十一話
玉座の間に堂々と入った我々に、そこにいた全員の注目が集まる。内部にはおよそ五十人ほどの人がいた。玉座の手前には二人の女性。一人は十五歳くらい、銀色の髪を腰まで真っ直ぐに伸ばしている、はかなげな雰囲気を持つ少女だ。着ている白いドレスも相まって深窓の令嬢にしか見えない。少女は蒼い目を見開き、表情を驚愕に染めているが、どことなく喜びの感情も交じっているように見える。
どう見ても周りのその他と身分が違うようなこの少女が、おそらく妹のエレミア・レトナークだろう。隣にいるのは、その少女をそのまま大きくしたような女性だ。身長以外で違う点はというと、髪に緩やかなウエーブがかかっていることと、少女が可憐な乙女という雰囲気をしているのに比べて、女性は包み込むような母性を醸し出しているところだろう。こうして二人並んでいると姉妹にしか見えないが、アリシアから姉がいるとは聞いていないから、おそらくあの人は母親だろう。少女と同じような顔で驚いているが、こちらはどことなく安心したような感情が交じっている。
「どうした、みんな幽霊でも見たような顔をして」
「アリシア様! 生きておられたのか!」
玉座の間の左側にいる鎧を着けた女騎士が叫んだ。年齢はアリシアと同じくらい、赤い髪をアリシアと同じくポニーテールにしている。身に着けている鎧は兵士たちの皮製の鎧とは違い、金属で作られており、それなりに高そうなものだ。彼女の後ろには同じような鎧を着けた女性たちが十人ほどいるが、もしかしてあれが親衛隊だろうか。
「ああ、……残念ながら私以外は全滅したが。私はこの者に助けられてな」
そう言ってアリシアはこちらの方を向く。それにつられて玉座の間にいるすべての目がこちらを向く。一瞬怯みそうになるが、アリシアのまねをして堂々と、他人の視線を意に介さないように振る舞う。
「その男は……? まあとにかくアリシア様だけでも生き残ってくれたなら、即位の問題は解決しましたね」
鎧を着けた女騎士は安心したようにそう言うが、アリシアは首を振って否定した。
「いや、まだやらなければならないことがある。……そうだろう、ジルベール・バタイユ」
アリシアは剣を抜き放ち、切っ先を玉座の間の右側にいる巨漢の男に向ける。その男は年齢が五十歳くらいだろうか。黒い短髪にひげを蓄え、いかにも強面な男である。身に着けている鎧は兵士たちのものと似たようなデザインだが、皮製ではなく金属製であり、腰には大きな剣を吊り下げている。同じような鎧を着けた屈強な男たちが玉座のある部屋の奥から、俺たちのいる手前側まで、部屋の右側に三十人ほど並んでいる。おそらく軍部の者たちであろう。
「あ、アリシア様、一体何を?」
玉座の間の左側、親衛隊と思われる者たちのさらに手前側にいる、細身の男が恐れながら尋ねる。年齢は六十歳くらい、頭の白い頭髪は薄く、いかにも文官といった、やせぎすの不健康そうな男だ。周りには一見つながりが見えない男たちが十人ほどいるが、おそらく同じく文官たちだろう。
「……はぁ、失敗するとは。……一体だれが漏らしたのですかな」
目をつぶったまま、ジルベール・バタイユと呼ばれた巨漢は口を開く。
「……年若い青年だよ。名前は遂に聞けなかった」
アリシアの表情に後悔が交じる。
「やはり、思い通りに動かすためにはある程度教育の時間が必要ですな」
ジルベールはその眼を開き、こちらを向いて言った。歯を見せて笑う様子はまるで猛獣のようだ。そして、腰につるした剣を抜き放ち、低い声で言った。
「こうなっては仕方ない、殺せ。全員な」
ジルベールは周りの男たちに命じる。すると、一斉に配下の兵士たちも剣を抜き放つ。
「く、狂ったか!」
先ほどの細い体の男が叫ぶ。元々強そうには見えないが、腰は完全に及び腰で一歩も動けないようだった。
「親衛隊! エレミアと母上、それに文官たちも守れ!」
アリシアが叫ぶが、あまりに突然なことで一瞬親衛隊の反応が遅れる。その一瞬で、兵士たちの一番近くにいたエレミア・レトナークに一人の男が襲い掛かった。
「きゃあああああああ!」
目をつぶり体を竦める少女。少女の体に突き込まれる剣。一瞬で間を詰め、その剣を横から蹴り飛ばす。
「……大丈夫か」
男の攻撃は当たっていないはずだが、一応尋ねておく。もちろんへたり込んでいる少女に手を伸ばすことも忘れない。
「……は、はい。ありがとうございます」
