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五話

 翌日、俺は再び南の海に来ていた。しかし昨日の真っ白な砂浜の地帯ではなく海岸の西端、岩窟地帯に来ている。昨日暑すぎたので〈深淵のローブ〉はもう装備していない。着ているのはただの服である。もちろんその他の装備はつけているが、多少防御力に不安がある。早急になにか暑さ対策をしなければならないだろう。


 岩窟地帯は岩や洞窟が多く、海岸は砂ではなく硬い岩石からなっている。海からは岩石が露出し、岩のくぼみには大小様々な潮溜まりが生まれ、一般に岩礁や磯とも呼ばれる場所だ。この辺りは海岸付近で海が急激に深くなったり、岸近くに思わぬ暗礁があったりと海岸線が複雑になっており、海岸が入り組んでいる分、より多くの隠れ家があることから多様な生き物の住処になっている。この岩窟地帯より西は海岸が崖の様になっており、海から上陸することはできない。


「ふぅ……、涼しいな」


 俺は今、そんな岩窟地帯の洞窟の一つの入り口付近で休んでいた。洞窟は薄暗いが、ひんやりと湿っぽく、奥はどこまで続いているのかは分からない。わざわざ中に入って、藪をつついて蛇を出すこともないので、もし何かあってもすぐに逃げられる入り口に座り込む。


 ちなみに娘たちは岩礁へと素潜りをしに行った。磯の魚やらカニやらタコやら貝やら、そんなものを捕まえるらしい。娘たちは水着は持っていなかったようなので全員裸である。俺も誘われたが、さすがに二十歳にもなって素っ裸で海に潜るのは遠慮しておいた。娘たちの着ていた服を見張ることにして、この涼しい洞窟で涼んでいた。


 捕まえたのは多分全て俺の食事の材料になるのだろう。……正直に言って、それらを食べるのは俺だけなのでそんなに多く取っても食べきれない。食料事情については人の住む都市も見つかったし、この世界に来た時と比べてそこまで切羽詰ってはいない。その気になれば三食王都で調達することも可能だろう。


 でも、娘たちの頑張りを否定するようなことは言いたくないし、俺の食料を調達することを楽しんでいるうちはあの子たちに任せようと思う。もしかしたらその中で娘たちが、自分たちの“やりたいこと”を見つけることが出来るかもしれない。……まあ食料は、アイテムポーチの中に放り込んでいれば腐ることはないし、それほど高額な金にはならないだろうが売ろうと思えば売れるだろう。


 ……そういえば、熱帯魚みたいなきれいな魚とか、透き通ったきれいなクラゲがいるならアクアリウムを作ると言うのもいいかもしれないな。娘たちに“やりたいこと”、あるいは趣味というものを持たせるために、いろいろなことに一緒に挑戦していきたい。……願わくば、俺の“やりたいこと”も見つかるとうれしいのだが。とりあえず海の魚は飼育が難しそうだし、海水の調達も大変そうなので、できれば淡水魚から始めたいがスぺリナ川には観賞用みたいなきれいな魚がいるのだろうか……。



 そんなことを考えている間にも、遠くの方ではかすかに娘たちの黄色い声があがっている。


 思えばこうやって一人で落ち着いた時間を過ごすのは久しぶりな気がする。この世界に来てからほとんどだれかしらの娘たちと一緒に過ごしていた。就寝する時は大部屋で全員一緒、食事も作ってくれた娘ととり、散策では三十人と一緒に、お風呂も入りに行くと大体誰かが入っている。


 別に娘たちと過ごすのが苦痛なわけではないが、こうして一人でいる時間もたまには欲しい。そうぼんやりと考えながら背中を洞窟の壁に預ける。本でも持ってくればよかったと少し後悔しながらぼーっとしていた時、洞窟の奥から何かが動く物音が聞こえた。


「……ッ!」


 はじかれたように立ち上がり、音のした方を見つめる。すると暗がりから大きな物影が現れ、いきなりものすごいスピードでこちらに突っ込んできた。突然のことに反応できず巨体の体当たりをまともにもらってしまった。体当たりのあまりのスピードに、踏ん張ることもできない間に固い地面に押し倒される。


「痛っ……くない?」


 体当たりを食らった後、その巨体はそのまま押しつぶすようにのしかかって来るが、その巨体からは想像できないほど軽い。大きさは下からはよく見えないが少なくとも俺より大きいのに、体重はおそらく十キロもないだろう。とりあえず、体の上に乗ったものを思いっきり跳ね飛ばすと天井まで飛んでいき、天井にぶつかった後地面に着地した。改めてその体を見る。


