アキバサイド
とりあえず、シリアス要素を消化しておくことにしました。次回あたりからコメディーで頑張ります。
二月三日。今日で何回目かなんてわからない。けど、千や二千では済まないはず。それだけ、私は二月三日に囚われている。
毎朝目覚まし時計に叩き起こされ、同じ日付同じ気温同じ天気の朝を過ごす。
今日は何をして過ごそうか。テレビを見ても面白くないし、通いつめたカラオケだって、新曲が出ないからもう飽きた。漫画喫茶も新刊が出ないから行く意味はない。
なら、久しぶりにこの街から出てみようか。本来の二月三日は東京に買い物に行くつもりで特急の指定席を予約している。別に東京に用事があるわけでもないけど、暇潰しくらいにはなるだろう。
そうと決まれば早く支度をしないと。特急の予約時間まであまり時間もない。
バタバタと慌ただしく、一人暮らしのマンションをあちこちに行き来する。
服はどうしようか。どうせ汚れていないし、誰も見覚えなんてないから、今まで通りに白のコートを着ようか……。とにかく、時間がないから、コートの中はいつも通りで構わない。
朝食を簡単に準備して、着替えてバッグを手に取る。しまった。朝食を食べている時間はない。早く駅に行かないと、乗り遅れたら今日一日暇になる。やり直しが利くと言っても、失敗した一日を過ごすのはかなりツラいと、経験で知っている。
朝食はパスして靴を履く。朝食の片付けなんてしなくても、一度寝てしまえば全てがリセットされるから問題ない。……リセットされること自体が問題なのだけど。
玄関から出て鍵を締めようとしたところで気がついた。コートを着ていない。
時間に余裕は全く無いけど、コート無しで出掛ける余裕も無い。慌てて靴を履いたまま部屋に戻ってクローゼットからコートを引っ張り出す。種類を気にしている余裕は無いから、偶々手に触れたコートを取ってきた。けど、黄色とは……。まあ問題無い。リビングを通る時、机の上に置いてあったピンクの手袋を持って玄関から飛び出す。
「遅れる〜!」
別の日なら隣の部屋のオバサンに怒られるからできないけど、マンションの廊下で魂のシャウト。やり直しが利くというのはなかなか便利だ。
代わり映えの無い道路を走り抜け、駅に入る。本当に代わり映えが無い。私の行動なんて関係なく、皆同じ二月三日を送っている。もう少しくらい、違ってもいいのに。というか、変わって欲しい。
「面白くな〜い!!」
一気に気分が落ち込んできた。今さら、見覚えのある風景を何度も見るのはツラい。急いでいた足も自然と止まり、廊下の端に座り込んでしまった。
「はあ……。……頭おかしくなりそう」
どうにもならない二月三日では、どうにかしようとする気にもならない。もう『今日』は諦めて次の二月三日を迎えて、……どうする?部屋に閉じ籠りでもする気か?どうせ、すぐ飽きるのに。
いずれにせよ、駅の隅で塞ぎ込んでも本当に何も進まない。ふらつく足で駅の床を踏みしめ、階段に向かう。 頭はまともに働いてくれないけど、足くらい自然と動く。
「疲れたなあ……」
今さら東京に行くつもりはない。自分でも目的はわからないが、階段を降りようと足を降ろして━━━━踏み外した。バランスを崩し、頭から階段の下に向かって倒れていく。
本当にただの事故なのか、無意識のうちに落ちることを望んだのか。
どうでもいい。どうせ『明日』になれば全てが元に戻るのだから。私はここで終わることを望んでいるのに。『今日』は独自のペースを貫いて、私の精神を執拗に傷付けてくる。
色々な記憶が頭の中で再生される。これが走馬灯というやつだろうか。見るのは初めてだ。死にかけるのも、本当に死ぬのも初めてではないのに。でも、走馬灯すら二月三日のものとは、恨むぞ、二月三日。
このまま階段から転がり落ちて気絶なり死亡なりすれば、また目覚まし時計のアラームに叩き起こされる二月三日の朝。幾度となく繰り返した悪夢の一端。
これから死ぬと言うのに、ため息が漏れる。死はとっくに受け入れているのに、二月四日以降の世界に私は拒絶されている。二月三日に愛されているとも取れるが━━━。
「おい!大丈夫か!?」
私の腕が後ろから掴まれ、身を任せた重力を強制的に止められた。踏むはずのなかった地面をもう一度踏みしめる。
「……っ!」
どうやら、死ねなかったらしい。今回は自ら望んだ死ではないが、他人に邪魔されると腹が立つ。
腕を引っ張られ、階段の一番上に再び立ち竦む。
「大丈夫か?ボーっとしてたみたいだけど、怪我無いか?」
私を引き上げたのは、駅でよく見かけていた男子高校生。━━━それだけ。別にこの高校生に興味は無い。確かに顔はそれなりに整っているし背も高く体格もいいが、それがどうした。私の興味を引く要素は微塵も無い。だから、
