長い坂
「葛木、社長出勤か?偉くなったな」
教室に入ると担任がいて、クラスの皆も全員着席していた。僕以外。まあ、ホームルーム真っ最中だから当然。
「………あ、遅刻した?」
もちろん、わかってた。遅刻時間はたったの五分だけど。でも、例え一秒でも遅刻は遅刻だ。五分だけど。
「今日お前が日直な。一人で」
「うーっす」
ヘラヘラ笑って席に着く。が、内心『昨日の無断欠席に対する処罰は!?』とビビっている。なんで今その事に触れないんだ。怒り過ぎて相手にしてくれなくなったのか?昨日いなかったことに気付かなかったのか?
まあ、わざわざ自分から罰を受けに行く必要は無い。僕もここはなかったことにしておこう。実際、昨日は体調とか諸々調子悪くて休んだわけだし、罪悪感は無い。あっても言わないけど。
教室の窓際にある自分の席に座る。カバンを机の横に掛けて頬杖をつく。
「社長出勤っすか?」
ホームルームの時間なので先生の話を聞いていたら前の席の友人、荒井が声をかけてきた。
わざわざ振り向いてまで声をかけてくるなんて、僕が好きなのか?……想像していて気分が悪くなった。せめて荒井が女の子なら……。あ、声かけてこないか。
「とある天才と真の継承者者争いをしてたら遅れただけだ」
嘘が多分に含まれてるけど。まあ、大まかには合ってるかな。
「流石は零二。それだけの出来事を『だけ』で済ますなんて」
「苦しい戦いではあったな。あいつもまさしく強敵だった…」
「あ、割と長く続けるんだな。っていうか元ネタ何?」
僕も飽きてきたところだから丁度良い。アミバと戦ったなんて黒歴史、さっさと忘れてしまいたい。ちなみに、アミバと継承者争いはしてないぜ。
「おい、荒井。お前も葛木と一緒に日直するか?するよな?仲良しだもんな。二人で仲良く日直しろ」
ごちゃごちゃと話し過ぎたようで、担任に睨まれた。でも、日直の相方ができるのは嬉しい。
「ちょっと待ってくださいよー。スミマセンっした」
荒井が特に焦ったわけでもなくヘラヘラと抗議する。この軽い雰囲気ではなんだかんだで担任も荒井を許すかも知れない。が、逃がす気はない。
「荒井、僕達仲良しだから…仲良し、だよな?仲良しだから…裏切らない、よな。アイツみたいに……」
「そ、その重い感じの話、何?オレ知らないんだけど……」
当然だ。僕を裏切った『アイツ』なんて奴、存在しない。僕の人生、徹底的にシリアスを排除してきたんだから。
しかし、担任も僕への『にらみつける』を止めて、目を閉じて頷いている。よし、成功したようだ。
「そうか、葛木……。そうだな、やれ、二人で。今週全部」
「「えぇー?」」
失敗したようだ。……なぜ?少し語りが過ぎたか?
「次の国語、教室移動だって。図書室に」
荒井と共に黒板を消していると、委員長が教室の入り口からクラスの皆に声をかけた。その伝令を受け、クラスメイトが歓喜の悲鳴をあげる。図書室ということは、授業内容は読書だから、喜ぶのは当然だ。だが、荒井と僕は乗り気ではない。
「教室の鍵閉めるのめんどくさいな」
荒井の呟きに僕も頷き同意する。日直というのは色々と面倒な役割だ。
結局、全員が出て行った教室に僕と荒井が残り、窓の鍵を閉める。防犯の為の戸締りだが、今僕が盗んでやろうか。……流石に冗談だ。
でも、好きな子のリコーダーに口を付けるくらいしてもバチは当たらないよな。好きな子なんていないからやらないけど。いや、いてもやらない。
と、いつもの癖でくだらないことをあれこれ妄想しながら窓を閉めていると、校門の辺りに不審な影が目に入った。人影とは言わない。一瞬目に入っただけだから、猫とか鳥とか、気のせいかも知れない。ただ、僕には関係の無いことなので無視することにした。
「レイジ、早くしろー」
教室後方の鍵を閉め終えた荒井が、鍵を持って僕を急かす。遅刻するのも厄介なので、素直に急いで教室を封鎖した。
少々早足で、僕と荒井は渡り廊下を進む。渡り廊下でも、走っちゃダメ。小学生の時に叩き込まれるようなことだ。しかし、渡り廊下は寒い。風を遮る壁が存在しない為、二月の寒風が直撃だ。急ぐ理由は別だけど。