その少女はぺこぺこと頭を下げ、親衛隊のほうに向かっていく。玉座の間は右側と左側で敵味方に分かれていた。
「へえ、なかなか楽しめそうだ。……俺の名はクロード・ビュリダン、あんたは?」
少女に襲い掛かった男が話しかけてくる。その男は浅黒い肌、緑の短髪に顔にある傷が特徴的な、飄々とした雰囲気の男だ。戦闘中だと言うのにへらへらと笑っており、戦いを楽しめそうだと言うあたり、戦闘狂の気もあるのかもしれない。
「クロード・ビュリダン? お前がか。……クリス・ピグマリオンだ」
こいつが王国で一番強い男か。丁度いい。こいつを倒して俺個人の実力を認めさせよう。そう考え、拳を握りしめた。
「素手でいいのか? 手加減はしないぜ?」
「ああ、武器の扱いは慣れてなくてな」
そう言って両腕を体の前で構え、足を前後に軽く開く。目指すのはアウトボクシング。足のつま先の方に体重をかけ、フットワークを生かす。威力のあるストレートではなく、当たりやすいジャブを多用する。フットワークとジャブを駆使し、打っては離れ離れては打つというヒット・アンド・アウェイを基本とした、一撃離脱の戦い方だ。リスクを最大限に減らし、打たれずに打つと言うものを体現するアウトボクシングは理想的なボクシングスタイルと言える。
アリシアはジルベールと対峙していた。
「まさか勝てると思っているのか? どこからこそこそと入ってきたのか知らんが、我が軍はこの部屋にいる三十人ほどではないぞ。この首都ディアリスには軍部の全体の五割、六軍団六千人を集めているし、この王城には二千人の兵士がいる。東西南北にいる四軍団四千人もこの異変に気づきすぐに集まって来るだろう。今ならまだ間に合う。儂に投降せんか? 儂の邪魔をしなければ、親子三人仲良く暮らすくらいは認めてやってもよいぞ」
ジルベールはあくまで自分たちの勝利を疑わず、上からの目線でアリシアに話しかける。
「残念だがお前にこの国を託すことはできないな。それに……、たった六千人ぽっちで止められると思っているのか。止めたいならせめてドラゴンを百匹は用意すべきだったな」
アリシアは剣を構え戦闘態勢に入る。
「ドラゴン……? まあいい、交渉は決裂ということだな。だったら力で奪い取るのみ!」
ジルベールは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐにまた猛獣のような笑顔を見せた。王座を巡る、アリシアとジルベールの戦いが始まった。
一方、その他の兵士たちは動こうにも動けなかった。一歩でも前に進むと、弓を持った黒い甲冑にその足を地面に縫い止められるのである。その一人の甲冑のために兵士は動けず、また守れと命令された故に数の少ない親衛隊も攻めることが出来ない。そしてその黒い甲冑も自分からは攻めない。奇妙な膠着が発生していた。玉座の間では二組の一対一の戦闘だけが繰り広げられている。
唸りをあげ迫ってくる剣を躱し、左腕をクロードの腹部に叩き込む。しかし、クロードは一瞬動きを止めただけですぐに剣を振るってきたので、慌ててそれを躱す。すでに何発もクロードの腹部に拳を叩き込んでおり、相手の剣は全て躱しているのに、戦いの主導権を握っているのはクロード・ビュリダンだった。
「しかし、速いな。避けるのも上手い。もし、この鎧を着てなかったら既に勝負はついてたかもな。だが、速いだけで重さがない。それに攻撃もワンパターン。躱した後に左の拳でカウンターを打ち込むだけだ」
いったん戦う手を止めて相対し、クロードが笑いながら言う。攻撃がワンパターンなのは事実だ。いくらサブジョブの格闘家のおかげで体の動かし方が分かるといっても、実戦経験がない。モンスター相手ならごまかしがきくが、人間相手の駆け引きが必要な戦いは未経験だった。
再び戦いが始まる。彼の構えは軽く腰を落とし片手に剣を持ち、切っ先をだらんと地面の方に向ける。もう片方の手は空けておき、戦闘の状況に応じて拳打を打ち込んだり、相手を掴んで投げたりする。実戦を重視した剣術だ。
クロードの剣はさらに速度を増していった。攻撃の回数が増え、攻撃の時間も長くなっていく。フェイントも交え、戦闘の中で段々進化して行くようだった。
それに反比例して、俺の攻撃の回数が減り、攻撃の時間は減っていく。どうしても剣の切っ先を向けられると動きが鈍る。戦いにも殺し合いにも経験が足りなかった。
