三話
ガラス張りの大きな窓からは、未だ空高くに留まる太陽と遠くの森が見えている。森の手前では鍬や鋤を持ち、汗を流して庭の地面を耕している娘たちも見える。いや、汗をかくのかは分からないが。
「はぁ~。……若者たちが労働に汗を流す、実に美しい姿だな」
まるでおっさんのようなセリフが出てしまう。昼から風呂に入ってのんびりしていれば当然かもしれない。これで昼から酒でも飲んでいれば間違いなくおっさんだろう。まあ、あくまで俺のイメージだが。……それも全てこの風呂が悪い。
俺は今昼間から風呂に浸かりながら窓の外を眺めていた。屋敷の外を向いた壁には大きな窓が付いており、まるで露天風呂のような気分が味わえる。ここまで眺めがいいと覗きをされそうだが、そもそもここには俺たち以外の人がいないから大丈夫だろう。
黒い石が敷かれたプールのような浴槽、その大きな浴槽一杯まで張られた透明なお湯を手ですくい、顔を洗う。周りでは娘たちがいろいろと騒いでいたり、俺の目の前を娘たちが走って行ったりしているがそれも気にならず、のんびりとした時間を過ごしていた。昼間からこうしていると、段々何もやる気がなくなってきて、体を動かすのも億劫になりそうだ。
不意に目の前に誰かが立った。完全にゆるみきっている思考は、これが誰かという事も考えず、ただただ目の前にあるものをぼーっと眺めてしまう。女性らしく丸みを帯びた体型というよりはただ丸い体型。胸があるわけではなく、腰がくびれているわけではない。凹凸が少なく、全体的に寸胴な幼児体型。もちろん毛が生えてるわけもなく……。
「も~、パパのえっち。……そんなに私の体が見たいの?」
目の前に立っていた、セミロングの涅色の髪をそのままおろしている少女トートがそう言って手で胸と股間を隠すが絶望的に似合っていない。隠しながらくねくね動いているのは何の意味があるのだろうか。
そんなことをぼーっと考えていたがふと冷静になる。娘の裸をじっと見つめる父親。いろいろとまずいのではないか。いや、まずいと感じる方がまずいのか。よくわからないがとりあえず言い訳はしておこう。
「い、いや別に見たくはないよ……」
「見たくはないってどういうこと! 娘に興味がないの!」
いきなりトートが怒り始める。さっきまで胸と股間を隠していた両手を握りしめて太ももの横まで下ろしている。身体が丸見えだがかまわないのだろうか。いや、そんなことより今のはどう反応すればよかったんだ。とりあえず意見を翻しておくのがいいだろう。
「……じゃあ見たいです」
「え~、パパのえっち。でもどうしようかな~、私の裸はそんなに安くないし~」
そう言ってトートが再び手で隠しながらくねくね動きだす。こっちに背を向けているから、ふりふりしているお尻が丸見えなんだがいいのだろうか。まあ、どうでもいいからそこからどいてほしい。外の風景をみてのんびりしたい。
「どーしたの?」
丹色の髪をショートカットにした少女ホルスが浴槽の中を、お湯をかき分けながら歩いてくる。
「パパが私の裸を見たいって言ってきてさ~」
「裸が見たいの? じゃあ見せてあげようか?」
ホルスが両手を腰に当ててどんどん近づいてくる。そしてそのまま顔にお腹を押し付けられる。そこまで強く押し付けられているわけではないので息はできるが、これはいつまで続くのだろう。ホルスに、ムギューなどと言いながら頭を腕でつかまれているせいで離れられない。
「あ、そうだ、そんなことよりパパこれ見て」
そう言って手を放し、右手を見せてくる。どうでもいいけどコロコロ気分が変わるな。これが幼さというものか。ホルスの手の中に握られていたのは、さきほどの宝箱から手に入れた水色で透明の水鉄砲だった。中には水かお湯か、どちらか分からないが透明な液体が入っており、いつでも発射できる状態だ。
「えっへっへ~、手を上げろ。手を上げないと撃つぞ~」
ホルスは笑いながらこちらに銃を向け狙いを定める。拳銃の形をしている水鉄砲を両手で構え、片目をつぶっている。悪役のまねをしようとして笑っているのだろうが、全く下種には見えない。だがここは乗ってやるべきだろうな。そう思い大人しく手を上げた。
「参りました」
「でもだめ~。ばーん!」
ホルスは可愛らしく拒絶してから水鉄砲の引き金を引く。そして噴射される水流。それからのことはよく覚えておらず、何が起きたのかは分からない。気を失う前に覚えていたのは、上半身を襲う激痛と誰かの叫び声だけだった。
目を覚ますとそこは寝室のベッドの上だった。周りには三十人ほどの娘が集まり、一斉にこちらを見つめている。少し怖い。その顔はみな何かを心配しているような顔で、中には泣いている子もいた。
