クエスト52 奴隷商人と交渉しよう
見事なほど『良く切れる包丁』は、蒼牙ワニの硬い皮を簡単に剥ぎ、内臓を取り除き、骨と肉を綺麗に取り分ける。
ふむぅ、ここでワニの頭部を解体するには、グロすぎて、子供の前では行えないね。
えっ、お前はワニの頭、平気なのか?それは食材ですし、感謝して頂きますよ。
ワニの頭部は、解体するより、兜焼きにしたほうがいいかな?
鰓の部分に脂が乗ってるかも、ミソあるといいな、目玉の後ろのゼラチン質は美味ですよね。
料理オタクのハルは、今、脳内美味しんぼ状態だ。
「なんで、そんなにワニの牙なんか欲しがるんだ?
仕留めたワニ4匹分の牙で充分じゃないか」
猫人族の子供たちの保護者、黒髪の青年 クジラ兄が不思議そうに訊ねてくる。
蒼牙ワニは、その名の通り”蒼珠”の牙を持つ珍しいワニだ。
そして、脚を怪我したユニコーンを癒すには”蒼珠”を与えなくてはならない。
ユニコーンの主である彼女は、ワニの牙に気付かず、他所から”蒼珠”を調達することもできないだろう。
ハルは、この島に留まるにしろ、逃げ出すにしろ、すっかり情が移ってしまったユニコーンの怪我を放置することは出来ない。
ただ、ユニコーンに、どれだけの量の”蒼珠”を与えればいいのかも判らなかった。
(蒼珠は、オアシスでも使うし、巨人王も買い取ってくれるし、いくらあっても困らないはずだ。それに、この島のワニ、ちょっと増えすぎだし)
閉ざされた島の生活、外の情報が乏しい彼らに、ハルは、砂漠で水を得るためにオアシス女神聖堂が”蒼珠”を必要としている事を筆談で伝える。
日々慎ましく、自然と向き合い女神を信仰する彼らには、その話は感じ入るものが有ったのだろう。
青年は、子供達を相手にした穏やかなまなざしから、海の男の勇猛な目つきに変わる。
「あの狂暴なワニが人の役に立つのなら、いくらでも狩って牙を手に入れてやろう。
仲間の漁師、数人で力を合わせれば、蒼牙ワニを狩るのも難しくないさ」
青年との交渉で、ハルはワニの牙50個、それ以外はワニ皮も肉も、すべて彼らが貰ってよいと話を付ける。
「ワニの骨も、固くて丈夫で、色々と漁の仕掛けに使えるんだ。
蒼牙ワニ皮と肉は、腐敗を防ぐため、塩付けにして保存しよう」
それから、青年と猫人族子供達も総出でワニの塩付け作業の手伝い。
ハルは白身肉料理を作る。
賑やかで忙しく、いつの間に猫人族の子供が一人増えている事に気付かなかった。
***
「ハルのやつ、猫人族の子供と……ウプッ 仲良くワニ料理作っ……ゲブッ」
島の遭難者を救出して、港へ戻る警備艇の甲板で、船酔いで起き上がれなくなった竜胆は、吐き気を堪えながら状況を伝える。
竜胆の、この様子では、港に戻っても使い物にならないな。
ティダは溜息をつきながら、赤い右目に浮かび上がる仮想モニターで、現在位置の確認をする。
遙か上空から眺める風香十七群島は、蒼い大海原にポツンと置かれた、砂の浅瀬のリングのようだ。
リアルでは、この地域に群島は存在しない。
空から見た島の色は、赤から赤紫、紫から蒼、青緑から緑へと、意図してグラデーションに造られて、まるで一七個の宝石が、砂のリングの上に規則的に並べられたように見える。
何かの目的を持って造られた人工の島々。しかもこの配置と形、海域丸ごと魔法陣として展開している。
海の彼方を物憂げに眺める、美しいエルフの麗人に声をかけたのは、ターバンの隙間から茶色の猫耳を出した、幼い猫人族の見習い船員。
頬を赤らめ緊張した面持ちで、ティダに飲み物を差し入れる。
多少船酔いが楽になる飲み物らしく、竜胆はヨタヨタと体を起こし飲んでいる。
そういえば、港町の中や漁船の船員に、よく猫人族の子供を見かける。
鳳凰小都には猫人族の娼婦が大勢いたが、猫人族の子供はいない。獣の血が混じる猫人族は、同族で、しかも決まった場所でしか子供は生まれない。
それは鳳凰小都の花街のような所で、人間や巨人相手の娼婦として働かせるには都合の良かった。猫人族の女と種族が違えば、いくら交わっても孕む心配は無いからだ。
***
甲板の後方では、島から救助された遭難者が一カ所に並んで、健康状態と身元確認を行っていた。
その列から外れ、ぶくぶく太った男が体を揺らしながら、手下数人を連れてティダ達に近づいてくる。
「貴様らぁ、俺の大切な商売道具、猫人族の奴隷娘を掠め取りやがって!!