次第に躱すのに精いっぱいで攻撃をする隙すらなくなっていく。どんどん剣を躱す距離が短くなり、着ている〈深淵のローブ〉に掠ることも多くなっていった。クロードに追い詰められていた。
「っらあっ!」
そしてついに剣の一撃が腹部を捕える。クロードのフェイントにつられて大きくかわし、腹部に軽いジャブを入れたところへ狙いすましたかのように鋭い一撃が襲った。〈深淵のローブ〉のおかげで切り裂かれることはなかったが、腹部を衝撃が襲った。思わずつい、地面に膝をつく。
「ふぅ、ようやくまともに一発当たったな。だが、今の一撃でもう速くは動けんだろう。カウンターで起死回生を狙うか? やめておいたほうがいいと思うが。そんな軽い拳一発なら、来るとわかっていればカウンターでも耐えられる」
クロードは勝ち誇ったような顔で見下ろしてくる。クロードは自分の価値を微塵も疑っていないようだった。
……どうやら彼の言う通りのようだ。今までの拳は覚悟が足りず、いかにも軽い拳だったことだろう。
「……そうだな、もうやめることにしよう。上手くやろう、上手くやろうとしすぎた。……覚悟を決めたよ」
そう言って立ち上がり、再び腕を構える。両腕を顔の前に構える、ボクシングで言うとピーカブースタイルという構えだ。顔面の防御を固め、ボディに多少喰らったとしても、顎を打たれての失神だけは避ける。ボディへのダメージでは、つまり苦痛では一切倒れないとの覚悟を示す構えだ。
「何? ……まあいい。それじゃ、次で終わりにしてやるぜ」
そう言ってクロードも剣を構える。一瞬のにらみ合いから、両者同時に動き出した。
ガードが上がっているせいでがら空きになっている腹部に迫りくる剣を躱さない。クロードの剣が腹部を襲うが、〈深淵のローブ〉のおかげで腹部も切り裂かれることはなく衝撃だけが襲った。腹部で剣の勢いが吸収され、一瞬クロードの動きの止まったところに、強引に彼の腹部に右腕をねじりこんだ。さっきまでの武術的な動きではなく、ただ強引に力のみで腹にねじ込んだものであり、それは奇しくも、先ほど行われていた光景とは配役がまったく逆だったが、ほとんど同じ光景だった。
「がぁっ!」
クロードが大きく後ろに吹き飛んだ。勢いよく地面を転がっていく。
「ふむ、十三ダメージといったところか」
腹部をさすりながら冗談っぽく言う。〈深淵のローブ〉の防御力、それになにより俺とクロードの遥かに隔たったレベル差、能力値差によって、勝負はあっという間の決着を迎えた。そして床でのたうちまわっているクロードを見下ろした。
どのくらいの力を込めれば、どのくらい連続で殴れば、彼が死んでしまうかも分からなかったので、軽いジャブだけをカウンターとして一発づつ、殺意を込めずに延々と殴っていたが、それは彼にとっても失礼なことだっただろう。
「すまないな、手加減がうまくいかなくて。本当は君の攻撃は全て避け、死なない程度にダメージを与えて圧倒的に勝ちたかったんだが、君相手には難しかったようだ。君が死なないことを祈っているよ」
クロードの口元に一番効果の低いポーションを置いておく。これで生き残れるかもしれないし、生き残れないかもしれない。全ては彼次第だろう。仮に死んでしまってもその覚悟は決めてある。
周囲を見回すと未だに戦っているのは、アリシアとジルベールだけであった。他の兵士たちは五人ほどが矢で足を地面に縫い付けられており、残りはこちらを化け物を見るような表情で見てくる。俺がそちらの方を睨み返すとすぐに目を逸らし、祈るような表情で二人の戦いを見つめ始めた。どうやらこの戦いは二人の一騎打ちで決着をつけるようだ。割って入りたい欲求を抑え、見守ることにした。あれは王と王の戦いだ。王になる気のない俺が割り込んでいい戦いではない。俺にできることはほかの兵士たちと同じく祈ることだけであった。
二つの剣が交差する。一つは薄く金色に輝く女王の剣。一つは鈍く銀色に輝く巨魁の剣。女王の剣は技術に優れ、巨魁の剣は力に勝る。
「……くっ!」
一見互角に見える戦いも、アリシアはじわりじわりと押され始めていた。いくらオリハルコンの装備で身体能力を強化されているとはいえ、体格で言ったらアリシアはに遠く及ばない。体力勝負になる長期戦は命とりだった。
アリシアは長期戦になる前に速く仕留めようと懸命に攻撃するものの、ジルベール・バタイユは守りに徹して打ち砕かせない。攻撃の合間にカウンターを入れ、アリシアがひやりとする場面もあるなど、戦いの主導権はジルベールが握っていた。
