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七話

 今日は午前中から首都ディアリスに行く予定だ。アリシアから午後のお茶会に誘われていたので、ついでに散策の行き先をディアリスにした。一人でディアリスに向かってから、三十分かけて娘たちを《コーリング》で呼び出し、街を一緒に見て回る予定だ。


 まずは【テレポート/転移】の魔法で都市の門前まで一瞬で移動する。一度このディアリスに来たので、【テレポート/転移】の魔法で転移することが可能になっていた。


 目を開くと目の前にはどこまで続いているのか分からないほどの大きな壁。ディアリスの周囲を廻っている石造りの城壁だ。あまりの城壁の大きさに、思わず真上まで見上げていた視線を下に向けると、壁に比べてやや小さい門の前には二人の門番がいる。いきなりあらわれた若草色のローブ姿の男に門番たちは驚いたようであったが、すぐに自分の職務を全うしようとする。


「おい! そこのローブ姿のやつ! 中に入りたいなら顔を見せろ!」


 門番二人のうち若く見える方が誰何の声を発する。その声には警戒感がにじみ出ている。頭までフードで隠したどう見ても怪しい人がいきなりあらわれたら警戒するのは当然だろう。

 言われた通りにフードを下ろし、笑顔を見せてできるだけ警戒感を解こうとする。だが、依然として二人の表情は硬いままだ。今すぐにでも戦えるように重心を低く、持っている槍を握りしめている。


「えーと、怪しいものではないですよ。……これを見てもらえれば」


 一応こんな時のためにもらっておいた、身分を証明するための紋章のようなものが描かれた板のようなものを見せる。紋章には赤い鳥と黒い竜が剣を挟んで相対しているデザインで、お互いが向かい合って憎しみ合っているようにも認め合っているようにも見える。

 この紋章はアリシアからもらったもので、金属でできており厚さも重さもそれほどでもなく、およそ手のひらに乗るサイズである。よくわからないがとりあえず何か問題があったらこれを見せればいい、これを見ても何も気にしない場合はその者たちは賊や裏の稼業に携わる者たちだから多少手荒に扱っても構わないと言われたのでかなり重要なものらしい。


「これは……! 失礼いたしました、女王陛下のお知り合いの方だったのですね。どうぞお入りください」


 門番二人のうち先輩らしく見える方が、その紋章を目にした途端恭しく礼をしてくる。若く見える方はなんだかよく分かっていないような顔をしているが、先輩らしき方が頭を下げているので、自分も下げるべきかといったような様子で少し遅れて礼をする。


「いえ……。お仕事ご苦労様です」


 フードをかぶり直し、門番たちに会釈しながら大きな門から都市の中に入った。背後で、だがここからでよかったのか、などと言う声が聞こえたが何のことかよくわからなかったのでわざわざ尋ねることはしなかった。



「えーと、ここは……」


 今入ったのは南門なのでこの辺りは南の地区のはずである。ディアリスは上空から見ると円状になっている都市で、中央に王城がある。

 『エイジオブドラゴン』、つまり七百年後では首都セント・アリスという名前の都市で、北部と西部が住宅街、東部が商業地区、南部が宿場や酒場中心になっていたが、ここではどうなっているのだろうか。ディアリスのことは一回空からも見たのだが、あの時はそれどころではなく碌に街の風景など見ていなかった。


 門から入って街を見た限りでは、街は灰色が多くて埃っぽく、人影もまばらでどこか閑散としており、活気がないように見える。街の中央へと続く道の左右にはそれなりにきれいな建物が並んでいるが、一歩脇道に入ればところどころにゴミが転がっていたり、手入れがされていない廃墟のような建物がちらほらと見える。街にいる人もどこか獲物を付け狙う獣のような眼をしているのは気のせいではないだろう。お世辞にもここはあまり治安がよさそうには見えない。


「もしかして、ここはスラム街ってやつか……?」


 どちらにせよ、あまり長居はしたくないような街だ。ここであの子たちを呼び出すのはいろいろと危険そうな気がするから、一人でとりあえず東の地区まで行ってみよう、ここでも商業地区があるかどうかは分からないが。