「げっ……」


 そのモンスターは、巨大な亀の姿のモンスター、アダマンタートルであった。アダマンタートルは、レベル六十一のモンスターで、体長二メートル、甲羅の高さも二メートルほどの大きな亀である。なぜそれほどまでに大きな亀がそれほど軽いのか、それには名前にもついているアダマンタイトという魔法金属の事から説明しなければならないだろう。


 アダマンタイトとは、魔法金属の一種で薄く緑色に輝く金属である。その性質はまだ正確には分かっていないが、どうやら重さと固さそして形を自由自在に変えられるらしい。つまり、アダマンタイトとは、世界一軽い金属でありながら、世界一重い金属でもあり、世界一固い金属でありながら、世界一柔らかい金属でもある。

 『エイジオブドラゴン』では、アダマンタイトは、あらゆる装備を作ることができ、また作った装備も特殊能力はないが魔法金属の中でも特に能力値が高いという、汎用性に優れる金属で魔法金属の王とも呼ばれた。


 そして、その名を冠するアダマンタートルもまた、堅牢なモンスターである。設定ではもっと固くなりたい、もっと早く動きたいと願ったカメがアダマンタイトを食べ、その甲羅を最も固く、最も軽く作り替えたと言われており、モンスターの中でもトップクラスの物理耐性とカメにしては驚くほどの俊敏性をもっている。


 だが、体重がない分攻撃は軽く、特殊な攻撃もしないため、ただ非常に固くて非常に素早いが効かない攻撃を延々としてくるだけという非常に面倒なモンスターとなっている。

 もちろん魔法攻撃などの属性攻撃をすればそれほど苦戦することはないが、その手段を持たないプレイヤーにとってはとにかく倒すのに時間がかかるし、逃げようとしても移動スピードが速く逃げられない。そんな嫌われ者のモンスターであった。


「どうするか……」


 一番安全な方法は、大声を出して海にいる娘たちに助けを求めることだろう。娘たちも物理攻撃しかできないが少なくとも一人でひたすら殴るよりは、三十一人でボコボコにした方がはるかに速い。


「だが……」


 強大で俺一人ではとてもかなわない敵ならともかく、レベル五十六という相手に娘に助けを求めるのは少々情けない。しかも攻撃力が高く、死の危険性があるなら分からないでもないが、ただ固くて素早いだけのモンスター相手に助けを求めるなど少々恥ずかしいのではないだろうか。

 そう考え、一人で戦う覚悟を決める。タイムリミットは海から娘たちが戻ってくるまでだ。世紀の一戦、もといぐだぐだな死闘の幕が切って落とされた。



 再び突進してきたアダマンタートルを躱し、気合と共に右足で下段蹴りを喰らわせる。いくらカメにしては驚くほどの俊敏性をもっているといっても、大きなレベル差があり、なおかつ素早さを重視する格闘家をサブジョブとしている俺よりも速いという事はあり得ない。カメの動きを見てからでも十分にかわすことができ、拳よりも遅いがより攻撃力がある蹴りを当てることも出来た。


 狙うべきは甲羅しかない上段ではなく本体のある下段。こちらから攻撃しに行くのではなく、相手の突進にカウンターを合わせる。そのため前に飛び込む必要はなく、拳ではなく蹴り主体のため重心をやや後ろにかけ、敵の攻撃で気を付けるのは頭部への攻撃だけなので両手を高く構える。後ろ足に重心をかけるため敵から頭は遠くなり、視界も広がって相手の動きも見やすくなる。非常に防御に優れた構え――ムエタイの構えでローキックを連発し、アダマンタートルに少しづつ、でも着実にダメージを与えることを目指した。



 突進してくるアダマンタートルを躱し、何度目かとなるローキック――テッ・ラーンを喰らわせる。アダマンタートルは大きく吹き飛び、洞窟の壁に叩きつけられる。だが、すぐに起き上がり、自分にはそれしかないというように再び突進してくる。それをまた蹴り飛ばし、壁に叩きつける。


もう何回蹴りを入れたのだろうか。戦いが始まってから何分経ったのかもわからない。延々と続くかのような光景だが、すこしづつ変化が生まれていた。


「……ハァ、ハァ」


 今まで闘牛士のようにひらりときれいにかわしていたアダマンタートルの突進が、段々服に掠るようになってきた。そのせいでただの服はところどころ引っ掛けて破れたような跡が出来ている。だが、アダマンタートルのスピードが上がっているわけではない。ゲームには存在しない“疲労”によって俺の動きが鈍くなっているのだ。もちろんまだクリーンヒットはもらっていないが、このままいけば手痛い一撃を喰らうのも時間の問題かもしれない。


