四話
南館の廊下を上半身裸で、三十人ほどの少女を引き連れて風呂へ向かう。上半身裸で家の中をうろつくのはどうなんだろう。別に悪いことをしているわけではないが思わず足取りが速くなってしまう。もちろん着替えは持ってきているのだが、せっかくなら体を洗ってきれいになってから着たい。
幸いなのかどうかわからないが、まだ昼間で外出している娘たちが多いからなのか、娘たちの部屋がない南館内での移動だからか、誰とも会うことはなく、脱衣所まで来ることが出来た。
脱衣所で服を脱ぎ、大浴場の中に入る。ズボンを脱ぐだけだったので俺が一番乗りだ。とりあえず先に洗い場に向かい、洗ってなかった体と頭を洗ってから浴槽に入る。
俺の血で風呂のお湯が真っ赤に染まったらしいが、今浴槽を見る限りではそんなことがあったとはみじんも感じさせない。誰かがお湯が張り直したんだろうか。すっきりとした気分で中に入ることが出来た。
「あれ~、お父さんもう帰って来てたの?」
後ろから声をかけられ振り返ると、藤黄色の髪をセミロングに伸ばしている少女メルクリウスが堂々と浴槽の中に入ってくるところだった。そのまま俺の右隣に座る。
脱衣所からつながる浴場の入り口を見ると、続々と少女が浴場に入ってきている。どうやらさっきお風呂から見ていた、庭を耕していた娘たちがお風呂に来たようだ。一気に浴場の密度が上がる。
「は~」
メルクリウスはそのまま浴槽の中で伸びをし、足を開いて両肘を背後の浴槽の淵に乗せる。庭を耕して疲れたのは分かるのだが少々親父臭い。しかも、全くと言っていいほど羞恥心がない。
もうすこし慎みを持つようにと、父親として注意したほうがいいのだろうか。それとも個性? を生かしたほうがいいのだろうか。そんなことをぼーっと考えていると、また後ろから声をかけられた。
「ずいぶん早かったんですね」
勝色の髪を長く伸ばしている、くせ毛が特徴の少女シルヴァヌスが、その体をタオルで隠しながら浴槽に入ってくる。手に持っているフェイスタオルでは小さすぎてあまり隠しきれていないが、恥ずかしがって体を隠す、そんな普通の行動に俺は感動してそのままシルヴァヌスをじぃーっと見てしまっていた。
「あ、あんまり見ないでください……」
シルヴァヌスが顔を赤く染め、こちらに背を向けて浴槽に入る。ちゃんとタオルはお湯につけず、そのまますーっと俺の左隣に座る。
恥ずかしがってたのに、そのまま肌がふれるくらいの距離に近づいてくる。お湯は透明なので見ようと思えば隣を向くだけで、はっきりとその体が見えるのだがそれはいいのだろうか。まあでもガン見したことについては謝っておいたほうがいいだろう。
「ごめんごめん。何というかちゃんと隠すなんて偉いなと思っただけだよ」
「隠すのが偉いの?」
右隣のメルクリウスがこちらを向いて話しかけてくる。首を傾げてこちらを見つめる様子はやはり可愛らしい。
「まあ別に隠すのが偉いってわけじゃないけど……。羞恥心があるのは大人かもしれないな」
「しゅうち……? 大人ってどうやってなるの? 大人になるとなにがあるの? お父さんは私に大人になってほしいの?」
メルクリウスが矢継早に尋ねてくる。その様子を興味深そうに左隣のシルヴァヌスも見ていた。
「大人になると……何があるんだろうな。俺もわからないよ。でも、父親としては……あんまり大人になってほしくはないかな。ずっと父親でいたいからね」
別に大きくなったからと言って父親でなくなるわけではないが、大きくなってお父さんキモイとか言われたら立ち直れないかもしれない。まあ、多分この子たちはこれ以上大きくはならないと思うが。
「それじゃ、ずっとお父さんの娘でいてあげるね!」
メルクリウスは、はじけるような笑顔で笑いかける。……もし、結婚したいなんて言って男を連れてきたら、その男をぶん殴らないと気が済まないな。
結婚したいなら俺を倒してからにしてもらおうか、とか言って一対一のステゴロで決闘するのもいいかもな。……体鍛えようかな。
「……そうだ、お父様。庭で今日ハーブが収穫できたので、これから私の部屋でハーブティーを飲みませんか? 乾燥させていないのでフレッシュハーブティーになってしまいますが」
シルヴァヌスが俺の左腕を抱きながら小声で提案してくる。顔を真っ赤にしながら上目づかいでお願いしてくる様子はどこか無理をしているのではないかと感じる。
