クエスト46 猫人族を治療しよう
もうどれだけ時間が過ぎただろう?
悪天候で、昼とも夜とも判らない薄暗い世界、荒れ狂う暴風は納まる気配がない。
必死の思いで避難した孤島の洞窟入口まで波が押し寄せる。
幸い洞窟の中は深く、奥の方は広さも充分あり苔が分厚く生えて、雨風から身を守ることは出来た。
聖騎士の彼女は、熱を持った腹部の痛みと、酷い喉の乾きに襲われていた。
洞窟の中の溜まり水を口に含むと、それは塩辛い海水で、飲めるものではない。気休めにスポンジみたいな食感の苔を口に含む。
聖騎士の証である、体に纏うミスリルの鎧が重く感じる。彼女はそれを脱ぎ捨て、薄いシャツとズボン姿になった。
武器も荷物をすべて失ない、唯一身を守るのは、篭手に仕込んでいた小型ナイフ一本だけ。汚れたローブに包まり体を横たえると、もう指一本も動かせない。
四肢が折れて重傷のユニコーンが数回痙攣する姿が見える。せめて水を与えてやりたいが、外に水を探し行く事もできず、宥めてやることも出来ない。
鳳凰小都から奪って連れてきた少年は、一度目覚め、再び眠り続けている。
嵐が去った時、はたして自分と聖獣は生きているだろうか?
***
久々に、とてもよく寝たなぁ。
パチクリ、と目を開けたハルは、周りの暗さに首をひねる。
あれ、まだ夜だっけ?
隣に寝ているのは誰だろう。触り心地のイイ毛深い……毛並みの良い白い馬?
ハルはゆっくりと体を起こすと、枕だと思って背中を預けていたのが、ユニコーンだと気が付いた。
暗闇の中、その白い聖獣の体が仄かに発光して明るい。
ユニコーンは横たわったままで、その足はすべて負傷して添え木を当てられている。顔をのぞき込むと、半分白目をむき、時折痙攣するような不規則で苦しそうな浅い息をしている。
どうして、このユニコーンは酷い怪我をしているの?
何が起こった、思い出せ!!
確か、僕は厨房の勝手口に居た女の人と話をして……
連れていたユニコーンを触らせてもらった、それから、記憶がない。
生温い空気と、外で吹き荒れている暴風の音と、岩に波の打ちつける音、磯の香り。
ここが鳳凰小都でないことは分かる。
暗闇に目が慣れ周囲を見回すと、そこはゴツゴツとした岩場で、自分の寝ていた場所は分厚い苔がクッションになっていた。
自分の髪も服もゴワゴワして、もしかしたら海水に浸かっていたかもしれない。
ハルはその場で立ち上がりかけ、天井から飛び出した岩に頭をぶつける。
ガツン「!!!!!!!」
(痛ぁァァ、あれっ、声がでない。どうしたんだ?)
ぶつけた痛みで悲鳴を上げたはずなのに、喉から空気が抜けるだけで声にならない。
喉は何の違和感もない、しかし、何故か上手く舌が動かない。
ハルは首を捻りながら、腰に巻いたエプロンの下に隠していたアイテムバックを出す。
ウエストポーチタイプのアイテムバックの中から大鍋を取り出し、更に逆さに持ち、バックの中から蛇口を捻るように水が溢れ出た。
水を大鍋いっぱいに満たし、ハルは直接口を付けて含むと、数回うがいを繰り返す。
(あーいーうーえーおっ!やっぱり声が出ない)
その時、助けを求めるような弱々しいユニコーンの嘶き声がして、後ろを振り返る。
ぐったり横たわっていたユニコーンが、水の匂いに反応して頭を起こそうとしていた。水を欲して大鍋に首を伸ばすが、頭を上げる力もなく舌か宙を彷徨っている。
慌ててハルは、エプロンを大鍋の水に浸し、たっぷり含ませると、ユニコーンの口元に持ってきて潤した。
それを数回繰り返し、顔や首や体まで拭いてやると、ユニコーンは少し意識がしっかりしてきたようで、自力で頭を起こした。大鍋の中に頭をつっこんで、ゆっくりと水を飲み始めたのを見て、ハルはホッと一息つく。
改めて周囲を注意深く観察すると、かすかに外の光が射し込む洞窟入口付近に、倒れる人影を見つけた。
ハルは恐る恐る近づくと、それは見覚えのある人物で、ローブの下に隠れていた頭には白い獣耳があり、体を覆う布の下から白く細いしっぽが覗いている。
(ユニコーンを連れていたお姉さん、猫人族だったの!!この人も大怪我して、今にも死んでしまいそうだよ)
その時、女には意識が在り、ハルの様子をうかがっていることに本人は全く気が付かなかった。
