クエスト86 歌姫を匿おう
逃げる若い女の悲鳴とそれを追う数人の男達の怒声が、公設マーケットに響きわたる。
ハルと萌黄の乗った青い荷馬車がゆっくりと動き出したところで、荷馬車の前に女が飛び込んできた。
驚いたロバが暴れて荷馬車は大きく揺れる。
「うわっ、いきなり荷馬車の前に飛び出して危ないぞ!!
お、おいアンタ、足が血塗れじゃないか」
空木は興奮したロバを押さえつけながら、その場でうずくまる女を見て思わず声をかける。
明るい金髪に巻き毛の若い女、見るからに上質な薄緑色をした絹のドレスが裂けて破れ、素足で走った足裏から血が流れて酷い状態だ。
「ス、鈴蘭どうしたんだ!?一体なにがあった」
女の姿を見て、荷馬車の後ろの屋台から背の小さな丸顔の店主が駆け寄ってくる。
「父さん助けて、お店が詐欺師 蝋九に乗っ取られたの。店と一緒に従業員の女も……アタシも借金のカタに売り飛ばされるっ」
顔を上げた若い娘は、輝くような美貌と豊満で魅力的な大柄な体型に淀みなく透き通った声をして、父親と呼ばれる店主とは似ても似つかない。
様子を見ていた人々から「歌姫だ」というざわめきが聞こえる。
父親は自分より頭一つ大きな娘を立ち上がらせようとするが、足の怪我と転倒して足首を捻ったらしく一歩も歩けない状態だ。
すでに背後から娘を捜す男達が迫り、もはや逃げきれない。
立ち並ぶ屋台の隙間から、見るからに荒っぽい雰囲気のハーフ巨人用心棒が十人近く怒声をあげて探し回っているのが見える。
「おじさん、早く荷馬車の中に。彼女を連れて隠れて」
荷馬車から飛び降りた女官姿のハルは娘に駆け寄ると、肩を貸して二人がかりで荷馬車に乗りこませる。
その間、臆病なウツギは何もできずブルブル震えて立ち尽くしているだけだ。
白い石畳の上に記された彼女の血塗れの足跡を追って屋台の前まで来た男達は、青い荷馬車前で途切れた足跡を確認すると仲間を呼び集め取り囲む。
「おいスズラン!!この荷馬車に逃げ込んでるのは判ってる。
ヤタガラスのロウク様に逆らって逃げ出しても無駄だ。
ハハッ、帰ったらヒドいお仕置きが待っているぞ。」
凶暴な風貌をした用心棒は八人、隠れた獲物を見つけだし青い荷馬車を取り囲む。
その荷馬車を引くロバの手綱を握りしめる背の高いハーフ巨人に、用心棒の一人が気づく。
「マトモなカッコをしてるから誰かと思ったら、お前桔梗ん所の臆病者ウツギじゃねえか。
痛い目に会いたくなけりゃ、さっさと女を出せよぉ!!」
男の恫喝にウツギは枯れた悲鳴を上げると、ロバを連れて屋台の後ろに隠れてしまう。
その無様な姿に男たちは大笑いする。
蛇の入れ墨をした用心棒が鈍器で荷馬車の車輪を殴りつけ、金属の鈍く高い音が鳴る。他の用心棒たちも、棍棒や石を手にすると荷馬車を激しく叩きはじめた。
「ちっ、面倒だ。この荷馬車は巨人用に頑丈に作られている」
用心棒たちは青い車体を壊そうと激しく打ち付けるが、荷馬車の入り口は硬く閉じられビクともしない。いらだった用心棒たちは、荷馬車を横倒しにしようと左右に揺らす。
「きゃあん、やめてください。荷馬車がこわれちゃう、やめてください」
か細い怯えた少女の声が荷馬車の屋根から聞こえ、用心棒たちは一瞬手を止めた。
屋根にくくりつけられた大きな籠に、黒髪の女官少女がしがみついていた。
