クエスト125 深い森の迷子
五百年前、科学と呼ばれる技を持つ神科学の世界が滅びた。
神科学の知恵が廃れ、彼らによって創られたエルフ族が次の世界を託される。
エルフ族は新たに得た魔力の技で千年王国を築こうとしたが、三百歳もの長い寿命を持ちながら同族間で子孫をほとんど増やせず、百年経つと記憶の忘却が始まった。
知識の忘却に気づいた時にはすでに手遅れで、エルフ族は百年で数を四分の一に減らし知識の七割を失った。
残されたエルフ族は世界を導くシナリオを描き、失われゆく知識を託すにふさわしい魂を居入れる器を創り、それを一部の人間に託した。
三百年前、魔力と呼ばれる技を持つエルフの世界が滅びた。
同じ頃、深い森に住む巨人たちが森を出てきた。
エルフの後釜に座り世界を託された人間は豊かな深い森に手を出し、人間と巨人の間で争いが起こる。
人間は圧倒的な数とエルフ族の技を用い、巨人を支配するかにみえたが、授けられたエルフ族の技を真似るだけで、正しい知識の継承を怠る。
逆に巨人族は、僅かに残ったエルフ族を身内に取り込み、徐々に人間から土地を奪い返していった。
二百年前、力を付けた巨人が世界を支配する。
巨人は世界の七割を支配するが、弱者に興味を持たない気質の巨人は、小さくひ弱な人間を支配する事に興味を失う。
安定した世界の中で巨人は巨人王が、人間は女神信仰をうたう霊峰神殿が治めるという取り決めが生まれた。
三十年前、巨人族と霊峰神殿の間で大きな争いが起こる。
人間の持つ策略と欲望に長けた前法王が、失われたエルフ族の魔術を復活させ、巨人の持つ富を求め、人間と巨人を血みどろの戦いに巻き込んだ。
巨人たちは霊峰神殿の仕掛けた狡猾な罠にはまり、戦に敗れ続ける。
二十年前、敗走する巨人王鉄紺の前に、四枚翼の神科学種が現れた。
彼女は霊峰神殿の巡らす策略と罠を読み、それ以上に狡猾な罠と最上位魔術と呼ばれる技を行使し巨人王を勝利に導く。
そして今日、巨人たちが三百年前に出て行った深い森に、末裔の王子が戻ってきた。
***
明け方、ロクジョウギルドを出発したグリフォン捕獲部隊は、深い森の中を続く道を進む。
竜胆を隊長とする五十人のハーフ巨人とウツギに背負われたギルド長キキョウ、神科学種のSENとハルが同行する。
「あれ、前通った時は細くてデコボコしてた獣道が、ずいぶんと道幅が広く平坦になって、キレイに舗装されてる」
「そういえばハルは後宮にいたから知らないのか。
深い森入り口から安全地帯のベースキャンプ周辺は、王の影YUYUのテリトリーになっている。深い森の巨大モンスターも、最強魔獣YUYUに恐れてをなして姿を見せない」
グリフォン捕獲部隊の後方は、王の影YUYUと彼女に付きそうクノイチ部隊が続き、王の影YUYUはきらびやかな装飾の施された屋根付きの人力車に乗っていた。
クノイチ娘の中には巨人の血を引き、男並の力を持つ者も多い。険しい上り坂でも、主を乗せた人力車を女手だけで軽々と引く。
「なんですか竜胆、まるで私自身が魔獣のような言い方ですね。
こんな愛らしくか弱いハイエルフを、獰猛なモンスターに例えるとは失礼な」
「YUYUさまは祝福を持たず、膨大な魔力に特化していますから、深い森のモンスターはその力を感じ取ってしまうのでしょう。
昨日など、目の前に飛び出してきた子ウサギが、YUYUさまの美しいお姿を見ただけでショック死してしまいました」
確かに、ロクジョウギルドを出立してからまだ一度もモンスターに出くわしていない。そういえば聞こえてくる鳥のさえずりも、仲間に知らせるように高い警戒音を発している。
「YUYUのおかげで俺たちは、魔獣に襲われる心配もなくベースキャンプまでの道を整備することができた。そこを拠点にさらに深い森の奥まで入り、グリフォン捕獲に挑む」
「膨大な魔力持ちの私が狩りに参加したら、グリフォンは警戒して姿を見せないでしょう。