 そう思って街の中央へと続く道を歩き出す。南地区から最短距離で東地区へ行くのではなく、一旦城まで行ってまた東へ向かうのは面倒だが、変な脇道に入って危険な目に合うよりは、多少面倒でも安全そうな大きな道を選んだほうがいいだろう。



「おい、あんた見ねえ顔だな。怪我したくなかったらその女をこっちによこしな」


 安全そうな大通りを進んでいたが結局ガラの悪い男たちにからまれてしまった。正確にはよくわからない女に盾にされていると言った方が正しいだろうか。


「ねえ、お願い。助けてくれない? お礼は後でたっぷりするから」


 近くの路地から飛び出してきたその女は俺の背中に隠れながら俺に向かって媚びるように囁く。いかにも夜の商売をしているという雰囲気のその女は目が覚めるほどの美しさだがどこか放っておけないような愛嬌もある。切れ長の一重の紫色の目、通った鼻筋、つややかにふっくらとした唇、そして黒く癖のない髪を首の後ろから胸元にたらしている。胸元の空いた丈の短い黒いドレスを着ており、豊満な胸や白い足を惜しげもなく見せつけている。まさに男を誘惑することにかけてはこれ以上ないと言うほど磨き上げられた美であった。


「まあまあ、とりあえず落ち着きましょうよ」


 いきなりもめごとに巻き込まれ、女に文句がないわけではないが、さすがにこんな美人を見捨てて逃げるほどには冷酷にはなれない。無駄だとは分かっていても一応話し合いで平和的に解決しようと試みた。


「事情を知らんよそものがここいらの事に首突っ込むな。……二度は言わん、その女をこちらによこせ」


 男たちはそう言って凄んでくる。女を追いかけて路地から出てきた男たちは三人組で、武器こそ持っていないが、明らかに堅気ではない男たちだった。そんな相手に凄まれているが、不思議と心の中は落ち着いている。まあ、この男たちがドラゴンより強いわけがないから安心しているのかもしれない。


「確かにあなたたちの言う通り、ここら辺のことを何も知らない俺は関わるべきではないのかもしれません。だが、この俺の後ろで震えている女性がどんな目に合うか分からないのに引き渡すわけにもいきません。……ここは引いてくれませんか?」


 できるだけ丁寧な言葉でそう言うも、彼らが引く様子はない。……交渉は決裂のようだった。


「なら仕方ねえな……。やっちまえ!」


 リーダー格の男が右腕を振り上げて殴りかかってくる。それと同時に左右の後ろに控えていた二人もこちらに向かって動き出した。

 体を右斜め前に体を沈めるように踏み込んで移動し、大ぶりのパンチを躱すと同時にリーダー格の男のふところに、男に背を向けた状態で潜り込む。

 右肩の上を通過していく男の右腕を掴み、その勢いを利用して一本背負いで投げ飛ばす。リーダー格の男はそのまま地面に叩きつけられ動かなくなった。


 リーダー格の男が一瞬で倒され動揺して動きの止まった二人に近づき、一人を大外刈りを使う。

 向き合う相手からみて右側、こちらから見て相手の左側に左足で踏み込み、左手で相手の右腕を、右手で相手の襟をつかむ。

 相手の体勢を後ろに崩しながら、相手の足を右足で払い、そのまま地面に叩きつけた。


 残り一人となった男は震えながら懐からナイフを取り出し、奇声を発しながら真っ直ぐ踏み込んで突き出してきた。

 それを軽く右に躱しながら、ナイフを持つ相手の右手を自分の左手で、相手の襟を右手でつかむ。

 相手がナイフを突き込んできた勢いを殺すことなく、左手を下に、右手を上に、円を描くように動かし、相手を完全に宙に浮かせて縦に回転させてから地面に落とす。

 手足で刈ったり腰に乗せたりすることなく投げることから空気投げとも呼ばれる、浮落という技だ。


 リーダー格の男が腕をを振り下ろしてからおよそ二十秒の間、まさに秒殺と言っていいほどの出来事であった。



「……あなた、強いのね。でも、ローブを着ているのだからてっきり魔法を使うのかと思ったんだけど」


 後ろにいた女がポツリとそう言った。とりあえず、これ以上の厄介ごとが来ないようにここを立ち去ろうとする。全員が地面に叩きつけられているので、自業自得とはいえ少しだけ男たちの様子が気になるが、頭は打っていないので大丈夫だろう。