大して長くもない渡り廊下を半ばまで進んだ時、視界の端に黒い影が写った。歩は止めず顔だけそちらに向けると、誠に可愛い生物がそこに居た。つい歩を止め、見つめ合ってしまう。
「どうしたレイジ?遅れるぞ」
荒井が近寄ろうとするが、手で制して脅かさないようにする。僕は目を離さないようにしながらゆっくりとしゃがむ。
「あぁ、猫か」
荒井も理解したようで、何も言わず僕と猫を見守ってくれる。こういう時の荒井は理解が早くて助かる。
「へーい!!」
突然、頭に衝撃が走った。
「いたっ!?」
つい声が出てしまい、声に驚いた猫が走り去って行った。誰だ一体。空気の読めないバカは。人の楽しみを邪魔しやがって。
「レーイジ。来ちゃった」
恨みを込めた目を後ろに向けると、黄色いコート、ピンクの手袋の不審者が居た。言いたいことは沢山あるが、ここで選択するべき言葉は一つ。
「どちら様ですか?」
名前を呼ばれておいて見苦しい台詞ではあるが、関係者と思われたくない。それに、こんな不審者を荒井に関わらせたくない。
「酷いなぁ、レイジ。私の膝に口付けまでしたくせに」
本当に色々と言いたいことはあるが、誤った選択をしてはならない。下手をすれば命に関わるから。
「なんで僕の名前を知ってるんですか?それにここの学校の人じゃないですよね?部外者は立ち入り禁止ですよ」
我ながら見事な突っぱね方だと思う。諦めてさっさと帰ってくれたらいいのに。何を諦めてかはわからないけど。
「なんで名前知ってるかって、そりゃあ好きだからだよ」
「「………」」
僕と荒井が沈黙する。今の発言は本物の不審者だった。
「ちなみに、私はここの卒業生で、ちょっと用事があって来たわけだから心配はいらないよ」
そんな言葉に騙されるわけないだろう。……荒井以外は。
「えーと、そっちの君」
初めて、不審者が荒井に言葉をかけた。止めてくれ、僕の親友が汚れてしまう。
「私は少しレイジに用があるから、先に行っててくれるかな?授業遅れちゃうよ?」
「あ、でも……」
荒井が困ったように僕に目を向ける。流石に不審者と僕を二人きりにするのは憚られるようだ。僕だって嫌だ。不審者と二人きりになんてなりたくない。
「お願い。私のせいで君が授業に遅れるなんて悪いし、私とレイジはちゃんと知り合いだから」
「いや、僕はあなたのこと……」
反論しようとしたら口を塞がれた。むしろそんなことをする方が怪しいとなぜ気づかないのだろう。
しかし、荒井はほんの数秒悩んで、不審者の意見に了承して先に歩いて行った。いつか荒井は本当に悪い人に騙されてしまうんじゃないかと不安になる。
そんな僕の心配など他所に、荒井は振り返ることもなくこの場から消えた。
「レーイジ」
僕の口を塞いでいた手が離され、抱き締められた。
なんか流れるような動作だし当然のように状況説明をしているが、実際は叫びそうになり、必死に堪えていた。
「レイジ……」
「アミバ……」
言葉だけ聞くと良いムードだが、僕の言葉は必死に怒りを抑えたものだ。アミバは僕の抱く腕の力を弛め、僕から一歩距離をとって見つめてきた。だから、睨み返しておいた。
「やっと会えたね……」
「はい、そうですね。ではさようなら」
踵を返し、図書室に向かおうとすると、襟を掴んで強く引っ張られた。衝撃で首を痛め、自然と涙が浮かんできた。
「待ちなさいよ、まったく。私はあんたに用があるって言ったでしょ」
「あー、言ったね。でも僕は拒否する」
「拒否権なんてないから。まあ、一つ言えることは、ここを通りたかったら私を倒していくなさい」
アミバはそう言って拳を構えた。なかなか様になっている。流石はアミバと言ったところか。
「退けぬか?」
「退けぬ」
「どうしても退けぬか?」
「二月三日の運め、退けぬ」
ずいぶん小さな規模の宿命だと思うが、決裂はした。ならば、撃ち破るのみとはならない。
「で、なんだ?手短に済ませろ」
僕が折れる形になるのは癪だが、無駄に長引く方が辛い。ここは我慢するのが大人な対応というやつだ。
「うん、とりあえずファミレス行くわよ」
「……は?」
「ファミレスよ、ファミレス。ファミリーレストラン。一緒に行ったでしょ?知らない?」