見上げる状態だと、少女の露わになった白いスラリとした脚と、短いスカートの中の下着が見えそうになる。
ミゾノゾミ女神に似た美少女は、はちきれんばかりの胸元をのけぞらせ、怯えて涙ぐむ表情は男たちの嗜虐心を煽った。
「へへっ、お嬢ちゃん、俺たちに驚いて屋根に逃げたのか。
早く降りてこい、それとも、降ろしてやろうか」
「いやぁ、こわいっ、やめて、ください。ひどいことしないで、きゃあっ」
鼻の下を伸ばしニヤケ顔の用心棒が腕を伸ばすと、目の前の白い脚にギリギリ手が届かない。
屋根から落とそうと荷馬車を激しく揺さぶると、少女は籠にしがみついて甘い悲鳴を上げる。
目の前をちらつく白い脚とめくれあがって見えそうで見えないスカートの中、たわわな胸に男たちは引きつけられ、荷馬車の中の歌姫のことを忘れて女官少女を捕らえようと群がった。
「今だ、ウツギさん!!屋台の果物を投げて」
果物かき氷屋台の後ろに隠れていたウツギは、ハルと打ち合わせた通りに、屋台にある果物を荷馬車を取り囲む用心棒たちに投げつけた。
ウツギは相手を目の前にすると萎縮して動けなくなるが、遠くからモノをぶつける事は出来る。
ウツギに熟れた果物をぶつけられても、用心棒たちは怪我一つしない。
頭から足下まで果肉まみれになった用心棒たちは呆気にとられ、そして腹を抱えて笑い出す。
「ぎゃははっ、こんな柔らかい木の実を投げつけられても痛くも痒くもねえ。
臆病者は戦い方も知らないんだな。
果物が潰れて服が汚れちまった、ウツギ貴様もぶっ殺して……うっ、うわぁーーぁ」
荷馬車の上にくくられた籠の中から、カサコソと何かが盛んに動き回る音がする。
ハルは隠し持っていたナイフで籠を結びつけていた縄を切ると、籠は用心棒たちの上に落ちて、中から完熟果実を餌にする巨大陸カニが数十匹這いだして来た。
今まで見たこともない巨大陸カニがバラバラと数十匹も落ちてきて、蛇入れ墨の用心棒は咄嗟に陸カニを攻撃する。
しかし振り下ろした安物の剣は、カニモンスターのハサミで根元から真っ二つに折られた。
そして運悪いことに、憤怒状態になったカニは巨大ハサミで用心棒の股間を……。
「ーーーーぐ、ぎゃーーーーっ!!!!」
「う、わっ、痛そうっ。深い森に住むカニに挟まられたら腕も簡単に千切れるから注意してね、動かなければ大丈夫だよ」
蛇入れ墨男は口から泡を吹き、激しく痙攣しながらのたうちまわる。
しかし他の仲間も、それにかまって居られる状態ではない。
ウツギに木の実をぶつけられ全身果肉まみれ、慌てて急所を両手でガードして身動きのとれない用心棒たちの体を、数十匹のカニが木に登るように這い上がってくる。
深い森に住む獰猛な巨大陸カニは、二本の巨大なハサミで用心棒たちの服を切り裂きこびり付いた果実を舐めた。
うごめく巨大陸カニが全身に群がり、悲鳴を上げることもできず硬直したまま動けない用心棒たち。
しばらくして物売り娘に化けた”くノ一”三人娘が人混みから現れ、身動きのできない用心棒を次々と縛り上げるが、すでに彼らに抵抗する気力は失われていた。
「ううっ、まさかこんな悲惨なアクシデントが起こるなんて。
一応、治してあげるね。
生命を司る精霊よ、傷つく彼の者を癒せ ヒール」
ハルは同情した表情で、白目を剥いて失神した蛇入れ墨男に治癒魔法を掛けた。
「へっ、ざまぁみろ。ハルさん、上手く行きましたっ」
「ウツギさん、凄かったよ!!
