クエスト67 沈黙の呪を解除する
青紫島の村の中心にそびえる巨木の中に造られた集会所は、血の臭いが充満し凄惨な状況だった。
ケガをして動けない村人と、戦い倒した敵が、同じ場所で呻いている。
そして死に掛けた身重の娘を抱いて、扉の外へ駆け出そうとした彼女の目の前に……
女神が降臨する。
漆黒の闇夜に、蒼い炎を全身から迸らせながら舞い降りた魔獣。
いや彼女の騎獣ユニコーンが、主人の危機を察し天を飛んできた。
「僕を、呼んだ?」
そう彼女に問う少年の声は不機嫌そうだった。
二つの島の間を、ユニコーンに咥えられ宙吊り状態で無理やり移動させられたのだ。
ユニコーンが咥えたシャツを離すと、ハルはベチョっと顔面から地面に落ちる。
「ええ、お呼びしました。ミゾノゾミ様。
どうか、この娘を助けてください」
彼女は、血塗れの両腕に抱える身重の娘を差し出した。
そうしている間にも、娘の背中から流れ出した鮮血は、音を立てて床に落ち、血溜まりを作っている。
彼女は床に娘を横たえると、ハルは娘の顔を覗き込む。
幼顔の娘は、顔面蒼白で唇も紫色になり、白目を向いたまま浅い息が途切れようとしていた。
「ハルお兄ちゃん、その女はお兄ちゃんをさらった、女神神殿の聖騎士だよ。
そんな女の頼みごとを、願いを聞いてしまうの?」
ユニコーンの背に乗った金髪の少女が、甲高い声で断罪するように言葉を放つ。
娘の顔をのぞき込んでいた神科学種の少年は、感情のない目で彼女の方を振り返る。
「僕を、呼んだ?」
再び同じ台詞、答えを間違えてはいけない。
祈りに応えて舞い降りた女神を、今度こそ逃してはいけない。
「私はアナタに助けを求めた、アナタなら助けてくれると信じている。
どうかミゾノゾミさま、娘を、モモをお救い下さい」
彼女は両手を地に、頭を地面に何度も打つけて、叫ぶような声で神に懇願する。
少年は、興味を失ったかのように彼女から目を反らし、娘の状態を確認すると眉を寄せる。
これは、治癒魔法では間に合わない。
今すぐ完全蘇生呪文を行使しないと、母体もお腹の子供も死んでしまう。
目の前で横たわる娘が激しく痙攣し、その細い息が完全に止まった。
時間が無い、一刻を争う生死の境目。
完全蘇生呪文を唱えようとしたハルは、自分の体の異常に気が付く。
まさか、こんな時に……舌が凍り付いたように動かない。
女神神殿の最高禁術、罪人へ施す『沈黙の呪』が発動して、ハルの言葉を奪い、完全蘇生呪文を唱えることができないのだ。
***
「早くっ、僕の『沈黙の呪』を解除をしろ!!
娘の命と引き替えに、お前は対価を示せ」
鋭い少年の声と、弾かれたように彼女は顔を上げ立ちあがる。
「ミゾノゾミ様、舌を出して下さい。
戒めの『沈黙の呪』解除します」
女神神殿の禁術、生涯罪人を縛る呪いを解くと、術者自身に呪い返しを降りかかってくるのだ。
軽々しく『沈黙の呪』を行使した私の自業自得。それでモモが救えるなら、私の声などくれてやる。
少年の紫色にミミズ腫れを起こしたような舌に、術者である彼女の指先が触れると、呪いが実体化してムカデが三匹現れ、指先を這い上がってくる。
一匹も逃がしてはいけない。
術呪の実体化したムカデを掌に捕え、握りつぶすとそのまま自分の口へ放り込む。
「ミゾノゾミさま、あの白身の肉は美味で う゛ぁああっ、アリガト う゛ぁあぁ」
呪いは倍返しされる。
彼女の口の中で荒れ狂う呪いを、薄ら笑いを浮かべながら自分の舌ごと噛みちぎった。
だがハルは、それを見守っている暇は無い。
ユニコーンの上にいる萌黄に振り返ると、静かに声をかける。
「萌黄ちゃん、もし僕が動けなくなったら、SENさんや竜胆さんが助けにくるまで、悪者から守ってね」
そう告げると娘に向き直り、言葉を取り戻した舌先に、完全蘇生呪文を乗せ詠唱を始める。
娘一人の蘇生なら、ぎりぎり自分の生命力で足りるはずだが、宿した子供たちへも、二重三重の完全蘇生呪文を行使したら、力は根こそぎ奪われてしまう。
少年の詠う祝福の調べに乗せて、七色の光が娘を包み込む。
娘の背中の大きな裂傷は、裂けて骨の見えた上に肉が盛り上がり、みるみるうちに塞がると跡形もなく消える。
心臓は鼓動を取戻し、頬は血の色が宿り、穏やかな呼吸で胸は上下する。
猫人族の村人は、目の前で行われた奇蹟に言葉を失う。
蘇生呪文により、命を取り戻した娘の隣で、青い髪の少年は横たわり完全に動かなくなっていた。
***
ハルがユニコーンに連れて行かれたと子猫たちが知らせに来て、続いて漁師たちが、隣の青紫島が敵襲を受けていると報告にやってきた。
黒岩島の山頂近くで待機させてるファイヤードラゴンを呼び寄せるため、SENはすでに外へ飛び出していた。
苛立たしげに、長い銀色の髪を掻き上げながらティダは、赤い右目の奥に映し出されるパーティステータスに注目した。
異常を知らせるアラーム音と、ハルのステータス表示がグリーンの通常状態から赤く点滅し始め、一気に灰色のデッドリーを示すのだ。
ハルを連れ出して、まだ半刻も経たないうちに、またデッドリーか!!
