六話
アリシアと一緒に夕食を取った後、一人で中庭のベンチで空を見上げていた。今日も満天の星空が広がっている。そういえば一か月前にもこんなことがあったな。そんなことを思っていると、その記憶と同じ声が聞こえてきた。
「……どうしたんですか、お父様」
空を見上げていた視線を地上に戻すと、やはりあの時と同じく妖精のような少女がそこにいた。
「アリシアさんに協力するかどうかで悩んでいるのですか?」
イヴはそう言って、あの時と同じように隣に座る。
「まあね」
頭を掻きながらそう言うと、少し不満げな表情でイヴは言った。
「一か月前にも言いましたよね、一人で抱え込まないでくださいって。別に私じゃなくてほかの子たちでもいいから、心配なこととか、不安なこととか、なんでもいいから話してください」
やはり、見抜かれていたようだ。父親としてかっこいい姿を見せたいとは思わないわけではないが、そのために背伸びして失敗するのは一か月前にやめにした。家族なんだから少しくらいかっこ悪いところを見せたっていいじゃないか。そう思い、素直に話すことにした。
「……そうだな、じゃあ話を聞いてもらおうかな。イヴはアリシアの事どう思った?」
「そうですね、……まあ悪い人ではないと思いますよ」
返ってきたのは何とも漠然とした答えだった。
「ふふ、俺もそう思うよ。良くも悪くも純粋な人だろうし、そこが好ましい。嘘をつけるようには思えないから、きっと話した内容も本当なんだろう。もし、俺一人が力を貸してほしいと頼まれたら躊躇せずに助けるだろうね」
彼女はまさにヒロインというか、英雄と言うかそんな存在だろう。そこにいるだけで周りの注目を集めるような、いつも人々の中心にいるようなそんな特別な人間だ。そんな人が助けを求めている。その事だけでみんなが彼女を助けようとするだろう。俺も自分がヒーローだとは思わないが、彼女を助けたいとは思う。それにこの状況は、心のどこかで待ち望んでいた“日常の変化”でもある。
「……それは私たちがいるから自由に生きられないということですか?」
イヴのほうを見ると、捨てられた子犬のような表情でこちらを見ていた。そんなことはないと慌てて否定する。
「いやいや、そういう意味じゃない。もし、力を貸してほしいと言われたのが俺だけだったらっていうことだよ。でも、実際俺一人の力でアリシアを王にするのなんて不可能だ。でも、イヴたちの力があればアリシアを王にすることが出来るかもしれない」
「だけど、私たちを戦争に行かせたくない……ですか?」
「ああ、俺個人としてはアリシアは好ましい人だし、できれば助けたいと思っている。でも、それ以上にみんなに危ないことをしてほしくないとも思っている。あくまで俺の中の優先順位はみんなが一番、俺が二番、アリシアは三番目以降だ」
それに、言ってないのだが、娘たちに人を殺めるということをできればしてほしくない。まあ、モンスターを殺させている時点で今更かもしれないが。俺自身の心の問題だ。
「ふふ、ありがとうございます。でも、二つだけ言いたいことがあります。まず一つ目は、一番目は、私たちだけじゃなくお父様もです。娘たちと自分どちらも一番目にしてください、本当は一番目を自分だけにしてほしいところですが。……それから二つ目は、……アリシアさんを助けてあげてください」
まさかイヴがこんなにはっきりと俺の行動を決定させるような言動をするとは思わなかったので少し驚いた。
「だが……」
「もし、助けなかったら、お父様はずっと後悔します。お父様は優しい方ですから、私たちのために迷っていることは知っています。でも、優しいからこそ、ここでアリシアさんを見捨てたら一生後悔すると思います。だから助けてあげてください、お父様自身のためにも。……言いたかったのはそれだけです、おやすみなさいお父様」
そう言ってイヴは南館に入って行った。再び一人になった中庭で未来を考える。もし、アリシアが王になったらどうなるか、ジルベール・バタイユが独裁者になったらどうなるか。
ジルベール・バタイユが独裁者になったらスぺリナ川のこちら側に攻めてこないだろうか。今までは大丈夫だったらしいが、これからもそうだろうか。力を求めた独裁者は、更なる力を求めて大陸の全てを支配しようとはしないだろうか。