……もしかして、さっきの大人になってほしくはないという言葉を気にして子供っぽくふるまっているのだろうか。それなら少し悪いことをしたかもしれない。
「今は……三時くらいか。丁度いい時間だしお邪魔しようかな」
まあ思い違いかもしれないし、両手でそれぞれの頭をポンポンとなでる。メルクリウスは不思議そうな顔をして、シルヴァヌスは恥ずかしそうに俯く。言いたいことが伝わったかどうかは分からないが、それでもいいだろう。
「聞いたよ~」
前方の水の中から、櫨染色のセミロングの髪をそのままおろしている少女オルクスが飛び出してきた。前髪は顔に張り付き目が見えない。
オルクスはワニの様に水の中を泳いできて、目の前まで来ると手を合わせてお願いしてきた。怨霊みたいでちょっと怖い。
「私も一緒に行っていいでしょ? お願い」
その可愛らしいおねだりに思わずいいよと言ってしまいそうだが、お茶会を開くのはシルヴァヌスだ。参加するには彼女の許可がいるだろう。
「シルヴァヌスがいいんならいいけど」
「私はかまいませんよ。……メルクリウスも来るでしょ?」
そうシルヴァヌスが尋ねるとメルクリウスはこちらを見ずに肯定の返事をする。
「うん、行くー」
「それじゃあ決まりだね。俺はもう上がって寝室にいるから、準備が出来たら呼びに来てくれるとうれしいな。農作業で疲れてるでしょ、ゆっくり入ってていいからね」
そう言って立ち上がる。二回も風呂に入ったのでのぼせそうだ。
「分かりました。それじゃお茶会の準備が出来たら呼びに行きますね」
その言葉を背中で聞きながら、脱衣所へと向かった。
三十分後、部屋まで呼びに来た三人に連れられて、シルヴァヌスの部屋がある西館に向かう。西館は、南館とは違って大きな廊下というか共有スペースがあり、その左右に娘たちの部屋がずらっと並んでいる。一階から五階まで吹き抜けになっており、天井から差し込む光でとても明るい雰囲気だ。
例えるならば、五階建てのショッピングモールのようなものだろうか。店の代わりに娘たちの部屋がずらりと並び、一階の中央部分はみんなで集まって会話が楽しめるようにソファやテーブルが置かれている。
部屋は娘一人に一部屋だが、部屋の間取りなどたいして考えずに作った結果、全ての部屋が縦に細長い作りになっている。三階にあるシルヴァヌスの部屋の前まで来ると、少し緊張してくる。年頃の女の子の部屋なんて入ったことがないからな。
「それじゃあどうぞ」
部屋の中に入るとまず感じたのは殺風景という感想だった。縦に長く、横幅はそれほどでもないが奥行きのある部屋は、部屋の大きさに比べて家具や調度品がほとんどない。数少ない家具も、俺が全ての娘の部屋に設置したベッドとソファ、ローテーブルとイスのほかには、植木鉢が二個だけしかなかった。
つまり、植木鉢二個しかシルヴァヌスがこの部屋に新しく置いたものがないという事で、ただただ広い部屋と白く清潔感のある壁紙が殺風景な印象を作り出していた。
とりあえず言われるがままにソファに座ると両隣にメルクリウスとオルクスが座る。少し狭いが仕方ない。シルヴァヌスはイスを持って来て、ローテーブルの上でハーブティーを入れ始める。とはいっても、何種類かのハーブをポットの中に入れて数分待つだけで完成した。
「はい、お父様」
シルヴァヌスはハーブティーの入ったカップをこちらに差し出してくる。それを受け取り、一気に飲み干す。すこし青臭い感じもするが悪くない。飲んだ後に口の中がさっぱりする。脂っこいものを食べた後に飲むといいかもしれない。
「こっちにミルクとはちみつがあるのでよかったら足してください」
ミルクと蜂蜜を足すと青臭い感じが消え、一気に飲みやすくなる。
「うん、入れた方が飲みやすいね」
そう言うと三人とも嬉しそうにこちらを見てくる。だが、自分たちでハーブティーを飲もうとはしない。やはり飲食はできないのだろうか。
「やっぱり飲み物でも飲むことが出来ないの?」
「う~ん、分かんない。食べたり飲んだりしたことがないから」
オルクスが首をひねりながら答える。気管や食道はあるのだろうか。そもそもこの子たちの体の中はいったいどうなっているのだろうか。
「とりあえず口の中を見せてくれないかな」
