クエスト45 遭難
聖騎士に誘拐されたハルを追って、竜胆とティダ、飛び入りの萌黄達が騎乗するファイアードラゴンは、冷たく吹雪く鳳凰小都エリアから南下する。
月のない漆黒の闇夜の空を、魔獣は休むことなく急いて駆け、雪化粧をした山を幾つも越え緑の深い森の上にたどり着く。
「霊峰女神神殿のエリア内に入るのは避けたい。海沿いを低空飛行するぞ」
声をかけた竜胆は『王族の血の契約』の力でハルの居場所を関知でき、ドラゴンを操る手綱を引き左へ旋回させた。
騎乗してるドラゴンの速度と、鳳凰小都の位置をリアルの軽井沢辺りとすれば、そこから南へ降りると……。
ティダの予想通り、眼下に広がる深い森は富士樹海、そして夜明け空に霊峰女神神殿の本拠地である、白い雪をかぶった優美な風貌の山を眺めた。
「なんという神々しい姿、御来光を空の上から拝めるとは思わなかった。霊峰の名が付いてるからもしかしたらと思ってたけど、霊峰女神神殿は富士山に有るのか」
思わず芙蓉山へ手を合わせてしまうティダを、竜胆が不思議そうに見ている。
ティダの懐に抱え込まれた萌黄は、随分前からぐっすりと寝込んで起きない。
幼い少女を抱え直しながら、ティダはドラゴンの手綱を握る竜胆に話しかける。
「ハルちゃんも気を失ったまま、就寝状態に入っている。
念話は繋がらなけど、とりあえず無事は確認できるから安心していい」
ティダの赤い右目に浮かび上がる仮想モニター。
ハルのパーティ状態を表示する名前表示はグリーンの通常状態だ。
これが赤い点滅なら攻撃を受けての負傷状態、灰色の名前表示がデットリーになる。
「ああ、俺も、この先の海の向こうに、ハルが居るのを感じる」
敵は、霊獣一の俊足を誇るユニコーンで逃げている。
だが『王族の血の契約』者の目は誤魔化せない、攫った相手が悪かったな。
聖騎士は、何の目的でハルを攫った?
そんな事は、敵を捕らえてからじっくり聞き出せばいいか。
竜胆は不敵に笑うと、魔獣の首を平手で力いっぱい叩き、更に速度を上げた。
海岸線上を飛ぶと、湿った生暖かい風が吹き付け、磯の香りがする。
日が登り明るくなった視界に見えたのは、海上を埋め尽くす巨大な黒雲。
ティダは赤い右目を切り替え、マップ表示と脳内GPSを起動、映し出された気象衛星の画像を確認する。海の先には島々が点在し、ドーナツ状の雲の固まりが渦巻いて迫っているのが分かる。
「海がひどく荒れていると思ったら、台風が接近しているみたいだ。
988ヘクトパスカル、風速30メートル、速度5キロって移動が遅い台風だな」
「この時期に台風だと。お前たち神科学種は、天候を操るのか?」
「いや、これは魔法ではなくて、鳥の目より上空、星から大地の雲の動きを観察して、気象を判断しているだけ。
台風は只の自然現象。何もかも、女神の力だと盲信しない方がいい。
この先に港町があるはず、とりあえず其処に向かってくれ」
しばらくすると風が強まり、大粒の雨が降ってきた。
ティダの指示通り、飛び出した半島の付け根あたりに中規模の港町が見えた。
白い石を積んだ立派な桟橋があり、沖の方に大型船、港の中には中型漁船が停泊している。町の中央広場には全域転送魔法陣が描かれ、そこを中心に放射線状に街が築かれていた。
竜胆は、その中央広場に巨人族の王旗を見つけると、慌ててドラゴンを着陸させようとした。しかし、休みなく空駆けた魔獣はバランスを崩し、ほとんど胴体着陸のような形で地面に転がり、3人は慌てて飛び降りることになる。
王旗を掲げていたのはYUYUから連絡を受けた役人達で、夜明け前から竜胆達の到着を待っていた。
「お、お待ちしておりました!!紺の竜胆王子、それに神科学種サマ。
い、急いで御報告したい件がありまして、王旗を掲げてお待ちしておりました。
この先には、風香十七群島と呼ばれる島々が点在しています。
昨日の深夜、灯台守が、島に向かって奇妙な光が空を駆けるのを見たそうで、竜胆様たちの追う、聖獣ユニコーンの放つ光だったと思われます」
「それは本当か、アレは只の雨雲じゃない、台風だぞ!!
