クエスト80 古代図書館へ潜伏しよう
夜明け前、ハクロ王都の巨人王後宮にある赤煉瓦の古代図書館に、扉付きの大きな本棚が運ばれてきた。
古代図書館の管理人で、本棚の到着を待っていた依頼主のYUYUは何故か浮かない表情をしている。
「丁寧に運ぶ必要はありません。倒しても転がしてもかまいません。急いで本棚を図書館の中へ運び入れなさい」
苛立つYUYUにせかされた後宮付き家来たちは、大慌てで本棚を壁にぶつけながら、普段は立ち入り禁止の古代禁書部屋の前まで運びこんだ。
古い本が並ぶ薄暗い部屋の中、奇妙な虫のような女のすすり泣きのような声と、胸をざわつかせる不思議な香りがする。
七色に光る不気味な明かりがゆらゆらと漂い、半分開いた扉の向こうには、人の正気を喰らうと噂される古代禁書が見えた。
命令に逆らえず仕事を請け負った家来たちは、その場の空気に呑まれ恐怖で震えだす。本棚を投げ置くと、先を争って古代図書館の外に逃げ出した。
「もう外に出てきても大丈夫ですよ。
SEN、まさか貴方のような危険人物を、この後宮に招き入れる手助けをすることになるとは……」
運び込まれた本棚の扉が開き、中に隠れていた黒袴の武士が現れる。
長時間本棚の中に閉じこめられ、乱暴に運ばれたSENは、腰をさすり猫背気味という情けない状態で這うように本棚から出てきた。
「王の側室へ送る貢ぎ物をこんな乱暴に扱うなんて、家来のしつけが成ってないぞ」
相変わらずYUYUの前では無愛想な口調のSENだが、古代図書館の内部を珍しそうに眺めた後、貴重な書物が並ぶ本棚に眼の色が変わる。
「仕方ないだろ、SENの旦那を後宮に招き入れる方法はコレしか無かった。巨人王の許可は取ったが、古代図書館の外を出歩くことはできないぞ」
ティダは手の平に乗せた紙細工の”神の燐火”を数匹放ち、図書館の中を明るく照らし出す。
古代禁書部屋の壁面は少年コミックが天井までびっしりと並び、壁面に沿って一列に並ぶ本棚には十進分類表と年代別に、あらゆる本が保管されている。
「おおっコノ本は、版元が半年で潰れた激萌え絵師が挿絵を描いた幻のラノベじゃないか。
なんという素晴らしい光景だ。書物が我に語りかける声が聞こえる。
フハッハハハッ、この神秘の森の彼方に宇宙の誕生より、悠久の時を越え蓄積された英知の深淵を覗き見ようではないか。我知識の糧とするのだ。」
突然狂ったように不気味に笑い出すSENに、水浅葱は怯えながらもYUYUを庇うように前に出る。
さすがにコレは不味いと、ティダがフォローに回った。
「えっと、SENの電波語を訳すと……素晴らしい図書館だ、満足してるという意味だ」
「SENさまのような得体の知れない危険な男が、ティダさまやハルさまと同じ神科学種とは思えません。
それに、人間の男が後宮に潜んでいると知られれば大変なことになります。SENさま、他の者に姿を見られたら最後、去勢される覚悟をして下さいませ」
元々引きこもり気質のSENは、古代図書館の中でも苦無く本に埋もれて暮らすことができる。
しかし、露骨な水浅葱の態度につい言い返してしまう。
「ひどい言われようだな。
ハルは女神モデルの器だから完璧な女装ができるし危険性も無いだろう。
だけどコイツ、ティダは見た目天女のような成りをしているが、中身は俺以上のドS野郎「このっ、黙れSEN!!」ウガァッ」
ティダの手刀が文句を言うSENの喉に炸裂して、運ばれてきた本棚の中に弾き飛ばされる。
「あらSENさま、ご存じないのですか?