僕は手短にしてくれと言ったはずだが。伝わっていないのか?それともファミレスに行くことはちょっとしたことだと思っているのか。どちらにせよ、アミバの悪行には付き合いきれない。
「ほら、行くわよ」
しかし、アミバは当然のように僕の手を握って歩き出す。
「あ、えっと、放課後じゃ、ダメ?」
「えー……?でも、まあいっか。そっちの方がわかりやすいかも」
「はい?」
「ああ、気にしなくていいよ。うん、放課後ね、放課後。駅前の坂の下で待ってるから」
そこで気がついたが、呆気に取られ混乱しているうちにファミレスに行くことを了承してしまっていた。アミバがそこまで考えているとは思えないから、……墓穴を掘ったか。
「じゃあ、また放課後ね。必ず来なさいよ。あと、居眠りしちゃダメ。もし寝たら、家の前まで行くから」
そう脅してから、アミバは手を振って去って行った。振り返さなかったのは言うまでもない。国語の授業に遅刻したのも言うまでもない。
僕が通う高校の最寄り駅は、長い坂を下った所にある。最寄り駅から見れば長い坂を登った所にあるので、駅から自転車に乗り換える生徒はいない。歩いた方が速いのは自明の理というやつだ。しかし、坂を自転車で降りることができたら帰りの電車に遅れる可能性が格段に減るので、一時期は友達の自転車の後ろに乗せてもらうのがブームとなっていた。もちろん、一ヶ月も経たないうちに学校から禁止命令が出たが。元々、僕を後ろに乗せてくれる友人は存在しなかったので、学校の意見に反感はない。
しかし、禁止命令を素直に受け取らない生徒も存在して、あまりの素行の悪さに、下校時間は坂の途中に数人の教師が監視するようになった。今も、二人の生徒が生徒指導の教師に捕まってお叱りを頂いている。自分で自分の首を絞めていることになぜ気づかないのだろう。
「おーい!!レイジ〜!!」
生徒指導を受けている生徒に軽蔑の目を向けて坂を下っていると、女性の高い声で名前を呼ばれた。坂を見下ろすと黄色いコート、ピンクの手袋をした魔神が、宣言通りに坂の下で待っていた。できるだけ周囲に『レイジ』なる人物が僕だと気付かれないように、名前を呼ばれても反応しないようにする。しかし、アミバは本当に空気が読めない奴で、大人しく待っていればいいものを、態々坂を駆け登って近づいてきた。
「レイジ、居眠りしなかったんだ、よかった」
「アミバに家まで来られるかと思うと眠気なんて感じなかったよ」
「よし、じゃあどっかゆっくり話せるところ行こっか」
何を急いているのか、アミバは僕の手を掴んですたすたと坂を下って行く。僕も抗うのが面倒だったので、されるがままに着いて行くと、駅に行って電車に乗せられた。方向は家の方面だから帰るつもりだろう。
「おい、アミバ」
色々溜まっている鬱憤を晴らしたいので話し掛けたら、きつい顔で睨まれた。
「レイジ、私の名前覚えてる?」
そういうことか…。
「……もちろん」
「じゃあ、言ってみて?」
「…………」
「私の名を言ってみろ」
「……ジャギ」
ゴツン!と良い音の鳴る拳骨をもらった。名前を覚えていなかったことは確かに非があるかも知れないが、今のはどう解釈してもフリだった。誘導尋問か。
「アキバよ、アキバ。覚えて、そう呼びなさい」
拳骨に加えてこの命令口調。変な趣味が目覚めてしまいそうだ。……冗談だ。
「次、アミバとかジャギとか言ったら今の比じゃないから」
うちの近所の、アミ…アキバと初めて出会った駅で下車すると、アキバはなんの躊躇いもなく僕を蹴ってきた。
一発や二発ではなく、六発を数セット。大体三十くらいか。ローキックとミドルキックを組み合わせていて、威力は低いが同じ場所を正確に狙うので、腿や二の腕が使いものにならなくなった。たぶん、痣になってるし、右足は既に引きずっている。よく仕返しせずに耐えたと自分を褒めてやりたい。
「肝に銘じておくよ。これからは天津飯とでも呼ぶよ」
ミドルキックを放ってきたので、今度はちゃんと受け止めた。油断していなければ、対処の仕様はある。
「断固拒否」
「じゃあドドリアと、うっ」
左のローキック。既に使いものにならない右足が限界を訴えている。余計なことは言うものじゃないな。
