二話
玄関の外で五分ほど待っていると、前方から深褐色の髪を二つおさげにした、浮世離れした雰囲気を持つ少女ユノと、緩く癖のついた中黄色のロングヘアで、能天気そうな雰囲気の少女ケレス、もう一人見知らぬ少女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
彼女はこちらを見て驚いたように立ち止まるが、すぐにまた歩き出した。何に驚いたのか分からなかったので後ろを振り返ると、俺の後ろにいた二十人ほどの娘たちが不思議そうにこっちを向く。おそらく天使の様に可愛らしい娘たちが二十人もいたので驚いたのであろう。
近くでその少女を見ると、その美しさに一瞬目を奪われた。金色の癖のない真っ直ぐな髪は無造作にポニーテールにされ、少々釣り気味な翠色の目はまるでエメラルドのように輝いている。目鼻立ちのどれ一つをとっても美しいといえるほどの美貌で、首より下は鎧に覆われていて見えないが、その鎧姿も相まってかわいいというよりは凛々しいといった姿だ。決して男装しているわけではないのだが、その凛とした姿からは男性からも女性からも人気が高そうだななどと考えていると、太ももを軽くつねられた。
「むー、……パパなに見とれてるの」
セミロングの鉄紺色の髪を後ろで縛っていて、頭に着けたリボンが特徴的な少女フォルトゥナが頬を膨らませて、ジト目でこっちを見ている。
「そ、そんなことないよ」
「うそ、絶対見とれてたもん。……そんなに金髪がいいの?」
「いや、違うって……」
自分の黒い髪をいじりながらそんなことを言うので、機嫌を取るために慌てて頭をなでるが、機嫌は直らないようだった。もちろん、娘たちが美しさで負けているわけではない。親バカと言われようが、娘たちは皆、とても美しく、可愛らしい。自分で作ったのだから当然と言えば当然なのだが、自分の娘たちという意味ではこれ以上ないほどの愛すべき娘たちである。
一方あの少女は、色気というか、成熟した女性としての美しさが垣間見えており、それは十歳前後の外見の娘たちが持ちえないものだった。しかし、彼女を最も際立たせているのはそのような外見的なことではない。内側からにじみ出る何か、眼には見えないが確かに存在している何かが人の目を引き付けて離さないのである。もしかして、あれが覇気とかオーラとか言うものなのだろうか。そんなことを考えているうちにその少女は目の前まで来ていた。彼女は手を差し出し、握手を求める。
「初めまして、私の名前はアリシア・レトナーク。一応レトナーク王国の王女だ。もっとも、そんな風には見えないだろうが……。貴殿がここの主だろうか」
確かに少し薄汚れているが、その立ち居振る舞いには隅々に気品が感じられる。王女というのが本当かはわからないが、少なくともそれなりの地位にいる家の息女であるのは間違いないようだ。だが、そんな高貴な方がこんなところで、供も連れず一人でいったい何をしているのか、いきなり自分の身分を明かしたのはなぜなのか。どうも厄介ごとの匂いがしてくるが、初めて会えた他人に心は舞い上がっていた。もしかしたら、その厄介ごとという“日常の変化”そのものを心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。
しかし、レトナーク王国か……。その名前は、『エイジオブドラゴン』でミゼリティ大陸を支配する王国の名前であった。ミゼリティ大陸とは、『エイジオブドラゴン』の世界にある三大陸の一つ――アップデートで追加されたラグナクア大陸を加えると四大陸であるが――で、俺たちがいるこの家の周辺はこのミゼリティ大陸の南西の端の地域にあたる。ゲームの中ではこの辺もレトナーク王国の支配地だったが、この世界ではどうなのだろう。アリシア・レトナークという名前もどこかで聞いたことのあるような気もするのだが、どうしても思い出せない。まあ、ゲーム内で王族などはあまり冒険に関係なかったからよく覚えていないのだが。