おい、こいつらは奴隷誘拐の盗人だ、みんな早くひっ捕らえろ」
島から助け出された奴隷商人は、船酔いで甲板に伸びた竜胆の姿をみて、猫人族の奴隷娘を取り返すチャンスだと思った。
相手は、所詮行きずりの冒険者。
皆は、この町で商売をしている、私の言葉を信用するはずだ。
奴隷娘を取り返したら、半巨人の男は知り合いの兵士に頼んで牢にぶち込み、美しいエルフは私専属の性奴隷にしてやるか。
しかし、奴隷商人が金を握らせた警備艇の船員、誰一人動こうとしない。
船員は、港町の役人から事前に竜胆とティダの身分を知らされ、粗相が無いようにと命じられていたのだ。
一瞬のうちに警備艇の甲板は静まりかえり、奴隷商人は、周りから怒りに似た視線に晒される。
状況にいち早く気付いたティダは、純白の総レールのショールを体に巻き付け、優美な微笑みを浮かべながら、奴隷商人の前に歩み出る。
「あら、盗人呼ばわりとは心外ですわ。
商人様には、奴隷娘の代金、一人金貨2枚を渡したではありませんか」
「私を馬鹿にするなよ。
たったあれっぽちの金貨で、猫人族の奴隷娘が買えるわけないだろ!!」
ティダが穏やかな丁寧語で話しかけると、奴隷商人は相手を恫喝する声色で怒鳴り返す。
「おお、怖い。私は商人さまとの話し合いに応じない訳ではありません。
ただ、命懸で助けた猫人族が、金貨2枚じゃ安すぎると言っているのですよ」
「へへっ、なんだそういう事か。それなら、奴隷娘一人金貨8枚でどうだ。
7人まとめりゃ金貨56枚。かなりの儲けになるだろ」
「宜しいですわ、猫人族娘の命の価値は金貨8枚ね。
ところで、商人さまの命の価値は金貨何枚ですか?」
これで、奴隷娘を取り返す交渉は成立した。
そう気を良くした奴隷商人は、ティダの口車に乗り気軽に答えてしまう。
「フハハ、この奴隷商人の私の価値か。そうだなぁ、商売の知識と才能、それに人脈と交渉術を鑑みても、金貨500枚を下らん」
女神の御使いといわれる神科学種が、奴隷商人と奴隷の売買の話をしている姿に、船員も救助された遭難者も、ひどく落胆して様子をうかがっていた。
しかしティダの一言で、会話が奇妙に、奴隷商人が言いくるめられる事態になった。
「では『奴隷商人の救助代金』は、金貨500ですね。
猫人族の娘7人と足すと、合計 金貨556枚払って下さい」
突然、自分自身の救助代金まで請求され、頭に血の上った欲深い奴隷商人は、ティダの示した条件を受け入れても自分の損にはならない。という事に気が付かなかった。
その金額で娘たちを買い戻し奴隷市場に出せば、娘一人金貨100枚以上、七人なら金貨700枚の値が付くのだから。
「ふざけんな!!貴様とは、もう何も話す必要はない。
おい、この盗人エルフを捕まえて痛めつけろ。
奴隷商人を舐めたらどんな目に遭うか、体に教えてやれ!!
