エピローグ
「ふぅ、……大きなお風呂ねえ。景色も最高だし、もう言う事がないって感じね」
髪を結いあげ、レベッカは浴場の大きな浴槽に入っている。もちろん一糸纏わぬ彼女の肢体はただでさえ豊満で妖艶な雰囲気を放っているが、周りにいる未熟な少女たちとの対比でさらにその官能的な肉体が際立っている。少なくとも隣にいるイヴにはそう感じられた。
「ねえ、クリスもこのお風呂に入りに来るの?」
レベッカが隣に来ているイヴに尋ねる。その目線の動きや体の動き、一つ一つに隠し切れない色気と男を誘うような媚態が含まれている。この色気でお父様をたぶらかしたのだろうか。イヴはそう思い、自然とレベッカを見る目線も鋭くなる。
「……いつもは散策から返ってくるとすぐに入ります。だからこの時間は大体混んでいます」
最初のころは皆入浴する時間はバラバラだったが、大体いつもこの時間帯にクリスが散策から帰って来てお風呂に入るので、一緒に入ろうとしてこの時間は込み合うことが多い。現に今もかなり混んでいて百人以上が浴場の中にいた。
「そうなの、……今日は来ないのかしら?」
残念そうに言うレベッカを、イヴは呆れた様な目で見る。
「……あなたがいるせいだと思いますが」
「別に恥ずかしがらなくてもいいのにね」
どこか子供っぽくそう言うレベッカを、イヴはさらに冷たい目で見る。
「……あなたがそれを言いますか」
それっきり沈黙が訪れる。その場では二人の中で何か目に見えないコンタクトがあったのかもしれないが、それは二人の間でしかわからないものである。二人の間には、浴場にいる他の少女たちの黄色い声がBGMとして流れていた。
「……私たちが何なのか聞かないんですか」
どこか遠くの方の景色を見ながらイヴが唐突にそんなことを言う。そう、この浴場にいるだけで百人以上、どう考えてもただの娘たちではない。
「聞いてほしいの?」
レベッカは少しけだるげにイヴのほうを見る。ここにはクリスがいないのに、あくまで自然体にそんな色気を出していることが少々イヴの癪に障る。まるで年中発情した猫のようだ、そうイヴは思った。
「……はぁ、よくわからないやつらと一緒に生活をするなんて怖くはないんですか?」
「あなたは、いやあなたたちはクリスの娘なんでしょう? だったらつまり私の娘でもあるでしょう。……私、大家族にあこがれてたのよね、おしゃべりも大好きだし。ここなら話し相手に困ることはなさそうね」
イヴはまるで自分の狭量さを見せつけられているようで恥ずかしくなった。今まで父親との平穏な生活を脅かす敵だと思っていたこの女が、突然自分たちのことを何の躊躇もなく受け入れたのである。
もしかしたら私が思っているよりも器が大きいのかもしれない。そう思うとイヴは少しだけ仲良くなれそうな気もした。
「誰があなたの娘ですか……」
疲れた様な表情でイヴは言う。もしかしてお父様もこの強引さに負けて連れてきただけで、たぶらかされてはいないんじゃないか。そうイヴは思った。
「でも、それでこそ落としたくなっちゃうわ。あなたが落ちたらどんな声で甘えて来てくれるのかしら? ママとか呼んでくれるのかしら?」
唇を舐め妖艶な微笑みを浮かべるレベッカの言葉に強烈な悪寒を感じ、イヴは自分に言い聞かせるように否定する。
「絶っっっっっっっ対、そんなことはあり得ませんから!」
その声は浴場中に響き渡った。周りの少女たちは一瞬驚いたようであったが、二人を見るとどこか微笑ましいような目で見つめる。二人の姿は髪の色が同じこともあって、どこか姉妹のようにも見え、姉がからかい、妹がそれに噛みつくという姉妹喧嘩を楽しんでいるようにも見えた。
一時間後、レベッカの姿は食堂の調理場にあった。
「私、料理とかしたことないのよね」
不安そうな顔でレベッカがそう告げる。その手には天井へ向かって切っ先が向けられている包丁が握られていた。
「まあ、今日作るのはそんなに難しくないものにしましょうか」
ユングヴィが苦笑いの表情を浮かべながらそんなレベッカを心配そうな目で見ている。
「と、とりあえず野菜の皮をむいてくれるかな」
アッタルが持っていたじゃがいもと玉ねぎをレベッカに渡す。その間に他の料理を作るため、そしてなにより危なっかしくて見ていられないため、アッタルはほかの少女にレベッカを任せて調理場の奥に行ってしまった。
レベッカはそれらの野菜を受け取り、まずはじゃがいもから剝こうとして手に持った。そのまま、鉛筆をカッターで削るように、じゃがいもの皮をそぎ落としていく。
「ちょ、ちょっと待って。じゃがいもの皮はそう剝くんじゃないから……」
