十話
「ところで、どっちに行けばいいんだ」
操舵輪を握りながらアリシアに聞く。甲板に吹く風が気持ちいい。
「えーと、このまま北東の方角に行けばいいと思う」
どうもあいまいな道案内だ。……そういえば、アリシアは首都から出たことがなかったんだったか。なんだかこの無計画さが心配になってきたのでいろいろと尋ねる。
「一つ聞いておきたいんだが、これから戦う軍部には、どんな奴らがいるんだ? 強いから気を付けたほうがいい相手とかいるのか?」
「ああ、すまない、伝えるのを忘れていたな。まあ、あくまで私も聞いただけなのだが、軍部で一番強いのはクロード・ビュリダンという男だ。こいつは強さを買われてジルベール・バタイユの護衛役をしているから、おそらく近くにいるだろう。その他については、……私も軍部で剣の訓練を受けたりしたが、私と同じくらいかそれより強かったのはおよそ一軍団千人の内上位十名ほどだ。全部で十二軍団あるから百二十人ほどが私と同じくらいかそれ以上の力を持っているということになるな。あと軍部の人数は……、どの軍団が首都にいるかは行ってみないとわからないな」
「魔法使いはどれくらいいるんだ?」
そう聞くとアリシアは目を瞬かせ、思いもよらないことを聞かれて、一瞬呆けた様な表情をした。
「魔法使い? 魔法が使える人間か? それなら百人に一人くらいはいると思うが」
「百人に一人? そんなに少ないのか?」
「まあ、魔法の才能を持つ人間は少ないしな」
『エイジオブドラゴン』では、特定のジョブにつけばだれにでも魔法が使えたはずだ。まあプレイヤーという時点で普通ではないかもしれないが。この世界では違うのだろうか。そこであることを思い出した。
アリシアに【鑑定/アナライズ】の魔法をかけたとき、ジョブレベルが表示されなかったことだ。それゆえ、アリシアは『エイジオブドラゴン』でいえばどのジョブにも属していない、いわゆる“無職”の状態であったのだが、もしかしてこの世界にはジョブという概念がないのかもしれない。
“無職”の状態とは、ゲームで言うとキャラメイクをしてスタートしたときのままで、何のジョブにもなっていない状態の事である。この状態は、ジョブ特有のスキルや固有の特徴がなく、強さもジョブについているときに比べてはるかに弱い。なので、ジョブにつくことが出来る二十レベルになるとほぼすべてのプレイヤーが何らかのジョブにつく。ジョブにつくとレベルはまた一からスタートだが、その時点で“無職”レベル二十の時とあまり変わらないようなステータスになるので、レベル二十になったらプレイヤーはさっさと思い思いのジョブにつくのが普通だった。中には、何か隠された秘密があるのではないかと“無職”をレベル百にした猛者もいたが本当に何もなかったようで、時間がたつにつれて“無職”なのは本当の初心者しかいなくなり、絶滅危惧種のような扱いを受けていた。
もしそうだとすれば魔法を使う人が少ないのもうなずける。魔法は基本的に魔法職につかないとあまり覚えることが出来ない。“無職”でも使えないことはないが、ステータスが弱く魔法を多用することが出来ない上、そもそも覚えられる魔法の種類が非常に少ないし、はっきり言って使うメリットはない。装備品を整えれば魔法使いプレイもできないことはないが、そんなことをしている暇があったら速くレベル二十にして魔法職に転職したほうがずっと意味のある行動だろう。……まあ、ゲームに意味があるかと言われればそれまでなんだが。
まあ百人に一人くらいだったら無視してもいいだろう。娘たちは魔法に耐性が付くガルヴォルン製の武器を着けているし。そう思い、魔法使いのことを頭から追い出す。他にもまだ聞かなければならないことが残っていた。
「それじゃあ、もう一つ聞いておきたいんだが、王都を急襲するって言ってもどうするんだ? 王都のどこにジルベール・バタイユがいるか知っているのか?」
俺がそう言うと、アリシアは途端に声を低くして答える。
「……私が一番されたくないこと、そしてジルベール・バタイユが真っ先にやろうとするであろうことは、妹の即位だ。王家は王族の血を引くものしかなれないから、ジルベールが権力を得るには母上と婚約し、妹を傀儡にする他ない。……まあ、妹が王になって私が補佐するという選択肢もないわけではないが、やはり私は妹を王に即位させたくない。だからその前に止めなくては。私のためにも妹のためにも。そして、その即位の儀式は城の玉座の間で行われる。他のところで行っても認められない」
「ならとにかく城内、特に玉座の間を抑えればいいんだな」
「ああ」
アリシアは鋭いまなざしで前方を睨み付けるように見ていた。
