クエスト33 空を飛んでみよう
人の良さそうな痩せ細った男は、ガラクタを積んだリアカーを引きながら、鳳凰女神聖堂前の『神の燐光』を目指す。
住む家もなく仕事を得られす、三日もまともな食事にありついていない。
月が変わると同時に、秋風が急に刺すような冷たさになり、厳しい冬がそこまで来る気配が感じ取れた。
そんな宿無しの彼に、鳳凰聖堂が救いの手を差しのべることはない。
人々は唯一わずかな暖を求めて、聖堂前の大通り沿いに灯る『神の燐光』の元へ集う。それは魔物を除け街を安息に導く、終焉世界に残された女神の慈悲の光。
男は街灯の下に薄汚れたゴザを敷き、早く寝て空腹を紛らわそうと横になる。
その時、鳳凰聖堂の方向から大きな破壊音と、鼻が曲がりそうなほど異様な獣臭が漂ってきた。驚いて建物の方に目を向けると、聖堂本館と白い塔に繋がる渡り廊下が音を立てて崩れ落ちるのが見えた。
そして、人が、いや、蛇……大量のモンスターが、そこから這い出てくる。
***
崩れる渡り廊下の上でSENは意識のないティダを担ぎ上げ、刀をハーケンのように塔の壁に突き立てる。
そして刀に掴まり壁に宙ぶらりん状態で縋り付き、寸でのトコロで崩落に巻き込まれずに済んだ。
数匹のラミアが渡り廊下のがれきの下敷きになり押しつぶされたが、まだ両手に余る数の敵が残っている。ラミア達は頭上に居る二人を見上げ、避けた口から毒素を吐きながら、けたたましい威嚇の奇声を上げているのだ。
その忌まわしい化けモノに、近づく人影があった。
黄色い歯を剥き出しながら笑う顔は猿そのもの、派手な法衣の胸に差し押さえシールが張られた鳳凰大神官。
「ニョホホッ、神科学種と言われていても、この香しいフェロモンに全く免疫が無いとは、まるで生娘のようだ。
武士の男、貴様は何とか意識を保っているようだが、仲間がその様じゃ手も足も出ないだろう。さぁ降りてきて、俺の可愛いラミア達になぶり殺されるがよい」
「チッ、さすがにこのままじゃ埒が明かない。
ティダ、少し怪我するかもしれないが、勘弁してくれ」
SENは、肩に担ぎ上げていたティダを、片腕で持ち替える。
グッタリして力の抜けたエルフを振り子のように数回揺さぶると、そのまま思いっきり『神の燐光』の灯る大広場方向に放り投げた。
見事な弧を描きながら、空高く飛んでゆく仲間を見つめる。
できるだけ遠くへと手加減無しで全力で投げたから、落ちてアバラの1、2本は折れるかもしれない。
まぁティダなら狂戦士の自己修復能力で、大怪我も数分で直るはずだ……後からの報復が怖いが。
そしてSEN自身は、塔の壁を蹴り両手に刀を握り直し、地上でうごめく蛇女の群れめがけ切り込む。
***
オラの上に、空から天女さんが降ってきただよ。
重たい落下音とリヤカーのひしゃげる音、周囲に紙吹雪が舞い、落ちて来たソレが埋もれて倒れている。
リヤカーに積まれていたガラクタ、金として全く価値の失ったピョコ紙幣の上に、鳳凰聖堂から飛んできたソレはぶつかった。
痩せ細った男は自分の唯一の財産が木端微塵になったことも忘れ、落し物に見入る。
「なんてキレ―な天女さんだぁ!!」
絹糸の様な長い銀髪に透き通るような白い肌、眉を苦しげに寄せ固く閉じた長い睫。
恐る恐る近づいて綺麗な顔に手を伸ばすと、微かな温もりを感じる。
だが息をしていない、死んでしまったのか。
その間にも、鳳凰女神聖堂から漂う臭いが強くなり、獣の奇声と何かが激しく争う音がする。
周りの浮浪者や町民たちは、聖堂から離れようと蜘蛛の子を散らしたように逃げ出している。この街では、僅かな状況判断の遅れが命取りになるのだ。
「オラはバカか!!こんなモン放って、サッサと逃げねぇと……」
それでも倒れた天女を見捨てられずに、オロオロとその場に立ちすくんでいると、聖堂から毒素を帯びたであろう青紫の煙が漏れだし、地面を舐めるように迫って来るのが見える。
「ああっオアシスでは女神さまが降臨して、人々に救いの手を差し伸べたっうのに。
もうお終いだ!!この罰当たりな鳳凰聖堂は、女神さまに嫌われてるだよ」
男は咄嗟に、ガラクタの紙切れで天女を隠す様に体の上を覆い、隣にしゃがみこむと破れた上着で自分の鼻と口を塞いだ。
煙に巻かれ逃げ遅れた者たちが、うめき声をあげながらバタバタ倒れてゆく。
堅く目を閉じる。自分はどれだけ息を止められるだろう、この命も、後数分しか持たないのか。
あれ?オラ、生きてるだ。
恐る恐る目を開き顔を上げると、目の前に巨大な男が仁王立ちするシルエットが見えた。
このデカさは人間じゃない。しかし巨人王や街を支配する第七バカ王子と比べるとかなり小柄だ。
青紫の毒煙が立ちこめる中で、自分たちの周りには淡い光のドームが現れ、男の足元に転がる『結界石』の力でバリアが張られていると知った。
男が振り返ると、燃えるような赤い髪に褐色の肌、深い彫の顔立ちは高貴な雰囲気。
まだ年若いハンサムで筋骨隆々のたくましい男は、大型の武器を何種類も背負っている。
「煙で視界ゼロ、何も見えないなぁ。ホントにティダはここら辺に落ちたのか?