「こちらこそ初めまして。この家の主のクリス・ピグマリオンと申します。とりあえずここで立ち話も何ですから、中に入りませんか?」
ちゃんと日本語が通じていることに安堵を覚えながら、ここまで少女を案内してきたユノとケレスの頭をなでる。一か月もたつとこういうスキンシップも自然にできるようになっていた。頭をなでられているユノはいつもより少し恥ずかしそうにしている。どうやら頭をなでられているところを他人に見られているのが恥ずかしいらしい。一方のケレスは嬉しそうだがどこか浮かない顔だ。
「ああ、そうしてくれると助かる。……それから、できれば何か食べるものを分けてはくれないだろうか。昨日の昼から何も食べてないんだ」
アリシアと名乗った少女はお腹を押さえ少し恥ずかしそうにそう言った。
「かまいませんよ。イヴ、昼食には少し早いけど今から準備してくれるかな」
「分かりました、お父様」
そう言ってイヴは一歩先に家の中に入っていく。再びアリシアのほうに顔を向けると、アリシアの薄汚れている姿が気になった。もちろんそんな汚れなどで彼女の内面の輝きを覆い隠すことなどできないが、外側を磨いてもっと輝きが増した彼女を見てみたいと思った。
「アリシア殿、食事ができるまで時間がありますし、入浴してはどうですか。風呂はいつでも準備が出来ていますので」
「ああ、すまないな、こんな姿で。だが、いいのか?」
凛々しく見えてもやはり少女なのだろう。こちらをうかがう目には少々の恥じらいと、期待感が見て取れた。
「ええ、じゃあ中に入りましょうか。話は食事の時にでも……」
「ああ、頼む。それから私のことはアリシアでいい。言葉づかいも普通にしてくれてかまわない。……その代わりクリスと呼んでもいいだろうか」
「ですが王族の方に……」
「だが、貴殿はレトナーク王国の民ではないのだろう? ならば私を敬う必要はないと思うが。それに今はもう王族でさえないのかもしれないな……」
後半は目を伏せ、自嘲するように小さな声で呟いていた。何があったのかは知らないが、やはり何か厄介ごとに巻き込まれているのだろう。ここまで来たのは偶然なのか、森の中で何をしていたのか、なぜ王女がこんなところにいるのか、聞きたいことはいくらでもあるがとりあえず相手が話してくれるのを待つことにする。
「分かった、よろしくなアリシア」
手を差し出して握手を求めると、アリシアもそれに答えた。
「ああよろしく、クリス」
「フォルトゥナ、アリシアを浴場まで案内してあげなさい」
エントランスに入ってから、フォルトゥナに向かってそう言った。エントランスホールは二階まで吹き抜けの左右対称の構造になっていて、正面には二階へと続く左右対称の二つの階段――その一つは玄関の東側から、もう一つは玄関の西側から伸びていて、中央で一つになり二階となっている――と、右の階段と左の階段の間には中庭へと続く扉がある。エントランスは南館の中心部分にあり、南館を二階まで左右に分断している。エントランスからは南棟の一階と二階の東側と西側に行くことが出来た。
「……はーい、こっちだよ」
大浴場は南館一階の西側にあるので、アリシアとフォルトゥナは階段を上らず、入り口から見て左の廊下を歩いて行った。ちなみに、さっきまで一緒にいた二十人の娘たちも畑を耕した汗を流すために、一緒に浴場のほうへ行ってしまった。……娘たちが汗をかくのかどうかは知らないが。
二階の東側にある客間や応接間へ向かう俺は階段を上がり、玄関から見て右側の廊下を歩いていった。ちなみに二階の西側には食堂が、一階の東側には図書室が、四階にはいつも俺たちが寝ている大部屋がある。
「さて、どうなることやら」
まだ中天に上がり切っていない太陽の陽ざしが差す廊下を歩きながら、これから起こるであろう何かに思いを馳せ、そう呟いた。