そのまま四時間ほど空を進むと、遠くにぼんやりと都市の周りを囲う城砦のようなものが見えてきた。昨日寝てなかったので、三時間ほどイヴに操縦を任せて眠らせてもらった。目覚めもよく、体調は万全である。
眠ったので身体の疲れは取れているが、未だに眠っている体を起こそうと、俺は甲板の上で戦いのための準備体操を始める。とりあえずシャドーボクシングを始める。特に仮想の敵を想定はしないが、フットワークとパンチのコンビネーションを中心に行う。拳が風を切る音と靴が甲板をこする音が響き渡る。五分ほどすると体が温まってきたので大きく息を吐き、準備体操を終える。いつの間にかアリシアが近くに寄って来て、その様子をじっと見つめていた。
「……見事なものだな。素手でどうやって戦うのかと思っていたが、下手な槍よりもよっぽど威力がありそうだ。それに何よりそのスピード。近くに寄られたら剣を振る間もなく連打で沈められそうだな」
「少しは俺の力も信用してくれたかな」
気障っぽくそう言ってアリシアの方を向くと、なぜか彼女はそっぽを向いてしまった。
「見えてきたな」
そんなことをしている間に都市の外壁がはっきりと見えるようになっていた。
「あれが首都ディアリスなのか? だがあれは……」
その都市は『エイジオブドラゴン』の、ミゼリティ大陸を統一したレトナーク王国の首都、セント・アリシアにそっくりだった。少なくとも上空から見た限りでは都市の形が全く同じである。
「それでどうやって乗り込もうか。四つの門全て封鎖されているな……」
アリシアが難しい顔をして考え込む。首都ディアリスには四つの門があり、その前には軍勢がひしめいている。よく見ると四つとも掲げている旗が違い、アリシアが言うにはそれぞれ一軍団が一つの門を封鎖し、絶対に中からも外からも出入りできないようだ。
「どうするんだ? どれかを突破するのか? あまり手間取るとほかの門の軍勢まで駆けつけてきそうだな」
そんなことを考えている間に都市の全体をはっきり目視できる距離にまで来ていた。都市の周りには隠れられるような場所もなく、奇襲することはできない。夜ならばどうかわからないが、アリシアは夜まで待つようなことはしないだろう。こっちの姿も発見されているようで、たまに地表から火の玉や氷の槍などが飛んでくるが、当たりはしない。
「じゃあ飛び降りましょう」
二人でうんうん唸っていると、《オーバードライヴ》の反動から動けるようになったイヴがとんでもない発言をした。それと同時に船のスピードを最高時速にする。
「……えっ?」
二人で同じ声を出してしまった。理解が追い付かないうちに、俺もアリシアも娘たちに胴上げのような形で抱えられる。
「それじゃあ王城の上まで来たからこの船を手のひらサイズに戻しますね」
「いや、ちょっと待っ」
突然の浮遊感に抵抗することもできず、ただ悲鳴を上げることしかできない。
「うわあああああああああああああっ!」
「いやあああああああああああああっ!」
十秒ほどの後、軽い衝撃が襲った。恐る恐る目を開けると、そこは既に、さっき空から見た都市の中心部に位置する王城、そのなかでも周りを四角形の城壁のようなものに囲まれた城の内の庭園だった。周りの城壁のようなものも城の一部であり、空からその城壁のような建物を飛び越えていきなり中に入ったので、目の前にはこの王城の心臓部である、俺の屋敷より大きな五階建ての本丸が、堂々とその姿を誇っている。
周りの庭園も美しく、こんな時でもなければゆっくりと見て回りたいところだが、あいにく今の俺たちにそんな時間はなかった。芝生の上に優しく下ろされる。
「さて、到着です」
上空五百メートルほどから飛び降りたが、何事もなかったかのようにイヴがそう言う。他の娘たちもけろりとしているが、本当に大丈夫なのだろうか。
「だ、大丈夫なのか?」
「ええ、小さな風晶石を一つ使ってしまいましたが大丈夫ですよね?」
「……ああ、まあそのくらいかまわないが」
風晶石は風を生み出す晶石である。おそらく今回は込められた魔力を普段通りにそのまま垂れ流しにしたのではなく、意志を込め方向を定めて全ての魔力を一気に使ったんだろう。地面の芝生が上から強い力をかけられて、少しつぶれたように倒れている。
「……もう二度とあの船には乗らんからな」
涙目になりながら、震える声でアリシアは言う。
「……俺も一度でいいや」
そんなことをしていると庭園に、周りの城壁のような建物からぞろぞろと武装した兵士たちが集まってきた。武器を構えながら俺たちの周りを囲んでいく。
「私が誰だか分かっていて武器を向けているのか」
アリシアがそう言うと、一瞬ひるんだようであったが、兵士たちは何も言わず武器をこちらに向け、俺たちを取り囲んでいる。
