのだけど。あの家の中に誰かいるか見て来てくれないかしら」
レベッカがそう言って指さしたのは、そのボロボロの家々の中でも比較的大きく、きれい――あくまで周りと比較すればの話だが――な一軒家だった。元々は土できれいに塗られていたと思わしき壁はところどころ剥がれ落ち、中の骨組みがむき出しになっているが、家のつくり自体はしっかりしている。少なくとも周りの、壁どころか中の骨組みしか残っていないような家々とは建物自体が違うように見えた。
「え、俺が行くのか? 中に入って?」
あの家々の中では一番まともだろうが、できればあんな家の中には入りたくはない。昼間だからまだましだが、こんなところ夜に来たら間違いなく心霊スポットだろう。……というかそもそも勝手に入っていいのだろうか。
「……お願いできないかしら」
レベッカがすがるような目で見つめてくる。彼女がこんなにも余裕がない様子なのは初めてだった。……そんな目で見られたら嫌だとは言いづらい。
「……はぁ、分かったよ。じゃあ行ってくる」
そう言って恐る恐るその家に近づいていった。近くで見ると周りの家々との違いがよくわかる。建物は二階建てになっていて、周りの建物と建物のつくり自体は変わらないが、そこまで遠くない昔にリフォームをしてあるような感じだ。
「こんにちわ~」
家の中には俺の声がむなしく響き渡るだけで何の反応もない。とりあえず玄関と思わしき場所から扉を開け中に入ると、埃っぽい空気が俺を襲う。家の中は何の音もせず静まり返っており、空気は淀んで何の動きもない。まるでこの家そのものが死んでいるようだ。
「すいませ~ん」
今度は幾分声の大きさを下げ、囁くように言うがやはり何の反応もない。奥に進もうとして歩き出すと靴で地面を踏む音だけが響き渡る。部屋を一つ一つ見ていくが、どの部屋も生活感というものがなく、ほこりが降り積もっている。この家には誰もいないのではないか、そう思いかけた時、部屋の片隅で何かが動く物音がした。
「っ!」
動きを止め、息を殺し、じっと物音がした方をじっと見つめる。
「……」
しかし、何も出てこないし物音もしなくなった。息も止めているので、家の中にはまた静寂だけが響き渡っている。
「……?」
気のせいだったのかと思い始めたころ、物陰から何かが飛び出してきた。
「ッ!……なんだネズミか」
それは灰色のそこそこ大きいネズミだった。俺の前を走り抜け、部屋の反対側まで横断し、物陰に隠れて見えなくなった。ネズミがいた部屋になど長居したくないので、さっさとその部屋を出て、他の部屋に向かう。
「……誰もいないな」
家中を探すも、そこに人が住んでいる形跡はない。どの部屋にもほこりが降り積もり、人が生活しているような雰囲気は感じられなかった。
「この部屋で最後か」
その部屋の扉を開けると、目に飛び込んできたのはボロボロのベッドだった。それ以外にはその部屋にはなにもなく、部屋自体の大きさもこの家で一番小さい。
ぽつんとベッドだけが残っているその部屋は、ある意味異様だった。そのベッドは今でもきちんと掛布団がかけられていて、気のせいか膨らんでいるように見える。
「……これも調べるのか?」
そのつぶやきがやけに大きく響き渡る。できれば布団にも触りたくない。が、一応調べなければならないだろう。
「ふぅ~」
軽く息を吐きながら恐る恐るベッドに近づき、ボロボロの布団の端を掴む。一瞬の間のあと、一気にめくり上げた。
「っ!」
そこにあったのは、汚らしいぬいぐるみであった。なんだかよくわからないが、茶色の動物のようなものをかたどったぬいぐるみは、布団をめくり上げた俺を見つめている。気味が悪くなったのですぐに布団をかけ、その部屋を出る。
「……よし、もう終わりだな」
全ての部屋を探し終えた以上、こんな家には用はないので急いで外に出た。急いでいたので二回ほど躓いて転びそうになったが、ほこりまみれになりたくはないので何とか踏ん張って耐える。
家から出ると、レベッカがこちらを見て複雑な顔をしている。レベッカの方へ歩いていくと、彼女の方から話しかけてきた。
「……それで、誰かいたかしら?」
「いや、誰もいなかった。というか人が住んでる形跡がなかったよ」
「……住んでない」
俺の言葉を聞くと、レベッカは泣きそうな表情をして考え込んでいたが、しばらくすると頭を振り、何か吹っ切れたような笑みを見せる。
「……そう、ありがとう。私の用はもう終わったわ。これからデートの続きでもしましょうか」
そう言うレベッカの様子は、初めて会った時と変わらない様子だった。まだ目に涙をかすかに貯めているが、さっきまでのどこか悲しげな雰囲気はどこにもない。もしかしたら、まだ空元気なのかもしれないが、彼女が笑ってくれたことに喜びを感じるのだった。
レベッカが本調子になったことを心の中で安堵していると、どこからともなく不愉快な声が聞こえてくる。
「これはこれは、誰かと思えばあのレベッカ・マルセル嬢じゃありませんか」