その言葉にオルクスは頷き、口を大きく広げる。餌を待つ鳥のひなの様に開けられた口の中は、一見する限り俺がよく見る口の中とあまり違いがなかった。口内は唾液のようなもので湿っており、ピンクの歯茎からきれいに生えそろったニ十本の歯には虫歯の痕跡はかけらもなく、少しグロテスクにぬらぬらと光る舌はかすかに動いている。口の奥にはどこに続くか分からないが、食道のようなものもあり、専門家でもない俺には人間の口の中とどう違うのかは分からない。
「うーん……。本当に飲めないの? 液体なら飲めるんじゃない? このハーブティーを飲んでみたら? 自分たちで作ったものなんだし」
三人はお互い眼を見合わせて、頷きあう。俺が空のカップを渡すとシルヴァヌスはそれにハーブティーを入れ、両手で胸の前に持つ。どうやらシルヴァヌスが飲んでみるようだ。
そして、ゆっくりとカップを口に着けハーブティーを口に含む。テーブルに戻したカップにはまだ半分ほどハーブティーは残っているが、一応半分は口の中に入ったようだ。シルヴァヌスは口を真一文字に閉じたまま固まっていると思ったら、なぜか泣きそうな表情で唸りだした。
俺に向かって何か訴えてきているが口を開けられないので、んーんーという唸り声しか出ない。身振り手振りで口を指さすが、ハーブティーが原因なのは分かるがそれ以上は分からない。何を言っているのかさっぱりわからず、どうすればいいのか分からないので、俺までおろおろしているとオルクスが通訳してくれた。
「飲み込むのってどうやってやるの……だって」
どうやって飲み込むのか。考えてみればいつも無意識に飲む込むという行動をしているが、どうやってと言われても説明ができない。その間にもシルヴァヌスの焦りは増していってるようで、唸り声をあげながら足踏みをしている。
「と、とりあえず……」
カップには吐き出せばと言おうとしたところ、いきなり顔を両手で挟まれた。目の前には目が血走ったようなシルヴァヌスの顔。口に何かが押し付けられたと思ったら、そのまま口の中に生暖かい液体が入ってくる。条件反射的にそれを飲み込んだが、少し気管に入ってしまい、むせてしまった。
「ゲホッ、ゴホッ。……いきなり何するの」
シルヴァヌスは口を押え、耳まで真っ赤にしてうつむいている。そんなに恥ずかしがるなら最初からやらなきゃいいのに。
「……はじめて自分で作ったものだから、無駄にしたくなくて……。ごめんなさい」
シルヴァヌスが消え入りそうな声で呟く。自動人形が飲食できるかはまだ気になるが、もう一回させるのはかわいそうかもしれない。今回はこれだけでいいだろう。自動人形の体について知りたいことはまだまだあるのだが、検証はまた今度にしよう。
今日分かったことは、自動人形の体が人間と違うのは、血ではなく魔力が流れているということだけだ。それ以外には特に人間と自動人形の違いを見つけられなかった。涙も鼻水もよだれも出ているし、体の中も肉と骨がある。逆になんで血ではなく、魔力が流れているのかというほどのリアルさだった。
そんなことより、今の言葉で気になったことがある。
「まあ別にいいけど……。……そうだ一つ聞きたいんだけど、植物を育てるのって楽しい? 毎日やってるけど……」
「う~ん、結構楽しいよ。種と一緒に土晶石を入れると、すぐに大きくなるし水やりとか世話しなくても大丈夫だけど、私は普通に育てるのが好き。水やらなかったりしたら枯れちゃうこともあるし、なかなか大きく育たないけどそれがゆっくりと成長していくのを見守るのが好き」
オルクスがそう言うとシルヴァヌスとメルクリウスも同意する。もしかしたらこの子たちは趣味とか生きがいとかいうものを見つけられたのかもしれない。この子たちの今やりたいことは植物を育てることなんだろう。
前にやりたいことを娘たちに尋ねたことがあったが、あの時は具体的なやりたいことが出てこなかった。つまり、この子たちは本当に何もしらない子供だったのだ。その娘たちにいきなり何がしたいと言っても答えられるはずがない。
だが、この子たちは今は植物を育てたいという“やりたいこと”が見つかっている。それは実際に“植物を育てる”ということをやってみて、それが楽しいと気付いたからだ。だったら、父親として娘がその“やりたいこと”を見つける手助けをしたいと思うなら、とにかくいろいろなことに挑戦させてあげるのが俺のすべきことではないだろうか。そんなことを三人と過ごしながら考えた。




