落伍者のモノローグ
ウェンジ視点。
進む道程は水位を増し、グリニッジヴィレッジに至っていよいよアスファルトは完全に冠水した。
地面から噴き出す水音が、あたり一面に溢れている。
オレと記者『ショーン』は、足首に絡みつく泥水をかき分けながら怯むことなく『死の行進』を奏で続けた。
ゴボゴボと噴き出す水音を伴奏にして。
幕間の間奏曲は、オレのかっこわるい四方山話だ。
ショーンは、青みがかった灰色の瞳を記者持ち前の好奇心でキラキラさせながら、オレの話に聞き入っている。
なんでこんな世界の終末みたいな廃墟で、初対面の白人相手に自分の恥をさらす羽目になってんだか。
オレ、劉文智は憂鬱な気持ちでこれまでのろくでもない半生を反芻した――――――
一族の年長者は、年中行事の折々に、オレを一瞥すると必ず言った。
『お前は一族の落伍者だ』と。
初めて落伍者扱いされたときは、まだガキだったので、それなりに落ち込んだ。
ガキの時分は心根も素直だから、不本意な評価を挽回するため、健気にも血の滲むような努力も始めた。
日中は数多くの必修訓練をこなし、加えて早朝深夜は自主訓練という名の荒行に没頭した。
基礎体力向上のため毎日40キロ走り込み。(人はそれを『フルマラソン』と呼ぶ)
筋力・バランスを養うために、四肢に錘をつけてトレーニングしたり、片手倒立で腕立て伏せをしたり。
爪がはがれるまでナイフを構え、射撃練習のしすぎで両手は常にタコまみれ。
十代前半は、もてる力すべて費やして昼夜訓練に明け暮れた。
今思い返せば、我ながら無茶な鍛錬だったと思う。
まぁ、その甲斐あってか、オレの身体能力は飛躍的に向上した。
一時期には同世代の中でトップの実技成績を収めることもあった。
普通ならこれだけ努力を示し成果を上げたら、落伍者なんつう悪い評価も覆してもらえるもんだろ?
にもかかわらず、一族の長上どもは、落伍者扱いを改めようとはしなかった。
いったいオレの何が不足だってのよ!?
・・・『やさぐれた』オレは、それ以来、努力は『ほどほど』にすることにした。
一族伝来の殺しの英才教育を『ほどほどの』努力で『それなりに』こなした結果、オレはナイフや銃器といった戦闘術が得意な暗殺者に成長した。
ナイフさばきの素早さは残像をのこし、短銃の早撃ちは0.3秒、ライフルの射程距離は500ヤード。
戦闘術に限って言えば、一族でも優秀な部類に入っているだろう。
あいかわらず上層部の評価はすこぶる悪かったが、一族の漢として多くの暗殺任務をこなしていく内、長上どもの勝手な格付けなんぞ全く気にしない『ふてぶてしさ』も手に入れた。
オレは、リウ一族の駒として指示どおりに暗殺し、日々淡々と過ごした。
食って寝て今日を生きられれば、それでよし。
「某月某日、重慶落水亭に出頭せよ」
ごく短い通信文が、オレの端末に届いた。
・・・出頭?
リウ一族の構成員は世界中にちらばっていて、指令は暗号化されたテキストで受けとる。
『呼び出される』なんてことは、極めて稀だ。
落水亭は、一族でも特に権力のある長老がいる処――――――
・・・とんでもなくヤな予感がした。
できれば行きたくない。
けど、無視するわけにもいかない。
オレはしぶしぶ重慶行きチケットの準備をした。
落水亭は、人里はなれた山林にひっそりと姿をひそませている。
清朝様式の古い赤煉瓦は、歳月を経てほどよく色褪せ、見る者の風雅を誘う。
広い邸内は豊かな自然にカモフラージュされ、外観からは恐ろしいリウ一族の実力者が住む屋敷とはだれも思わないだろう。
ただし一歩亭内に歩を進めれば、内装は贅沢を極め、黄金の調度品が来訪者を出迎えた。
(あいかわらず成金趣味なんだから。あの長老は)
これから会うのは、幼かったあの日オレを初めて落伍者と断じたあの長上だ。
「近頃はマシな働きしてるようじゃな、黄口孺子」
(開口一番『黄口孺子』かよ・・・オレ、もう21なんだけどね)
内心の声はともかく、オレは平身低頭して長老に相対した。
リウ一族は究極の縦社会。
長老の権力は絶対だ。非礼をはたらけば、処刑もありうる。
オレは通り一遍の口上を奏し、許しを得て顔をあげた。
そしたら眼前に、長老のしわだらけの顔のドアップが・・・。
(おえ!勘弁してくれよ)
しかし、オレの方からは目をそらすことも許されない。
オレは心底げんなりしつつも、鉄壁のポーカーフェイスで鼻先10センチにある長老の目を見返した。
たっぷり30秒くらいは見つめ合ったように思う。
長老は、ニヤリと不穏な含み笑いを浮かべた。
「孺子に重大な任務をやろう。失敗すればリウ一族の信頼が失墜する。くれぐれも慎重にかかるようになぁ」
「遵命、長老」
なんでオレなのよ?