私はベースキャンプでバカンスを楽しみながら、狩りの成果を楽しみに待ってますよ」
これから向かうベースキャンプは、王の影YUYUがいることで安全を確保できる。
ロクジョウギルドには新婚のトクサと、それからティダが残った。
敵であるハーフエルフ王子の紫苑は、竜胆とティダが一緒にいれば確実にグリフォン捕獲部隊を狙う。だからティダはグリフォン捕獲作戦には参加せず、ロクジョウギルドにいて紫苑の動向を監視する。
「ティダさんなら、偽ペガサスで深い森のベースキャンプまで飛んで来れるからね」
「ロクジョウギルドには捕らえた偽ペガサスが何頭かいて、ティダはそれを調教するらしい。紫苑のペガサス部隊と対抗するつもりかな」
「テ、ティダさまの調教ですか……。ソレは恐ろしい」
キキョウを背負ったウツギが小さな声でつぶやく。ハルはその隣を歩きながら深い森の空を仰ぎ見た。
最初この森に入った時、竜胆はハーフ巨人たちのふがいなさに憤慨していた。
ウツギは森に入ることに怯え、キキョウは足が不自由で森に入れないと嘆いていた。
それが今、大勢のハーフ巨人の仲間達と臆病なウツギやギルド長のキキョウ、おまけにYUYUまで参加してグリフォン捕獲に出かけるのだ。
「本当にスゴいね。これならきっとグリフォンを捕まえることができるよ」
昼過ぎまでに安全地帯にたどり着くために、ひたすら森の道を進む。
「オーイ、あの三角岩が中間地点だ。ここでいったん休憩にするぞ。
クノイチ部隊は随分と遅れているな。第一班、第二班は人数点呼しろ」
足早な竜胆たちハーフ巨人精鋭部隊と、のんびり進む王の影YUYUのクノイチ部隊。隊列は長く伸びてしまい、その間をSENとハルが忙しく行き来していた。
「森の中の甘い花の香りと、御車の揺れ心地が気持ちよくて、ふぁあっ、つい居眠りしてしまいました。
行進が止まったようですね。誰かハル君を呼んできてください。少し早いブランチタイムにしましょう」
水浅葱の膝に抱き抱えられたまま居眠りしていたYUYUは、大きく伸びをすると外にいるクノイチに声をかける。
そこへタイミングよく、人員点呼を行っているSENが御車の暖簾をめくりのぞき込んだ。
「まぁ、合図もせずに巨人王側室の御車をのぞき見るなんて、失礼ですよSEN」
「中にいるのは王の影と水浅葱か。ハルはどこにいるんだ?」
「えっ、ハルさまは竜胆さまとご一緒ではないのですか。
今私たちも、ハルさまをお茶に誘おうと話していたところです」
「いいや、ハーフ巨人部隊は足が速いから、ハルはクノイチ達と果物採取しながら、ゆっくり後ろから付いてくると言って……」
とっさにSENは紅い右目を起動して、パーティ仲間の位置情報GPSを確認する。
隊列の前方にも後方にもハルはいない。道からハズレて、まったく別の場所にマーカーが点滅する。
「まさか、ハルがいない、迷子だと!!」
出立して半日もたたないうちに、騒動は起こった。
***
「えっと、ここはどこ?」
帽子をカゴ替わりにして、ブルーベリーに似た果物を摘んでいたハルは、周囲をきょろきょろと見回した。
久しぶりの深い森の中で、ゆっくり周囲を眺めたいと思ったハルは、ハーフ巨人の隊列を離れYUYUのいる御車に向かっていた。
深い森の道を整備したといっても、所々川が流れたり岩に阻まれて分断された箇所がある。進行方向からだと一本道に見えるが、逆方向から進むと岩影に分かれた別コースに入ることもあった。
ハルがその果物を見つけたのは、道の真ん中に巨大樹が十数本生えている場所で、木の根元にとても良い香りのする果物が生えていた。
試しに一つ摘んで食べると甘くさわやかな酸味があり、それについ手を伸ばす。
すると隣の木の根元にも、うすらの卵大で艶やかな薄紫色の果物が実っている。ハルは気が付かない間に道から外れて、森の奥へ奥へと、まるでおびき寄せられるように入り込んでいった。
「これはまさか、ああっやっぱり誘引効果のある果物だ!!」