ウフフッ、エルフ族は殿方としての機能は全く役に立ちませんの。
ですから後宮の中で間違いが起こるなどありえません。そうでしょう、ティダ姫」
ハルへの夜這いを阻止された仕返しなのか、水浅葱は相手を気遣う慈悲深い微笑みを浮かべながら、ティダの隠し続けた秘密を暴露する。
その場で凍り付いたティダと、五秒ほど考え込んだ後、心底気の毒そうに友人を見つめるSEN。
「はっ、お姉さまの本命はハルちゃんだし、男の姿より見目麗しい天女の方が……くそっ、エルフと知ると、デブや禿げや脂ぎった野郎ばかり言い寄ってくる。
エルフ族を生み出した連中の下心がミエミエだぜ」
「大丈夫だ問題ない。ティダ、俺のコレクションR18百合エロゲーを貸してやるから参考に「この、黙れぇぇ」ウガァッ」
再び乱闘を始めた二人を呆れて眺めながら、水浅葱は王の影に声を掛ける。
「古代図書館はしばらく危険人物が居座るので、YUYUさまは館でハルさまと一緒に過ごされてはいかがですか」
「そうですね水浅葱、SENは外部との接触を遮断して、厳重に図書館に軟禁してください。
遙か北の地へ視察中の鉄紺王陛下は、二十日後王都にお戻りになられるそうです。
それまで私も館の用事も済ませておきましょう」
***
その日の朝食メニューは、甘く煮た野菜が宝石のように綺麗に飾り付けられた前菜に、水あめ状の激甘スープに浸かった白身魚が出された。
冬の朝は食材の冷めるのも早く、甘いソースはボテッと固まりつつあった。
そしてお約束のように、銀のトレイにも料理が準備されている。
深みのある皿には、中の具材をフタするように黄金色に輝くソースがかかっている。
YUYUは迷わず銀のトレイを選び、皿の上にフタのように被さった、鮮やかな黄金色のソースを掬う。
「この味は、黄金ウニのマヨネーズ風味。こんがり焼けた表面のソースの中は海鮮シチューですね。
ソースでフタをしていたので、ハフッ、シチューは熱々。
根菜と白身肉が柔らかく煮込まれていて、ウニソースを混ぜながら食べると更に味に深みが増します」
「ウニとマヨネーズと組み合わせ、美味しいコト間違いないからね。
炎魔法を使ってウニソースを炙ってフタにすれば、中身のシチューも冷めにくくなるんだ」
ほのかに甘みのある海鮮ウニソースシチューを食べて、身も心も温かくなる。そうすると、見た目は豪華だが冷めて具材が堅くなった料理を食べたいと思わない。
館の主であるYUYUと側近の水浅葱、そして何故か新入り客室付きの女官が、同じテーブルで食事をすると言う不思議な光景。
ハルの前の深皿には、リゾットに似た料理が置かれ、それに半熟卵を落とす。
「あら、ハルさまの料理は私たちとは違いますね。どうしたのですか」
「全部の姫に料理を出したから、ウニが品切れしたんですよ。
自分の分は、煮くずれしたシチューの具とおにぎりの実を煮込んで作ったおじや、ただのまかない料理です」
そう答えたハルの隣で、いつの間にかスプーン片手にYUYUが待機している。
「フーフー、パクン。
おにぎりの実は粒が大きくて、まるで餅のような食感ですね。半熟卵を絡めるとトロミとコクが増して、たいへん美味です!!」
大きめのスプーンでおじやを口に運び、うっとりと夢見るような表情で料理の味を伝えながら食べるYUYUのせいで、テーブルの周囲に控える女官たちは腹の虫が鳴くのを耐えなければならなかった。
早くハルさまの作ったまかない料理を食べたい!!
