クエスト44 ユニコーンに触れよう
祝 お気に入り登録 500件 ありがとうございます~~
カラン カラン カラン
尻もちをついたハルの手から離れた大鍋は音を立てて転がり、薄桃色のローブを着た女性の足元で止まった。
「うわっ、すみません。足に鍋が当たりました?」
「ふふっ大丈夫よ、足に当たる前に鍋は止まったから。
私の方こそ、美味しそうな匂いに釣られて中を覗き見してしまってごめんなさい」
「匂いに釣られてって、僕の料理を褒めてくれて嬉しいなぁ。
お姉さん、もしかしてお腹空いてるの?
そうだ、竜胆さん分の夜食が残っていたな。どうぞ中に入って食べてください。」
どう見ても調理場の下働きにしか見えない少年が、他の料理人を差し置いて夕食を作っていた発言したので、彼女は不思議に思った。
ハルは厨房から取って返ると、料理を包んだ紙袋を彼女に手渡す。
紙袋の中身は、パン生地の発酵時間の研究を重ねて完成させたふわふわパンに、香りのいいチップで燻製にした赤身の魚と新鮮な野菜を挟んだサンドイッチだ。
薄桃色のフードを深めに被り雪の中にたたずむ彼女は、切れ長で凛々しい眼差しの美人だ。
しかし旅の途中なのか酷く疲れた表情をしていて、パンを一口かじると驚きの声を上げとても嬉しそうに微笑んだ。
「モグモグ、あらっ、こんな柔らかいパン食べたことないわ。
それに魚が生臭さが消えて香ばしいかおりのする本当に美味しいサンドイッチ。
私、馬を連れているので中は遠慮して、外で立って頂きますね」
外に出たハルは温かい蜂蜜茶を彼女に差し出し、彼女の隣で大人しく控える白馬に近づいた。
白い雪に紛れてしまいそうな、美しい白い毛並みの馬だね。
あれ、馬って頭に角が生えていたっけ?
額からまっすぐに伸びた芸術品のように美しい角は、傷一つなく仄かに白く輝いた。
馬より一回り小さく、脚が華奢なほど細い。そして雪の上に馬の蹄の跡は何処にも付いておらず、地面から数センチ浮いた状態で立っている。
「お姉さん、この馬はもしかしてユニコーン?
角の形が、大神官さんの持つ『淡雪ユニコーン杖』と一緒だ!!」
興味津々で聖獣ユニコーンを眺める少年を、彼女は驚いた様に見つめる。
何故、質素な灰色のシャツにエプロン姿の下働きの子供が、歴代法王のみ持つことの許される『淡雪ユニコーンの杖』を知っているのだろう?
そういえば蒼珠聖堂の大神官クロトビは、女神の憑依した神科学種から『淡雪ユニコーンの杖』を託されたという情報を受けていた。
その場に静かに佇む聖獣に、ハルは恐る恐る触れる。
白く絹糸の様な柔らかな毛の手触りに驚き、おとなしく触らせてくれる聖獣に気を良くして、その滑らかな感触を何度も撫でて堪能する。
次第にユニコーンの方が自分から頭を摺り寄せ甘えるように嘶くと、驚いて手の止まったハルの顔を、長い舌でベロベロと舐めはじめた。
「この子の名前は山桜といいます。
聖獣がこれほど大人しく、男の子に触れさせるのはとても珍しい事です」
「ひやぁ、このユニコーン大人しくないですよ!?ちょっ、髪を齧らないで~~」
ユニコーンの持ち主である彼女が、顔面唾液まみれのハルの背後に立った。
清らかな乙女しか相手にしない筈の聖獣ユニコーンが、かなり興奮して少年にじゃれて、そのうち求愛行動まで起こしそうな様子だ。
頭部をユニコーンにボリボリと甘噛みされ、助けを求めるように涙目で振り返る少年の右の瞳が赤く、神科学種の証であることに気が付く。
「ところで、君は『淡雪ユニコーンの杖』の事を何処で知ったのですか?」
「アレは凄く強力な呪杖ですよね。大神官のクロトビさんが『淡雪ユニコーンの杖』で、カミラの飼われる塔を丸ごと凍らせる高位魔法を行使するのを見ました」
「まぁ、それは凄い!!
君はアノ時、聖人出現に立ち会った神科学種の一人なのですね。
その背丈や体格、よくみれば女神と瓜二つの顔立ち。
神獣ユニコーンが無条件で敬愛の情を示すほどの祝福を持つ、報告にあった女神に化けた神科学種は、アナタか!!」
えっ?
