クエスト91 白いお菓子を作ろう
ハクロ王都の女神降臨。
その恩恵を受けたのは、信仰深い人々ばかりではない。
王都の西に位置する歓楽街も、女神降臨と巨人王帰還という大イベントが二つも重なり、王都に集う巨人族の数も増えこれまでにない盛り上がりを見せていた。
その裕福な巨人族を相手に様々な娯楽を用意して待ちかまえ、接待づくしでもてなし富のオコボレを頂こうとまとわりつく人間。
人間は力のない存在だが、良くも悪くも知恵が回る。弱者とあなどっていた相手に、気がつくと追いつめられ身動きが取れなくなる事もある。
支配人の代わった巨人王御用達の店 星雲館。
以前の上品で静かな雰囲気から一変して、舞台の上では肌も露わな女の卑猥なダンスと、素手で殴り合う男たちのショーが繰り広げられ、奥の閉じられたカーテンの向こう側からは、怪しげな香りと荒い鼻息、女のヨガる悲鳴が聞こえた。
「ようこそいらっしゃいました、第十九位王子 桂樹さま。
昨日に続いて本日もご来店いただき、誠にありがとうございます。
あの気難しい側室さまが仕切っている後宮では、ケイジュさまは気が休まらないのでは、あっ、いいえ、ワタクシ何という無礼なことを!!失礼しました」
新しい星雲館支配人の白面の男は、おじきが地面に付くほど頭を下げ、敬い過ぎるへりくだった態度でケイジュに接した。
「ああ、気にはしない」
ケイジュは亡き第三王妃の産んだ王子。
しかし年の離れた二人の兄と違い、第十九位という身分。小さな目に低い鼻、静かで寡黙すぎる内向的な性格、大勢の王子の中で埋もれた存在。
王都で内政を取り仕切り、王である父親の側近を務める第三位王子や、同じく戦士として名を馳せ鉱山エリアを支配する第五位王子と比べると、ケイジュは南の僻地エリアしか与えられず、巨人王族でも労働にかり出されるほど質素な暮らしをしていた。
そんなケイジュが五年ぶりに訪れた王都で偶然、地上から天を貫くように立ち上がる王都に吉兆を知らせる光の柱、女神降臨を目にする。
ケイジュはその報告のために誰よりも早く王宮に駆けつけたが、そこに二人の兄王子席は用意されていても、十九位王子の席は無く王宮の官はケイジュの顔も覚えていない。
そんな自分を哀れに思ったのか、後宮の姫たちがケイジュをもてなすと申し出てきたが、その場所は第三王妃であった母親がエルフ美姫の召還した魔獣によって焼き殺された所。
いくら姫や女官が甘い声で言い寄って来ても、全くその気にならない。
一人で目的もなく歓楽街の中をうろついていたケイジュの、赤い髪と地味な王族衣装に気がついた白面の男が声をかけ、巨人王族御用達である自分の店に招いたのだ。
「最近、人間の間で流行っているカードゲームなどいかがでしょう。
本日はケイジュさまが楽しんで過ごされるように、特別なお部屋を用意いております」
王族御用達の星雲館の中では、客の相手をしている娘も、ケイジュの姿を見れば慌ててその場で叩頭して通り過ぎるまで顔を上げることはない。
この店だけは俺を王子として、いいや、まるで王様のように扱ってくれる。
久々に王都を訪れた彼に、目の前で懸命にゴマをする支配人が実は詐欺師と噂される男で、巨人王御用達の店は違法賭博場になっていると知る由もなかった。
その日ケイジュはゲームで不思議なほど勝ち続け、僅か五枚の金貨を五十九枚に増やした。
***
久しぶりに黒髪の見習い女官が、食堂の厨房に姿を見せる。
後宮から竜胆王子に連れ去られた娘。不思議な事に、娘が戻ると同時にミゾノゾミ女神が後宮にいらしたらしい。
「帰って来た見習い女官は、どうやら女神のお世話係を命じられたらしいわ」
「それにしても、あんなに豊満だった娘の胸がすっかり萎んでしまって、どうしたのかしら?」
「胸があんなに萎むなんて、竜胆王子さまはどんなプレイを……まさか、@カちゃんプレイで胸を吸い尽くされてしまったとか!!」
竜胆に関しては王の影が箝口令を敷いていたが、それでも女官たちの妄想力を止めることは出来ず、一部竜胆自身にとって不名誉な噂が流れる。
噂の当事者であるハルは何も知らないまま、厨房の片隅で萌黄と一緒にお菓子づくりを開始していた。
「ここの砂糖は貴重品で、甘いモノはめったに食べられないんだよね。
王宮の専属パティシエが作る豪華なケーキやデザートは無理だけど、僕でも作れる甘いお菓子を女官の皆さんに振る舞おうと思うんだ」
お菓子と言っても、テーブルの上に乗っているのは卵の白身の入ったボールと砂糖だけ。
その卵の白身を角が立つまでしっかりと泡立て砂糖を加える。クリーム状になった卵白を、炎の結晶が並べられた鉄板の上に一口サイズで絞り出した。
「ハルさまは何を作っているのでしょう?