「もう行ってもいいかな、ここに長居したくないんだ」


 そう言って歩き出すと、女は手を組んできた。女性らしい柔らかな感触。顔には出さなかったが、内面ではかなり動揺していた。女に手を引かれるままに歩かされる。


「そうね、ここは危ないわ。東地区へ行きましょうか。私はレベッカ・マルセル。あなたの名前を教えてくださらない?」


「君はついてくるつもりなのか……。……俺の名前はクリスだよ」


 名前を言わなければならないのだろうか。偽名を使うことも考えたが、ばれたら後で面倒なので名前だけを言っておく。


「ふふふ、クリスね。あたりまえでしょう、まだお礼……してないもの。東地区のいい宿を知っているわ、まだ明るいけれどやってるところ……」


 レベッカは品を作って誘惑してくる。とても魅力的な誘いで、思わずうなずきそうになる。思えばこの世界に来てから一か月とちょっと、ずっと娘たちと一緒にいて一人でする時間もなかった。今までは何も感じていなかったが、こうして女を意識させられると性欲というものがむくむくと頭をもたげてくる。


 レベッカの誘いに男の本能が揺さぶられるが、娘たちを放っておいてそんなことをしていたら間違いなく彼女たちの機嫌を損ねるだろう。もしかしたらそれが原因で反抗期に入ってしまうかもしれない。


「いや、残念だがこれから用があるんだ。だからまた今度という事で……」


「あら、もしかしてほかの女との約束かしら。私よりその女を選ぶっていうの?」


 レベッカは子供の様に拗ねた様な表情をする。さっきからコロコロと表情が変わり、それに伴って印象も変わる。一体どれが本当の彼女なのか……、知りたくないと言えば嘘になる。……もしかしてそう思わせることもこの女の狙い通りなのだろうか。


「……見ず知らずの人間より娘を選ぶのは当然だよ」


「娘がいるの? でも奥さんがいそうな匂いはしないけど」


 レベッカが俺の体に顔を近づけて匂いを嗅ぎながら言った。俺の匂いがどんな匂いなのかは分からないが、とりあえず彼女はとてもいい匂いがした。


「匂いってなんだよ……。まあ奥さんはいないけど。……もういいだろ、急いでるんだ」


「くすくす……あなた、おかしな人ね。嘘をつかないようで本当のことも言わない。動揺しているのに冷静に物事を考えられる。……ねえ、顔を見せてくれない?」


 一瞬力ずくで逃げようかとも思ったが、かえって面倒なことになるような予感しかしない。嫌々ながらフードを取り、顔をさらす。するといきなりレベッカは俺の顔に手をあて、唇がふれそうなほど近くまで近づいてくる。


 女性とこんな距離まで近づいたことのない俺は、レベッカが今まで見たことのないほど美しいこともあって、蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなってしまった。もちろん美しさでは、アリシアやエレミアも負けてはいないし、娘たちももちろん美しいのだが、レベッカは彼女たちにはないぞっとするような色気を持ち、その使い方を熟知しているようだった。


「私にもプライドっていうものがあるのよ。私が誘ったのに乗って来てくれないなんて屈辱的だわ……。このレベッカ・マルセルの誘いを蹴るなんてね。絶対に私を抱かせてみせるわ」


 レベッカは白魚のような細い指を俺の唇に這わせてそう囁く。その薄く微笑んだ表情は、今までに見たどの表情とも違っていたが、一番しっくりとくるような印象を受けた。おそらく彼女は生まれながらの女王、それも夜の女王なんだろう。思わず逆らう気がしなくなってしまうが、今までの人生で使ったことのない鋼の精神で耐え切る。


「も、もう離してくれないか。あまり待たせるとお姫様たちの気分を損ねてしまう」


 そう、もうすでに怒っているだろう。娘たちにはディアリスに着いたらすぐ呼ぶとしか言ってなかったので、既に三十分以上は待ちぼうけを喰らっていることになる。これ以上の時間の浪費は許されない。一刻も早くここを抜けて呼び出さねばなるまいが、腕を掴まれているので逃げ出せない。


