八話
「それで、どうやって首都まで行くつもりなんだ?」
玄関から外に出てすぐにアリシアが聞いてきた。場所はまだ家を囲う柵の中、菜園がある庭のなかである。
「これを使う」
そう言ってアイテムポーチから手のひらに乗るサイズのあるものを取り出し、空に向かって放り投げる。放り投げられた何かは一瞬のうちに巨大化し、空に浮かぶ帆船となった。
全長が三十メートルほど、船首は竜の顔をかたどっている。船体は木とも金属とも区別のつかないもので作られており、風もないのに帆が大きく膨らんでいる。
「……君には驚かされてばかりだな。これも君が作ったのか?」
アリシアは苦笑いのような表情を浮かべながらそんなことを言う。
「いや、違う。これはスキーズブラズニルという魔法の船で、昔とある遺跡の中で発見したものだよ」
正確には、『エイジオブドラゴン』のとあるクエストで報酬としてもらったものだ。とあるダンジョンの捜索依頼で、依頼人とともに遺跡の中で見つけたものを報酬としてくれた。
『エイジオブドラゴン』はとても広いフィールドを持っているので、徒歩で歩き回っていては、目的地に行くだけでかなりの時間を使用してしまう。なのでこういった空飛ぶ魔法船などの移動手段や、一度行った都市に瞬時に行くことのできる【テレポート/転移】の魔法などはほぼ必須なものであった。まあ、フィールドも作り込まれているので、ただぶらぶらと歩き回るだけでもなかなか楽しいが。
「しかし、これに乗るのか……」
アリシアが小さな声で呟く。その顔はどこか引きつっていた。
「どうした、何か問題があるのか?」
「い、いや、なんでもない。早く行こう」
「そうか。百人以上が乗るには少し狭いかもしれないが、我慢してくれ」
そう言って、甲板から垂れている縄梯子を上り、空飛ぶ船に乗り込んだ。
「こ、この船墜ちたりしないよな?」
甲板でアリシアが青ざめた表情で尋ねてくる。こんなに弱気な彼女を見たのは初めてだった。さっきまであれほど堂々とした立派な姿だったのに、今は乙女のようだ。一方の俺は、ゲームではない本当の冒険にすこしテンションが上がっていた。
「なんだ、高いところが怖いのか? 大丈夫だよ、……多分」
俺もこのスキーズブラズニルに乗るのは初めてだし、操縦の仕方も分からないが……。そう考えると少し心配になってきた。とりあえず、操舵輪の前に行くと操舵輪のほかにもう二つ、操舵輪の左右両側の甲板から自動車のシフトレバーのようなものが伸びている。そのほかにはなにもないので、多分どちらかが速度を、もう片方が高度を決めるものなのだろう。二本とも、奥から手前まで動かせるものだが、右側は一番手前に、左側は真ん中くらいになっている。
「まあ多分、右が速度、左が高度を決めるものだろうな」
ならば、右のレバーを倒せば前に進むはずだ。
「多分ってなんだ! まさか操縦したことないのか!」
アリシアが顔面を蒼白にして叫ぶ。足は震えて、まるで生まれたての小鹿のようであった。
「大丈夫、大丈夫。それじゃあ出発するぞ」
そういって右側のレバーを真ん中くらいまで倒すと、船は前に進み始めた。
「ほら、大丈夫だっただろ」
「本当に初めてなのか……。……し、死ぬときは君も一緒だからな」
アリシアはそう言って力をこめてしがみついてくる。鎧が当たって痛いし、操縦しずらいから離れてほしいのだが。
「もう少し高度を上げるか。……どっちに倒せば上がるんだ?」
「こ、これ以上高くなるのか?」
奥に倒してみると船首が下に向かって、船がだんだん地面に近づいていく。そもそもの高度が低かったので、すぐに地面すれすれまで高度が下がった。
「おっと、危ない危ない。こっちじゃないのか……」
慌てて手前に倒すと、船首が上に上がり、船が上空へ向かって昇りはじめた。
「ほら、簡単だろ。もう操縦は完璧だな」
楽しそうに言ってみるが、アリシアは目をつぶり、頭を横に振っている。もう何も言う気力がないようだった。
「……お父様、敵です」
スぺリナ川がもうすぐ見えてくる頃、突然船尾にいたイヴが走ってきた。船内にいた娘たちも甲板に出てくる。見た目は〈深淵の鎧〉をつけているので、ほかの子たちとあまり見分けがつかないが、声で分かった。もっとも、その声も兜の中でくもぐっているが。
「て、敵? どこだ? 何が出た?」
少しは立ち直ったアリシアが剣を構えようとするが、まだ足は震えている。戦闘では役に立たないだろう。イヴはそんなアリシアをあきれた顔で見ていたが、すぐに真面目な顔をして答える。まあ実際にはイヴの顔は見えないが、そういう雰囲気を出していた。
「……ツイスタードラゴンです」
