プロローグ
アリシアとエレミアとクラウディア。三人の親子が夜のお茶会を開いていた。場所はクラウディアの寝室で、その部屋には他にノエルもクロエもおらず、正真正銘の三人のお茶会だ。クリスとのお茶会が終わった後、三人でまた夜に集まろうと、クラウディアが提案したのである。
「……はぁ」
三人の中でエレミアだけがどんよりとした空気を放っている。その様子を、アリシアはどうすればいいのか分からない苦笑いの表情で、クラウディアは微笑ましいものを見るようなかすかな笑みで眺めている。エレミアは二人に見られていることにも気がつかず、ただ自分の情けなさに嫌気がさしていた。
「これは重症かもしれないな」
アリシアの呟きもエレミアの耳には全く聞こえていない。
その理由はクリスと仲良くなれなかったからである。運よく意中の相手の理想の女性を聞くことができた――とエレミアは思っているが、実際には娘の恋する目線を感じたクラウディアが気をまわしてクリスに尋ねた――のだが、その理想の女性が自分とは正反対の包容力のある女性と言うものであった。どうすれば包容力が生まれるのだろうか、そもそも包容力とは何なんだろうか。考えれば考えるほど答えが遠くなっていく気がする。エレミアはそう思った。
「そうね、でもいきなりあんな難しそうなところに行かなくても」
アリシアとクラウディア、二人の会話は全く秘めてはいない声の大きさだが、エレミアには聞こえておらず、実質的に二人の内緒話であった。
エレミアはとりあえず、クリスは娘を大切にしていることが分かったので、先ほどは仲良くなろうと娘たちの輪の中に入って行った――これも、クラウディアが気をまわして娘たちを呼んでくれた――のだが、一向に仲良くなれなかった。
一緒に輪に入ったクラウディアは、すぐに娘たちと仲良くなり、話も弾んでいたのだが、エレミアはどうにか話しかけるのだが話が弾まず、続かなかった。エレミアは必ず仲良くならなくてはいけないと思い込み、完全に空回りしてしまっていた。
「まあ、恋なんて考えて好きになるものじゃないんだろうね。落ちるものだと言うし……」
エレミアがふと冷静になって、アリシアとクラウディア、二人の会話を聞いたら真っ赤になって怒り出すような内容だが、もちろん全く耳には入っていない。
そもそもエレミアには友達と言えるような存在が少ない。もちろん王族と言う特殊な事情も存在するのだが、なにより自身の内気な性格も災いしていた。それを考えれば、はじめて会った人に話しかけただけでも珍しいことで、それがエレミア自身の本気度を表している。
エレミアがお礼を言うためとはいえ一人きりでクリスに話しかけたことは、それだけで何か特別な気持ちをクリスに持っている、と周りに思わせるくらいには珍しいことなのであった。しかし、エレミアはその思いを完全に秘めていると自分では思っており、なんとなく恥ずかしいので誰にも相談できず、悶々としているのであった。
「あなたもそうなのかしら?」
クラウディアがアリシアに向かって意地の悪そうな笑みを浮かべる。その顔は母親というよりも、友達と恋愛の話をする少女のようだった。
だが、何よりもエレミアの心の中を乱しているのは、レベッカという女性だった。クリス曰く今日初めて会ったそうだが、自分よりもずっと仲がよさそうだった。奥手な自分と違い、ボディタッチが多いなど押しが強く、どんどんアタックしていくからかもしれない。
……だが、自分にはそんなことどうやってもできそうにない。自分よりはるかに女として魅力的な顔や肢体をしていて、クリスの嗜好とも一致しているレベッカに勝っている点などない。
「……何のことか分からないな」
アリシアはあらぬ方向を向き、ポツリとつぶやく。クラウディアはそんなアリシアの態度を見てくすくすと笑っている。
それだけならまだしも、エレミアはレベッカがクリスの娘たちととても仲が良かったことに焦りを感じていた。彼女は今日初めて出会ったはずなのに、娘たちと友人や姉妹の様に接し、クリスともよく話している。エレミア自身は娘たちと仲良くなれなかったのに、レベッカは友達同士のように仲良くなっており、それはつまりクリスの理想の女性である、娘たちを受け入れてくれるような心の広い女性であるということだろう。