「だったら……その前に倒す!」


 突進をかわし今度は膝蹴り――テンカオを喰らわせる。膝蹴りはリーチが短い分、普通の蹴りよりもさらに当てずらい。こちらに向かってくる動きを完全に見切り、アダマンタートルが俺の腹部に体当たりする寸前に敵の下からひっくり返すように膝で蹴り上げる。アダマンタートルのお腹の甲羅に膝が突き刺さり、確かな手ごたえを感じた。


 縦にくるくると回転して飛んでいくアダマンタートルは、壁に当たってそのまま地面にさかさまに落ちた。ひっくり返ったまま起き上がるのに手間取っているうちにそのまま上に乗りあげ、膝蹴りでひびの入った腹部の甲羅を拳で叩き続ける。お腹の甲羅の上に馬乗りのようになって、両腕を使い交互に、眼にもとまらぬ速さでひたすら殴り続けた。無呼吸で一瞬の隙も与えず繰り出す連打、残されたすべての力を使うように、もしこれで倒しきれなかったらもはやなすすべがないほど、体力のぎりぎりまで殴り続ける。息を吐くと同時にアダマンタートルの上から飛び降り、洞窟の壁に背をつけて崩れるように座り込む。


「ハァ、ハァ、ハァ」


 もうこれ以上は動けそうになかった。体が鉛のように重い。アダマンタートルがどうなったのかを見たいが、顔を上げるのも億劫だった。もし、あれで死んでなかったら、俺はしばらく動けないから一方的にボコボコにされるだろうなと他人事のように考える。目で見れない分、耳に全神経を集中させる。洞窟内に響き渡るのはかすかな水温と俺の荒い呼吸音だけだった。


 五分後、ようやく立ち上がれるようになるまで回復し、恐る恐る未だにひっくり返ったままでピクリとも動かないアダマンタートルに近づく。するとその近くに突然宝箱が現れた。……もしかしてこれはアダマンタートルのドロップだろうか。それならアダマンタートルはもう死んでいるということだろう。少し胸をなでおろし、その宝箱を開ける。中にあったのは手のひらに乗るサイズの緑色の塊、アダマンタイトであった。


「ふぅ……」


 そのアイテムを手に取ると、再び洞窟の入り口に戻り、壁に背を預ける。本当はアダマンタートルを解体しなければならないのだが、疲れているのでやめておく。アダマンタートルの中で最も価値のあるのはあの甲羅だろうが、それは同時に解体が一番大変でもある。さらに、アダマンタートルの甲羅は、すでに最も固く最も軽くなっており、形も自由に変更できないので汎用性がない。せいぜい一部を切り取ってそのまま盾にしたり胸当てにしたりするくらいだろう。もちろん見た目もダサい。ドロップでアダマンタイトが手に入った以上そこまで苦労して手に入れることもないだろう。


 改めてアダマンタイトを眺める。手のひらの上にあるのは、ごつごつとした緑の何か。とりあえず重くなれと念じると、いきなりすさまじい重さが手にかかり慌てて手を放す。十センチほどの高さから落とされた塊は岩の地面に半分以上めり込んでいた。とりあえず触ってから軽くなれと念じると今度は手に乗ってるのが目で見ても信じられないほど軽くなる。固くなれと念じればどこまで固いのかよくわからないが固くなり、柔らかくなれ念じればまるでスライムの様にふにゃふにゃになる。いったいこれを何に使おうか。まあ、後で考えることにしよう。


 手にしたアダマンタイトから目を上げ、海のほうを見ると娘たちが手を振りながら走ってくる。どうやら素潜りは終わりのようだ。そして改めてアダマンタートルの死体のほうを見る。


 なぜかはわからないが戦いではずいぶん熱くなってしまった。あんながむしゃらで必死な、あまりかっこよくない姿を娘たちに見せたくはない。心配をかけないためにも娘たちがいなくてよかったんだろう。


 個人的に理想の父親像というものはどんな出来事にも動じることはなく、子供にとってとにかく大きく、何事にも揺るがぬ大地のような存在だと思っている。父親が揺れるという事は、娘たちにとって大地が、そして世界が揺れることに等しい。子供たちが大きく立派に育てるように、地面である父親が大きく揺らぐことがあってはいけないのだ。


 いつも冷静沈着な父親はかっこいいと思うし、娘たちの前ではできるだけかっこよくいたい。もうすでにかっこ悪いところをいくつも見せているかもしれないが、それでもかっこをつけたいのが男というものなのだと考えながら、いかにもアダマンタートルごとき余裕で倒したというように娘たちを迎えるのであった。

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