クエスト58 砂の浅瀬を歩こう
風香十七群島
二十二世紀に地殻変動により隆起して現れた浅瀬に、十七の人工島が作られたと、ハクロ王都 巨人王王宮 後宮内にある古代図書館に集蔵された資料には記されていた。
群島は十七色に色分けされ、グラデーションになるように設計された。
女神の落としたネックレスと呼ばれて、飛行機での空中遊覧が大人気の観光スポットだったようだ。
しかし、世界はすでに神科学と呼ばれる機械文明は消滅し、空を飛ぶ方法は魔獣を使役するしかなくなり、女神の落としたネックレスを愛でる機会はほとんど失われていた。
その風香十七群島中の、黒岩島から隣の青紫島へ、浅瀬の砂地を歩く人物がいる。
短く切りそろえた黒髪をなびかせながら歩く彼女の薄汚れたローブの下には、魔モノを退けるミスリル製の白銀の鎧を着ていた。
砂地をテリトリーにしている蒼牙ワニも、白銀の鎧を着た聖騎士の彼女には近寄らない。
嵐の夜に遭難してから、風香十七群島の間に続く砂地を、歩いて渡りながら偵察を続けていた。
最初に向かったのは黒岩島の隣、深緑島はひどい状況だった。
見るからに欲深く乱暴な数人の猫人族の男たちが、子供から二十歳前後までの百人近い娘を支配していた。
あれは、猫人族の娘を育てていると云うより、飼っている状態だ。
だからこそ、何のためらいもなく、粗末な太刀と女物の服をかすめ取ってきた。
今彼女は、黒岩島を挟んで反対側にある蒼紫色の島を目指している。
潮が満ちると、島々を結ぶ砂の一本道は海の中に消えてしまう。早く隣の島へ渡り切らなくてはいけない。
島まで一気に駆けてようとした彼女の目の前に、浅瀬に乗り上げた小舟が見えた。
船には若い娘が乗っていて、オールを振り上げ泣きながら悲鳴をあげている。
よく見ると、船の側に一匹の蒼牙ワニがいて、女を狙い船の中に乗り込もうとしていた。
彼女は、悲鳴をあげ助けを求める娘の船まで近づく。
獲物を狙っていた蒼牙ワニは、強烈なモンスター避けの施されたミスリル鎧を恐れ嫌い、彼女から距離をとって逃げてゆく。
「娘さん、大丈夫。もうワニは去って行きましたよ」
娘が気が付くと、短い黒髪で薄汚れたローブを着た若く凛々しい顔たちの猫人族の女が、船の周りをうろついていたワニを追い払ってくれていた。
「あっ、ありがとうございます。
アタイ、もうワニに喰われて死んじゃう、ダメかと思ったぁ。
お姉さんが助けてくれたのね、ありがとう。
神さまありがとう。ミゾニャン女神さまが、アタイの祈りに答えてくれたんだぁ」
命拾いした安堵の涙を流しながら、自分に手を合わせる娘を複雑な思いで見ていた。
まだ、幼さの残る若い娘は、茶色の髪に黒いネコ耳、そしてお腹がプクリとふくれた妊婦だった。
二人は話をしている間に、潮が満ちてきて船が動き出す。
茶色の髪の娘が、船の乗るように声をかけ、彼女は云われるがまま飛び乗った。
「この辺は、砂の浅瀬が多いから、普段は注意して船をこいでるんだ。
でも今日は急にお腹が痛くなっちゃって、気が付くと浅瀬に乗り上げていたの」
娘は大きなお腹で、しっかりとオールを漕ぎながら彼女に話かける。
波しぶきで着ているローブが濡れ、彼女は無意識でローブを脱ぐとミスリル鎧が姿を現した。
白銀色の美しい鎧は、強い日の光を反射して、自ら光輝いているようだった。
其の姿に、娘は唖然としてオールを動かす手を止めて見入ってしまう。
今まで見たこともない、繊細な模様が刻まれた白く輝く美しい鎧。
これは人間のお話で、魔物と戦う勇気あるの王子様や騎士様が着ているような鎧、それがとても似合っていた。
コノ人は、どこか不思議な雰囲気で、アタイたち猫人族と違う世界の人だ。
娘の戸惑いと羨望の眼差しに気付かず、彼女は出来るだけ冷静を装いながら、静かに尋ねた。
「そういえば、アナタに聞きたい事があるの。
ココに住む人間で、黒髪で赤い右目の男は居るかしら?」
「えっ、この辺にいる人間っていったら、まともな奴はほとんど居ないわ。
汚らわしい奴隷海賊ばかりよ!?