「ふむ、いや、さすが。儂も最近は剣を振らず、身体がなまっているとはいえ、ここまでの腕とは。むやみに剣を振るっても当たりそうな気がせんな。ここはじっくりと時間をかけて仕留めるとするか、それとも……」
「そんなにゆっくりとしていて大丈夫なのか? ここにいる部下たちは既にあの黒い騎士に敗北を認めているようだが? 頼みの王国最強のクロード・ビュリダンもクリスに負けたようだしな」
ジルベールは、自分を祈るように見つめる部下たちを一瞥すると、何事もなかったかのように剣を構える。
「ふん、全く情けない部下よ。だが、クロードまで負けるとは思わんかったな。あのローブ姿は一体何者だ? ……まあいい、仮にこの玉座の間を制圧されようが、儂が貴様に倒されぬ限りこの争いは続く。たとえ貴様以外の誰かに儂が殺されても、最後の一兵まで戦い抜けと配下には伝えておる。この争いを止めるには、貴様が儂を倒すしか方法はない」
アリシアは目をかすかに見開き、ジルベールのことを今まで少し見損なっていたことを恥じた。
「私が貴様を倒せばその際は全員降伏するのか。謀反を起こしたわりには、潔いのだな」
「儂をただの権力の亡者と一緒にするな。儂が反乱を起こしたのは、貴様では甘すぎると思ったからよ」
ジルベールはもう話は終了だとばかりに再び動き出す。先ほどまではじっとアリシアの攻撃を堪え忍んでいたが、今は一転猛烈な勢いで攻めかかる。一つ一つの攻撃は大ぶりで躱しやすいが、同時にもし一撃でも当たってしまったら即座に大ダメージを負いそうなほど危険な攻撃であった。
その連続攻撃をアリシアはただ避けることしかできない。金属製とはいえ、精々の胸から膝までの鎧を着ているジルベールに対して、全身鎧を着ているアリシアは普通動きが遅くなるものだが、実際にはアリシアのほうが素早かった。避けることに専念しているとはいえ、息もつかせず連続攻撃をして来るジルベールの攻撃を全て完全にかわしている。
さっきまで懸命に攻撃していて、今はひたすら回避し続けている。アリシアの体力は普通なら既に限界を迎えているはずであったが、ドラゴンの角で作られた剣の鞘の効果で徐々に回復していた。ジルベールの猛攻が終わる際には、ジルベールは大きく肩で息をしていたが、逆にアリシアは猛攻の始まる前とほとんど変わらない状態だった。もちろんアリシアは剣の鞘にそんな効果があるとは知らないので、そんな意図はしていなかったが、戦いの天秤はアリシアに傾いていた。
「儂は全てを手に入れる! レトナーク王国だけではなく、ルズベリー教国もブレジアス共和国もそしてレンブランク帝国もだ! それこそがあらゆる民が幸せになれる唯一の道! 貴様ではたどり着けぬ王道よ!」
ジルベール・バタイユが自分を奮い立たせるために吠える。その眼にはちらちらと狂気の炎が見え隠れしている。
「……そうかもしれんな。だが私は私のやり方で民を幸せにする! 例え多くが幸せになるとしても、少数を切り捨てたくはない! それが私の王道だ!」
アリシアはこの戦いを終わらせるため、次の一撃にすべてを込める。イメージするのは、エンペラーウルフを両断したケレスの一撃。体の正面を右斜め前に向け剣を右脇に下ろし、剣先を後ろに下げる。ジルベール・バタイユも雰囲気の変化に気づいたのか、剣を両手で下段に構える。
寸刻のにらみ合いのうち、アリシアが飛び出した。振るわれたのは、ケレスより遥かに遅く、鈍い一閃。ジルベールの脇腹を切り裂くように向かってくる剣に対して、ジルベールは下段から切り上げて、力でアリシアの剣を弾き飛ばそうとする。剣さえ打ち合えば、膂力に勝る自分が剣を弾き飛ばせる、そうジルベールは確信していた。
しかし、アリシアのその一閃は確実にジルベールの右わき腹を切り裂いていた。剣と剣がぶつかり合った刹那、アリシアの剣はジルベールの剣を切り裂き、ジルベールの鎧も切り裂き、そしてジルベールの身体さえ切り裂いた。ジルベールの胴体からは真っ赤な血が吹き出し、彼は零れ落ちる臓物を必死に抑えているが、あれは致命傷だろう。
「ぐふっ、がはっ……。……だが、貴様では……あの帝王には勝てん。これで……この国も終わり……よ。……くそっ……」
それがジルベール・バタイユの最期の言葉だった。