「……一つだけ聞きたい。ジルベール・バタイユはどこにいる」
アリシアがそう問いかけるも、返事はない。そうしている間にも二百人ほどが周りを囲んでいた。さらに多くの兵が庭園内を走り、こちらに向かってくるのも見える。
「ならば、まずは玉座の間まで突き進む!」
そう言ってアリシアは前に向かって走り出した。アリシアが進むならば、その露払いをするのが我々の務めだろう。
「道を切り開け!」
娘たちはその言葉に反応し、無言でアリシアの前方にいる兵士をなぎ倒していく。あっという間に包囲の一部が崩れた。着ている〈深淵の鎧〉の禍々しい姿もあって、鬼神のような娘たちの前には、ドラゴンが十体いても、時間稼ぎくらいにしかならないだろう。俺も遅れないように走り始めた。
城の入り口まで着き、後ろを振り返ると倒れ伏した兵士たちがそこらじゅうに転がっているが、それ以上に多くの兵がこちらに向かっていた。おそらく、門のところにいた四軍団もこちらに向かっているだろう。
「きりがないな。……半分はここで敵が城の中に入るのを食い止めてくれ。全て倒す必要はないからとにかく城の中に入れないように」
そう命じると娘たちは黙って頷いた。もう半分の娘たちを連れてアリシアと共に走り出す。このディアリス城の構造は知らないが、おそらく『エイジオブドラゴン』のセント・アリシアの王城と同じだろう。……少なくとも外観は同じだった。だったら内部構造も大分把握している。玉座の間というのは、あの最上階の五階にある場所だろう。
王城の廊下をひたすら走る。たまに部屋から出てくる鎧姿の兵士たちを、娘たちは走る速度を落とすことなく一撃で殴り倒す。階段のところまで来たら娘たちを十人ほどその階に残し、その階を制圧させていた。そのおかげで後ろから走ってくる敵はおらず、前だけを見て進むことが出来る。
城では一気に五階まで行けるような階段はないらしく、一階ごとに上に行く階段が全く別の場所にあった。先頭に立っているアリシアのおかげで最短距離を走っているが、まるで城の内部は迷路のように入り組んでいる。『エイジオブドラゴン』の王城とも階段の位置が微妙に違っていたので、もしアリシアがいなければ内部で迷子になっていただろう。
玉座の間に近づくにつれて、兵士の抵抗がより激しくなってきた。捨て身の攻撃をしてくるが、娘たちは意に帰さず受け流す。ここまでして行かせたくないという事は、おそらく玉座の間にジルベール・バタイユがいるのだろう。城内を制圧させるため一階ごとに娘たち十人を別行動にさせたので、五階の玉座の間の扉の前に来た時は、既に俺とアリシア、イヴに十人の娘たちだけであった。走り続けたので荒くなった息を整えながら、玉座の間の扉の前で準備を整える。ちなみに扉の前の門番は既に昏倒させられていた。
「じゃあ五階の玉座の間以外を十人で制圧してくれ」
そう言うと、イヴが小声で反論する。
「いくらなんでも護衛が私一人というのは少なすぎます、中に何人いるかわからないのに」
「自分の身くらい自分で守れるよ」
俺も娘たちに身を守られてばかりではいけないだろう。俺の身を守るために、制圧するための人数を減らして、もし娘たちが傷を負ったりするのはあまり見たくない。この中に何人いるか分からないが、玉座の間の大きさからして多くても百人ほどだろう。仮にその全員が敵だとしても、今までの兵士たちの強さを見る限りそのくらいだったら俺とイヴの二人で何とかなるのではないか。少なくとも、娘たちが助けに来るまで時間稼ぎ位はできるだろうし、本当に危なかったら一時部屋の外に撤退すればいい。
それに中に軍部以外の者もいるなら、ある程度俺個人の力も見せておかねばならない。もはや黒騎士たち――娘たちの力は疑いようはないだろうが、俺自身が舐められないとは言い切れない。この戦いの中で俺の力も見せておいた方がこの後アリシアが女王になってから、よけいなちょっかいをかけてくる者も減るだろう。
「しかし……」
「どうやら長話をしている暇はないようだぞ」
アリシアが囁くように言った。一体どこから湧いて出てきているのか、兵士たちがぞろぞろと集まってくる。
「じゃあ、この中に入れないように扉を守ってね」
そう十人の娘たちに向かって言うと、渋々イヴも納得したようであった。
「それでは、準備はいいか?」
「ああ、問題ないよ、我が女王陛下」
「……フッ、まだ王女だ」
そう言うとアリシアは扉を開き、堂々と歩いて中に入っていく。その姿は自信と強固な意志に満ち溢れ、どう見ても王以外の何物にも見えない。こういうやつが英雄とかカリスマとかいうんだろうなと思いながら、イヴと共にアリシアの後ろについて玉座の間に入った。