こちらに向かってチンピラにしか見えない三人組が近づいてきた。声を出しているのは真ん中の、人を見下したような視線をこちらに向ける金髪の男だ。その両側には黒い短髪で大柄な肥満体の男と、背が低い茶髪の男が付き従っている。レベッカはその男を見ると、それまで浮かべていた笑顔が消え、顔から表情というものを無くしてしまった。
「それでディアリスの黒い蝶ともあろう方がこんなところで何を……」
そう言って首を横に向け、俺がさっきまで中にいた家を見て、鼻で笑ってから嫌味ったらしい口調で語りかけてくる。
「……ああ、父親の見舞いにでも来たんですか? あなたを売った父親のことを。……でも残念でしたねえ、あの馬鹿な男は一年前に病で死んでしまったんですよ。……全く残念なことにね」
「……それでまだ私に何か用なの? 借金ならすべて返したでしょう。もう私とあなたたちは関係ないはずよ」
レベッカはそう言い放つと、俺の腕を引っ張りこの場所から去ろうとする。しかし、金髪の男は行く手を遮るように前に立ち、薄ら笑いを浮かべながらこちらを見る。
「それがまだあるんですよねえ、……借金が」
レベッカは言っていることが理解できないというような表情で、金髪の男を睨み付ける。
「……私が売られた時の五千万ルコンはもう返したでしょう。それ以上まだなにがあるっていうのかしら」
レベッカが怒りを秘めた様な口調でそう言い放つ。
「ええ、その時の借金五千万ルコンは返済してありますね。……ですが」
そこで金髪の男は一旦言葉を切り、勝ち誇ったような顔を浮かべた。
「実はあなたの父親がその後も我々に借金をしましてねえ、その総額がおよそ八千万ルコン、利子をつけて今現在は一億ルコンほどなんですよ」
金髪の男が嘲笑を浮かべてこちらを見てくる。何の話をしているのかはわからないが、とりあえず見ているだけでぶん殴りたくなるような顔だ。
「そんな……、一億ルコンなんて……」
反対にレベッカは顔から血の気が引き、顔色を真っ白にしている。
「あの馬鹿な男は、残念ながら一年前に死んでしまいましたが、それでもいい金づるになりそうで安心しましたよ。……それで、どうやって返すつもりですか? まあ、またうちで働けばあなたならすぐに返せますよ」
レベッカは唇をかみしめて下を向いている。さっきまでの笑顔がかけらもなく、涙を必死にこらえているようにも見える。
俺は、俺を無視して勝手に進んでいく状況に少々イラついていた。……レベッカが笑顔を見せたのに、また泣き顔になっているのも少しは関係しているかもしれない。
「なんだかよく分からないが、俺を無視していきなり何の話をしているんだ」
威圧感を込めて、未だにレベッカを嘲笑している金髪の男を睨み付けると、その男は一瞬怯み、そのあと不快感を隠さずに睨み返してきた。
「私たちの会話に事情も知らない部外者が勝手に入って来ないでほしいんですがねえ、……と言いたいところですが実は、ボスがあなたに話があるそうなんですよ。できれば一緒に来てほしいんですが、……怪我をしたくなければ」
そう言って、後ろの大柄の男と小柄な男がそれぞれ武器を抜く。大柄な男は青竜刀を、小柄な男は短剣を二本逆手に持っている。……もしかして、脅しているつもりなんだろうか。
相手の強さに関して詳しいことは分からないが、少なくともクロード・ビュリダンやジルベール・バタイユより弱いのは確かだろう。なんというか彼らには俺でも感じられるような殺気とか威圧感とか、そういうものを持っていたがこの目の前の二人からは何も感じられない。
……まあ、そういうのを隠すのが上手いんだったら見誤っていることになるが。
「なっ! この人は関係無いでしょ!」
今まで下を向き、唇をかみしめていたレベッカが顔を跳ね上げ、今まで見せたことがないほどの怒り――もはや憎しみと言ってもいい様な――の表情で金髪の男を睨み付ける。
「まあ、そうなんですが。私が言われたのは、レベッカ・マルセルに借金のことを伝えることと、……一週間前あなたが逃げ出した日にあなたと一緒にいたローブ姿の男を探せという命令だけなのでね。あなたに何の用があるのかは私も知りません。……それで一緒に来てくれますか?」
一週間前の事を知られているなら、娘たちのことも外見位は知られているだろう。……俺とは違って目立つ子たちだからな。まあ、この程度の奴らにあの子たちがやられるとは思えないが、……万が一という事もある。……場合によっては組織ごと皆殺しにする覚悟も決めなければならないだろう。
「……ふん、まあいいだろう」
「クリス!」
レベッカが悲痛な表情で叫ぶ。俺のことを本当に心配してくれているようで、少し心苦しいような思いがあるが、それ以上に娘たち以外にこんなに自分のことを心配してくれている人がいる事に嬉しさを感じる。
「ふふふ、ありがとうございます。これで私もどやされずにすみますよ。それじゃあこちらです。道案内をしますのでついて来てください」
そう言って金髪の男は歩き出した。手下の男たちは後ろでこちらを急かすように威圧してくる。とりあえず、そのボスとやらのところに行ってから考えようと思い、戸惑うレベッカの腕を引いて歩き出した。