「私の名を言ってみろ」「アキバ」
「……ちっ」
舌打ちとは。そんなに僕を蹴りたかったのか。恐ろしい女だ。脳内表記はしばらくランチでいこう。
「今、蹴られても仕方ないこと考えてない?」
「なんのことやら、さっぱりだな。読心術でも使えるのか?」
今度はパンチが飛んできた。しかも顔面に。ただ油断はしていなかったから避けたけど。
「じゃあ、ファミレス行こうか、スペード」
「なぜそこまで的確に僕を痛めつけようとするんだ」
無視してファミレスへと急ぐランチ。右足が仕様不可の僕はランチの後ろをついて行くので精一杯だった。まるで舎弟かお供みたいだ。……こういうのは考えるもんじゃない。なかったことにしよう。
「まるで舎弟を蔓延らせてるみたいで楽しいわね」
「…………」
まるで『状態異常:毒』みたいに一歩ごとに心を痛めながら、僕は不承不承にもランチについて歩いた。なぜさっさと逃げない、と問われたら、こいつが家に押し掛けてくるのが怖かった、と答える。家の場所を知られていないかも知れないが、なんかこいつは知っていそうな予感がする。
不満を全身から垂れ流しても相手にされず、昨日と同じファミレスに入り、昨日と同じテーブルに座った。
「なんでも頼んでいいわよ。奢ってあげる」
「じゃあ、上から順番に十品」
「いいけど、残したら家行くから」
なんでこいつは家に来られるの僕が嫌がっていることを自覚しているんだ。
「ドリンクバーとショートケーキに変更する」
「よろしい」
店員を呼んで注文すると、ランチは「ちょっと待ってて」と言い残して店の奥に歩いて行った。結構長い時間席を離れていて、その間に僕のショートケーキもランチのパフェも運ばれてきた。
そういえば、なぜ態々脳内だけ『ランチ』と変換していたのだったか忘れた。もう面倒だからアキバでいいだろう。と至極真っ当で合理的な結論を見出だしたところで、アキバが席に戻ってきた。
「なんで飲み物くらい用意してないのよ。気が利かないわね」
「取ってくる」
戻って来たアキバは、態度こそいつも通りの不遜だった。しかし、少し俯き加減で僕に顔を見られないようにしているのがわかったし、長い黒髪の間から少し覗けた目元が赤く腫れていた。そんなの、反抗せずに素直にドリンクを取りに赴くのが正解じゃないか。
たっぷり三分ほど時間をかけてドリンクのグラスを二つ取って返り、「あ、ストロー忘れた」と少し白々しい演技をして、できるだけ時間を空ける努力をした。
その甲斐あってか。ストローを取って返った頃にはアキバは顔を上げていつも通りにニタニタを笑っていた。……目が充血してることは黙っておこう。
因みに補足程度に表記しておくが、僕はオレンジジュース、アキバは特製ミックスジュースだ。
「で、えーと、用って何?」
忘れかけていたが、ここに僕を連れて来たのはアキバで、それは僕に用があると言ったからだ。早く本題に入らないことには帰れない予感がする。たぶん、その予感はあってる。
「んー、どこから話そうかな〜?」
なぜアキバは僕の特製ミックスジュースを然も問題無さげに飲めるんだ。作り甲斐がないじゃないか。
「そうねー、昨日と今日で何か違和感ってなかった?」
違和感?一番の違和感は目の前の人物が僕に絡んでくることだが。おそらく言いたいことは関わっているが別のことなのだろう。何かわけあり顔だし。
「例えば、昨日と全く同じことが今日も起こったとか。昨日、明日はこうなると予想してたことがなかったとか」
「はぁ………?」
昨日と全く同じこと?母さんが寝坊したとか、同じ時間に高級車を見掛けたとかか?予想してたことと言えば、昨日の無断欠席を誰も触れてこなかったことか。
「昨日、何月何日だった?明日は何月何日?」
「今日が二月三日だから、昨日は二月二日だろ。明日は二月四日」
この世界の理なんだ。そうでないと困る。なのに
「残念、正解は昨日も今日も明日も二月三日よ。ついでに言えば一週間後も一ヶ月後も一年後も全部二月三日」
何を言っているんだ。このイカれポンチは。
「私もレイジも、今日から、二月三日から脱け出せなくなったのよ」