その中を飛んでいったというのか」
そう話している竜胆の体にも、雨粒が強く打ちつけるのがわかる。
これから、更に天候は悪化してくるだろう。
すでにティダは、この状態でもぐっすり眠る萌葱を抱え、軒下に避難している。
「竜胆、ユニコーンはドラゴンの倍のスピードで飛ぶことが出来るのなら、もうどこかの島に逃げ込んでいるはず。
いくら『王族の契約』の力があっても、土地勘のない竜胆が悪天候の中で探しまわれば、逆に自分の方が海で遭難するだろう」
ティダの冷静な意見に、竜胆は不承不承の表情で、周囲を見渡す。
船を陸揚げして台風に備える漁師たちが忙しく動き回わり、町の住民も、家の周囲に土嚢を積んだり窓を板でふさいだりと、これから襲い来る台風対策の準備に余念がない。
「あ、嵐が過ぎて海が鎮まれば、一番足の速い船と土地勘のある者に、竜胆様を案内させます。ど、どうか竜胆様、我々が手配した宿屋でお休みください」
今、竜胆に対応している役人も、本来ならば台風対策に動き回らなくてはならない立場だ。無理は通せない、船も出ないし、騎乗して来たドラゴンも暫く休ませる必要がある。
ティダの話ではハルも無事なようだし、台風が去るまで待機するしかないだろう。
だが、実際のハルの状況は、最悪だった。
***
闇夜を駆けるユニコーンと夜目の効く猫人族の聖騎士は、風香十七群島の空と海が、ひどく荒れている様子がよく分かった。
だが、ココを切り抜ければ、追っ手の追跡を完全に振り切れる。
彼女は危険を顧みない、誤った判断を下すと、捕らえた獲物をユニコーンにしっかりと結びつけ、雷雲の中を飛び込む。
これは雲の中か、まるで水の中にいるようだ!!
巨大な雨粒と猛烈な暴風、濃雲に視界をふさがれながらも、濁流を遡るように前へと突き進む。
激しく上下左右へ揺さぶられ、聖騎士の彼女は、雨風を避ける結界を張ることに必死で、徐々に獲物を結わえていた縄が緩んできたことに気が付かなかった。
もうすく台風雲を抜ける!!それは一瞬のこと……
ぷちんっ
ハルをユニコーンの背に括りつけていた縄が切れ、そのまま振り落とされる。
一本だけ、かろうじて繋がった縄が身体の落下を止めるが、バランスを崩したユニコーンは、きりもみ状態で下へと落ちていった。
突如、宙に投げ出された彼女は、伸ばした指先がハルに結わえ付けられた紐に届き、必死でそれをたぐり寄せユニコーンの背中に戻る。
だが、落下は止まらない。
台風雲を抜けると、更に激しい雨と、殴るような強い暴風に煽られる。最後のあがきで、ユニコーンは体勢を整え、真下に見える孤島の砂浜へ着陸しようとした。
しかし、無情な横殴りの風が、ユニコーンの体を地面へ叩きつける。
彼女は激痛と、顔を打つ強い雨粒で目を覚ました。
特に脇腹の焼けつくような痛み、骨が数本折れたかもしれない。
少し離れた場所に倒れるユニコーンと、鳳凰小都から攫ってきた少年の側まで這うようにして進む。
ユニコーンの背に括られた少年は、雨風で濡れた体が冷え青白い顔をしているが、怪我をした様子はない。
そして、同じく倒れるユニコーンの様子を見て、彼女は悲鳴を上げる。
「ああっ、山桜、なんてこと……」
暴風の力で地面に叩きつけられた衝撃で、聖獣の細い足は四肢は、すべて奇妙な方向に折れ曲がっていた。 倒れて口から泡を吹きながらも、主の姿を目で追うユニコーンの姿に、彼女は気力を振り絞り立ち上がると周囲を見渡す。
腰から下げていた武器も、荷物の入った鞄も、嵐の中で落としてしまった。
激しく打ち寄せる波が、足元まで迫ってくる。このまま潮が満ちれば、砂浜はすべて波に飲まれてしまう。
慌てて陸地の部分に目をやると、砂浜と陸の境目、ギリギリ波が避けられる岩陰に洞窟らしきものが空いているのが見える。
急いで砂浜で流木を拾い、ユニコーンの足に添え木をすると、普段は羽のように軽い聖獣が酷く重くなっていた。
ユニコーンを引きずって岩陰まで運び、再び同じ場所に戻ると、今度は攫ってきた少年を背負って運ぼうと顔を覗き込む。
満身創痍な自分たちと比べ、彼は傷一つなく、穏やかな寝顔を浮かべる。
この嵐は、まるで神の怒りの様だ。
簒奪者を罰するために、ミゾノゾミ女神が起こした神罰か?
