クエスト87 消された魔法陣
マーケット広場中央のミゾノゾミ女神を祭る噴水の前、ロウクが手にした蝙蝠傘の先端から発射された痺れ針は、周りの人間を巻き込んでハルの脚に命中した。
「イタッ、なにこれ。脚が、動かない」
ハルはつんのめる様にその場で倒れ、驚いて自分の脚を見る。
髪の毛のように細い紫の針がふくらはぎに3本刺さり、強烈な痺れと同時に皮膚が毒に犯され赤黒く変色してゆく。
噴水広場で涼んでいた人々も、その攻撃に無差別に巻き込まれ、次々と白い石畳の上に倒れた。
「うわっ、ロウクの馬鹿野郎が毒針を使いやがったぁ」
「ひぃーっ、腕が痺れて動かねぇ。俺は死ぬのか!?」
悲鳴と怒声でパニックに陥る群衆の中心にハルがいた。
「ハルお兄ちゃん、大丈夫!!」
倒れたハルに息を切らして駆け寄ったのは、二人の敵を倒し後を追いかけて来た萌黄だ。
ハルは萌黄の手を借りてどうにかして体を起こすが、脚は全く動かない。
その時、甲高い女の悲鳴が響く。
「いやぁぁーー誰がこんなヒドい事を!!私の坊やが、死んでしまう」
若い母親が手を引いていた幼い子どもの胸に紫色の痺れ針が深々と刺さり、立ったままヒキツケを起こしていた。
「おかあさん、苦しいよぉ、針が胸に刺さって、息ができない……」
「だれか助けて、ああミゾノゾミさま、息子を助けてください」
痺れ針の刺さった場所が悪すぎる。早く処置をしなければ幼い子どもの心臓は止まってしまう。
石像のように硬直状態になった子どもに縋り、泣き叫びながら助けを求める。
「ハルお兄ちゃん、あの子このままじゃ死んじゃうよ!!」
親子の様子を見て声を上げた萌黄に、ハルは目配せをする。
萌黄の腕を借りて動かない脚を引きずり、意識の無くなった子供を抱きしめる母親の側まで移動する。
若い母親の足に誰かの手が触れ、そこに黒髪の少女が動かない脚で這ってくる。
「おかあさん大丈夫ですよ。この子の毒を消して助けます。
解毒魔法と治癒魔法の二重詠唱で回復できそうだ。
自分の毒消しが出来ないけど、まぁいいか」
ミゾノゾミ女神によく似た少女は安心させるように母親に笑いかけると、硬直状態の子どもに触れ短い呪文を唱えた。
ハルを中心に
光の波紋が広がり
黄金色の
光柱が現れる
ハクロ王都は『黄金の王都』と呼ばれ、過去は王都中に張り巡らされた白い石畳は黄金色に輝いていた。
ハルの行使した治癒魔法の微かな魔力と膨大な祝福の力に感応して、長い間色を失っていた王都の石畳と、その上に描かれた魔法陣が光り輝き始める。
時間にすれば数十秒、しかしソレを目にした者にとっては永遠とも思える、時間が止まったかのような奇跡の光景。
地面から金色に輝く巨大な光の渦が天を貫くように立ち上がり、錫の音を思わせる神曲が人々の耳に響いた。
「い、今の光はなんだ?」
「おい見ろよ、子どもが生き返ったぞ」
女神降臨を知らせる光の柱が消えた場所には、黒髪の女官少女と息を吹き返した子どもがいる。
少女がゆっくりと顔を上げると、その顔はミゾノゾミ女神に瓜二つだ。
静まりかえった広場中央に、さざ波のように人々の驚きと畏怖の混じり合った呟きが漏れた。
「ミゾノゾミさまだ。ミゾノゾミ女神さまが降臨なさった!」
しかし、そのざわめきを掻き消すように甲高い男の怒声が響きわたる。
倒れた人々を跨いで踏みつけ、汗で化粧が落ちて不気味顔のロウクは残忍な笑いを浮かべハルに近づいてきた。
「ハァハァ、この、ゼイゼイッ、散々手こずらせやがって。
その脚じゃ痺れて動けないだろう、今ここでキサマの服を剥いでやる」
息を吹き返した子どもと母親の目の前で、女官少女の長い黒髪をわし掴み後ろへ引きずり倒すと仰向けに転がし、男はその細い体にのしかかる。
前髪を掴んで無理矢理顔を上げさせ、紺色のメイド服のブラウスに手をかけボタンを引き千切ろうとした。
「いやっ、髪を引っ張らないで(ズラが取れるっ)
やめて、胸に触らないで(偽巨乳が横にズレるっ)」
ここまで自分を挑発していた娘が怯えて涙を浮かべる表情に、ロウクは嗜虐心を煽られ行動に歯止めが利かない。
周囲にいる大勢の人々は傍観者ではなく、憎しみのこもった目つきで見ている事に気付かなかった。
この男は、ミゾノゾミ女神さまを汚そうとしている!!