白身に砂糖を混ぜただけの、白身の卵焼きですよね」
「でも卵と砂糖だけなのに、なんて甘い良い香りなの」
泡立て作業を手伝った”くノ一”娘たちも、ハルの作る料理には興味津々だ。
「うん、いい匂いがしてきたね。一時間で焼きあがるよ。
材料の砂糖は値段が高いから自腹で手に入れたし、卵の白身はココで分けてもらえる。とても簡単で美味しいお菓子だよ」
南の地域で作られる砂糖は、北の王都まで輸送コストがかかるため高価な貴重品扱いだった。
コップ一杯の砂糖を買うのに銀貨十枚も必要で、ハルはワニ牙の蒼珠と銀貨を等価交換して、その銀貨で砂糖を買っていた。
ティダの手で魔法陣修復が進めば、物資の流通もスムースになって砂糖も安く手にはいるだろう。
「砂糖の値段が安くなったら、もっといろいろなお菓子が作れるよ。
深い森の巨大ニワトリの卵で、バケツプリンとか作ってみたいな」
今はちょうど午後三時、リアルではオヤツの時間。
厨房の中から漂う甘い匂いにつられた女官の姿が数人、お菓子を焼いているのがアノ噂の見習い女官だと知ると更に野次馬が増え、厨房の入り口には三十人ほどの人だかりが出来ていた。
「ハルお兄…お姉ちゃん、一時間経った、お菓子ができあがったよ。
うわぁ、小さなお空の雲みたいに真っ白で、触ると堅くて、でもすぐ潰れちゃう」
ハルが作ったのは、泡立てた卵白に砂糖を加えて焼いたメレンゲクッキー。貴重な砂糖の味そのものが楽しめるお菓子だ。
くノ一娘たちと手分けして、一口サイズで数十個作ったメレンゲクッキーを、ハルは厨房をのぞき込む女官に数個手渡した。
「あら、私は菖蒲さまお付の女官。
このような白い固まりのみすぼらしいお菓子は、パクッ、な、なんて甘く香ばしい」
「ああっ、口の中に入れた瞬間とろけるような甘さが広がって、一瞬で無くなってしまいました」
「まるで、空の雲を切り取って焼き上げたような不思議な味。
きっとこれは、ミゾノゾミ女神さまが召し上がるお菓子なのですね」
年輩の女官がハルの顔を凝視し、それから感極まったように絞り出した言葉に、後ろで固唾をのんで見守っていた女官から歓声があがる。
ちがうと訂正するのもメンドクサいので、ハルは静かに微笑むと、厨房前に集まっている女官たちにメレンゲクッキーを順番に手渡した。
「この白いお菓子は湿気に弱くて時間が経つと萎むから、すぐ食べちゃって下さいね」
そんなハルの忠告を聞かず、こっそり懐に隠して持ち帰り、夜になって包んだハンカチの中から潰れたメレンゲクッキーを見た女官が数名。
空に浮かぶ雲のように、時間が経つと消えてしまう幻のお菓子。
女神さまの世話役の女官から、直接貰わないと味わえない天上の甘味。
白いお菓子がどれほど美味しいか聞かされた他の女官たちにせがまれ、それを断れないハルは、三時のオヤツ作りが日課になった。
それは、ハルが完全に後宮女官たちの胃袋を掌握した出来事だった。
***
「ハルくんが厨房で美味しいお菓子を作っているというのに、私は仕事に忙しくて身動きが取れず、白いお菓子を口に出来ません!!」
「いつも申し上げておりますが、YUYUさまは王宮行事をおろそかにしすぎて、日時が迫ってから慌てふためくのです。
今回は、巨人王帰還に魔法陣修復に王子たちの接待、もうサボる時間はありませんわ」
「私は一夜づけ、いいえ、臨機応変に物事を処理するぶっつけ本番タイプなのです。段取りと下準備は、それぞれ専門の官に任せればいいのです」
山と積まれた書類と時間刻みの面談や会合に忙殺されるYUYU。
水浅葱にグチりながらも、王宮の接見室にまで仕事を持ち込こみ何とかこなしていた。
そんなYUYUに水浅葱が新たに差し出した書類には、巨人王帰還に合わせて王都訪問する王子九名のリストが記されている。
「第三位王子 蘇鉄さまは、鉄紺王陛下の視察に御同行なさっております。
現在に王都に滞在されている王子は四人、三人の王子は後宮で過ごされ、十九位王子のケイジュさまが、後宮を出て西の歓楽街の方で遊び歩いているご様子。