不思議そうにハルが背後の女性を見つめ返す。
次の瞬間、彼女の振り上げた手刀がハルの首筋を強打し、悲鳴を上げる間もなく意識を刈り取った。
ゆっくりと雪の上に倒れる少年を、彼女は慣れた仕草で屈みこんで状態確認をする。
完全に意識のないハルの口をこじ開け、舌の上に罪人にのみ使用を許可された禁呪、言葉を奪う『沈黙の呪』を印す。
そしてハルの背中まで伸びた細い三つ編みを根元から切り落とし、勝手口のドアに引っ掛け『身代わりの幻術』を行使する。
その場に大鍋を抱えた、今にも動き出しそうなハルの幻を生み出した。
「仲間の神科学種二名、それに巨人王の手下相手に、この程度の幻術は一刻も持たないでしょう。だが、それだけ時間を確保できれば、聖獣一の俊足を誇る天駆けるユニコーンなら逃げ切るのも可能。
コレはきっと神の思召しだわ。私は偽法王より早く、オアシス降臨の女神を手に入れることができたのだから」
彼女の羽織っていた薄桃色のローブを脱ぐと、白銀に輝く細身の聖騎士鎧が姿を現す。
肩に付く程度の黒髪に白い獣耳が生え、緑の瞳の奥に開く瞳孔が夜目を利かせていた。
ハルをローブで包みユニコーンの背に乗せ、一刻も早くこの場を立ち去ろうとユニコーンの手綱に手を伸ばす彼女の背後に、小さな竜巻が襲い掛かる。
「イヤァーー、ハルお兄ちゃんを返して!!」
聖騎士としての技量と、白い獣耳を持つ猫人族だから、その小さな殺気を感じ素早く避けることができた。
二階の窓から両手に短剣を持ち飛び出してきた小柄な少女は、驚くほどの跳躍力で迫り襲い掛かる。
輝く金の髪をなびかせ舞う様に優雅でありながら、敵への鋭い切り込みを途切れることなく、繰り返し繰り返し、まるで小さな金の竜巻が聖騎士の周囲を舞っているようだ。
「だが、しょせん子供の剣ね、軽すぎるわ」
彼女の身に纏うミスリルを特殊加工した白銀の鎧は、短剣の刃を弾き傷つくことはない。胸元を狙い飛び込んでくる少女を、篭手で殴りつけるように短剣ごと弾き飛ばす。
勢いよく殴られた萌黄は、数メートル後方の地面に頭部を強打し動かなくなった。
倒れた少女に近づき顔を覗き込むと、鼻血を流しているが、気を失っただけのようだ。聖騎士は腰のレイピアを抜いて、幼い少女の細い喉に剣先を押し付ける。
ここは、口封じするべきね……あの方を取り戻すためなら、私はどんな犠牲も躊躇わない。
しかし、隣に居た聖獣が、乙女の血の匂いを嫌いイライラと嘶き出した。背中に乗せた少年がグラグラと揺さぶられ、落ちてしまいそうだ。
聖騎士は子供を処分することを諦め、厨房の中に放り込むと勝手口のドアを閉める。
猫人族の聖騎士は、獲物を落とさないように気を配りながら、白い聖獣に跨ると手綱を握る。ユニコーンは、雪降る鳳凰小都の宙を『神の燐火』を撒き散らし駆けて行った。
***
なんだこれは、酷い、落ち着かない、胸騒ぎがする。
巨人王直属の近衛隊が鳳凰小都に入り、王族の末席の地位である竜胆は水浅葱と共に軍の制圧行動に加わっていた。
書籍の森の中にある、黒煉瓦で作られた製紙工場とそれに連なる造幣局は、二年前から書籍印刷を辞めピョコ紙幣を印刷していた。第七位王子に命じられたとの大義名分で必要以上に紙幣を刷りまくった。
その行為は、鳳凰小都に住む人々を苦しめるハイパーインフレの一翼を担ったといっても過言ではない。
巨人王直属軍は、暴力王鉄紺の色である黒に近い紺色の重厚な鎧を身にまとっている。巨人族と人間の混合部隊で、武において終焉世界最強を誇る猛者軍団だ。
特に巨人兵士は小山のような巨体に磨き抜かれた肉体を持ち、迫力満点の威圧感はか弱い人間の太刀打ちできるものではない。
巨人王の近衛隊は大した抵抗も無く簡単に製紙工場と造幣局を制圧し、中で働いていた職人も一人残らず捕らえ、印刷輪転機と今回の作戦行動の目的である『1ピョコ紙幣』の原版を無事確保した。
制圧作戦は、完璧に完了したというのに、この胸騒ぎは一体なんだ!?
「竜胆様、なにか気になる事でもあるのでしょうか?