女官少女の悲鳴に反応したかのように、腕に痺れ針を受けた青年が飛びかかると男の背中を蹴りついけた。
「うがぁキサマら、俺を誰だと思って、げぶぉ!!」
ロウクが驚いて顔を上げると、その横っ面を母親が手にした鞄ではたく。
女官少女のブラウスを掴む腕を老人が杖で叩き、物売りの男がロウクに体当たりした。
「もう我慢ならねぇ!!この詐欺ギルドの嘘つき野郎。毒針で俺たちを痛ぶるだけじゃ飽きたらず、ミゾノゾミ女神まで汚そうとしやがる」
「ロウクは私の坊やを殺そうとした大悪党だよ」
ロウクは女官少女から引き剥がされ、女神の名を連呼しながら怒り狂う群衆に取り囲まれる。
「やめろぉグズどもめ、俺様は歓楽街エリアを仕切る上級ギルド ヤタガラスのロウクさまだぞ。
俺に逆らったヤツは全員、この場で公開リンチにしてやる」
ロウクは周囲の人々を恫喝するが、自分と一緒に娘を追っていた用心棒達の姿が見えない。
「キサマの用心棒って、この薄汚いゴリラのことか?
ハルちゃん、帰りが遅いと思っていたら、また騒ぎを起こしているんだね」
ロウクから逃れたハルの目の前に現れたのは、金色の刺繍が施された紺色の細身のドレスに長い銀髪、雪のような白肌の優美な姿をしたエルフ。
その両手には、ボロ雑巾状態で気を失ったロウクの用心棒が引きずられていた。
***
ハクロ王都の全方位転送ゲートの不調が原因で、巨人王の帰還は遅れていた。
巨人王に同行視察する従者は千人に及び、それだけの数を一斉に運べる転送ゲートは現在封鎖されているのだ。
王宮の西にある公設マーケット広場は、巨人族の巨大な転送ゲートがあった。
しかし十年前の霊峰神殿との戦いの最中、何者かが転送ゲートの魔法陣を一方通行に書き換え、法王神官兵の大群が巨人王都に攻め込んだ。
以来魔法陣は起動できないように封じられ、その跡地に公設マーケットが設けられた。
ティダが王の影から請け負ったのは、全方位転送魔法陣の完全修復。
しかし念入りに消された魔法陣の痕跡を探すのは難しく、場所を特定することも出来ずにいた。
***
その日竜胆に連れ去られていたハルから、昼過ぎには後宮に帰ってくるとの連絡が入った。
同じくタイミングで、古代図書館に引きこもっているSENからも「今後の作戦会議を開く」という連絡が来た。
この世界に来た神科学種への条件付け、新たなクエストの始まりだ。
しかし、ハルは約束の時間を過ぎても後宮に帰ってこない。
後宮門の前でハルを待っていたティダは、何度か味わったデジャブーに囚われる。
あのハルちゃんの事だ、余計なことをしでかして、なにか騒ぎを起こしているかもしれない。
ティダの予想通り、ハルの居場所を示す脳内GPSは王宮を通り過ぎ反対側の公設マーケットの中を目印した。
ティダは何かに急かされたように、公設マーケットへ続く白い石畳の道を駆け出すと、その直後ハルを護衛している”くノ一”柚子が慌てた様子で目の前に現れる。
「ああっ、ここにいらっしゃいましたかティダさま!!