手足が長くてバネがあるからコントロール抜群だ。これなら遠距離攻撃で戦うことも出来るよ」
意外な才能を見せたウツギに、ハルの方が驚く。
荷馬車の屋根にいたハルには、ウツギの投げた果物はひとつも飛んでこなかった。全て狙いを外すことなく当てていたのだ。
敵を倒したと喜んでいたハルとウツギに、”くノ一”檸檬が緊張した声で話かける。
「ハル様、この用心棒たちは歓楽街エリアを仕切っている上級ギルド ヤタガラスの者です。
どうやら逃げた用心棒が仲間を呼んだ様子、ギルド長のロウクが現れました」
歌姫を追う用心棒とのバトルを見ようと荷馬車の周りに出来た野次馬の人垣から悲鳴が聞こえ、追い払われる。
現れたのは、捕らえた用心棒たちとは明らかに違う、全身高級防具に身を包み武器を持った戦士風の男たち。
「中央にいる白い顔の男がロウク、護衛の用心棒は七人、まるで巨人戦士のように鍛え抜かれた体格をしています。
これは敵の数が多すぎます。私たち”くノ一”では勝ち目はありません」
***
「この役立たずどもめ、貴様等は用無しだ」
白面にテカる額のロウクは、捕らえられた用心棒たちの縄を解かず、杖代わりに手にした蝙蝠傘で殴りつける。
言い訳を口にする用心棒に、戦士の出で立ちをした男たちが更に暴力を振るった。
「相手が上級ギルドのロウク様とも知らずに、商品の女に同情して隠すなんてなぁ。
さぁ、荷馬車の中から人間に化けた薄汚いハーフ巨人の女を出せっ!!」
差別意識の強いロウクの中では、ハーフ巨人は牛馬以下の家畜。そして自分が手に入れようとした歌姫スズランが、実はハーフ巨人だったという事実に怒り心頭だった。
青い荷馬車の扉は盗難防止用の術が施され、持ち主以外開けることが出来ない。
コノ場にいるのは背の高いハーフ巨人の使用人と物売り娘三人。
そして巨人王族関係者しか着ることを許されない、紺色の家紋入りメイド服を着た女官少女だ。
「ふん、巨人王には沢山王子が居るんだ。巨人王族付きの下っ端雑用娘の一人だろう。
俺は女子供でも容赦しねえ、痛い目に合いたくなければサッサと扉を開けろ」
「やめて、ください。ひどいことしないで……って頼んでも聞いて貰えそう無いから、扉は開けないよ」
女官少女はエプロンのポケットから扉の鍵を出すと、上着のボタンを一つ外して、たわわな胸の谷間(偽物)を見せつけソコに鍵を隠してしまう。
ミゾノゾミ女神によく似た少女の誘うような仕草に、男たちの目は釘付けになる。
「おじさん、鬼ごっこしようか。
鍵は欲しければ僕を捕まえてごらん」
女官少女はからかうような口調でロウクに舌を見せ、ヒラリと踵を返すと目の前から逃げ出した。
「このクソガキがぁ!!ヤタガラスのロウク様をコケにするとはイイ根性だっ。
あの女官を捕まえて、広場の前で服を剥いてやれ」
ハルを追いかけて、詐欺ギルド長のロウクと護衛の用心棒は、市場の人混みを蹴散らしながら派手な追いかけっこが始まった。
***
「まったく、ロウク様のきまぐれには付き合いきれん。アノ女官、捕まれば公開リンチだぜ。
ウツギ、お前も同罪だなぁ。今ここで動けなくしてやる」
荷馬車の前に見張りで残った二人の用心棒は、残忍な笑みを浮かべながら刃の研がれた剣をかざし、屋台の影でうずくまるウツギに歩み寄った。
男たちは背後の気配に気づかない。
金色の髪をした少女が、双剣を手に踊るように美しい跳躍をしながら襲いかかる。
頭を抱えてしゃがみ込んでいたウツギが顔を上げると、二人の用心棒は鋭い刃先で踵の健を切られ膝を付いて悲鳴を上げ、萌黄の暗殺剣舞の餌食になっていた。
もし「逃げ足」っていうステータスがあったら、僕はかなり高レベルだと思うんだ。
屋台が建ち並び、人々でゴッタがえする公設マーケットの中を女官少女が軽やかに駆け抜ける。
少女の姿は、MGM48と呼ばれるミゾノゾミ女神の中でもセンター人気を誇る『黒髪の巫女乙女』瓜二つで、女官少女を見た人々は思わず道を譲った。
「おい誰か、その娘を捕まえたヤツには、金貨をくれてやるぞ!!」
後を追うロウクがどれだけ声を枯らして怒鳴っても、詐欺ギルドの悪行は人々に知れ渡っており言葉に従う者はいない。
誰一人女官少女には触れようとせず、わざとロウクの前を邪魔するように横切る。
重い防具に身を包んだ用心棒と踵の高い靴を履いたロウクは、しばらくすると少女を追いかけるスピードが落ちてきた。
最近は夜の街をねり歩くだけのロウクは過度の運動に息を切らせ、顔を流れる汗で白塗り化粧は剥がれ落ちて、さらに額はテカる。
「どけぇ、この巨人臭いアバズレが。
ロウク様を馬鹿にしやがって、ぶっ殺してやる」
マーケット広場の中央のミゾノゾミ女神を祭る噴水の前、それはハルがわずかに油断した瞬間、ロウクは手にした蝙蝠傘に仕込まれたボタンを押した。
筒状になった傘の先端から、髪の毛のように細い痺れ針が無数に飛び出してくる。
噴水の前で涼んでいた親子や通りすがりの買い物客も巻き込み、痺れ針はハルの脚に命中した。