ツイスタードラゴン、別名旋風竜、レベル九十一のモンスターである。名前の通り竜巻を体にまとい、近づくだけでもダメージを食らう、前衛職殺しのドラゴンだった。
「……もしかしてあれか? ……ここから見ているだけで、震えが止まらないんだが」
アリシアが後方を指さし、震えながらそう言った。もっとも震えが止まらないのは、さっきからだが……。まあそれは言わないことにしよう。アリシアの指さした方向を見ると、灰色の竜巻をまとった何かがだんだん近づいてきていた。その竜巻からは銀色をした何かの尻尾や足の先がはみ出している。
「地上なら負けないと思うが……。逃げられないか?」
願望を込めてイヴに聞いてみる。しかし、返ってきたのは嬉しくない答えだった。
「無理そうですね、速すぎます。せめて風を操る竜以外なら何とかなったかもしれませんが。……戦うしかないでしょう」
「しかし……」
「何か問題があるのか? あいつは百人いても倒せないほど強いのか?」
アリシアが涙目になって聞いてくる。
アリシアって、こんな人だっただろうか? もっとカリスマというか強い信念に満ち溢れていて、堂々としていたような気がする。まあ、昨日会ったばかりなのにそんなことをいうのもなんだが。……そんなに高いところが怖いのだろうか。
「いやそんなことはないが……。はっきり言って攻撃する方法がイヴの弓しかない。他の子たちはみんな近接武器だしな。まさか風を使う相手に飛び掛かるわけにもいかないし……」
遠距離武器は、消耗品の矢や弾を作らなければならず、面倒だったのでイヴ一人しか作らなかったが、失敗だったか。せめて俺だけでも遠距離攻撃する手段を持っておくんだった。今更後悔してももうすでに手遅れだ。まずはとにかくこの状況をなんとかしなければならない。
「私に任せてください」
そう言ってイヴは胸を張る。その手には弓が握られていた。弓はM字に屈曲しており、長さは百五十センチ、イヴの身長よりやや大きい、木の弓だった。娘たちの武器や防具は基本的に、ガルヴォルンという、魔法が効きづらいという効果を持つ魔法金属によって作られている。しかし『エイジオブドラゴン』では、基本的に弓を金属で作ることが出来なかったので、このイヴの弓だけはユグドラシルという、どんなに力を加えても折れないという木の木材で作られている。
「……ああ、任せた」
だが、イヴ一人で倒せるのだろうか。あのドラゴンはレベル九十一、俺だけじゃなく娘たちでも決して油断していい相手ではない。しかも、体に竜巻を纏っているから、近づかれただけでもこの船が危ない。
「それで……、その、《ブースト》を使ってくれませんか」
なぜかとても恥ずかしそうにもじもじとしながら、イヴが上目づかいでお願いしてくる。
「あ、ああ、そうだな」
《ブースト》は人形の全てのステータスを強化する人形遣いのスキルである。使用すると一時間の間、かけた人形の全能力値が上昇すると言う、『エイジオブドラゴン』では人形遣いの生命線ともいえるスキルである。しかしこの世界では戦いの際に娘たちは必ず集団で戦っている。特に俺と一緒にいる際は、三十人での集団戦が基本であった。
現実の集団戦では、ある個人の技量が突出していてもあまり意味がない。集団戦では大体戦力というものをそろえるのが基本であり、仮に突出した力量を持っていたものがいても集団の中では十分に力を発揮できず、結局集団の中で最も弱いものを基準に集団の強さが決定される。
それ故、集団となっている娘たちの中の一人に、一人にしかかけられない《ブースト》を使っても、むしろ邪魔になってしまう可能性もある。つまり、人形遣いとして俺が出来ることは、せいぜい回復くらいであったが、そもそも集団で一気に敵を殲滅するためかすり傷すら負わないことがほとんどであった。父親としては喜ぶべきことだろうが、人形遣いとしては本当にすることがなく、さらにせめて戦闘に参加しようと思っても、もし仮に俺が集団戦の中に入ると、さらに集団としての強さが弱くなってしまうという事実もある。
集団戦で俺に求められているものがあるとしたら、おそらく指揮能力であろう。状況を瞬時に把握し、一人一人に的確な指示を与える。それが出来れば集団はさらに強くなるのだろうが、そもそも娘たちの動きが速すぎて、指揮などできるはずがなかった。最も、彼女たちはまるでお互いの心が分かっているような動きをしているので、指揮すらも必要ないのかもしれないが。
そんな、戦闘ではほとんど役立たずな俺も久しぶりに役に立てる、そう思いながらスキルを発動した。イヴの周りに青いオーラが立ち昇る。
「ん、あっ……ふぅ……」
イヴはなぜか、妙に色っぽい声を出す。……さらになぜかアリシアから、軽蔑するような目で見られた。