どうしてハルちゃんにだけ、命の自己犠牲を強いる。
なにが終焉世界に豊穣をもたらすだ、このクソゲーめ。
無表情で天を仰ぐティダの隣で、青年は仲間の漁師たちに救援の船を出すように手配していた。
すると、空の彼方から蒼い炎がこちらに向かって飛んで来るのが見えた。
ユニコーンが、背中に数人の娘達を乗せて、青紫島から黒岩島へ戻ってきたのだ。
牛のように逞しいユニコーンの背中には、5人の少女たちが乗せられていた。
小さな聖堂の正面に舞い降りたユニコーンに、その場にいた者は皆駆け寄ると、少女たちは叫びながら飛び降りた。
「敵が、大勢の奴隷海賊と雇われ傭兵が、村を襲ってきたわ!!
このユニコーンに乗ってきた男の子は、女傭兵に切られて大怪我をしたモモを治した後、動けなくなったの。
長老やオバサンたちや、怪我をした男の人が残っていて、戦っているのは金色の髪をした小さな女の子と、白さんだけ。
早く、早く助けに行かないと、みんな殺されちゃう!!」
泣き叫ぶ少女に手を貸して慰める青年に、周囲の者たちも慌ただしく動き出す。
ユニコーンは興奮状態で、鼻を鳴らし蹄で地面を激しく蹴っている。
聖獣一の俊足を誇る、天駆けるユニコーンに乗れば、隣の島まで瞬く間に着くはず。
ティダは急いでユニコーンに駆け寄るが、触れようとして巨大な角で威嚇されてしまう。見た目は天女のようだが、両性で、しかも素手で敵を血祭りに上げるティダは祝福が少ない。
ドSネカマのティダでは、穢れ無き乙女を好むユニコーンには選ばれないのだ。
「弓部隊の子供を行かせるには危険すぎる。誰か、ユニコーンに乗れる者は……」
漁師たちに指示を出していた青年が、巨大な銛を手に、ユニコーンに静かに近づく。
聖獣はその姿を認めると、膝を折り角を下げて体を伏せる。
その蒼く燃えるように逆立つ鬣を優しく撫でると、青年は慣れた仕草でユニコーンに飛び乗った。
「ティダさま、俺はコイツに乗って先に青紫島へ向かいます。
ドラゴンで後を追って来てください、早くハルさまたちを助け出しましょう」
ユニコーンは地を蹴ると、一気に天を駆け、まるで蒼い星が流れるかのような速さで、隣の島めがけて飛んで行った。
それから数分後、黒岩島の頂上から、燃える様に真紅の巨大な翼をもつファイヤードラゴンが吼声を上げながら姿を見せる。
まるで竜巻の様な翼の風圧の中、ティダの前に着陸したドラゴンの背からSENが声を掛ける。
「ティダ、海の方を見ろ。
どうやら竜胆のヤツ、奴隷海賊の制圧に成功したみたいだ」
黒岩島から見下ろす漆黒の海の所々に、蛍火のような”神の燐火”と紺の巨人王族の色旗をなびかせる船が浮かんでいた。
竜胆の呼びかけに答え、奴隷海賊首領を見限り、反乱海賊となった者の船だ。
SENはドラゴンから飛び降りると、入れ替わってティダが騎乗する。
二人はハルがデッドリー状態なのを知り、完全蘇生魔法を行使するのに、ティダが恐ろしいほど念話で拘ったからだ。
「ハルちゃんが何度も約束を聞かなかった事は、チュウひとつでチャラにしてあげるよ。
さぁ、眠れるお姫様に目覚めのキッス「さっさと行けっ変態エロフ」バキッ」
宙へ飛び立った、ファイヤードラゴンの赤い炎のような翼を、SENは見えなくなるまで目で追い続けた。
夜明け前が一番暗い、一昼夜戦い続けてきた猫人族たちにも、表情に疲れの色が濃く見える。
奴隷海賊島を攻め落とすための別部隊、港町エリアの領主 双子の弟王子が動いていた。
奴隷海賊の戦力を分散し、圧倒的な力でねじ伏せて、猫人娘狩りを終わらせるのだ。