そんなの気の迷いだ、神など居ない、私が信じるのは白藍法王サマだけ。
彼女は、熱を持ち腫れ上がっているであろう脇腹の痛みを耐え、少年を背負い岩陰に向かった。
***
ゴォぉおぉおーー オオォ おオおぉーー
って、ウルサイなぁ、SENかな、まさかティダのイビキ?!
ふわりと意識が浮上するが、酷く寒くて、再び瞼が閉じそうになる。
ぺチンと強めに頬を叩かれ、しぶしぶ目を開けると、誰かが顔を覗き込んでいる。
「アナタが女神の使徒と名乗る者なら……
何故、聖地である霊峰女神神殿を避け、砂漠のオアシスに現れたの?」
女の人の声、怒ってる、聞いたことない、憎しみのこもった声
「女神は、きらい?なら、現れない」
「ああ、私は、女神も奇跡も、何も信じない!!
神など居ない、その使徒も要らない。
私に必要なのは、白藍サマだけだ」
「信じない、なら、女神は、現れない」
女の人に襟首を掴まれ、激しく揺すぶられるけど、眠い、もう目が開かない。
「白藍サマは、貴様らと同じ神科学種に、記憶を奪われ器を移し替えられたんだ。
私の、瑠璃の白藍サマは何処にいる!!
神の使徒ならアノ人を探し出してっ」
「要らないなら、もう、眠るね」
寒いし、ウルサイし、もう少し眠るから、静かにしてね。
***
眠る と、一言告げると、少年の頭はカクンと落ちた。
それから、いくら揺さぶっても、頬を叩いても神科学種の少年は目覚めない。
諦めて少年をその場に転がすと、四肢が折れているはずのユニコーンが体を起こし、首を伸ばして少年の襟首を咥えると自分の方へ守る様に引き寄せる。
ユニコーンは、しばらく甘えて少年の顔をベロベロ舐め、寄り添い大人しくなる。
今、私は誰と話をした?
私は神を信じない。
でも、白藍サマを探すため、アマザキを出し抜くには、神に縋るしかない。
その神に、信じないなら現れないと、否定された。
彼女は、脇腹を脈打つ痛みと絶望で、全身の力が抜ける。
膝から崩れ落ち、そのまま意識が遠のいた。
それから、ハルが再び目覚めるのは二日後。
薄暗い洞窟の中、ハルがもたれ掛っていた温もりは白い聖獣で、半分白目をむき、口からだらりと長い舌を垂らして、微かに息をしている、死にかけているのが判る。
そして、少し離れた洞窟の入り口付近で、白いミスリル鎧を脱ぎ捨て、ボロ布に包まって荒い息遣いと細いうめき声をあげる、全身が鬱血してドス黒い肌色をした聖騎士の女。
(なんで僕、こんなところに?何が起こった?あれ、声が出ないーーっ)
ハルは一人、パニックに陥った。