九話
そんなことをしている間にも、ドラゴンは近づいていた。およそ距離にして三百メートルほどだろうか。次第に竜巻が近づいてくる様子には、本能的な恐怖を感じる。例え竜巻より中のドラゴンのほうがずっと危険だと知ってはいても。
イヴが弓を構え、腰の横に下げられた矢筒から矢を引き抜き、引き絞る。引き絞られた矢はぶるぶると震えることもなく静止している。まるで弓を引き絞った姿のまま、イヴの時間が止まってしまったようだ。
船の甲板には百人を超える人数がいたが、聞こえてくるのは船が風を切って進む音と竜が纏う竜巻のかすかな音だけだ。一瞬の静寂のうち、その音に矢が風を切る音が加わる。放たれた矢は、過たずドラゴンの右の翼を射抜いた。纏っていた竜巻が消え、ついにドラゴンが姿を現した。
「あれが、……ドラゴン」
アリシアが、高いところにいるという事も忘れ、ただ純粋に見とれていた。その堂々とした姿、力を見せずとも感じられる圧倒的な存在感は一種の神々しささえ感じられる。アリシアは、ドラゴンを神としてあがめる人たちがいると言っていたが、今ならその気持ちもわかるだろう。自らよりあまりに差がある上位の存在に対して、人は劣等感や嫉妬などが湧くことはなく、ただ純粋に畏敬の念しか浮かばないのである。
おそらく風をあやつって浮いているのだろう。翼が射抜かれても全く動揺することもなく、そもそも翼を動かしてもいなかった。銀色の鱗に包まれた堂々たる体はまるで、大空を支配する王のようであり、ねじれた二本の角が特徴的な顔は、ドラゴンの表情の変化など分からないが、怒っている雰囲気を出している。
しかし、ドラゴンは怒りに任せてそのまま突撃してくることはなく、逆に少し遠ざかるように後ろに下がった。そしてまた竜巻を纏い始める。
「……向かってこないな。逃げられるか?」
アリシアが希望をこめてそう言うが、ドラゴンの戦意は全く衰えていないように見えた。このままスぺリナ川を越えても、もしドラゴンが追ってきたら、最悪の場合首都の上空で戦わなければならないかもしれない。だから、できればここで倒しておいたほうがいいだろう。そう言おうとしたとき、突然船が大きく揺れる。その揺れに立っていられず、しりもちをついてしまった。
「な、なんだ!?」
アリシアが耳の近くで叫び声をあげる。俺も立ち上がろうとするが、アリシアにしがみつかれていて起き上がれない。
「お、落ち着け」
アリシアをどうにかなだめて離れさせ、起き上がると既に娘たちは起き上がっていた。イヴが厳しい顔をして話しかけてくる。
「どうやら風を使ってこの船を直接攻撃しているようです。幸い竜巻ではなく、ただの強い風なので未だに船体にダメージはありませんが、その分攻撃が目視できません」
「チッ、止めるにはあいつを倒すしかないということか」
つい舌打ちが漏れる。……今の舌打ちはあまり教育に良くないかもな、娘たちの悪い見本だ。反省。
「……あの距離じゃ当たるかどうかわかりません。距離もですが、あれだけ遠いと風を使って矢を逸らされるかもしれません。仮に一、二本届いても倒すには足りませんし……」
イヴが悔しそうに言った。俺が遠距離の攻撃手段を持った自動人形をイヴのほかに作らなかったのが、こんな状況になってしまった原因なのに、イヴがずいぶん責任を感じてしまっているようだ。
イヴが使っている矢は、家の周りで切り倒した木と、娘たちがラルズール山から取ってきた鉄、開拓中に襲ってきたコカトリスというモンスターの羽で作られている。矢の質より量を追及したため、特殊な効果はなく攻撃力はもっぱらイヴ頼みの矢であった。
この矢をどれほど当てたら倒せるだろうか。少なくとも十数発は当てないとだめだろう。量より質を追求した方がよかっただろうか。でもそのためには貴重な素材を使わなければならないし……。そんなことを考えていると、ある矢のことを思い出した。
「そうだ、確か……」