ああ、顔は傷つけるなよ。ヒヒッ、後で楽しめなくなるからな」
奴隷商人の後ろに控えていた、見るからに凶悪顔をした三人の男が、一斉にティダに襲いかかる。
ティダは、一番手前の男をひらりと交わすと、男の長めの髪を鷲掴み、まるで子供がおもちゃの人形の髪をつかんで振り回すように、襲いかかる敵を叩きつける。
貴婦人のような風貌のエルフが、筋骨隆々な男を片手で持ち上げて振り下ろし、バンバンと甲板に叩きつける。
「こんな化け物、手加減なんてしてられっか!!逝ねやぁ」
腕にいくつもの刀傷のある痩男が、双剣を手にティダに切りかかってくる。
仲間を振り回す細い腕を狙い剣を振り下ろし、痩男は手ごたえ有りとほくそ笑むが、ティダは一瞬で体を入れ替えて、振り回していた男を剣の盾にした。
剣は仲間の男の足に突き刺さり、悲鳴が聞こえ、次の瞬間、痩男の剣を持つ両手が折られ、短い髪を鷲掴みにされる。
ふわり バン バン バン バン
自分の体が高く舞い上がるのを感じ、そして急降下、鉄床の甲板へ、全身の骨が砕けるような衝撃を受け、悲鳴も上げられない。
痩男の身体は、ハンマーのように、何度も何度も固い床に叩きつけられる。
我が目を疑うような壮絶な折檻シーンに、敵も味方も凍り付いてしまった。
ほんの数分で奴隷商人の手下を倒したティダは、慈悲深い天女のような柔らかな笑みを浮かべながら、腰を抜かし動けない奴隷商人の襟首をつまみ上げる。
「この海域は、腹を空かした紅鬼鮫の狩場だ。
肥えた豚のようなお前達は、鮫にはさぞかし旨そうに見えるでしょうね」
その言葉通り、奴隷商人は勢いよく海へと投げ捨てる。
悲鳴を上げ、溺れかかりながらも何とかして船に戻ろうとする奴隷商人の上に、ティダは匂いの濃い酒を振りかける。
「ひいっ、貴様ぁ、な、なにをしているのだ」
「えっ、鮫が早く気がつくように、撒き餌をしているのよ。
ココに旨そうな人間が泳いでますってね」
すっかりドSモード全開のティダは、ケラケラ笑いながら、船にあがろうと手をかける奴隷商人を蹴り飛ばし、再び海に投げ入れ、船員の食事用の『血の滴る』肉切れもいっしょに、大量に海に投げた。
「ひっひいいっ、血の匂いを嗅ぎつければ、鮫は、うわぁぁーー
分かったっ、奴隷娘はおまえ達にくれてやる。だから助けてくれーー」
***
常日頃、奴隷商人を快く思わなかった者も多い。
ティダのドS調教は、警備艇船員や遭難者の口を通して、港町中に瞬く間に広がる。
そして、終焉世界に新たな女神神話が生まれた。
ミゾノゾミ女神が嵐の海に降臨して、難破船の乗組員を助け出し、そこで、女神に無礼な行いをした奴隷商人は、生きたまま紅鬼鮫に腸を喰われる天罰を受けた。
その後、奴隷商人は事あるごとに「鮫に喰われた腹を見せろ」と因縁を付けられる。
***
夕焼け空を眺めながら、ハルは洞窟の前で火の番をしている。
大きく焚かれた薪に、バーベキューのようにクリスタルシールドを置いて、その上に兜焼きが乗り、辺りは、ジューシーな肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。
昼間食材探しに出かけたハルは、島に自生するサボテンを見つけ、それを摩り下るすと大根おろしになった。
(ホクホクに焼けた白身の肉の上に、大根おろしモドキをたっぷり乗せてますよ。
聖堂から分けてもらった、醤油風調味料を垂らして、いただきまーす。
おおっ、ゼラチン質がほのかに甘くて、焦げの苦みがアクセントになって美味いっ)
一人で兜焼き料理の宴を楽しみ、満腹になったハルは、ふと思い出してユニコーンに、蒼いワニの牙を与えてみた。
ユニコーンは、コリコリと音を立てて、”蒼珠”をキャンデイを噛み砕くように、美味しそうに食べる。
瞬く間に、蒼珠の魔力の力で、ユニコーンの全身から淡い光が発せられ四肢は癒えてゆく。
折れた骨は完全にくっつき、全身の腫れも目立たなくなり、毛並に艶が出てきた。
まだ走ることは出来ないが、洞窟の入り口まで自分の足で歩いてきた。ユニコーンは、ハルの隣に座り込むと機嫌良く甘えて、ハルの頭をガブガブ甘噛みする。
日が完全に沈む。
夜は闇夜ではない。月が明るければ、夜でも薄い影が見えるほどだ。
(北斗七星、その先の北極星、カシオペア、プロセウス、オリオン座はすぐ判るね。
世界は変わっても、空は全然変わらない)
火の傍で、ユニコーンの腹を背もたれに眠ってしまうハルは、夜遅く戻ってきた猫人族の彼女の悲鳴で目を覚ました。
焚き木の上で焼かれた物体を見て、彼女は自分が食べた白身肉の正体を知った。