ハルさまが大変です。歓楽街から逃げ出した娘を助けようと、自ら囮となって敵を引きつけています。
でも追手の攻撃で脚に怪我を負い、このままではハル様は捕らわれて酷い目にっ」
そう告げた柚子の目の前にティダの姿はなかった。
魔法を使用した超高速移動、それは目にも止まらぬ速さで、ティダは公設マーケットを目指して駆けていった。
瞬く間に辿り着いた公設マーケットは、広場一面にカラフルな屋台テントと、商人と買い物客で埋め尽くされている。
ココの何処かにハルちゃんがいるはずだ。
多くの人々でひしめくマーケットの中心から、聴力に優れたエルフの耳は物々しい怒声と若い女の泣き叫ぶ悲鳴を捉えた。
その時、大気を掻き混ぜる巨大なナニかが、吸い寄せられるように集まる。
神科学種の赤目でも視ることのできない不可侵の力”祝福”が広場中心で膨れ上がるのが感じた。
この膨大な”祝福”を持ち、操れる者は唯一ひとりしかいない。
一体、なにが起こる。
次の瞬間、広場入り口にいたティダの目の前に巨大な光の柱が現れる。
永らく封印された魔法陣の中に堆積した魔力の枷が外れ溢れ出し、消された魔法陣の場所を示していた。
終焉世界最大の規模を誇る、ハクロ王都の全方位転送魔法陣。
「フフッ、こんな派手な女神降臨で奇蹟を起こすなんて……
いくら我々がハルちゃんを隠そうと小細工しても、神の御意志には逆らえないと言うことか」
人々が神名を呟く中で、怒声をあげる武装したハーフ巨人の男たちが居た。
その巨漢相手に、金髪の小柄な少女が行く手を阻み争っている。
人混みに邪魔されながら、ちょこまかと動き回る小娘を追いかけていた用心棒は、自分たちの間に分け入った銀髪の女を払いのけようとした。
「邪魔だ」と男は言い捨て、鋼の篭手で武装した拳を振り下ろしたが、それが女の細い素手で止められる。
次の瞬間、天女に見えた女の顔が血に飢えた狂戦士の表情に一変する。
細い女の拳が、武装した用心棒の鼻、右頬、顎、左頬、鳩尾に一発、二発、三発四五六七八……
ティダは男達が動かなくなるまで思う存分タコ殴りにすると、獲物を引きずり女神の待つ広場中央に歩んでいく。
***
夜を思わせる紺のドレスをまとった、銀ノ月のような幻のエルフ族が微笑みながら女官少女に駆け寄った。
「ハルちゃん、そんな酷い格好になって、危機一髪だったね」
金糸で巨人王の印が織り込まれたショールを、少女の破けた上着に被せ毒消し魔法を行使する。
大勢の前で服を剥かれて「女装がバレる」というピンチから救われたハルが、目に涙を浮かべティダの顔を仰ぎ見た。
その姿は、傍目から「傷つけられながらも気丈に振るまう健気な乙女」のようだ。
詐欺ギルドのロウクは、突然現れた天女のようなエルフが信じられない。
ロウクは商売柄、相手の身なりで身分を判断することが出来る。
巨人族は身分の階級により使用できる色が決められているが、紺色は限られた者だけしか使用を許されない。
ヤバいヤバい、相手が悪すぎる!!