明日は第十二位王子 青磁さまが王宮に参られ、YUYUさまとの接見を予定しています。私共も、青磁さまは一番手厚くおもてなしいたしますわ」
その水浅葱の言葉に反応するかのように、YUYUの赤い右目の瞼が一瞬まばたく。最上位の神科学種、ハイエルフの器を持つYUYUは、その情報処理速度も最速だった。
「兄の第三位王子ソテツに、南の僻地にやっかい払いされたケイジュですね。あまりに存在が地味すぎて、顔もすぐ思い出せませんでした。
その南の僻地で、巨人に人間の手助けをさせ貧しい土地で産業を興し、まともな生活が出来るまでにした、なかなかの切れ者ですよ。
ただ、苦労して興した産業「砂糖」は、ギルドとグルになった兄のソテツに安値で買い取られています」
「まぁ、貴重品の砂糖を安値で買い取られているとは、どのぐらいのお値段なのですか?」
今、砂糖を使ったハルのお菓子が後宮の中で話題になっている。
ハルが自腹で購入している砂糖にいくらつぎ込んでいるのか、水浅葱も気になっていたのだ。
「非道い話ですよ。
弟から銅貨一枚で買い上げた砂糖を、銀貨五枚、五十倍の値段に吊り上げて販売しています。
第三位王子と共に砂糖を独占販売しているのは、あの詐欺ギルド ヤタガラスです。
くノ一からの報告で、その詐欺ギルド長の蝋九が、ケイジュを自分の店に招きました。
きっと第三位王子の指示によるモノでしょう」
「ええっ、第三位王子ソテツさまと第十九位王子ケイジュさまは、同じ血の繋がったご兄弟ではありませんか。
どうしてケイジュさまを陥れようとするのです?」
王の影はゆっくりと振り返ると、驚く水浅葱の唇に指を当てる。
そして読心術の能力を持つ彼女の心に直接、王の影は語りかける。
『まもなく次期王の選定に入ります。
候補は五人。そして第三位王子は候補に選ばれず、第十九位王子が候補に選ばれました』
***
夜明け前だというのに、星雲館の中は酒とタバコと香水の匂が充満し、男女の蠢く声や酔っぱらいの奇声聞こえる。
その奥の部屋でテーブルの上に散らかったカードと酒瓶を片づけながら、白面の支配人は気遣うように王子に声をかけてきた。
「ケイジュさま、随分と負けが続いてしまいましたね」
初日カードゲームで大勝した後、次の日は前半の負けを最後に取り返して勝ち、三日続けて勝ち続けたケイジュは、今日一日で全ての儲けをスってしまって。
「途中でゲームを止めていれば勝てたのに、最後にあんな大勝負をしなければよかった。
チクショウ、持っている金は全部使っちまった。もう俺はカードは止める」
無精ひげを生やしたままで寝るも惜しんでカードにのめり込んだ王子は、高額になったゲームの借金に頭を抱えていた。
「王子さまは勝負強いお方です。きっと明日は調子が戻って勝てますよ。
我々に負けたカケの一割をお支払いいただき、残りは後日ゆっくりご返済下さい。
ケイジュさまでしたら、明日は勝って損を取り返せます」
「なんだ、カケの一割を支払うだけでいいんだな。
今日は、たまたま運が、わるかっ、ただけか」
次第に言葉のろれつが回らなくなり、座る椅子から崩れ落ちようとするケイジュに、ロウクは慌てて一枚の書類を取り出すと目の前に置いた。
「ケイジュさま、お休みになる前にこれにサインをお願いします。
カケの一割を支払ったことを確認する領収書です。
さぁ、これにサインして、ゆっくりとお休み下さい」
白面の男は寝ぼけたケイジュの手にペンを持たせると、支えると言うより押し潰されながらもサインを書かせた。
「ああ、酔っ払いの巨人相手は疲れるな。でも、まぁ」
一仕事終えたロウクは、サインした書類を丁寧に畳み懐に仕舞うと、イビキをかいて眠るケイジュの顔を見下したように一別した。
「キヒヒッ、都が女神で浮かれている間に、俺はしっかり稼がしてもらう。
悪く思うなよ王子さま。俺でもソテツさまには逆らえないんだ。
あんたから全財産を根こそぎ奪い、借金まみれにしろと仰せつかっているんだ」
ついに40万文字到達です。
読んで下さる皆様に感謝感激。
って、ここまで書いてて、まだ巨人王さまが出てきてないよ。