***
彼女は暗闇でも夜目か効き、獣の耳は聴覚が鋭い。
そして護衛聖騎士として訓練を積んだ感覚で、離れた場所にいる少年が目覚める気配を感じとった。
二日ぶりに目覚めた少年は、自分の置かれた状況が分からないのか、慌てふためいている。その様子に、彼はまったく頼りにならないと思った。
しかし少年をそのまま観察していると、腰に巻いた小さな鞄から手品のように大鍋を出し、そして次は鞄の中から水を出し大鍋にそそぎ入れる。
あれは神科学種の魔法鞄。過去の遺物や武器、あらゆる物を中に納めていると噂で聞いたことがある。
少年は、てきぱきとユニコーンに水を与え、体を拭って世話をする。
ユニコーンの落ち着いた様子に安堵したらしく、周囲をキョロキョロ見回し、どうやら私が倒れているのを発見したようだ。
猫人族の女の人は、顔色が鬱血したようにドス黒く、全身も腫れ上がっている。
白い手足は細く短い白毛が皮膚を覆い、触れると滑らかな手触りだ。
(怪我を直したいのに、声が出ないからヒールの呪文が唱えられない。直接、手の平から魔力を送り込んで治癒しよう)
彼女は、痛めた脇腹を庇うように背中を丸めている。
ローブからのぞく擦り傷だらけの肩に、ハルはそっと触れるとイメージする。
SENがタケミカズチを抜刀する時に左手に宿らせる魔力、ティダが狂戦士モードで素手に宿らせる魔力を真似る。
手の平がほんのり温かくなる、その温もりを相手に流し込むイメージ。
(生命を司る精霊よ、傷つく彼の者を癒せ ヒール)
横たわる彼女の全身に青い光が巡り、治癒魔法が行使される。
だが怪我は酷い、一度の治癒魔法では癒しきれない。
(僕の魔力と生命力では、治癒魔法はギリギリ三回しか使えない)
ハルは、繰り返し治癒魔法を多重行使する。
彼女の全身を包み込むように温かな魔力が癒し、脇腹の痛みが消え、折れた骨が自動修復してゆくのが判る。
目立つ傷は消え、急激な傷の修復に全身が痺れる。
癒されたはずの彼女は、ひどく恐れ戦いていた。
まさか、こんな弱々しい少年でも、神科学種はこれほどの治癒魔法が使えるのか。
終焉世界に、魔力を持つ者は僅かしかいない。一度の治癒魔法を行使するには、神官三人がかりで行うのだ。
それが一人で三回も治癒魔法を、しかも無詠唱で行使した。
彼ら神科学種も、あのアマザキのような、悪魔の力を秘めている!!
そのことが、彼女のハルに対する警戒心を高めてしまった。
***
治癒魔法が上手く効いたようで、猫人族の彼女の傷が消えてゆく。
ドス黒かった顔色も、頬と唇に赤い血の色が戻り、手足の腫れも引いている。
(さすがに疲れたよ。うわっ、魔法行使で【生命力 残り2】ってマジですか!!)
治癒魔法ヒールは、魔力8 生命力8を消費する。
初心者レベルのハルは、魔力&生命力が30程度で、ヒール魔法を3回行使すると生命力は僅かしか残らない。
ハルは、しばらく眠って生命力を回復すればいいかと単純に考えた。
まさか、命を助けたはずの相手が、牙を剥くとは思ってもいなかった。
傷が癒え、息使いの穏やかになった猫人族の彼女を状態を確認すると、ハルは、ユニコーンを枕に一休みしようと立ち上がる。
その途端、相手が起き上がると背後から羽交い絞めにして、ハルの細い喉元にナイフを突きつける。
霊峰女神神殿 法王付 守護聖騎士 瑠璃
彼女は『冷たい牙』と呼ばれ、女神神殿と法王に逆らう謀反人の命を狩る執行人だった。
「動くな神科学種、アナタの持ち物を渡してもらう。
その腰に下げている鞄を渡しなさい」
「ええっ、ま、待って、あれ?声が出る」
「アナタには、女神神殿禁術で言葉を奪う『沈黙の呪』を印したの。
私以外の者とは会話が出来ない」
驚いて後ろを振り返り、自分の顔を覗き込む少年に対し後ろめたい感情が沸き起こる。
思わず腕の拘束を緩めてしまい、逃げようと暴れ出す少年の喉元のナイフが動いた。
ハルの喉元に、一筋の切り傷と数滴の血が流れた。
【直接攻撃-2 生命力0】
暴れていた少年が抵抗を止めると、カクンと膝を折り、前のめりに倒れる。
えっ、一瞬彼女も訳が分からす、その体を手放してしまう。
目を見開いたまま、少年は事切れていた。