餌を使い獲物をおびき寄せる、よく台所の冷蔵庫の隙間に仕掛けたよ。まさか自分がそれと同じ方法で引っかかるなんて……。
真実を知り軽く落ち込むハルの目の前に、迷い込んだ巨大樹の谷に住むモンスターが待ちかまえている。
巨大樹の根元の裂け目から現れたのは、巨大な吸盤のついた軟体の足。それが二本三本、ハルを狙いウネウネと伸びてくる。
逃げ足だけは自信のあるハルは、後ろの飛び退いて身をかわし襲撃から逃れる。
穴の中から這い出してきたのは、深い森に住む巨大陸タコだった。
YUYUの気配に怯えて巣にこもっていたが、無防備な獲物が現れると狩りの本能が目覚め、獲物に襲いかかってきたのだ。
「うわっ、森の中にタコが住んでいるなんてビックリだ。しかも茹でていないのに体は真っ赤で、お、美味しそう」
思わず料理オタクな台詞が出たハルは、慌ててアイテムバッグから赤い和弓を取り出す。
この巨大タコは、何故か体が重たい様子で動きが鈍い。女神の弓の破壊力なら、一発で簡単に仕留められそうだ。
ハルは弓を引き絞り、アドバルーンのように丸い巨大タコの頭部に狙いを定めようとしたところで、矢が激しくぶれる。
「えっ、なんで狙えない?このモンスターは、聖獣じゃないのに」
女神の弓を番えると望遠機能が作動して、的が五十センチ手前に見える。
その矢の先がぶれて、ハルは偶然巨大タコの巣穴の中を見た。
穴の床は石畳で、そこに何故か魔法陣が描かれ、そして赤い靴が転がっている。
「なんでタコの巣に転送魔法陣が……それに子供の赤い靴、まさかコイツに食べられた人間がいる!!」
ハルは弓を握り直すと、巨大タコの足を狙う。今度は矢もぶれない、しっかりと的を定め矢を射った。
ハルの魔力を媒体に、神の力を宿した矢は、巨大タコの足を三本串刺しにして巨大樹に縫い止める。
続いて二本目の矢を放ち、モンスターの動きを封じようとした。
矢を引き抜こうと暴れるタコの体が半分裏返ると、八本脚の中に隠れた口が見え、そこから人間の細い腕がのぞいていた。
巨大ダコは、まるで歯ぎしりのような奇妙な吠声をあげながら、ハルにめがけて黒々としたスミを吐き出した。ヌメるタコの体液が腕にかかると、焼けるようなヒリヒリする痛みがした。
「これは消化液。こいつの口に歯はなかったから、獲物を丸ごと飲み込んで内臓で消化するんだ」
ハルは紅い右目の赤外線センサーを作動させ、体温の低い巨大タコの中に、二つの生体反応を見つける。
「ハルさま、ここにいましたか!!」
「一人で森の中に入っちゃダメだよ、ハルお兄ちゃん!!」
獣の吠声を聞きつけた萌黄とクノイチが、隊列からはぐれたハルを探し出した。
しかしハルの目の前には、巨大タコが迫っている。
次の瞬間、赤くヌメるタコの足が伸びて、吸盤が吸い付きハルの腕にからみついてきた。
「ハルさま、今お助けします!!こんなタコなど切り刻んでしまえ」
「みんな待って、このバケモノは人間を飲み込んでいる。
巨大タコの胴体を攻撃したら、中に飲まれた人間まで傷つける!!」
ハルはクノイチたちに静止の声を上げ、腕にからみついたタコ足の吸盤が上着の袖を引きちぎった。
「こ、このバケモノはハルさまの服を吸盤で吸いついて、ああっ、ビリビリ破いています!!」
「ひやァ、コイツは飲み込んだ獲物の消化を良くするために、異物を取り除くんだ。
そうか、服を剥かれる前に飲み込まれれば……」
ハルは大急ぎでアイテムバッグから【覇王の鷲獅子兜】を取り出すと頭にかぶる。
そしてアイテムバッグを萌黄に投げ渡すと、クノイチたちに声をかけた。
「今からモンスターに飲み込まれた人を助け出す。
僕がタコの中に入ったら、コイツの足を切り落として動きを封じて下さい!!」
「ハルさま、お止めください!!もうすぐ竜胆様たちが助けにきます」
しかし助けを待つ時間はない。
飲み込まれた人間は今すぐ、消化される前に助けないと死んでしまう。
ハルは体を思いっきり伸ばすと、自ら巨大タコの口の中に飛び込んでいった。