アイツらはほとんど黒髪だけど、赤い目は見たこと無いなぁ。
お姉さん、他に何か男の特徴はあるの?」
「他に特徴?
男は私くらいの身長で、死んだような顔をした、特徴が……無い。
だけどその男は、私の主を悪魔のような罠に貶めて、奪っていった仇なの!!」
彼女は、思わず感情にまかせて強い口調で叫んでしまう。
こんな、幼い身重の娘に話をしたところで、どうしょうもないのに。
しかし話を聞いた娘は、瞳を爛々と輝かせ、彼女に駆け寄ると両手を取りぎゅっと握り締める。
「お姉さんは、その恋人の仇を取るために、黒髪の人間を捜しているんだね!!
アタイも其の気持ち良く判るよ。
判った、任せてっ、アタイお姉さんの協力をするっ」
彼女は驚いて娘を見る。
こ、恋人ですって!!私と白藍さまがっ。どうしてそんな勘違いするの?
「お姉さん、アタイは深緑島に住んでいて、村長に恋人がいたことがバレて奴隷として売られそうになったんだ。
必死で隣の黒岩島の聖堂に逃げて、聖堂の神官爺さまに助けられて、恋人と駆け落ち出来たんだ」
なるほど、娘は自分の体験から私の話を勘違いしているのね。
でも、下手に否定して勘ぐられない方がいいわ。
彼女は、そう自分に言い聞かせながらも、頬が赤く染まるのを隠せなかった。
一刻ほどして、船は蒼紫島を半周して小さな船着き場に着いた。
岩を削って造られた船着き場から、陸に向かって大きな段差の階段が二十段ほど続いている。その上には平たい土地が開け、小屋が数件建っているようだ。
それにしても、コノ大きな段差の階段を登るのは、身重の娘にはきつそうだ。
娘が船をつなぎ止めて階段前まで来たところで、彼女は娘を軽々と横抱きにすると、そのまま階段を上り始める。
「えっ、お姉さん、すごい力持ちだ。アタイ、お姫様になったみたい」
いきなり抱きあげられて、驚きながらも首にしがみつく嬉しそうな娘が可愛らしい。
そういえば、小柄な白藍さまは私が抱きあげると「僕は子供ではないんだよ」とひどく照れていたわ。
彼女は、本当に久しぶりの、心からの笑みを浮かべる。
階段を上りきると、開けた平地に雑貨屋のような小屋と小さな畑、畑の手入れをしている若い女が二人、そして奥の林の中に数件家が建っている。
「お姉さん、もしかしてさっき砂の浅瀬を歩いて渡っていたけど、恋人の仇を探すために、風香十七の島を全部歩いて渡るつもりなの?」
「ええ、私はそうするつもりよ」
「待って、それなら歩いて探すよりイイ方法があるんだ。
ほら、アタイのお店、小さいけど扱う商品が変わっていて、他の島からも客が買いにくるんだ」
そういって、娘が小屋の中に彼女を案内して、床に大量に並べられた瓶を見せる。
中には白い液体が満ちて、花の香りのような甘いアルコール匂がする。
見かけ幼い娘は、実はかなり強かで、深緑島の村で男たちが酒に溺れている姿を見て、商売になると考えて始めたそうだ。
「他に、畑で葉タバコも育てているんだ。
林の中でミツバチが蜜を集めて、ハチミツと蜜蝋もあるよ。
さっき話した、ロクデナシの人間の奴隷海賊たちは、ココに頻繁に買いにくるんだ。
お姉さん、コノ店に来る人間から仇の男の情報を聞き出したらいいよ。
アタイもそろそろ子供が生まれそうだし。ねぇ、しばらくココでアタイを助けてくれない?」
大きなお腹をさすりながら、娘は期待を込めた目で彼女を見ている。
なるほど、悪い話では無い。猫人族の女に紛れ込んで店番をしながら、来た客に少し愛想良くサービスすれば、男の情報を聞き出すことができるかもしれない。
彼女はその話に快諾すると、娘は喜んで抱きついてくる。
「ありがとう、お姉さん。
へへっ、実はお姉さんって力があるし強そうだから、店の用心棒にって思っていたんだ。
あっ、自己紹介がまだだね。アタイは李、モモって呼んで。
お姉さんの名前はなんて云うの?」