随分と落ち着かないご様子ですが」
近衛隊の仮設テントの中で、読心術の力を持つ水浅葱が竜胆の状態に気付き心配げに声を掛けた。
だが竜胆自身、この胸の奥から湧き出るような黒い不安の原因が分からない。
冴えない顔で眉をひそめ、首を振る。
「もしかしたら、竜胆様の王族の血で契約した者が危険な目に会っているのではありませんか?誰か心当たりはありませんか」
「俺の従者の中に、終焉世界最強の支配者である『巨人王族の契約』を交わした者は居ない。
そもそも末席の王子なんかと、誰も生涯かけた契約なんかしないだろ」
この巨人王軍の中にいても王と同じ赤い髪に精悍な顔立ちの若い王子は、他の兵士と一線を画したカリスマ性ある風貌を持っている。
彼がオアシスで民衆を率い魔獣砂漠竜を討伐し、女神降臨の手助けをしたという噂は、兵の間でも知れ渡っていた。
そこへ部隊の伝達役の小柄な男が、青い顔をして仮設テントの中に飛び込んできた。
「り、竜胆王子、水の側室様、た、大変です!!
今、蒼珠女神聖堂より連絡がありまして、神科学種の少年が霊峰神殿の手のモノに誘拐されました」
***
厨房の中に倒れていた萌黄は、食器を片づけに来た子供たちに発見され助けられた。そして勝手口に括られたハルの幻を大神官クロトビが解呪するまでに、すでに一刻の時が経過していた。
「だめだ、ハルからパーティチャットの返答がない、完全に意識を失っている。
チクショウ、なんでハルを一人にした。アマザキはハルの事を知らなかったはずだ。
まさかこんなに早く手を出してくるなんて、俺達は油断していた」
激怒したSENは、切り取られたハルの三つ編みを握りしめたまま聖堂の石壁を力任せに殴る。いつもハルに関わる事柄には冷静さを失い、酷く直情的になる。
ティダは誘拐現場の雪の上を歩き回り、何かを見つけると戻ってきた。
手にしたのは、白く長い尾の毛。
ハルがユニコーンを撫でまわした時に抜け落ちたものだ。
「雪の上に残っているのは人の足跡だけだった。
萌黄ちゃんが見た白い馬は、霊峰神殿の聖獣で間違いないでしょう」
SENとは真逆で、感情を押し殺したようなティダの呟きが漏れた。
YUYUはその場で報告書らしきものに目を通しながら、傍に控える隙のない身のこなしの女性達に指示を与える。
娼館の中で見覚えのある少女が、YUYUに駆け寄ると何事か耳打ちをする。王の影は顔を上げティダ達二人に向き直った。
「今、法王近辺に潜伏させている間諜から報告がありました。
偽法王アマザキを護衛する側近の聖騎士のひとりが、一昨日から姿を消したそうです。
その聖騎士は猫人族で、獣人である自分を聖騎士として召し上げたホンモノの法王に忠誠を誓い、影で懸命に行方を探していたという話です。
どうやらこの聖騎士が偽法王へもたらされる筈のハル君の情報を、手前で揉み消していたようです。この人物が今回のハルくん誘拐事件の首謀者です」
その時、三人の頭上から荒々しい羽音が聞こえ、聖堂上空から深紅の翼を持つ一匹のドラゴンが舞い降りてきた。
巨人王、近衛隊所有の軍用ファイヤードラゴンの背に竜胆と水浅葱が騎乗している。
水浅黄はドラゴンの背から飛び降りると、急いで王の影の元へ駆け寄る。
「YUYUさま、派遣された近衛隊から、一番早い魔獣を手配いたしました。
これでハルさまの後を追えます」
「ありがとう水浅葱。しかし今、肝心のハルくんが意識を失った状態で念話が繋がらず、行方が確かめられない状況です。
聖獣ユニコーンの宙駆ける脚で、一刻以上過ぎれば、すでに鳳凰小都エリアを抜けているでしょう」
「それが、竜胆様のご様子がおかしくて……。
ハル様の居場所が判るとおっしゃるのです」
水浅葱は戸惑い気味に、ドラゴンに騎乗したままの竜胆を振り返り、YUYUに一部始終を報告する。水浅葱の話を聞き、何か思い当ることがあったのか、YUYUは竜胆に話しかけた。
「竜胆、ハルくんの居場所がわかるというのは本当ですか!!
何故、神科学種のパーティであるティダ達でも探せないのに、竜胆にそれが判るのです?」
「そんなの俺の方が聞きたい。だが、判るんだ、なんでだ?
南の空を飛んで海に向かって飛んでいるのが判る」
竜胆は、空の一点を睨みつけたまま、早く後を追いたいと焦る様子で答えた。