アイテムポーチに手を入れ、黒く禍々しい矢を取り出す。〈必殺の矢〉、命中率にマイナス補正がかかるものの、もし当たれば対象を一撃で葬り去れる矢である。これは自分で作り出すことのできる矢ではなく、とあるモンスターのドロップアイテムである。
「……それは、〈必殺の矢〉……ですか」
「まあ一本しかないが。はずれたらもう打ちまくるしかないな。この船が先に墜ちるか、ドラゴンが先に墜ちるかの勝負といったところだ」
できればそんなことにはなってほしくない。俺や娘たちは【リターン/帰還】の魔法があるからどうにかなるだろうが、アリシアはどうなるだろうか。すくなくともこの船は大破するだろう。
「……絶対当てて見せます」
イヴが静かに闘志を燃やす。そして先ほどと同じように上目づかいでお願いをしてきた。
「それから……、《オーバードライブ》も使ってくれませんか?」
「だが……、《オーバードライブ》は……」
《オーバードライブ》は《ブースト》よりもさらに強力に、自動人形の強化をするスキルである。その上昇率は《ブースト》を遥かに凌ぐが、効果時間は一分ほどで、しかも使用した後はしばらく動けなくなってしまうという、人形遣いの切り札的なスキルであるが、使用するタイミングが非常に難しいスキルでもある。
おそらく命中率を上げるためだけに使ってくれと言ったんだろうが、今使用すると、もし〈必殺の矢〉を外したら、もうドラゴンに攻撃する手段がなくなってしまう。〈必殺の矢〉を外したあと、ほかの矢で一分以内にあのドラゴンを倒すのはいくら《オーバードライブ》を使って攻撃力が上がっていても無理だろう。まあ《オーバードライブ》を使わなかったとしても、〈必殺の矢〉を外したら、この船が墜ちるまでにドラゴンを倒せるかどうかは分からないが。
「この一矢で決めます。……だから私を信じてくれませんか?」
イヴは矢を握りしめながら真剣な表情で訴えてくる。娘に信じてくれないかと言われたら、親なら信じるという言葉以外、言うわけにはいかないだろう。
「……わかった。信じるからな」
そう言うと、一瞬だけイヴはとてもうれしそうな表情をするが、すぐに真剣な表情に戻り弓を構えた。
「それじゃあ、使うぞ」
そう言って、《オーバードライブ》を発動する。イヴの周りに赤いオーラが立ち上る。……初めてこのスキルを使用したが、ちゃんと発動できたようで、良かった。
「んっ、ふーっ……」
イヴは声を押し殺し、何やらブルブルと震えた。その後すぐに弓を構え直し、真剣な表情で引き絞るが、顔が少し赤い。アリシアからはさっきよりもさらに冷ややかな目線を浴びせられる。いったい何なんだろうか。
とりあえず事ここに至っては、もはや俺だけではなく他の娘たちも、もちろんアリシアもただ見守ることしかできない。いや、俺は《オーバードライブ》をかけられるだけましなのかもしれない。とにかく皆祈るような思いで弓を引き絞るイヴを見守った。
一直線に飛んでいく真っ黒な矢。その黒い光線は、ドラゴンの周りに渦巻く竜巻の中に吸い込まれて見えなくなった。当たったのだろうか。全員がかたずをのんで見つめていた。
数瞬の後、ドラゴンを覆う竜巻は消え去り、銀色の巨体がゆっくりと墜ちていった。翼を使わずに空を飛んでいたドラゴンは、最後は翼を動かすこともできずに川に墜ちた。いつの間にか、スぺリナ川を越えていたようだ。ドラゴンの巨体は川に流されながら、だんだんと沈んでいく。
座り込んで動けなくなっているイヴのもとに行く。とりあえず、褒めてあげなければならないだろう。
「よくやったな」
そう言って頭をなでてやる。努力をして難題を解決した娘を褒めてあげる。今までになく父親のようなことが出来ているのではないだろうか。
「はい……」
イヴはまぶしそうに目を細めた。
「……いいのか? ドラゴンの体を回収しなくて。あれを売ればとんでもない値がつくと思うが」
ドラゴンを倒したからか、幾分顔色のよくなったアリシアが話しかけてきた。
「急いでるんだろ? 速く首都に急ごう」
「ああ、……ありがとう」
どうやら、アリシアもだいぶ高いところに慣れてきたようだった。