なぁ兄さん、長い銀髪のエルフを見かけなかったか」
大男に話しかけられ、オラはまごついて返事ができなくて、慌てて壊れたリアカーの荷台を指差しただ。
積んだ紙切れを掻き分けると、埋もれて眠っている美しい天女さんが現れただよ。
「まさか死んで、いや、仮死状態か。
ふーん、さすがエルフ、静かに寝てれば絵になる姿だ。取りあえず蘇生しないとな」
ハンサムな大男は、オラの方を見てニヤリと笑うと、天女さんの上に覆いかぶさって……うおぅ、ナニしてるだっ!!
「すげぇっ、大男が接吻したら、天女さんが生き返っただぁーー」
それから数分後、元大神官で現在果物屋店主の黒鳶が、ハルに支えられて鳳凰聖堂前の大広場にたどりついた。
「竜胆さんは先に行っちゃいましたね。
おじさん、少し休みましょう。五区画も走り続けて脇腹の痛みがひどくなってますよ。無理しないで歩いたほうがいいですよ」
ふうふうと、全身滝のように汗を流しながら、小太りの男は必死に駆けているように見える。
ハルはその背中を押しながら広い通りを横切ると、街灯の下で座り込んでいるティダの姿を確認する。
「ティダさん、こんなトコロに居たんですね。
毒煙を吸って動けなくなったってSENさんから連絡が、ウ、ウギャァァ!!」
駆け寄ったハルに、ティダは突然抱きついてきた。
ちゅうううぅぅぅ~~~~~~~
「うちゅう~~ハルちゃんで口直しさせてもらったからね。
ああ、何たる一生の不覚!!ハルちゃんの為に取っておいた、お姉さまの清らかな唇をジャイに奪われてしまうなんて」
「ちょっとティダさん、清らかな唇なんてどの口で言ってんの?」
この人砂漠竜狩りの時、若くハンサムな神官たちに蘇生魔法しまくってたキス魔ですから。
しかしそれにしても、ティダはかなりハイテンションで様子がおかしかった。
「ティダさん、どうしたんですか、なんだか酔っぱらってるみたい?
わ、判りましたから、離して下さいーー」
ティダさんを助けたらしい男の人とクロトビさんが、生ぬるい目で見守っているっっ。
抱きつかれた体を押しのけようとすると、さらに胴に両手を回して、グイグイ締め付けるベアバック技をかけられ、イタイイタ、痛いです。
「こうやってハルちゃんにくっついていると、体が楽になる。
あーっ、気持ちいい。酷い眩暈と吐き気が収まってきたなぁ」
ティダは二日酔いのオヤジにように呟くと抱きしめたハルの拘束を解き、ふと顔を上げると驚きの声をあげる。
驚くティダにつられハルも頭上を仰ぐと、弱々しく灯っていた街灯の『神の燐光』は七色の光の珠となり、両手を広げたサイズまで膨らんで煌々と輝きながら宙に浮かんでいる。
彼ら神科学種たちを中心として、眼がくらむほど眩しく輝き始めた『神の燐光』は、一帯に漂っていた青紫の毒煙を掻き消してゆく。
道に倒れていた人々は意識を取り戻して起き上がると、光の元へ引き寄せられるように集まる。
巨大な光の塊となった【神の燐光】は、小太りで白髭をたくわえた、初老の男の頭上に輝く。
それは、数々の宗教画に描かれた聖人出現の場面に現れる光輪に似ていた。
隣に立つのは、赤い右目の女神の使徒。
長い銀色の髪に透き通るような白い肌、美しい顔立ちの天女が控えている。誰も初老の男の後にいる少年には気を留めない。
「貴方は、まさかクロトビさま。前の大神官さまですよね」
「これは奇蹟だ!!クロトビさまが、消えかかった『神の燐火』を蘇らせ毒煙を祓ってくれた」
「聖人のクロトビさま、その隣には天女の神科学種さまがいるぞ!!
俺たちにも、ミゾノゾミ女神さまが救いの手を差し伸べて下さったんだ」
果物屋店主、前の鳳凰大神官クロトビの周りに人々は集い、祈りの言葉を口にする。
痩せた男が興奮した様子で、集まった人々に訴えかけた。
「オラはこの目で見ただよ。
銀髪の天女さまが鳳凰聖堂から逃げ出して、オラのリアカーの荷台に落ちて来たんだ。
天女さまはその時息をしてなかっただよ、聖堂に殺されかけてんだ」
男の言葉に合わせるかのように、ティダは弱々しく笑みを浮かべると、両手で顔を覆って泣き真似をする。
この美しい神科学種が鳳凰聖堂でどんな目に会ったのか、人々は妄想とともに怒りを掻き立てた。
鳳凰聖堂からは、獣の奇妙な鳴き声、争う罵声と武器の打ち合う音が聞こえる。
質素な綿のシャツ姿のクロトビは、朗々とした低く重厚な声で人々に語りかける。
「聖堂では、神科学種さまの同志が大神官の操るモンスターと戦っている。
私たちは今からそこへ向かう。現大神官の不正と背徳を暴き、聖堂を取り戻すのだ」
聖人の頭上で煌々と輝く光の珠『神の燐火』
それは本当は後ろで控えるハルの【幸運度】または【祝福、奇蹟】の成せる技だ。
しかしハル自らが聖人になる必要はない。彼らの街に相応しい聖人がいるのだから。
聖堂へと歩むクロトビの後を続く列ができで、少しずつ行進に参加する人数が増える。
色気のない ちゅう で失礼しました。