キアンがレベッカの持っていたじゃがいもと包丁を受け取り、じゃがいもを回転させながら剝く普通の皮の剝き方を実践した。
「……上手ね」
キアンの手本を見たレベッカはただそれだけ呟く。純粋にそれほど技量がかけ離れていた。だが、今は遠くてもいつか必ずたどり着いて見せる。そう思い、レベッカは見様見真似でじゃがいもの皮むきを始めた。
三分後、とりあえず一個のじゃがいもの皮むきは成功したものの、皮と一緒に大量の可食部分もそぎ落とされており、じゃがいもそのものがとても小さくいびつな形になってしまった。
「はぁ……、私って料理の才能がないのかしら」
レベッカは先ほどの決意がもうすでに揺らいでいた。こんな立派な屋敷に住まわせてもらって、食べさせてもらうんだから食事の用意位はしようと思っていたんだが、いきなり挫折を味わっていた。
「まあ、包丁を持ったこともない人に、いきなりじゃがいもの皮むきをやらせるのは難易度が高かったかもね……」
ヴァルナがレベッカにどうにか苦しいフォローを入れようとすると、トートもそれに追従する。
「今度は玉ねぎを切ってみなよ。じゃがいもと違って玉ねぎは皮をむくのが簡単だから。上と下を切って茶色の皮がなくなるところまで皮をむくんだ」
レベッカは玉ねぎを手に取り、危なっかしい手つきで包丁を構える。そのまま手を添えずに包丁を丸い玉ねぎに押し付け、下に押すように玉ねぎを切ろうとしたので慌ててミーミルが止める。
「ちょ、ちょっと待って! ……物を切るときは必ずもう片方の手で切るものを抑えるんだよ。それから包丁は押し付けるように切るんじゃなくて、引くように切るんだよ」
「でも、その手が危なくないかしら?」
レベッカは自分の何が間違っていたのかよく分かっていない様子だった。
「……これは教えるのが大変そうですね」
ミディールが眉間にしわを寄せながらポツリとそう呟いた。
とりあえず、何とか玉ねぎの皮を剝き終わったレベッカであったが、また新たな問題が発生していた。
「こ、これ、目がしみるんだけど……」
手に包丁を持ちながら、レベッカは目をこすっている。
「き、危険だからはやくその刃物を下ろせ」
ミトラがそう言うも、目に意識が集中しているレベッカには聞こえず、三分ほど経ってレベッカの目が痛くなくなるまで包丁の先を天井に向けて握り続けていた。
「じゃあ次はそのじゃがいもと玉ねぎを炒めることだね」
オルクスがそう言うと、レベッカはフライパンに油を入れ、火晶石を作動させた。……だんだん行動が速くなっているような気がしないでもない。
「……熱っ! 」
玉ねぎの水分に反応したのか、油が跳ねてレベッカに当たってしまったらしい。油が跳ねたところを、水晶石で水を生み出して流水で冷やした。
「……やっぱり私って料理に向いてないんじゃないかな」
レベッカの精神は完全に折れていた。それ励ますため、シルヴァヌスが何とかモチベーションを上げようと考え、とあるアイデアを思いついた。
「あの、お父さんもきっとレベッカさんの料理を食べてみたいと思っています。だから諦めないでください」
「……ふふふ、あなたたちに励まされるとはね。せっかくここまで作ったんだし、最後までやってみることにするわ」
そう言ってレベッカは鍋のもとへ行った。既に鍋の中には、ほかの具材と水が入れられ、後は調味料で味をつけて煮込むだけであった。
「いいですか、調味料はちゃんと量ってから入れるんですよ」
ウラノスの忠告を受け入れ、レベッカはきちんと分量を量ってから入れる。あとは完成するまで待つだけであった。
「あはははは! ファイヤー!」
「こっちも負けないよー」
調理場の端では、ホルスとアポロンが調理器具で遊んでいるようにみえるが、あれでも一応食事を作っているのである。ホルスが手に持つフライパンからは火柱が立ち上がり、アポロンは包丁を両手に持って具材を切り刻んでいる。無駄な行動を多分に含んでいるが、少なくともレベッカの作るスピードよりははるかに速かった。
鍋の中では肉じゃがが完成し、レベッカはそのままドサッとお皿に乗せようとしたが、メルクリウスはそれを静止し、盛り付けにもこだわるようであった。
「きれいに盛り付けて、肉じゃがの完成~」
料理というものはレベッカが今までやったことのないことばかりで、覚えるのもいろいろ大変だったが、彼女はそれ以上に充実感と言うものを覚えていた。
「さて、じゃあこれを持っていってください」
イヴのその言葉に背を押され、レベッカは人生で一番緊張しながらクリスのもとへ自分の作った肉じゃがを持っていくのだった。