館の主であるYUYUが朝食を済ませると、第四後宮に務める女官たちは、普段以上に敏捷な動作で、瞬く間にテーブルの上を片づけた。
***
「ハルお兄、えっとハルお姉ちゃんのお手伝いしたいな。
萌黄も一緒にお料理作るの」
本日の衣装は、レトロ女給風メイド服。
萌黄もお揃いの衣装を着せてもらい、一見すると仲の良い姉妹のように見える。しかし実は、終焉世界に降臨した女神の憑代とそれを守るボディガードである。
相変わらず三人の女官も付き添い、ハルは萌黄の手を引いて後宮の調理場に向かった。
後宮に住まう姫は三十二人、彼女たちに仕える大勢の女官と後宮自体を維持管理する家来の食事を賄うために作られた食堂だ。
「巨人族 鉄紺王後宮の女官と家来は全員女性です。
ここでの力仕事は巨人族の血が流れる女官が行っています。力仕事ができるのハーフ巨人の女は、人間の男以上の力がありますから」
そうですか、男手は必要ないんですね。
ハルが肩をすぼませて、三人の後からチョコチョコとついてゆく。
後宮務めの使用人専用食堂は、唯一外との出入り口に当たる後宮門の側に建てられていた。
大量の食材や生活必需品は、主に人間の都の商人によって後宮に運ばれてくる。
側室の住む宝石のような館とは異なる黒煉瓦でできた実用的な建物は、驚いたことにカフェのような洒落た雰囲気で、コノ後宮を仕切るYUYUが現代人であるとよくわかる。
ハルたちは建物の裏に回って調理場の勝手口に向かうと、そこに大勢の女官が押し掛け黄色い声を上げていた。
巨人王後宮に居る男は、王とその血を引く息子の王子のみ。
その王子さまが、調理場の前で誰かを待っているのだ。
「あのお方が、砂漠の竜を素手で倒し、異界の魔物を巨人戦士を率いて屠ったという勇敢な竜胆王子さまなのね」
「末席の王子だけど、お顔立ちがどことなく鉄紺王陛下に似てらっしゃるし、将来有望よ」
「竜胆王子さまは、ミゾノゾミ女神降臨に立ち会ったという噂を聞いたわ」
群れた女官たちの中に、竜胆に声をかける大胆な娘も現れる。
その誘いに気軽に答え、二、三人気に入った女官と今夜の約束を交わしている様子だ。
「あら、随分と賑やかですね。もう休憩時間なのかしら?」
竜胆を取り囲んだ女官たちの声が、後から現れた王の影付きの三人の女官の姿を見た途端ピタリと止む。
怖ッ、檸檬さんたちが後宮の”くノ一”を仕切っているというのは本当なんだっ。
竜胆は、王の影の側に控え見覚えのある彼女たちと、後ろを付いて歩くハルと萌黄を見つける。
「こんな所で何やっているんですか、竜胆さん」
「よおハル、待っていたぞ。
後宮のメシは甘ったるくて不味い、喉を通らねぇ。
腹が減った、俺は昨日の夜から何も食ってないんだ」
地味な顔立ちの新人女官が竜胆王子と親しげに会話をしている様子を見て、女官たちは嫉妬と嫌味混じりの呟きを漏らす。
竜胆は女官たちの前を通り過ぎ、女装をしたハルを一瞥してニヤリと笑うと、つまみ上げて脇に抱え厨房の中へ連れて行く。
背後から女たちの金切り声と、その騒ぎを静めるようと恫喝する檸檬の声が聞こえた。
ハルは何故騒ぐのか判らなかったが、自分が女官姿だと思い出すと慌てて竜胆に降ろすように頼む。
「竜胆さんは、この後宮では巨人王の王子様だ。
僕は女官に化けているから、親しげに話かけたらダメだよ」
ハルの言葉に竜胆はやさぐれたツマラナそうな表情をして、乱暴に手を放した。
降ろされた拍子につんのめったハルは、竜胆の体にしがみつく。
すると、竜胆の着ている上質な服が所々汚れ、襟元には血痕があった。
顔を覗きこむと治癒魔法で直したらしい怪我の痕が目の下に浮き出ている。
「竜胆さん、少し落ち込んでいるようだけど、何かあったの?」
ハルはアイテムバッグからおにぎりの実を取り出すと竜胆に渡し、厨房からまかないのシチューを温めて運んできた。
「ああ、つまらない、面白くない話だ。
俺はココの激甘メシを食いたくないから、夜中に城の外に出たんだ。
上等な服を着てたのがマズかったな、いきなり喧嘩をふっかけられた。
人数が多かったから、久々に手こずったぜ」
「ええっ、竜胆さんが喧嘩に手こずるってどんなモンスターなの!!」
ハルの台詞に気を良くした竜胆は、熱いシチューを皿からすすりながら答える。
「ハハッ、確かに人の皮をかぶった獣、モンスターかもな。
相手は俺と同じハーフ巨人で、チンピラのような連中だった。
でもおかしな事に、連中を率いていたリーダーらしい男は貧相な体格の人間だ。
そいつからは特に大した力も魔力も感じなかった。なんで弱い人間にハーフ巨人が従っているんだ?」
「竜胆さん、その人間はハーフ巨人を用心棒として連れ歩いていたんだと思う。
腕力でも魔力でもない『金の力』でハーフ巨人を手下にしてるんだ」
ハルから発せられた意外な言葉に、竜胆は眉をひそめる。
巨人の都と人間の都の狭間で、ハーフ巨人は両者から侮られた扱いを受けていた。
そしてコノ小さな出来事は、何故か「善良な人間のギルド商人を襲った、凶暴なハーフ巨人」という事件に発展していたのだ。