妖艶な美しさをもつレベッカに対して、外見だけではなく内面も負けているのではないか。今はまだクリスのほうがやや引いている状態だが、彼がレベッカのアタックを受け入れたら一気に仲が深まるだろう。そんなことをエレミアは考え、自己嫌悪に陥っていた。エレミアはそんな女性として完璧なレベッカ――少なくともエレミアはそう思っている――に嫉妬と、多少のあこがれを抱いていた。
「ふふふ、ま、そういうことにしておいてあげましょうか」
クラウディアがいたずらっぽい表情でそう呟く。その顔はアリシアがクリスをからかうときの表情とそっくりだった。
「……でも、あの子たちは少し危ういかもね」
上品なしぐさでカップを口に運び、紅茶を飲んでからクラウディアはポツリとつぶやいた。
「危うい?」
アリシアは理解が出来ないように繰り返す。エレミアは自己嫌悪で話を聞いていなかった。
「あの可愛らしい娘さんたちのことよ。……なんていうか、あまりに純粋すぎる気がするわ。まるで透き通った水晶玉みたい。その水晶たちが全てクリスさんを映している。……彼女たちにとっては多分クリスさんが唯一無二の存在なんでしょうね。でも、……もしクリスさんがいなくなったら彼女たちはどうするのかしらね」
「そう……かもしれないな」
アリシアはクリスを除けば、一番彼女たちを知っている。例えば、彼女たちが自動人形だという事、神のごとき力を持っている事、そして千一人がいる事。そのアリシアでも、クリスがいなくなったとしたら、彼女たちがどうするのか想像もつかない。
「そう言う意味ではレベッカさんの存在は大きいかもしれないわね。あの子たちもかなり会話が弾んでたみたいだし」
レベッカと言う名前にエレミアがびくりと反応する。その姿は何かに怯えている小動物のようだ。そんな娘の姿を見て、あまりにレベッカと勝負になっていないと考えたのか、クラウディアはエレミアにアドバイスをする。
「はぁ、まったくこの子は……。そうね、私からあの子たちと仲良くするアドバイスをあげるわ。まず、一つは嘘をつかないこと。あの子たちは純粋な分、純粋じゃないこと――例えば嘘なんかにとても敏感だわ。もう一つは、これも一つ目に関係するんだけど、純粋に友達になろうとすること。クリスさんとお近づきになりたいから、あの子たちと仲良くする。そんなことでは絶対に仲良くなれないわよ」
「わ、私は……」
エレミアはいきなり心中を見透かされたようで驚き、反応をすることが出来ない。ずっと心の奥に秘めていたはずなのになぜ知っているのか。エレミアは理解できなかった。
「今更そんなことをごまかさなくていいわよ。クリスさんのことが好きだってことくらい、お姉ちゃんだって知ってるんだから」
「あはは……」
真っ赤な顔をしてエレミアはアリシアの方を向くが、アリシアは苦笑するだけだ。心の中に秘めていたと疑わなかった思いが周りにバレバレだったことに、エレミアはさらに顔を真っ赤にする。しばらくの間、恥ずかしさから顔を上げることが出来なかった。
「この子も、あの子たちにとってレベッカさんみたいな存在になれるといいんだけどね……」
クラウディアが誰に言うでもなく呟いた言葉は、声が小さすぎて誰の耳にも届かなかった。
三人での夜のお茶会が終わり、寝室で一人になってようやく落ち着いたエレミアが、先ほどお茶会の終わり際に母クラウディアに言われたことを思い出していた。
とにかく自分の心の中まですべてをさらしてぶつかっていくことね。あの子たちならそうすれば、あなたのいい友達になってくれるわ。
「友達……」
いままで碌に友達と呼べる存在がおらず、姉や母、あとはせいぜい親衛隊の人たちとしか会話をしていなかったエレミアは、友達と言うものがどういうものなのかもよくわからない。だが、改めてクリスとアリシアやレベッカとの会話を思い出すと、自分に足りないものが浮かび上がってくるような気がした。
私みたいな人見知りがいきなり恋する相手と親密に話ができるわけがない。だから、友達を作ってとにかく話すことに慣れなきゃいけない。とにかく、今はクリスさんの事も、レベッカさんの事も忘れて、娘さんたちと友達になるんだ。エレミアはそう思い、決意を新たにした。