紺に金糸の服は最上位巨人貴族でも着用できない、王族と巨人王のモノしか身に纏う事の出来ない衣裳。
まさかこの小娘も巨人王のモノだとしたら……
巨人王の姫の体に触れるだけで死罪、魔獣の餌にされるという噂だ。
「ここは、さっさとズラかるしかない。
役立たずのハーフ巨人どもに、騒ぎの責任を押しつけてやれ」
人々がエルフと女官少女の姿に見入られている隙に、ロウクは倒された用心棒を見捨て、人ごみに紛れ逃げ出そうとしていた。
しかし何かがロウクの足元に絡み纏わりつく、よく見ると細い鎖が蛇のようにとぐろを巻いている。
「ハルちゃんに手を出したヤツを、お姉さまが見逃すわけないだろ!!
銀の蛇よ 獲物の動きを封じ 締め上げ捕らえろ 亀@縛り」
久々の本気ドSモードのスイッチが入ったティダは、甲高い笑い声を上げながら手にした銀の鎖を巧みに操り、まるで生きた蛇のように襲い掛かる。
男の胴に絡みつきミシミシと音を立てて締め上げ、手足も銀の鎖が拘束する。
ロウクは鎖にからめ取られ、人混みから再び広場中央に引きずり出されると倒れた用心棒と一緒にひと括りにされた。
「さてハルちゃん、どうしてこんな騒ぎになったのか、話を聞かせてもらおうか」
「それが、僕も詳しい経緯はよく判らないんだよね。
勢いで助けちゃったと言うか……
ティダさん、荷馬車の中に匿っている女の人と直接話をした方が早いよ」
小首を傾げてペロリと舌を見せるハルに、ティダは額に手を当て考え込む。
まさかこれだけの騒動の末、女神降臨の神業まで見せつけながら、娘が追われる理由を知らないとは。
だがそれは浅はかな行為ではない。
咄嗟の正しい状況判断で、娘を助けるため自ら囮になり奇跡を起こした。
最近は料理オタクの場面で活躍するハルだが、その存在は紛れもなく終焉世界を豊穣へ導く、稀有なミゾノゾミ女神の憑代だ。
ティダに捕らえられ、噴水の側に転がされていたロウクと用心棒たち。
だが、詐欺ギルドのクセ者達を仕切っている強かなロウクは、この程度ではへこたれないしぶとい性格をしていた。
周囲の人々は二人の女神の姿に釘付けで、自分たちの存在すら忘れている。
ロウクは隠し持っていた気付け薬を用心棒に嗅がせ、小柄で細身の体と異様に柔らかい関節で縄抜け、あっさりと鎖の拘束を解いた。
「オイ、キサマら、しっかり目を覚ませっ!!
コノ騒ぎが巨人王に知れれば、俺達は王の女に手を出した罪で殺されちまうぞ。
相手は弱そうなエルフ女一人、口を封じて騒ぎをもみ消せ」
しかしティダに素手でタコ殴りにされた用心棒たちがロウクの命令に従うはずもなく、縄を解かれると悲鳴を上げながら一目散に逃げ出した。
「おい、あいつら逃げたぞぉ」
敵に気付かれたロウクは、杖代わりの仕込み傘から至近距離からエルフの脚を狙い、更に強力な痺れ針を放つ。
しかしその直前、銀の鎖は鞭の様にしなり、鋭い金属音を立てて蝙蝠傘に打ち付け真っ二つにへし折った。
「あら、お姉さまとしたことが。フフッ、縛り方が甘かったようねぇ。
今度は丁寧に念入りに、ギリギリのギッチギチに、締め上げて ア ゲ ル」
「ひぃ、ちょっと待った、あぎゃあっ、ぐひっ、あががぁーー!!」
そして、一人の男の阿鼻叫喚が広場に響き渡った。
後に人々の伝承によると、降臨したミゾノゾミ女神を襲った男は、銀の蛇に全身を締め上げ噴水の女神像に逆さに縛られ、永遠の苦しみを味わったという。