オレを選んだ理由の説明はまったくなし。
長老の考えがわからなくて不気味だ。
できるもんなら断りたかった。
んな任務、他にいくらでも適任がいるじゃん?
だが、当然オレに拒否権はありゃしない。
オレはMデイビス暗殺任務を拝命し、長老付きの秘書官から任務の詳細を記したディスクを受け取った。
半年という期限はあったものの、実行の期日も場所も遂行者に任された自由度の高い任務だった。
オレは期限ギリギリまで利用して、入念に準備をすすめた。
こういう任務でのオレの十八番は、本来、長距離からの射殺だ。
しかし今回は慎重を期して、『気密室内での事故死』を選んだ。
実在する研究員にすり替わってコロニー内部に潜入し、システムに重大な誤作動をおこさせる。
コロニー外部からの遠隔操作の方が身は安全だが、外部からの侵入に対しての生命維持に関するシステムのガードは恐ろしく堅いし、万一のトラブルにも対応しづらい。
第一、オレにはそこまでの侵入技術はないしね・・・。
オレはコロニー職員の人事記録から、オレに背格好の似ている東洋系の研究員を探した。
幸い、条件にピッタリの研究員がいた。
張喜研究員。
研究内容は『低重力栽培条件下における穀物の収量増大』
・・・実に尊い研究だぁね(-_-;)
とりあえず、彼の書いた論文は学生時代のものからすべて集めた。
農業科学に関してはズブの素人のオレには、目を通すだけでもずいぶん骨が折れた。
彼について家族構成・交友関係・食べ物の好みから休日の過ごし方まで、ありとあらゆる情報を調べあげた。
コロニー内の防犯映像や個人の端末からプライベート画像を盗んで、日常の動作の癖や口癖などもチェックした。
変装の完成度を確かめる最終段階では、彼の友人に偶然を装って話しかけたり、郷里の家族と通信回線で会話したりした。
結果、オレの偽装術は完璧で、親しい人間にも露呈なかった。
この計画の肝になるのは、強固なセキュリティーシステムを破るウイルスだ。
『気密室の酸素濃度調整システムに誤作動を起こさせるロジックボム型ウイルスの作成』には侵入技術のエキスパートの手を借りなければならない。
これについては最初から当てにしているヤツがいた。
超絶に無口な幼馴染の秀だ。
文字通り『指先ひとつ』で暗殺しまくる天才ハッカーだが、極度の対人恐怖症で部屋から一歩もでない。
『キーワードを入力すると、感染したシステムが3分後に誤作動を起こす。その後自動的に自己の痕跡も消すようプログラムしといたよ』
直接会っているんだが、会話はすべて端末越しだ。
感謝の言葉も、キーボードを通して返した。
この計画が成功したら、真の功労者というべきは秀だ。
ぶっちゃけ、長老が指名したのが秀であったら。
コイツの技術なら、この部屋に居ながらにしてコロニーの厳重な論理防壁を食い破り、システムに侵入して対象を事故死にみせかけて殺すことも可能かもしれん。
ちょっと虚しくなってきたので、これ以上考えるのはやめておく。
まだ幼い頃、コイツはその才能を妬んだ一族のヤツに理不尽に殺されかけたことがある。
そのとき偶然通りがかったオレが、コイツを助けた。
それ以来、オレと秀は困ったときにはお互い助けあう仲だ。
『デカイ任務は、失敗したときの一族の制裁もデカイよ。くれぐれも気を付けてね、文智』
友達のありがたい忠告に、オレはマジ泣きしそうになった・・・。
暗殺決行一週間前、オレは最新のステルス性能付の小型ポッドでコロニーの外壁に取り付いた。
そして不幸な張喜研究員を速攻で拉致って、小型ポッドに載せてきた冷凍睡眠装置に生かしたまま突っ込んだ。
この冷凍睡眠装置には、強力な洗脳システムが搭載されている。
彼には、装置の中でよくできた日常の夢を見ていてもらう。
一日のうちの重要な出来事については催眠暗示で追体験させるから、彼はオレにすり替わられた事実にさえ気づかないだろう。
さぁ作戦の開始だ。
オレは張喜の白衣に袖を通した。