そうなったら一つの国と戦って勝てるだろうか。もし、アリシアを助けたらどうなるだろうか。少なくとも一国を相手にするより、アリシアを助けて恩を売り、従属すれば少なくともアリシアが生きている限りは安泰だろう、彼女の性格を鑑みるに。そんなことを思い悩んでいるうちに夜は更けていった。
「……それで、返事を聞いてもいいだろうか」
一緒に朝食をとった後、アリシアは緊張した面持ちで口を開いた。答えはほぼ決まっていたが、彼女に一つだけ聞きたいことがあった。
「……その前に、一つ聞いてもいいだろうか。君が王になろうとするのは、妹のためなのか、それとも民のためなのか」
「……初めは、妹のためだった。あの心優しく思いやりがあり、虫も殺せないような妹を冷たい玉座に座らせるわけにはいかない、そう考えていた。だが、視察を行うことでディアリスでは見られなかった国民の生活を見るにつれて、次第に考えが変わってきた。この人々を、より幸せにすること、それが私の義務なのではないかと。そして、あの青年たち、私のために命を投げ出した名も知らぬ青年たちを見て、民のために私ができることは何かと考えたとき、王になることしか思いつかなかった。……もしかしたら、ジルベール・バタイユが独裁者になった未来のほうが民が幸せになるのかもしれない。実際に昨日の夜も、君に力を貸してくれと言った後で悩んでいた。本当にこれでよかったのか、君は私によって不幸になったのではないかと。だが、私は立ち止まることが出来ない。ジルベール・バタイユの支配を望まず、私に王になってもらいたい民が一人でもいる限り。そして、走り続けなければならない。ジルベール・バタイユの支配のほうがよかったと言われないように……」
それは間違いなく心の底からの本音であり、俺一人に対する演説だった。アリシアのどこか憂いを含む表情はいいようもなく美しいが、やはり彼女の笑顔を見てみたい。そう思うのは、俺が男だからでも、彼女に女性としての魅力を感じるからでもなく、老若男女心ある人間なら誰でも思う事だろう。
「ならば、民のためならば妹を見捨てることもできるのか?」
「妹も我が愛すべき民だ。……甘いと言われるかもしれないが、私はそうとしか言えない」
アリシアは、心の中をすべて吐露した後、心なしかすっきりした表情になった。その雰囲気は、俺がいかなる選択をしようともすべてを受け入れる慈母のような雰囲気だった。
「……ならば、俺のすべきことは走り続ける君を支えることかな」
大きく息を吐き、そう呟いた。
「それでは!」
「ああ、私と娘たちの力を貸そう。我が女王よ」
そう言って頭を垂れる。
「すまない……いや、ありがとう」
アリシアは少し泣いているようだった。
「それで、力を貸すとはいってもどうすればいいんだ?」
そう言ってアリシアのほうを向くと、彼女は難しい顔をしていた。
「軍部がどうしているのか私にもわからないが、おそらくは首都に大部分がいるだろう。母や妹、それに粛清する文官、特に地位の高い文官が首都に集中している。全員を捕えるために首都に戦力を集中させるだろうし、そこにジルベール・バタイユもいるだろう」
「ならばその首都を急襲するってことでいいのか?」
「ああ、できれば少数で一気に軍部がいるであろう王宮を急襲する。軍部は一枚岩とはいえ、指揮する強力なリーダー、ジルベール・バタイユさえ倒せばそれ以上抵抗はしないだろう。あの青年たちの様に年若いものならば、まだ染まり切っていない場合があるかもしれない。……それと、こんなことを言うのは申し訳ないと思うんだが、できるだけ殺さないでほしい。このクーデターを計画した上層部は殺さなければならないかもしれないが、できれば裁判を行ってからにしたい。彼らもやはりレトナーク王国の民なんだ」
「……善処しよう。時間がないんだったな、それじゃあ一時間後に出発するということでいいか」
「まあ、私はもう準備が出来ているが」
アリシアは一刻も早く向かいたい気持ちを抑えているようだった。わずかに震えているのが、鎧のかちゃかちゃという音で分かる。
「その鎧でいくのか?」
昨日とは違い、アリシア自身はきれいだが、鎧は未だに汚れており、ところどころへこんでいる。元々はきれいな鎧だったのかもしれないが、いまはややみすぼらしい。
「ないよりはましだろう」
「少し待て、鎧くらい貸してやるからそれを着ろ。それからイヴ、連れていく百人ほどを選んで〈深淵の鎧〉を着せておいてくれ」
そう言って、準備をするために寝室に戻った。