「だ~め。……私は仕事をやめて逃げてきたから、もうどこにも行く当てがないの」


 今まで妖艶で、でもどこか楽しそうな笑みを湛えていたのに、いきなり憂いを帯びた悲しげな表情へと変化する。いきなりの変化に俺が戸惑っていると、レベッカはいきなりとんでもないことを言ってきた。


「……ねえ、私の事かわいそうだと思ってくれるなら、囲ってくださらない? ご飯と寝るところだけ用意してくれればいいわ、その分は体で返すから」


 うるんだ瞳でこちらを見上げてくるレベッカは、さっきの妖艶な女王からは一変して、まさしく保護欲を掻き立てられる儚いヒロインのようだ。……まあ、言っていることはとんでもないことなのだが。


「……見ず知らずの男について行くのか?」


 俺が何を言っても聞き入れそうにないが、一応抵抗はしなければなるまい。


「顔を見たからもう見ず知らずの中じゃないわ。それに女の感が言っているのよ、この男を逃がしちゃダメだってね。……あと、あなたディアリスは初めてでしょう? 南門から入って来るなんてディアリスを知らない田舎者か、この辺にいるような無法者くらいよ」


「そうなのか……」


 再びレベッカは女王モードになって、少し呆れた様子で話しかけてくる。俺は別に何も思わないが、世にいうドMの男性方はその目線だけでぞくぞくするのではないだろうか。


「それであなたはこのディアリスに何をしに来たのかしら? 買い物なら東地区よ。ここに比べたら東地区の治安はいいけれど、やっぱり道案内はいたほうがいいと思うけど」


 確かにその言葉には一理ある。この女の言い方では、おそらく『エイジオブドラゴン』のセント・アリスのように東地区は商業地区なんだろう。だが、どこに何の店があるかとか何も知らないし、商品の相場も知らない。

 お金は『エイジオブドラゴン』の貨幣なら多少はあるが、おそらくここでは使えないだろう。……だって貨幣にアリシアの顔が描かれてるし。アイテムを売って換金したいがどこに行けばいいのか分からない。ディアリスに詳しい人に道案内してもらえるならばかなり助かるのだが……。


 それにおそらくこの女はこっちがうんと言うまで絶対に離さないだろう。とりあえずこれ以上遅れるのはまずい。アリシアたちと会う時間が決まっているから、娘たちとの時間がどんどん減っていく。ただでさえ全員呼び出すのに三十分もかかるのに。


 とりあえず、囲うだ何だという事は後にして、東地区の案内はしてもらおう。レベッカだって俺に娘が一人だけじゃなくてたくさんいるとわかったら、面倒だと思って自分から去っていく可能性だってあるしな。


「……はぁ分かった分かった。とりあえず買い物をする予定だから東地区まで案内してくれるか? それとできるだけ人が来ないような路地裏に案内してほしいんだが」


「……できればそういうことは外じゃなくて宿でしたいんだけど」


 レベッカは軽く口を尖らせて甘えるようにしなだれかかってくる。レベッカの香りと感触が女性という事を強く意識させる。……しかし何か誤解を与えてしまったようだ。


「そう言う意味で言ったんじゃない。……娘たちをできるだけ人目につかないところで呼び出したい。人のいるところで呼び出して周りに驚かれて目立つのは避けたいからな。呼び出すのに少し時間がかかるからできるだけ安全なところがいいんだが」


「呼び出す? ……あなたってもしかして魔法使いってやつなのかしら? でもさっきはあいつら拳で殴ってたけれど……」


 首を傾げて考える様子がどこか可愛らしさを感じさせる。レベッカが妖艶な女王の雰囲気を出しているのは確かなのだが、その中にちょくちょく子供っぽいしぐさが入ってくる。……そのギャップに思わず胸が高鳴ってしまうのは俺のせいではないだろう。


「まあ、そんなところだ。……案内をしてくれるつもりがあるなら速く連れて行ってくれないか?」


「う~ん、とりあえず東地区の人目につかない路地裏まで連れていけばいいのね。こっちよ、近道があるわ」


 そう言ってレベッカは俺の手を引き、路地裏まで引き込む。とりあえずなるようになれと思いながらついて行った。

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