「触んな」
と突き放して。階段から飛び降りた。降りた、というと語弊があるが、今度は意図的にさっきの続き。別にあの高校生が悪いわけでは無いけど、ただ純粋に死にたくなった。
今度は私の意志だから高校生も呆気にとられ、無意識に伸ばしたような腕も私を掴むことはない。っていうか、もし掴んでいたらあの高校生も落下に巻き込まれていたんじゃないか?命知らずな行動をとる奴もいたものだ。
世界が反転して横転して、一番下で私の動きは完全に止まった。世界はあんなに回転したのに、私の世界は何も好転しなかった。
……死ねなかったらしい。あちこち折れて曲がって役に立たないし、とても痛い。涙が溢れてきたけど、たぶん痛みだけが原因じゃない。
辛うじて動く眼球で周囲を確認すれば、血塗れで横たわる私には誰一人として近づいてこない。皆、ある程度の距離をとって、私を囲んで見物している。助けるとか心配するとか、そういった気概は一切なく、ただの物見。こんなだから私は、心のどこかで『明日』を拒絶するのかも知れない。
「は、…がはっゴホッ」
ため息すらまともに吐けなくて、気味悪そうに私を見るサラリーマンが気持ち悪かった。そんなだから娘に『お父さんと洗濯物分けて』なんて言われるんだ。気づけ。……たぶん違うからただの八つ当たりだけど。
『おい、どけよ!おい!』
私をぐるりと囲む綺麗な円陣が、空気の読めない誰かに崩された。さっきの気持ち悪いサラリーマンが突き飛ばされ、空いた隙間から身を捩じ込んできたのは、さっきの高校生だった。以外過ぎて、呼吸が止まった。状況が状況だから洒落にならないけど、死んだわけではない。
『おい!何やってんだよ!誰か救急車呼べよ!』
高校生はたった一人、私に駆け寄って来て、私の顔を覗き込んできた。しかし、なぜここでこの男が出てくるのかわからない。朦朧とする意識の中で、困惑だけが鮮明に浮かぶ。
『死ぬなよ!?一度は僕が助けたんだ!少しくらい僕に感謝しろ!』
……なんだその理由は。死にかけの人間にそんな声をかけるなんて、見かけによらず少し常識がずれているらしい。思わず、痛みも忘れて微笑んでしまった。
「し、…しょ……」
何か返そうにも言葉が出ない。主に喉の問題で。他にも色々ありそうだ。仕方がないから手を挙げて返そうとするが、折れている。動くわけがないから結局、何もできず仕舞い。
そうなると一気に生きる気力が遠退いて、凄まじい眠気が襲ってきた。
『おい!?おい!』
そのまま意識が薄れ、やっと世界が暗転した。
━━━目覚まし時計のアラームが響き、幾度目かわからない二月三日を迎える。私が戻ってきたのだから二月三日に迎えられた、のか。まあ、どうだっていい。
『今日』はやることは決まっている。『昨日』見つけた、興味を持てる高校生。『今日』からしばらく、彼に近づこう。
優しく、厳しく、突発的に、運命的に……。出会いのバリエーションは豊富にあり、全てを試す時間が私にはある。一つ一つ慎重に、全てを纏めて大胆に。きっと彼なら、全てに満点以上の反応を見せてくれるだろう。
そうと決まれば、ぼんやりしている暇は無い。彼の乗る電車は把握しているし、彼の通う高校も制服でわかる。年齢、名前、性格、成績、家庭……。彼のことは知らないことばかりだ。やることはいくらでもある。
二月三日で初めて、胸躍らせ、高鳴る。
そうだ。彼に会う時は黄色のコートを着て行こう。きっとこのコートが、彼との出会いを刺激的にしてくれる。もちろん、ピンクの手袋だって忘れない。
二月三日に見つけた最高のスパイスに、私は心を昂らせた。
「どうした、ジッと見てきて。まるで捕食者の目だ。勘弁してくれ」
さて、その件のスパイスちゃんこそ、何を隠そう葛木 零二、十七歳。期待通りに私の二月三日を楽しませてくれている。
いつかの二月三日を境に、彼も二月三日に囚われてしまい、今はこうして一緒に居られる。
「気にしないでいいよ。どう調理しようか迷っていただけだから。今食べるつもりは無いよ」
ちなみに、レイジと何度も会っているうち、彼の珍妙な口調が映ってしまった。けど、ここにいるレイジはそのことを知らなくて、私の口調をよく「変だ、妙だ」と馬鹿にしてくる。自分の口調を馬鹿にしているのだと教えたら、レイジは一体どんな反応をするのだろう。
「なら、百パーセントの力で対抗してやろう」
「百パーセントはとても腹が減るから、私の方が食べられるわね。きゃー、レイジに食べられるー」
「アキバ。いい加減、しゃべり方を矯正した方がいいと思うぞ」
「レイジが手伝ってくれるなら、努力はするかな」
でも、その反応を見るのはまだ先だ。どうせ時間はたっぷりとあるから。