いきなり、娘に名前を尋ねられ、一瞬彼女は躊躇する。
「わ、私の名前は……白ら、ハクというの」
それから娘は畑にいる仲間を呼び寄せて、彼女を紹介する。
二人の少女もモモと似たような境遇らしい。
そしてモモは自分が彼女に助け出された状況を、かなり脚色して臨場感たっぷりに話して聞かせた。
「その時、大きなワニがアタイの船に乗り込もうとしたの。
アタイは持っていたオールでワニの鼻頭を叩きながら、ミゾニャンさまミゾニャンさまって女神様の名前を何度も呼んで祈ったわ。
そしたら、海の向こうから、キラキラ光る鎧を着た人が、アタイの方へ歩いてくるの。
神さまが現れたと勘違いしたわ、だって凶暴なワニが、あわてて逃げ出したのよ。
ハクさんが、女神様に遣わされた神様に見えたの」
なんという、皮肉なのだろう。
ミゾノゾミ女神を信じない私が、まるで女神に遣わされたかのように、娘を救い出したなんて。
***
夕方、洞窟に戻ってきたハルは、空になった竜兜の鍋の中に、黄金色の瓶詰めが置かれていることに気がつく。
誰が置いていったものかすぐ判る。
彼女の姿は見えない、再び出かけていったのだろう。
夕日に透かして見ると、黄金色の液体がキラキラ輝いて見える。
彼女はやっと、食材を手に入れることができたのだ。
(やれば出来るじゃないですか。
これは舌触りのよい甘い蜂蜜だ。
フフッ、たっぷり高カロリーのお菓子が作れるね)
***
「さて、うまく忍び込めたな。
よかった、停泊している船なら船酔も起こらない」
竜胆がドラゴンの背から目を付けた、鉄の檻を積んだ奴隷海賊の大型船には、猫人族の娘を捕らえるために裏家業の傭兵が乗り込んでいた。
傭兵として紛れ込んだ竜胆は、その半巨人の怪力を生かし、五人でやっと運べる鉄籠を一人で軽々と運び腕っ節の強さを買われた。
「リンの旦那、昨日は助かりました。
これは、俺からのホンの礼ですが貰ってください」
骨ばった筋肉の痩せて髪の半分ハゲアガった奴隷海賊の男が、酒瓶を抱えて竜胆に声をかける。
昨日、倒れてきた鉄檻に腕を挟まれた男だ。
綺麗に骨が折れてブラブラしていた腕を、治癒魔法で直してやった。
この世界で、治癒魔法が行える魔力持ちは少ない。竜胆が治癒魔法を使ったことは口外しないよう言ってある。
「へぇ、旨そうな酒だな。
おっと、あんたはしばらくは禁酒な。傷にひびくから。
それにしても、随分と沢山の檻を用意してるな。
もう猫人族の娘たちは、捕らえてあるのか?」
半分ハゲ頭の奴隷海賊の男の話では、猫人族の村が、娘を奴隷として販売するという。
その村の娘五十人を、全員安く買い取ってボロ儲けするのだと話す男は、何故か浮かない表情をしている。
「なぁ、ボロ儲けならもっと嬉しそうな顔をしろよ。お前たちは、猫人族の娘が生け贄として串刺し八つ裂きにされても、全然気にしないだろ」
「う、ううっ、なんて事を言うんだ!!
確かに俺たちは奴隷海賊と言われているが、ココ二年間海は豊漁続きで、その稼ぎで奴隷親方に金を納めているから、盗みも殺しもしていない。
俺たちは、風香十七群島で生きて行く為に、猫人族の世話にもなっている」
「それでも上には逆らえず、傭兵たちの言われるがまま、船を操って猫人族の娘たちを狩りに行く。無様な連中だな」
竜胆が鼻で笑うと、男の仲間たちも険しい目つきで押し黙ったまま睨んでいる。
これは、イイ傾向だ。
奴隷海賊の中にも、猫人族に同情している者たちがいる。
竜胆は、貰った酒瓶を、わざと甲板の上に転がしガチャンと割った。
「なぁ、腕折れて使えない足手まといの奴隷海賊は、処分されてワニの餌になるって聞いた。ということは、折れた腕を治した俺は、アンタの命の恩人だ。
ちょっと、その恩人の頼みごとを聞いてくれないか?」
そういう竜胆は、これから悪戯を企てるような、楽しげな満面の笑みを浮かべた。