「あれ、ここは……」
なんで寝室にいて、周りを娘たちに囲まれているんだろうか。思い出そうとしても思い出せない。確か風呂に入っていたような……。
「よかった~。パパ気が付いたみたいだよ」
トートが誰かに伝えるように言った。周りのみんなもほっと安心したようだ。何が起こっているのか分からないがとりあえずベッドから起きようとする。普通に起きることが出来たが、なぜか胸のあたりの皮が突っ張っているような違和感を感じた。だが自分の体を見下ろしても、普通の服を着ているだけで、特に何も変わりはない。
「ご、ごべんなざい」
ホルスが顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして謝ってくる。いったい何が起きたんだ。さっぱり訳が分からず、何があったかトートに尋ねてみると想定外の答えが返ってきた。
「あの水鉄砲がちゃんとした武器だったみたいで、その一撃を直接受けたパパが大量出血してお風呂に浮かんでたの。お風呂のお湯が真っ赤に染まって大変だったんだから」
それで撃ってしまったホルスが謝っているのか。とりあえずまだ泣いているホルスを抱きしめ、あやすように背中をさする。ホルスは俺の胸の部分にぐちゃぐちゃな顔をこすりつけ、思いっきり抱きしめてくる。少し苦しい。そのまま背中をさすり続けると少しずつ震えと泣き声が収まってくる。
「ごめんなさい、パパ」
ホルスは俺の腕の中で少し落ち着いたのか、まだ声は少し震えているがはっきりとした声で謝ってくる。
「別にいいよ。俺もよく確認しなかったのが悪かったんだから。だからもう泣き止みなさい」
ホルスはコクリと頷き、手を放して立ち上がった。目はまだ赤いがもう泣き止んでいる。頭をなでてやると控えめに笑ってくれた。
「しかし……」
とりあえずこの服をどうにかしないとだめだろう。服の胸のあたりがホルスの涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。そういえば自動人形も涙と鼻水を出すんだな。とりあえず着替えさせられたばかりだと思うが服を脱ぐ。裸になった上半身を見ても、傷らしきものは見当たらない。
「そういえば、パパ。傷直すためにエリクシール使っちゃった。ひどい怪我だったから……」
少し歯切れの悪そうにトートが言う。いくら緊急事態だったとはいえ、勝手に最高の回復アイテムであるエリクシールを使ってしまったことを気にしているのだろう。
『エイジオブドラゴン』において、エリクシールは最高の回復アイテムだった。飲むとHPとMPを全回復するのはもちろん、あらゆる状態異常も直し、さらには死亡状態も回復するという最高級の霊薬だった。その分取得難易度が高く、とあるモンスターのドロップのほかには、生産スキルの錬金のレベルが八十以上で作れるようになるが、材料もレアなアイテムであり、そのアイテムを手に入れるよりも普通にエリクシールそのものをドロップして手に入れる方が簡単だった。もちろん俺もあまり持っておらず、多分あと一個しかないだろう。
「いや、こちらこそありがとね、助けてくれて」
まだこの子たちを残して死ぬわけにはいかない。貧乏性なのでゲームではエリクシールなど使ったことはないが、今なら使い惜しみはしない。エリクシールはあと一個ほどしかないが、最高級のHPを回復するポーションなら少なくとも五十個以上はあるだろう。いままで消費アイテムをため込んでいたことに我ながら感謝していた。
「それじゃああとは……」
テーブルに置いてある水鉄砲を手に取る。見た目は普通の水鉄砲で、魔力が込められているようには見えないが……。とりあえず〈賢者の眼鏡〉を使い、【アナライズ/鑑定】の魔法をかける。
〈海竜の水弾〉水を強力に圧縮し、海竜族のブレスに匹敵する強 烈な水流を発射することのできる魔法銃。
使用するのに弾は必要ないが、一回使うと再び水を入れない と使えない。
……まあ、レベル八十一のモンスターがドロップするものがゴミなわけないよな。これは俺がもらっておこう。水さえあれば攻撃できるし、小さくて軽いからローブのポケットに入れても邪魔にならない。
〈海竜の水弾〉をアイテムボックスにしまい、とりあえず上半身裸のままなのもあれなので服を着ようとするが、ふとあることを思い出す。
「そういえばまだ体を洗ってなかったんだよな。もう一回入って来るか」
どうせ服も新しく着なきゃならないので、このまま上半身裸で風呂まで行くか。
「お父さんまたお風呂入るの? 私も途中で上がってきちゃったしまた入ろうかな」
トートたちもついてくるようだ。時計はまだ午後二時半を指していた。




